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『レジャー白書』から見る麻雀の歴史⑤(2000年代前半)

5.『レジャー白書』から麻雀が消えた日(2000年代前半)

今回の記事では、今年の投票選抜戦の結果発表がつい最近行われたこともあり、2002年に稼働を開始するやいなやゲームセンターを席巻した大ヒットアーケード麻雀ゲーム「麻雀格闘倶楽部(マージャンファイトクラブ)」に焦点を当てたいと思います。なお、投票選抜戦というのは、麻雀格闘倶楽部のプレイヤーによる日本プロ麻雀連盟所属のプロ雀士への人気投票のことです。


「麻雀格闘倶楽部」が最後の輝きだった(2002)

「麻雀格闘倶楽部」とは

2002年に稼働を開始したオンライン対戦型アーケード麻雀ゲーム「麻雀格闘倶楽部」には、以下の特徴があります。

  • 自分のレベルに合った対戦相手が自動的にマッチングされ、全国のプレイヤーと対戦できる

  • プロ連盟所属のプロ雀士ともたまに対戦できる

  • エントリーカードに対戦データを記録できる

  • 一定以上の成績を残せば認定試験が受けられ、合格するとプロ連盟から段位がもらえる!

大ヒットの理由は、対人ゲームにつきものの面倒な部分を除いた上で、リアルな麻雀シミュレーターに徹したことでしょうか。段位システムによる成長要素等、ゲームとしてもよくできていたと思います。ゲームに登場するプロ雀士とともにプロ連盟の知名度も上がり、収益だけでなく、団体としての勢力拡大に大きく貢献しました。
なお、プロ連盟の所属プロは本部・支部合わせて944名(2023年9月18日現在)いるのに対して、麻雀格闘倶楽部に公式に参戦できるプロ雀士は男女各36名、計72名の狭き門となっています。この枠に選ばれるかは収入源としてかなり重要であるらしく、枠から漏れたことでプロを辞める人もいるくらいです。

今月公開された、スマホ版である「麻雀格闘倶楽部Sp」の10周年&大型リニューアル記念PVによると、麻雀格闘倶楽部の歴史上で重要なコンテンツは以下の4つでした。麻雀格闘倶楽部20年の歴史をまとめたページを見ると、そのほかにケータイ版、PSP、DS、Wiiにパチンコなどもありましたが、現在生き残っているのはこの4つということになります。

■2002年当時のレポート

『レジャー白書』でも、2002年のゲームセンターの動向として、麻雀格闘倶楽部のヒットに紙面を割いていました。

オンライン対戦型の「麻雀格闘倶楽部」は、200円のエントリーカードに対戦データを記録できる。リーグ戦に参加しその戦績により所属リーグを上げ、一定以上の成績を残すと日本プロ麻雀連盟公認段位認定試験に挑戦できることが受けている。

『レジャー白書2003』

また、2003年当時に書かれた福地誠先生の次の記事も、麻雀格闘倶楽部がゲーセンに呼び起こした熱気を伝えています。

登場したのは2002年3月で、7月からは「全国オンライン対戦 Ver.」が登場。すぐに爆発的な人気を呼び、2002年7月末でのカード登録者数は12万人を数えた。

追随するように、9月になってセガは「麻雀MJ」を、アルバは「e麻雀net」を発売している。だが麻雀格闘倶楽部の人気はその後も衰えず、2003年3月になって「麻雀格闘倶楽部2 日本プロ麻雀連盟Ver」が登場。カード登録者数は今夏にも100万人を突破する勢いだ。

対抗馬となるその他のアーケード麻雀ゲームはどうなったかというと、アルバが開発し、テクモがリリースしていた「e麻雀.net」は早々に稼働停止しましたが、「麻雀MJ」は、プロ連盟以外の団体に所属するプロ雀士と対戦できるアーケード麻雀ゲームとして、現在も稼働中です。

■「麻雀格闘倶楽部」の現在

20年前と比べると、ゲーセン人口やパチスロ人口が半減したこともあり、麻雀格闘倶楽部はかつての勢いを失っています。ただ、各コンテンツとも以下のとおり新商品は出続けており、アーケード麻雀ゲームの代名詞としての地位は揺らいでいません。

  • 2022年4月 「麻雀格闘倶楽部 Extreme」(第17世代)稼働【アーケード】

  • 2022年9月 eスポーツ大会「eMAH-JONG 麻雀格闘倶楽部 プロトーナメント」開催【スマホ】

  • 2023年3月 初心者向け「麻雀ファイトガール」稼働【アーケード】

  • 2023年9月 スマートパチスロ「麻雀格闘倶楽部 覚醒」(第5世代)稼働【パチスロ】

なお、昨年のデータになりますが、スマホ版である「麻雀格闘倶楽部Sp」の収益・ユーザー分布は以下のようになっていました。スマホゲームとしては、「雀魂」や「MJモバイル」に水を開けられており、若年層のユーザーを獲得できていませんでした。

「ファミ通App」(2022/12/02)

■麻雀ブームの担い手として

何度も引用していますが、福地先生は、それまで20年周期で起きていた麻雀のブームが1990年前後には起きなかった理由を、「1980年代の麻雀ゲームの発達が起こしたのは「1人麻雀革命」だったため、従来の生身の人間が卓を囲む形での麻雀ブームは起きなかった」と説明しています。
つまり、史上4度目の麻雀ブームは、ゲームの形を取って沈潜化したとも言えるわけで、麻雀格闘倶楽部はその重要な一角を担ってきたわけです。

麻雀・各種デジタルゲームの参加人口

ゲーセンから見た「麻雀格闘倶楽部」

来賀友志/嶺岸信明『天牌外伝』第2巻(2004)

それでは、当のゲームをプレイする場所であるゲームセンターから見て、麻雀格闘倶楽部とはどんなゲームだったのでしょうか。

高田馬場ほかに3店舗を展開している「ゲーセンミカド」の店長・池田稔さんが、半生を綴った『ゲーセン戦記 ミカド店長が見たアーケードゲームの半世紀』を今年の6月に出版しています。そして、この本の中の「番外編 麻雀ゲームについて」に、麻雀格闘倶楽部についても書かれています。

■リアルによるロマンの駆逐

 僕のようなリアル麻雀やらない勢がロマンだなんだと散々語ったビデオゲーム麻雀はゲーセンから駆逐される傾向になり、その代わりに『麻雀格闘倶楽部』のサテライトが年々着実に増設されていった。ゲームという視点だけで語るのならば、『麻雀格闘倶楽部』は名実ともにアーケードゲーム史上最強の麻雀ゲームだ。

池田稔『ゲーセン戦記』(2023)105〜106ページ

この番外編を読むと、面白いことに池田さんは、麻雀格闘倶楽部のヒットを「それまでのゲーム的想像力の産物であった脱衣麻雀ゲーム等が、リアルな麻雀シミュレーターに敗北した」、つまり、「リアルによるロマンの駆逐」だととらえているんですね。これはどうしても、ネット麻雀「東風荘」(1997〜2018)のデータを分析したとつげき東北さんの『科学する麻雀』(2004)によって、麻雀における流れ論が排斥されていったことを思い起こさせます。デジタル革命は同時多発的に起こっていたことになりますが、ゲーセンにおいてこの動きを主導したのが、流れ論の総本山(と思われている)プロ連盟だったというのも面白いですね。

■「麻雀格闘倶楽部」の全盛期

『ゲーセン戦記』では、麻雀格闘倶楽部のビジネス面についても、詳細に語られています。ゲーセンの市場規模は、2007年の6780億円がピークであり、麻雀格闘倶楽部の全盛期(2003〜2006)もちょうどこの頃でした。トレーディングカードやネット通信を用いたゲームがゲーセンを牽引していた時期であり、ネット対戦ゲームである麻雀格闘倶楽部はまさにこれに当てはまります。その後、ゲーセンは、2006年に発売されたWiiやオンラインゲームの流行により、規模を縮小していくことになります。

 あくまでゲーセン店員としての主観だが、このゲームの全盛期は2003年の『麻雀格闘倶楽部2 日本プロ麻雀連盟Ver.』から06年の『麻雀格闘倶楽部5』までだろうか? このあと筐体設置店の増加に伴う売上の台割れ問題が発生し、地域によってディスカウントで顧客の囲い込みを狙う流れが顕著となる。
 また、年1回の有償バージョンアップのコストが日々のインカムと見合わなくなってきたという話も中小企業オペレーターからチラホラと出始める。それでも『麻雀格闘倶楽部』の売上は水準以上で、店舗への売上貢献度も2012年『麻雀格闘倶楽部NEXT』まではまだまだ高かった。
 しかし、『麻雀格闘倶楽部』の売上に依存していた店舗も、2007年に新筐体へ変わったことを機に従量課金性にシフトし、数々の金銭的足切りの影響によって設置店舗も減少傾向に。PASELI(コナミの電子マネー)に対応するようになり、1日の台単価が1万円近くあった全盛期のインカムも、いまは全国平均で1000円から2000円といったところだろうか。

池田稔『ゲーセン戦記』(2023)106〜107ページ

 重ねて課金制度の変更もあった。
 この頃(2006年)まで『麻雀格闘倶楽部』は、1ヶ月に席代を1台6000円払う方式だった。ところが、『麻雀格闘倶楽部6』が出るとき(2007年)には、アップデートに1席約25万円払うことになる。

池田稔『ゲーセン戦記』(2023)122ページ

■一番稼いでいるのは「上海Ⅱ」

この『ゲーセン戦記』に出てくる麻雀がらみの他の情報としては、著者が経営するゲーセンミカドで最も稼いでいるのは、麻雀牌ソリティアゲーム「上海Ⅱ」(1989)だという話が興味深かったです。そして、他のゲーセンも含めて「上海Ⅱ」が「上海」シリーズの中でも突出して収益が高いのは、スタート時に牌が積まれる過程が見えることで「暗記ゲー」の性質を有するからではないかということでした。
しかし、YouTubeで見たところでは、たとえば「上海Ⅲ」でも牌が積まれる過程は見えていました。ただ、「上海Ⅱ」の方が牌を積むのにかかる時間が長かったので、暗記ゲーとしての出来のよさの問題なのかもしれません。

「テメエら、雀荘に行く度胸も銭もねえから、こんなとこで屯してんだろ」

来賀友志/嶺岸信明『天牌外伝』第2巻(2004)

しかし、当時のリアル麻雀派は、麻雀格闘倶楽部に興じる若者たちを苦々しい思いで見ていたのでした……などと書きたくなりますが、まあ、これはマンガ特有の誇張表現でしょうね。これらのシーンは、ちょうど麻雀格闘倶楽部がブームを巻き起こしていた2003年に描かれたものです。それにしても、隆の清々しいほどの老害っぷりがすごい。こんなこと言ってるから刺されるんだよ。

それはともかく、本当に「雀荘に行く度胸も銭もねえ若造が増えてっから、本物の麻雀が廃れちま」ったのかを見てみると、リアル麻雀は40年間ずっと右肩下がりなので、麻雀格闘倶楽部のせいなのかどうかは、よくわかりませんでした。本物の麻雀、廃れすぎ。

『レジャー白書』から麻雀が消えた日

『レジャー白書』は、各種のレジャーを「スポーツ」「趣味・創作」「娯楽」「観光・行楽」の4部門に分類しています。麻雀は3番目の娯楽部門に入りますが、参加人口や市場規模のデータは載っていても、その年にどんな動きがあったのか、本文には特に記されない状態が長く続いています。

そして、今のところ、娯楽部門のその年の動向に麻雀について書かれていたのは、前述の『レジャー白書2003』が最後になります。

オンライン対戦型の「麻雀格闘倶楽部」は、200円のエントリーカードに対戦データを記録できる。リーグ戦に参加しその戦績により所属リーグを上げ、一定以上の成績を残すと日本プロ麻雀連盟公認段位認定試験に挑戦できることが受けている。

『レジャー白書2003』

つまり、レジャー市場にインパクトを与えた麻雀関連のトピックは、麻雀格闘倶楽部が最後でした。正確に言えば、これもゲームセンターの動向に含まれているので、単一のレジャーとしての麻雀についての記述はもっと前に消滅していたことになります。
さかのぼって見てみると、麻雀が娯楽部門の動向を示す本文に出てきたのは、『レジャー白書1988』が最後でした。週休2日制の普及や午前0時以降の営業を禁止した新風営法の施行、何よりレジャーの多様化によって、1980年代後半から、すでに麻雀は主要なレジャーではなくなっていたことになります。

麻雀は利用人口が減少し、1回当たりの消費金額も落ち込んでいるため、市場としては活気が見られなかった。

『レジャー白書1988』

ちなみに、囲碁や将棋については、その年の重要なトピックとして、最近になって韓国への移籍が発表された仲邑菫・女流棋聖の最年少プロ入り(『レジャー白書2020』)や、現在八冠に挑戦中の藤井聡太竜王の四冠達成(『レジャー白書2022』)などが載っていました。
しかし、麻雀については、『レジャー白書2019』の中の「2018年の出来事」を記した年表にさえ、Mリーグ創設が載ることはありませんでした。同時期に開幕した卓球のTリーグは載ってるのに……。どうして……?🥹

そんなことより、投票選抜戦の結果はどうなったのさ?

今シーズンのMリーグ開幕日でもある9月18日(月・祝)に発表された「投票選抜戦2023」の結果はどうなったかというと、男性プロは佐々木寿人プロの4連覇、女性プロは高宮まりプロが首位を奪還し、Mリーグチーム「麻雀格闘倶楽部」の所属選手が男女とも優勝という納得の結果となりました。まあ、そのための投票とも言えるわけですが。

ちなみに、Mリーグ創設後の2019年以降の10位までの結果はこんな感じになっています。

男性プロの投票選抜戦結果(2019〜2023)
女性プロの投票選抜戦結果(2019〜2023)

こうして例年の結果を見てみると、女性プロはMリーガーがほとんどなので理解できますが、私は麻雀格闘倶楽部をやっていないので、男性プロがどうしてこうなってるのかよくわかんないですね。Mリーガーよりもプロ連盟の重鎮(?)が多く選ばれています。やっぱプレイヤーに高齢者が多いってことなのかな。
カオスな男性プロはおいといて、過去に上位だった女性プロは何人もMリーガーに選ばれているので、今後もこの中から次期Mリーガーが出てくる可能性は高そうです。

ギャンブル型レジャーからの脱落(2002)

サッカーくじIN、麻雀OUT

麻雀格闘倶楽部のヒットについて書かれていた『レジャー白書2003』には、「新たな余暇市場の可能性」という特別レポートが収録されていました。そして、その中の「第5節 日本人のギャンブル観とカジノ」は、ギャンブル型レジャーをテーマにしていました。しかし、前回の記事で紹介した『レジャー白書1997』の特別レポート「変わる日本人のギャンブル観とパチンコ」とは異なり、調査対象となるレジャーの中に麻雀は入っていませんでした。つまり、1996年から2002年までの間に、麻雀はギャンブル型レジャーから脱落したことになります。

「パチンコ」「宝くじ」「中央競馬」「地方競馬」「競輪」「競艇」「オートレース」は、2002年にも変わらず調査対象に入っていました。しかし、市場規模で公営ギャンブル最弱のオートレース(1570億円)にも劣る麻雀(1280億円)は、劣等生の烙印を押されてしまったわけです。ポジティブな見方をするなら、麻雀格闘倶楽部のヒットが示唆するように、この時期に麻雀はギャンブル系レジャーからゲーム系レジャーへ移行したと言うこともできます。
それでは麻雀のかわりに何が入ったかというと、2001年から全国発売されていたサッカーくじでした。サッカーくじIN、麻雀OUTだったわけです。2002年当時は、麻雀は参加人口・市場規模ともにサッカーくじより上でしたが、2010年前後にいずれも追い抜かれることになります。

2002年までの10年間でどう変わったか?

2002年までの10年間で、日本人のギャンブル参加率には以下の傾向がありました。一応、麻雀も参加率のグラフには名をとどめていますが、本文ではまったくふれられていません。期間が一部重複しますが、『レジャー白書1997』に載っていた1996年までの10年間の傾向も合わせて書くとこうなります。

■1986〜1996年の傾向
①宝くじの高い参加率水準。
②パチンコ参加率の落ち込み。麻雀の低迷。
③年々高まる競馬人気。低迷する他の公営競技。

『レジャー白書1997』

■1992〜2002年の傾向
①宝くじの参加率は高水準で、かつ近年も参加率を伸ばしていること
②パチンコ、中央競馬の参加率の水準の低下
③競艇、競輪、地方競馬などの公営ギャンブルの長期低落傾向

『レジャー白書2003』

これらを合わせて見ると、1986年から2002年までの傾向として、「宝くじを除いてギャンブル型レジャーは低迷する一方であり、1990年代に躍進した中央競馬も2000年代にはその勢いを維持できなくなった」ということになります。
その主な理由としては、各レジャーで高齢化・マニア化が進んだことが挙げられています。90年代には女性ファンの増加を謳っていた中央競馬も、この頃はめっきり数を減らしており、競馬場に集っていたリアルウマ娘たちはどこかへ走り去ってしまっていました。

この後、好調だった宝くじも長引く不況の影響で2000年代後半には沈み始めます。一方、中央競馬を含む公営ギャンブルは、2010年代後半から、ネット販売の拡充、PR活動、ナイター開催等の改革の成果が出始め、コロナ禍の巣ごもり需要で一気にブレイクを果たすことになります。ただし、パチンコ・麻雀については、沈みっぱなしの状況が続いています。

カジノができたら行ってみたいのは3割

『レジャー白書2003』の特別レポートの「第5節 日本人のギャンブル観とカジノ」は、カジノ導入の是非に焦点を当てており、既存のギャンブル型レジャーへの調査はあくまで参考程度でした。それでは、カジノについての調査結果はどうだったのかというと、「カジノ導入には賛成20%・反対35%で、若者・海外カジノ経験者に賛成派が多い。また、全体の3割が国内にカジノができたら行ってみたい」という結果が出ていました。

カジノ導入が現実的となった近年、カジノについてのアンケートはいくつか行われています。このうち、比較的サンプル数の多い「日本カジノ研究所」の2019年のアンケート(1200人対象)を見てみると、「若者・海外カジノ経験者に賛成派が多く、全体の26%が国内にカジノができたら行ってみたい」という2002年と似たような結果が出ていました。一方、大阪府がカジノ誘致の姿勢を明らかにしてからの2022年のアンケート(大阪府内在住者506人対象)では、主に経済効果を理由に賛成が48.6%、主に治安悪化を理由に反対が51.4%でした。また、「できたら行ってみたい」は34.6%とやや増えています。
現在、国内で唯一認定されている夢洲の大阪IRは、当初予定していた「2029年秋~冬ごろ」の開業が「2030年秋ごろ」に延期になっています。大阪IRは大阪・関西万博の跡地を利用する予定ですが、その万博も含めて、今後の行方は混沌としています。

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