「奪う」ではなく「与える」こと
本日、仕事仲間と打ち合わせをしていて前提の違いで変わるなと感じていたこと。
もしアナタが飲食店を経営していたとします。
経営者のアナタはお客さんに食事を提供し、お客さんからお金をもらい経営していくことになります。
その時に、同じ経営するのでも、考え方で、お店の在り方がまったく異なってしまいます。
お店に来たお客さんにお金をいっぱい払ってもらって、少しでも多く儲けたい、と思って食事を提供するのか。
→「奪う」気持ち
お店に来たお客さんへ少しでも幸せな時間を過ごしてもらいたいという想いを込めて食事を提供するのか。
→「与える」気持ち
食事を提供して、お客さんからのお金をもらう、という飲食店の経営であっても、経営者のアナタの「考え方」、「在り方」次第で、「奪う」にも「与える」にもなりうるのです。
「いやいや、どっちにしても、食事を与えて、お金を奪っているのには変わらないんじゃないの!?」
確かに一見、行為として見ればどちらも一緒かもしれません。
しかし、気持ちが違うということで、自ずとその食事やサービスの内容、または店内の様子にも、だいぶ差が出てくると思いませんか??
もし、アナタがお客さんならどちらのお店に行きたいですか??
これと同じことが、飲食店だけではなく、人対人の人間関係でも起こりうると僕は思っています。
「奪う」気持ちで接する人と、「与える」気持ちで接する人。
例えば、「奪う」であれば、
「アイツをうまく使ってやろう」
とか、
「今回はこれをプレゼントしたから、次はあれをやってもらおう」
のように、相手をコントロールしようとする気持ちは、
「奪う」
気持ちです。
一方、「与える」気持ちであれば、見返りは求めません。
「あの人はこれをやりたそうだから、お願いしてみよう」
とか、
「あの人は、これをもらったらきっと喜ぶはずだから、これをプレゼントしよう」
のように、純粋に相手の喜ぶ姿、幸せを願う、これが
「与える」
気持ちです。
行為としては、どちらも同じですが、気持ちが正反対です。
相手にも、きっと、それは伝わります。
僕は、「与える」人で在りたい。
いや、今日、いまこの瞬間に「そう在る」ということにする。
決して傲慢な気持ちを持たずに、与え続ける。
そして、同時に受け取り続ける。
与え合いの世界では、受け取る人がいなければ、与えられないのだ。
僕は、先に与えよう。そして、受け取ろう。
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