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リスボンの熱。その6

「リスボンの熱。その5」からのつづき。

「そろそろ地元の大衆食堂に行きましょう」マヤが言った。高台に登ってきた道と同じ石畳の急な坂の小道を2人でゆっくり下っていく。今日初めて会ったばかりの人と歩きながら話す時の距離感ってなんだか難しいなぁとか考えながら少しずつ黄昏ていく時間。街の色が段々と変わっていき街自体が少しずつ大人びていくように見えた。

「このお店も美味しいわよ」「このお店でファドも聴けるわ」と道沿いにあるお店を彼女はガイドのように紹介してくれる。アルファマは夜になるにつれ活気が出てくる街だった。過剰な街灯はない。防犯上もう少し明るくても良いと思うけどこのくらいの方が好き。坂を下りきると道が広がって駅前に出た。オープンカフェになってるお店を何軒か通り過ぎると、そこはあった。

ドアも窓も開けっ放しで店内が外から丸見え。たくさんの人が食事とおしゃべりを楽しんでいた。「ポルトガルはポルトワインが有名でしょ。みんな手頃なワインを飲みながらここで食事していくのよ」。家族で食事を楽しんでる人たちもいて楽しそうだった。「このお店は魚介が新鮮で美味しいけど、ケンはどうする?」「羊の肉が食べたいなぁ」「ラムがありそう」メニューを見ながら彼女が指さしたポルトガル語は私には全く理解できなかったけど「ポテトフライがついてるみたいだから良いと思う」という言葉に押されてそれを注文することにした。マヤはイカを焼いたものにやはりポテトフライがついてるものを頼んでシェアできるようにとアボカドサラダも頼んでくれた。

マヤはワインのボトルを開け私はオレンジジュースを頼んだ。いくらでも頼めば出てくるパンがバスケットに盛られテーブルに加わりディナーが始まった。ラム肉はとても美味しくてワインに合うだろうなぁと思いつつ最近特にアルコールに弱くなったこともありやめた。弱くなったのと年々必要じゃなくなってきているのと両方。食べることに2人とも集中して「美味しい」くらいしか言葉にせず黙々と食べた。

平らげ支払いを済ませまた歩き出した。一緒にご飯を食べるという行為は人との距離を縮めさせる。彼女への親近感が増した気がした。すっかり街は夜になっていた。最初入ったファドを聴かせるお店は今夜歌い手さんが来ないらしく諦め別のお店へとまた歩き始めた。マヤがあるお店の前で入り口付近に立っている男性と話し始めた。「ここにしましょう」中に入ると誕生日パーティーをするための10人家族がテーブルを囲んでいた。私とマヤは少しだけ床が高くなっているテーブルについてエスプレッソを頼んだ。「ほんとは一つ目のお店でケンにファドを聴いてもらいたかったけど、ここも良いと思うわ」。パーティーが盛り上がってきてケーキが出され初めて聴くポルトガル語のハッピーバースデーが店内に響いた。私とマヤも顔を見合わせ笑いながら大拍手で参加した。

「そろそろ始まるかも」マヤが言ったすぐあとガットギターの男性とポルトガルギターの男性が登場しチューニングを始めた。そこにまだ20代と思われる女性が現れ何の前触れもなく歌と演奏が始まった。さっき誕生日パーティーで盛り上った空気は一気に哀愁で充満する店内へと変貌した。この変わりようと変わる瞬間に境目がないことに震えた。それと同時に私がライヴでいつもやろうとしてることをまた違う次元でリアルタイムで見せられてる気がした。声を歌を一言発しただけで空気の色を変え違う世界を見せる。正に私がやりたいことが目の前で進行してる。1曲終わったあと女性は退き2人のギタリストによってインスト曲が始まった。これも素晴らしかった。そのあと年配の男性歌手が出てきた。「この人も良いわよ」マヤが囁いた。確かに素晴らしく聴き惚れた。

私の初めての生ファド体験は時間にして10分もなかった。でもその短い時間の中に「音楽とは何か」「表現することとは何か」の全てがぎゅうぎゅうにつまっていた。


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