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『レジャー白書』から見る麻雀の歴史①(1970〜80年代初頭)

これから、この記事をはじめとして、以前のブログに散発的に書いていた、歴代の『レジャー白書』の中の麻雀についての記述や特集レポートの内容を時系列順にまとめていきたいと思います。
ナイアガラの滝のように年々出版日が後退し続けている『レジャー白書』に対して、「今年も出てほしい」という応援の気持ちを込めて書いています♡ なお、昨年どおりなら、今年の『レジャー白書』は10月末に出版されるはずです。

1.第二次麻雀ブームとその余波(1970〜1980年代初頭)

井上孝重『煌々たる雀星 小島武夫伝』(1990)

麻雀の全盛期はいつか?

『麻雀放浪記』連載開始は「昭和44年(1969)」との話も

1977年に創刊された『レジャー白書』において、麻雀についての記載がレギュラー化したのは、『レジャー白書1983』の1982年のデータからです。つまり、第二次麻雀ブームの大部分を占める1970年代の参加人口や市場規模は明らかになっていません。
現存する記録では、麻雀人口のピークは1982年の2,140万人になりますが、実際のピークは、記録の残っていない1970年代だったと考えられます。

最初期の『レジャー白書』の麻雀についての記述を見ると

マージャンには人を魅きつける何かがあるといわれ幅広い人気がある。

『レジャー白書1979』

と持ち上げられていましたが、その2年後には

麻雀は今日低迷しているが、経済と生活の安定化とともに、再び一定量の水準を保持していくだろう。

『レジャー白書1981』

とあっさりてのひらを返されています。
これを見ると、少なくとも『レジャー白書』の編集者の体感的には、1980年代に入るころには麻雀の勢いはかなり落ちていたことになります。そうすると、やはり、麻雀の全盛期は1970年代だったのではないでしょうか。

実際、以下のグラフのとおり、『警察白書』に記載されている雀荘数のピークは1978年の36,173軒でした。麻雀人口と雀荘数の増減は軌を一にしているはずであり、人口が伸び悩んでからしばらくして雀荘数も減っていくはずです。そのため、麻雀人口のピークは、1978年の少し前になる1970年代半ばではないかと推測します。

これを業種別にみると、料飲関係営業等では、ナイトクラブ等一部の業種を除いてはいずれも減少しており、一方漸増を続けていた遊技場営業も、十数年ぶりに減少し、特に、(昭和)37年(1962)以来増加を続けていたマージャン屋が頭打ちとなったことが大きな特徴である。

『昭和55年警察白書』(1980)

マージャンとまあじゃん

「レトロゲームの殿堂 さいばらりえこのまあじゃんほうろうき」より

(昭和)56年(1981)のまあじゃん、ぱちんこ等の遊技場営業所数は4万7,161軒で、前年に比べ1,299軒(2.7%)減少した。

『昭和57年警察白書』(1982)

余談になりますが、『警察白書』では、1982年から、それまでの「マージャン」というカタカナ表記から「まあじゃん」というひらがな表記に変わりました。これは現在まで続いていますが、理由は不明です。麻雀と同じ「遊技場営業」のカテゴリーに入る「パチンコ」も、同年から「ぱちんこ」に変わっています。

風営法の条文では、1948年の制定時から、麻雀はひらがな表記です(パチンコについては1959年の改正で追加され、同じくひらがな表記)。風営法は1984年に大きな改正が行われているので、改正に先がけて、1982年から条文の表記に合わせたということでしょうか。

バイニンはおしまい!

1980年代になると、新しいレジャーの台頭と働き方の変化によって、麻雀ブームは次第に沈静化していきます。

麻雀が週休2日制の普及に伴ない土曜日の遊技人口が減少した。

『レジャー白書1982』

こういった記述から、同僚と会社帰りに麻雀を打っていたサラリーマン層が、当時の麻雀人口の多くを占めていたことがうかがえます。

全自動麻雀卓の第1号は、ミシン部品メーカー東和製作所(旧渡邉精機製作所/現在のTOWA JAPAN)が1976年に開発(1977年販売開始)した「パイセッター」である。

Wikipedia「全自動麻雀卓 歴史」

1977年に発売された全自動麻雀卓は、1980年代初頭には普及し、ブームの最後を飾る役割を果たしました。

(1982年のパチンコ・麻雀の参加人口の増加は)パチンコのデジタル方式、麻雀卓の自動化など、それぞれの業界のエレクトロニクス技術導入が効を奏したと推察される。

『レジャー白書1983』
嵐田武/玉置一平『ラストバイニン』(2011)

引用しておいて何ですが、この『ラストバイニン』の記述には違和感がありますね。確かにマツオカは1979年から全自動卓を発売していますが、日本初ではなく、第二次麻雀ブームも1960年代末からなので、全自動卓は「立役者となった」とは言えないはずです。しかし、イカサマ麻雀によって生計を立てていたバイニンや雀クマと呼ばれた人たちが、全自動卓の普及によって多く廃業に追い込まれたのは事実でした。

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