アイドルを夢見た伊藤かりんの見た夢

はじめに

 なにかを知るきっかけなんてものは些細なもので、それをもっと知ろうと思うことはもっと些細なことかもしれない。
 深く知ってしまうことには意思と偶然が重なって、だけれどその事実は変わることなく事実として残っていく。
 アイドルグループ乃木坂46。2期生、伊藤かりん。
 2019年3月22日に卒業を発表。
 その時に投稿されたブログには以下のような文章が書かれている。


2019/03 22Fri 伊藤かりん 第439話 大好きなファンの皆様へ


この度、
乃木坂46を卒業することになりました!


許されるなら、
ずーっと!一生!おばあちゃんになるまで
乃木坂にいたい!

そのくらいこのお仕事が大好きで、
メンバーが大好きで、
スタッフさんが大好きで、
なによりファンの皆さんが大好きです!

それでも自分の人生、
乃木坂の未来を考えた時、
私のやれる事はもうないかなと感じて
卒業することを決めました。

卒業してもメンバーやスタッフさんには
会おうと思えば会えるけど、
ファンの皆さんに会えなくなることを
考えたら辛すぎて、
なかなか決断できずにいました。。。

自分の中でいつくらいにしよう。と
気持ちを固めたのは1年くらい前です。

自分の出来ることをやろう、
持てるものを全て後輩に
伝えていこうと過ごした1年でした!

(シルエット写真)

私が皆さんの前に初めて
姿を現したシルエット写真!

覚えてる人いるかなあ〜?
懐かしいなあ〜!

加入した時は19歳でした!
そんな私も5月で、26歳になります。

辛いことが全くなかったわけではないけど
幸せだと感じることの方が
100倍多い6年間でした!

ライブが大好きな私にとって
アンダーライブにたくさん出られた事は
アイドル人生の1番の誇りです!!!

(中略)

乃木坂辞めた後のことは
まだ正直白紙状態です!

芸能活動続けたいな〜と
漠然と考えてはいますが、
一度、一息ついて、
将来のこと考えようと思っています!

(ライブの集合写真)

5年半前。

(ライブの集合写真)

1ヶ月前。

残り2ヶ月ほどになりますが、
一分一秒大切にして
たくさんハッピーな想い出作れたら
いいなと思っていますので
最後までよろしくお願いします!


ブログもいつも通り
たくさん書きますね(^_^)

乃木坂だいすき!!!


伊藤かりん
(乃木坂46 伊藤かりん 公式ブログ 2019年3月22日)


 かりんがこの文章を投稿した2019年3月22日。それまでの日々、かりんがどうのようなアイドルだったのかを振り返る。
 きっかけは些細なものだ。

1. アイドルを夢見た少女~乃木坂46との出会い

 伊藤かりんは1993年5月26日、伊藤家の次女として生まれる。幼少期から人見知りをしない明るい子で、物怖じせずにすぐに集団に馴染む性格。それは成長するにつれても変わることはなく、かりんの長所になっていった。
 かりんは子供の頃からアイドルを夢見る少女だった。きっかけは幼稚園の頃に観た「モーニング娘。」。そして、その存在はすぐに憧れへと変わっていった。
 行動へ移したのは小学三年生の時、「ハロー!プロジェクト・キッズ オーディション」に応募する。しかし、結果は落選。小学校六年生の時には「ハロプロエッグ」を受けるが、同様に落選。少しの現実を知ったかりんは、中学校に上がるタイミングでサッカー部に入部する。
 男子ばかりのサッカー部にマネージャーではなく選手として入部したが、そんなかりんに対して「女はいらない」と言う男子はいた。しかし、自分がやりたいと決めたことだったので中学校を卒業するまで3年間やり続けた。かりんはゴール裏でボール拾いをするのが主な仕事で、プレーをすることはほとんどなかったという。
 高校生に上がったかりんはサッカーの反動を含めて「自分のやりたいことをやろう」と決心していた。サッカーの代わりにスクールで歌を習ったり、アイドルのオーディションを含めて様々なオーディションを受けた。しかし、結果は付いてくることはなく、書類が通ることすらほとんどなかった。時間は残酷にも過ぎていき、17歳になる頃には受けられるオーディションも限られていた。
 そんな高校三年生の夏、周りが受験勉強をしている中で運命の出会いを果たす。それが「AKB48の公式ライバル〝乃木坂46〟オーディション」だった。
 当時のAKB48は第三回選抜総選挙が行われ、大島優子に対して前田敦子がリベンジを果たすという、グループに勢いを増し続けている時代だった。そのAKB48の公式ライバル〝乃木坂46〟のオーディション。
 すぐにかりんは乃木坂46のオーディションに応募する。そこには「これが本当に最後」という強い思いがあった。
 1次の書類審査は通り、二次審査は歌と面接だった。ここでかりんは勝負をかける。自己PRとして〝伊藤かりんを乃木坂46にするための署名〟を作成する。当時生徒会長だった力を使って全校生徒、先生、3つのバイト先で名前を集めた。その数は400を越えていた。
 オーディション会場はどよめく。かりんは確信した。スタッフやオーディションを受ける人間の中に引いている人もいたが、その手ごたえは今まで経験したことのない手ごたえだった。二次審査はパスして意気揚々と三次審査を受けるが、結果は三次審査で落選。またもかりんのアイドルへの道は絶たれることになった。周りは受験勉強に忙しないなかで、一人だけ将来のことがまだ白紙でいた。
 かりんの高校時代の一番の思い出は高校二年生の学園祭。後夜祭で400人の生徒を前に、バンドのボーカルとして歌ったことで、それがあまりにも楽しく後に人生のピークだったと自虐として語られることになる。

2. 2013年冬、乃木坂への道は再び開かれる

 乃木坂46に落ちたかりんは、乃木坂オタクになっていた。ブームになっていたAKB48と違い、最初期から「お見立て会」や「コンベンション」に参加できるというのは大きく、高山一実や安藤美雲といったメンバーの握手会に通っていた。どんどんとのめり込んでいった時期に突如「乃木坂46〝2期生オーディション〟」は告知される。
 再び巡ってきた千載一遇のチャンス。しかし、かりんの内心は複雑な思いがあった。
 1期生が作る空気感が好きで乃木坂46にハマっていた。だから、「今の乃木坂46に2期生はいらないんじゃないか」という思い。それと同時に、2期生オーディションがもう決まったのならば、変なコが入るよりもせめて自分が入りたいという思い。
 そうした相反する思いを抱きながら、かりんはオーディションを受け、見事合格をつかみ取る。
 小学生の時から憧れたアイドルになった瞬間。あの頃からもう10年もの時が経っていた。
 当時をかりんはこう語っている。


「19歳。本当に最後の挑戦でした。最後だから〝秘策〟とかそういうのはナシで勝負しました。本当にうれしかった」(『乃木坂46物語』)


 アイドルとして、乃木坂として、かりんの第一歩がはじまろうとしていた。
 乃木坂46加入後、1期生オーディションを落ちてファンになった人間が2期生オーディションに合格したかりんのことは美談として語られるが、かりんは1期生オーディションに落ちた後も様々なオーディションを受け続けていた。それくらい、かりんにとってはアイドルというものはどうしても叶えたい夢だった。

3. 乃木坂加入~研究生の日々


 2013年。2期生が加入する当時の乃木坂46は変化の時期を迎えていた。常に変化をしていくグループではあるが、その時は1作目から5作目までのシングルでセンターを務めた生駒里奈が6作目で白石麻衣に代わった直後。未だAKB48のライバルグループというには存在感は薄く、自分たちのアイデンティティーを模索している時期。そんなタイミングで2期生は乃木坂46という見知らぬ世界へ飛び込んでいった。
 2期生が後に語る1期生との初対面は、舞台『16人のプリンシパルdeux』のゲネプロの前後だったという。
 1列に並んだ1期生と対峙する形で、2期生が2列に並ぶ。1期生の醸し出す芸能人の雰囲気に、2期生の緊張感は高まる。そんな強張った空気の中で2期生代表として挨拶する役目を任されたのが、かりんだった。高校時代に生徒会長を務めていたかりんが代表者になるのは適当とも言える。しかしかりん自身も緊張をしていた。事前にマネージャーと話し合い、内容を決めて挨拶に臨んだ。
 1期生と2期生の初仕事は乃木坂46の冠番組『乃木坂って、どこ?』のテレビ収録。タイトルは「お互いを知って仲良くなろう! 2期生意識調査」。冒頭から2期生は八の字のように向かい合う選抜メンバーと声の大きさを比較される。もちろんバラエティーではあるのだが、向かい合っている先輩たちの自分たちを見定めているような視線に「ここにいてもいいのだろうか?」という気分になる2期生は少なからずいた。収録が進み、先輩への呼び方をどうするかという話題になる。番組MCのバナナマン設楽が芸人を例にして、後輩は年齢関係なく先輩には敬語を使う、そんな説明をしている最中に「じゃあ、それで」と言葉を切ったのは生駒里奈だった。
 生駒は1作目から5作目までの表題曲でセンターを務めた、まさに乃木坂46の顔とでも言うべき存在。だが、当時の乃木坂46に吹き込む逆風のすべて受け止めたのも生駒だった。「生駒ちゃんだって、先輩扱いされたい……」と小さな声で呟いたその言葉は、先輩として戦ってきた思いが込められていた。
 乃木坂46が好きだったかりんはその苦労と苦悩をテレビ越しに見ている。そして自分の年齢関係なく先輩として接したいと当たり前に思っていた。しかし、「じゃあ、それで」と言い切られることに委縮してしまう。2期生と1期生の距離感はなかなか縮まらないでいた。2期生は研究生として活動していくことになる。
 そんな中でも温かいエピソードはある。
 1期生と2期生が初めて対面した『16人のプリンシパル deux』は2部構成になっており、1幕では自己PRが行われ、それを受けた観客が投票を行い、2部で出演する16人が決まっていく。そして2部終了後にミニライブが行われ終演となる。
 2期生が初めてファンの前に顔を見せる機会が与えられたのも『16人のプリンシパルdeux』だった。1公演に1人ずつ、2幕の終演後に緞帳の前に立ち、自己紹介をする。ただし、自分の自己紹介をするまではマネージャーもいない一人だけの楽屋に待機しなければいけない。舞台の特性上、選ばれる人間と選ばれない人間が出てしまう『16人のプリンシパル』は、表でも裏でもメンバーの張りつめた空気が漂っており、一人で楽屋に待機している2期生はその空気に当てられていた。そんな折、気さくに楽屋に顔を出し、2期生の緊張を和らごうとした先輩のメンバーはいて、2期生はその先輩への感謝は忘れられないという。

4. はじめての握手会、はじめてのミニライブ、はじめて尽くしの日々

 2期生がはじめての握手会を行ったのは、7月27日に行われたパシフィコ横浜での個別握手会とされている。その一週間後の8月4日には幕張メッセで全国握手会が行われ、握手会後のミニライブでは2期生が初めて観客の前でパフォーマンスすることになった。
 5月にお披露目された2期生は、8月4日の握手会でのパフォーマンスを一つの目標としてレッスンに打ち込んできた。披露するのは「走れ! Bicycle」と「会いたかったかもしれない」、たったの2曲だが、右も左も分からないメンバーは苦心する。
 特にダンスに苦戦したメンバーが、佐々木琴子、鈴木絢音、寺田蘭世、堀未央奈の四人。レッスンのたびにダンスの講師に怒られては、レッスン後にファミレスへ行ってお互いを鼓舞し、励まし合っていた。
 ミニライブ当日、学業で欠席した米徳京花を除く12人で初めてのパフォーマンスをする。ダンスの並びは背の順で決められ、センターに立ったのはかりんと最年少の渡辺みり愛だった。
 3週間前から同じ曲だけを練習して、小さな衝突が起きることもあった。ただ、たった2曲のミニライブが2期生にとっては大きな2曲だった。
 アイドルとして初めてのステージになった全国握手会のミニライブをかりんはブログでこう振り返っている。


正直ステージ上の事
しっかり覚えていないというか
夢の中みたいな感覚でした。

だって小さい頃からずーっと
思い描いてきた場だったから。

この時の気持ちだけは
絶対忘れないようにしよう。

(乃木坂46 研究生 公式ブログ 2013年8月8日)


 ライブ前には1期生の円陣に混じったり、握手会の合間には写真を撮ってもらったりと、1期生と2期生の交流は少しずつ増えていっていた。

5. 『7枚目シングル』選抜発表~そのとき研究生は

 乃木坂46はシングル毎に選抜発表を行っており、選ばれることができたメンバーのみ表題曲を歌うことができる。一枚ごとに選ばれるメンバー、並ぶポジションは変わり、先述した生駒里奈は1枚目から5枚目までセンターを担っていた。その後も5作連続でセンターを務めたメンバーはおらず、それだけ象徴的な存在だった。
 6枚目シングル『ガールズルール』では白石麻衣にセンターが変わる。当時、白石はファッション雑誌『Ray』の専属モデルで同世代や同姓への人気が高く、『ガールズルール』のフロント(一番前の列に並ぶメンバー)に並んだ3人は白石含め、全員が当時20歳。今までの5作品とは違う綺麗なお姉さんメンバーが並んでいて、グループのイメージはガラッと変貌した。
 選抜発表はシングル毎に乃木坂46の冠番組で発表される。その発表の形式も様々で、1枚目では全メンバーそれぞれに携帯電話が与えられ、選抜に入ったメンバーにのみ電話がかかってくるというシステム。
 5枚目では控室に待機しているメンバーが自分たちから「発表ルーム」と称された部屋に行き、自分の名前が書かれた封筒を開いて番号が書かれていればそこが自分のポジションになるという形式。控室には電光掲示板があり、そこには選抜メンバーの数でもある「16」の数字。これが0になれば控室にいるメンバーが全員アンダーになることを意味する。行くも地獄、行かないも地獄という構図に心痛な面持ちのメンバーがテレビに映る。メンバーの負担が大きかったのか、6枚目以降は基本的にアナウンサーが選抜に入ったメンバーを読み上げていくという形式が採られるようになっていた。
 2期生が加入して初めての選抜発表は7枚目のシングルだった。加入してから5か月。最初の頃にはあったテレビの収録も、この時期にはもうなくなっていた。

 選抜発表を待つ1期生のメンバーがスタジオのひな壇に座っている。独特の空気感に包まれるスタジオ。2期生はそんなスタジオから離れた場所で固まって見学をしていた。
 乃木坂46の選抜発表は表題曲のフォーメーションを発表するところから始まる。そこでメンバーからどよめきの声が上がった。今までは16人だった人数が5-4-8のフォーメーションで17人に増えている。期待と不安が広がりながらも、アナウンサーが3列目からメンバーの名前を読み上げていく。川後陽菜、衛藤美彩、中元日芽香、初めて選抜に入るメンバーが涙を浮かべながら祝福される。そして、2列目のメンバーの名前が呼ばれる。2列目には前々作のセンターだった生駒里奈の名前が前作と同じように入る。
 最後は1列目のメンバー。松村沙友理、橋本奈々未、前作のフロントメンバーが次々に呼ばれ、白石麻衣の名前も呼ばれるが、まだ空いているポジションがある。それは一番真ん中、センターのポジション。そして最後にアナウンサーが読み上げた名前は、
 「堀未央奈」
 その名前だった。
 瞬間、カメラがスタジオからぐわーっと動いてタジオから離れたところにいる2期生の中の堀がフォーカスされる。その時の堀の表情は「驚き」「不安」「怯え」。それらが入り混じり涙となって零れていた。
 スタジオの中に呼ばれてコメントを求められるも、言葉はなかなか出てこない。茫然自失の状態で、なんとか17歳の少女は自分の言葉を振り絞ろうとする。
「わたしは、入ったばかりで……まだ、みんなみたいにダンスとかも習ってなかったし、研究生だから、こんな素晴らしい位置に立たせてもらえるなんて思っていなかったので……」
 制服衣装を着ているメンバーに対して、真ん中に立っている私服姿の堀が不格好に映る。動揺が収まらない中で、乃木坂46運営委員会からのメッセージがMCに届く。
「今回の選抜発表、驚かれたことと思います。いろいろな感情を抱いていると思いますが、今はまだ何もない2期生、センターを担う堀未央奈を、皆さんが力を合わせて育ててください。あなたたちの行動が未来の乃木坂46をつくっていきます」
 「乃木坂46の未来」。
2年前に結成され、主体性もないまま、とにかくがむしゃらに活動してきて、突如として宣告された「乃木坂の未来」。未だ、自分たち自身の立ち位置さえ明確に定まってもいないのに、後輩を育ててくださいとメッセージを送られても、難しいものがあった。
 収録後、生駒だけは茫然自失で泣いている堀の元に駆け寄って声をかける。そこには「乃木坂に入って何も知らずにセンターになったのは自分と未央奈だけ」という思いがあった。
 堀の発表を受けて、2期生は混乱していた。これから2期生として一つになってみんなで頑張っていくと思っていたのに、まさか一人だけ先に行ってしまう、そんなことを考えながら泣いているメンバーは少なくなかった。
 アイドルにおけるサプライズを知っているかりんではあったが、「まさかセンターになるとは」と驚きを隠せなかった。
 自分が好きだった乃木坂のセンターに2期生がいる。そのことを目の前にして違和感を覚えた。しかし、かりん自身もまた同じ2期生だった。堀を全力でサポートすることを当時のブログでファンに伝えている。

研究生としての活動の日々
 時計の針を選抜発表が放送された10月から8月に少し戻す。8月、乃木坂46はこの年から毎年行われるようになる『真夏の全国ツアー』を札幌、福岡、大阪、名古屋、東京と回っていた。
 8月30日に行われた『真夏の全国ツアー2013 ZEPP TOKYO』に2期生も参加する。2期生としては8月の頭にあった握手会でのミニライブ以来のライブとなった。曲目は『会いたかったかもしれない』と『ハウス』の2曲。アンコールの『ガールズルール』にも1期生に混じって参加する。『ガールズルール』は、急遽の出演だったが1期生の助けも借りて盛り上がるライブを観客に届けた。
 ライブの最後にはサプライズ発表が2つあった。1つは11月27日に『7枚目シングル』が発売するということ。もう1つは「真夏の全国ツアー2013」の追加公演として(当時の)グループ史上最大規模である代々木第一体育館でのライブが決定したこと。ただ、この2つがグループにとってどういうものをもたらすか、この時のメンバーは誰も知らなかった。

6. 代々木第一体育館での出来事


 『真夏の全国ツアー2013 FINAL』は、10月3日に代々木第一体育館で開催された。ライブはこの夏のシングル『ガールズルール』で幕を上げる。会場は一気に熱狂し、続く「会いたかったかもしれない」から2期生は参加した。そこから2期生は今までのステージとは比べ物にならない14もの曲に参加する。ライブの途中では2チームに分かれた夏のライブらしい運動会を挟んで、バラエティに富んだ3時間ものライブは終了した。大盛況のうちにライブは終了する。
 昼・夜の2公演ともにアンコールではサプライズの発表があった。昼の公演では、年末に日本武道館での単独ライブが行われることが発表。夜公演では7枚目の選抜メンバーをファンの前で初めて発表した。発表は、3列目から順番にステージにメンバーが登場する。初選抜メンバー、選抜復帰メンバーには会場から驚きや祝福の拍手が起こる。2列目、1列目、そして最後に堀が登場した時には一番のどよめきの声が上がる。そんな空気の中で堀はスピーチをした。
 会場は選抜メンバーの発表に沸き立っていたが、ステージの裏では選抜に選ばれなかったアンダーメンバーが涙を流していた。選抜へ入る基準もなく、努力や成果を提示できる場所もなく、ただ懸命に乃木坂46の活動に取り組んできた。だが、そこで選ばれたのは自分たちではなく数か月前に乃木坂46に加入した少女だった。アンダーメンバーの涙は、様々な感情が入り混じった涙だった。
 2期生もまた泣いていた。同期として一緒に入った人間が先に行ってしまう。焦り、悔しさ、自分たちはどうなるんだろうという不安。ステージに立つ堀を笑顔で送りだそうとするも涙は止まらなかった。
誰もが変わりゆく風景と、どうにもならない自分たち自身に涙が止まらなかった。
 『真夏の全国ツアー』は代々木第一体育館のライブで終わり、2013年の遅い夏は過ぎていった。

7. 『8枚目シングル』選抜発表

 年末の乃木坂46は、この年から恒例となる『乃木坂46 Merry X'mas Show 2013』を武道館で開催する。1期生、2期生ともに参加し、2期生は2期生だけで数曲のパフォーマンスをする。このライブでは自分たちのためだけに作られた衣装があり、初めてもらう衣装に2期生は感動した。
 ライブの中盤には2014年の2月22日に横浜アリーナで2回目のバースデーライブが行うことが発表される。2月22日は乃木坂46の『1枚目シングル』が発売された日。その近辺では毎年バースデーライブが開催されることになるが、1年前の幕張メッセイベントホールのキャパシティ9000人に対し、横浜アリーナは13000人。着実に乃木坂46というグループの大きさが拡大していた。
 年が明けた1月末、2度目のバースデーライブを迎えるタイミングで、『8枚目シングル』の選抜発表が『乃木坂って、どこ?』にて放送される。2期生からは堀未央奈と北野日奈子が選抜に入る。堀にとっては同期で同級生の北野は心強い仲間だった。
 7枚目シングル『バレッタ』のセンターに立った堀は孤独に戦っていた。周りには先輩しかいない環境。その中で、一番前に立つプレッシャーもあった。同期の仲間に相談したい気持ちもあるが、選抜メンバーとして恵まれた立場にいることも確かだった。その立場にいる自分から研究生の同期に何か相談をすることは難しく、悩みを抱える時もあった。しかし、孤立無援だったというわけでもない。苦闘している堀を見て、同期の伊藤純奈と北野日奈子は食事に誘ったり話を聞いたりして堀を支えていた。そんな支えてくれた北野が選抜に入る。堀は嬉しかったが、選抜に入った北野自身は堀とは違う感情を持っていた。


「選抜に入って嬉しい気持ちもあったけど、それはほんの10%。残りの90%は『なんで私が?』という疑問でした。だって、ダンスは劣等生だし、声をかけていただいたお仕事でも結果を残せていなかったんです。私はもうダメだろうなと思っていた矢先に選抜に選ばれたんです」(BRODY 2017年10月号)


 周りの2期生の目も怖かった。選抜発表が終わり、どんな顔で同期の楽屋に戻っていいか不安だった北野だが、他のメンバーは「ちゃんとダンス踊れるの?」と弄ることで北野の選抜入りを笑いで祝福した。
 そして、研究生にはもう一つ大きな変化があった。それは新内眞衣が正規メンバーへの昇格して、『8枚目シングル』からアンダーメンバーとして活動していくことだった。研究生としては仲間が一人、また一人と正規メンバーへの道を登っていくのを見届けることになった。喜びや嬉しさはもちろんある。ただ、それと同じくらいに研究生の焦りも増していた。
 新内と同じように研究生の中で年上メンバーだったかりんは、特にそのニュースに焦りを覚えた。将来働くであろうバイト先や専門学校を辞めて乃木坂46に加入したかりんは、学生のメンバーと比べれば時間がある分、仕事はあった。ただ研究生としてのアイドルらしい活動は限られ、自分たちが参加した曲はなかった。
 加入して半年も過ぎると、「2期生」としてのご祝儀は終わり、「研究生」としての活動がほとんどを占めていた。乃木坂46は1月に1度程度、全国握手会を行っている。そこでは握手会の他にミニライブを披露しているが、参加している曲がない研究生はミニライブに参加することもなくなっていた。握手会の握手と、2週間に1回訪れる研究生ブログを更新する日々。AKB48のように専用劇場を持たない乃木坂46にとってのアイドルの活動は限定されていた。
 アイドルを「成長過程を含めて楽しむもの」だとするならば、「成長過程」を提示させることすら叶わなかったのがこの時期の研究生の立場だった。

8. 西川七海の活動辞退

 西川七海は元AKB48研究生という経歴を経て、乃木坂46の2期生として入った異色の存在だった。その異色さは加入当時から他の2期生のメンバーも感じていた。化粧立ちや香水の香り、西川の醸し出すギラギラとした雰囲気に戸惑うメンバーは少なからずいた。
だが、それも活動の中で薄れていく。面倒見が良かったり、時々は弱気になったり、それぞれがそれぞれの多様な面を知り、仲を深めていった。そんな最中、正式な活動が半年を過ぎた3月末、突然の活動辞退だった。
 かりんにとっては同期の中で唯一の同い年だった。かりんのキャッチフレーズ「かりんの発音 上り坂↑」を発案したのも西川だった。2月22日に横浜アリーナで行われた2回目のバースデーライブ、サイリウムを使うパートでサイリウムがないことに気付いたかりんに自分のサイリウムを貸したのも西川だった。
 毎年2期生は、自分たちが合格した3月28日を合格記念日として祝っているが、1周年を祝う食事会は、同時に西川の門出を祝う送別会にもなった。

9. 『9枚目シングル』選抜発表


 研究生は8枚目のシングルでようやく自分たちだけの制服をもらい、HPにも自分たちの名前が載るようになり、正規メンバーと同じよう扱いになっていったが、9枚目のシングルで昇格するメンバーは一人もいなかった。北野日奈子がアンダーになり、堀はまた選抜で2期生ただ一人になる。
 9枚目のシングルが選抜発表された5月、かりんは21歳の誕生日を迎えた。21歳の研究生、その意味を分かち合えるメンバーは少なく、この時期のかりんのブログには「正規メンバーになりたい」という言葉が多く出る。それだけかりんにとっては苦しい時期だった。
 ただ、そういった状況の中にも変化の兆しはあった。4月にはかりんが一人でテレビの収録に臨む。番組の名前は『将棋ウォーズカップ 芸能界最強決定戦』。BSフジテレビで放送された将棋番組だが、この番組への参加をきっかけにかりんのアイドル人生は大きく変わり始める。

10. 『16人のプリンシパル trois』開幕


 『16人のプリンシパル』は乃木坂46が結成した当初から、乃木坂のコンセプトの一つでもあるリセエンヌを意識した舞台として作られた。
 1回目が2012年の『16人のプリンパル』、当時の1期生メンバーだけで行われた。2回目が2013年の『16人のプリンシパル deux』、1期生メンバーだけで行われたが、この舞台で2期生は初めてファンの前に顔を見せた。そして3回目が『16人のプリンシパル trois』、ここに2期生は初めて『16人のプリンシパル』に参加することになった。
 2012年に開催された『16人のプリンシパル』は二幕構成の舞台となっており、一幕では全メンバーがなんでもありの自己PRをする。そして、一幕の終了後に観客が投票を行う。上位の16人に役が与えられ、二幕の舞台『アリス in 乃木坂』の幕が上がる。
 事前に16役の台本を覚えなければいけないことに加えて、選ばれなければ二幕の舞台に立つことができないシビアな公演だった。
 1回目の『16人のプリンシパル』が「上位16人」と「自己PR」に比重が偏り過ぎていたため、第2回、第3回ではマイナーチェンジが図られる。
 2回目の『16人のプリンシパル deux』では「上位16人」を廃止して、役への立候補制へと変わる。複数人の候補者が一幕で演技審査などをして、オーディションを行う。立候補者が1人ならば、そのメンバーが役を演じることになり、一回目よりもメンバーが役を演じる可能性がぐっと高くなった。
 3回目の『16人のプリンシパル trois』は2回目の方式を踏襲しつつコメディを全体の空気感とした。一幕のオーディションの審査基準を「コントを演じることによる笑いのセンス」として、メンバーはそれぞれコントに挑戦した。
 『16人のプリンシパル trois』に、正規メンバーは全公演出演するが、研究生は日替わりでの出演が決まっていた。
 かりんは燃えていた。「伊藤かりん」というアイドルを、ファンにもスタッフにも魅せたい。そんな気合が入っていた。かりんだけではない。研究生の誰しも、少ないチャンスの中でどうにか何かを残したいという気持ちがあった。ただ、学生でもなく時間があるかりんの気持ちは満ち満ちていた。
 5月30日、全22公演に渡る『16人のプリンシパル trois』が開幕する。初日、研究生として参加したのはかりんと寺田蘭世の2人。どちらもエルザ役に立候補するが、落選する。立候補できる十役からは外れたが、外れたメンバーの投票数上位6人に選ばれるアンサンブルにかりんは入ることができた。その日、役を取り合う形になった寺田もかりんのことを心から祝福した。1期生の先輩である松村沙友里は、研究生でブログの更新のできないかりんが喜びを伝えやすいように、自分のブログにかりんのスペースを空けて文章を載せたこともあった。
 翌日からはかりんが勢いづけたかのように、伊藤純奈が――、その翌日には佐々木琴子が――、十役を逃すもアンサンブル出演を果たす。が、その後が続かない。アンサンブル出演はかりん含めて出演するも、十役への選出は遠かった。新内眞衣が公演3日目で勝ち取るも、その他の2期生は堀や北野の正規メンバーを含めてなかなか後を追うことができなかった。
 この年の初め、定期的に放送される乃木坂46の冠番組『NOGIBINGO!2』で1期生vs.2期生の対決企画が行われ、バラエティーではあるが1期生と比べられる形でテレビにおける経験の差を見せつけられる。そして『16人のプリンシパル trois』でも同じく、舞台における経験の差を見せつけられる格好となっていた。
 22公演中、6公演。研究生が出られるのは6公演のみ。ただその事実をかりんはポジティブに捉えていた。毎日舞台に出なければいけない正規メンバーと違い、出ていない間に試行錯誤できる。これをプラスにできると考えていた。
 結果、かりんにとって3日目の出演となる9公演目、主役のポリン姫役を見事に掴み取った。
 かりんは台本をもらったときポリン姫を演じたいと思っていた。ただ、十役の中でも主役なために人気になるのは明白。知名度の高いメンバーや、演じる才能に長けたメンバーとぶつかる可能性を考えて、初日は違う役に立候補して落選した。しかし、「自分ならやれる」という自信が湧いてきた。それは、稽古に誰よりも参加したかりんだからこそたどり着いた自信でもあった。
 一幕目のオーディションのコントは、やることを練って臨むことができた。考えすぎないことも一つの手だが、それは不安だった。時間がある分、一幕の自己PRでしっかりとやれることを考えていた。本番、得意ではないが好きなことでもある歌を歌い、コントもしっかり考えたことをやる、すべてをやり切ることが結果につながった。
 ミニライブでは「ロマンスのスタート」をセンターでパフォーマンスする。2期生であり、研究生であるかりんが道を切り開いた瞬間だった。
 その後の3公演、かりんが二幕に出演することはなかったが、研究生の渡辺みり愛や米徳京花が十役に選ばれたり、伊藤純奈がアンサンブルで4回、二幕に出演する。それぞれの結果はそれぞれの努力の賜物だが、一つの流れをかりんが作ったことは否めない。プリンシパルを終えた後のブログの最後にかりんはメンバーへの感謝をこう記している。


何度も言ってるかもだけど、
今回のプリンシパルで
一期生との距離、二期生同士の絆
深まった気がするなあ...

二期生だけど正規メンバーとして
一期生と同じ土俵で頑張った、
未央奈、日奈子、まいちゅんに
拍手!!!!!!


プリンシパルに参加出来なかったけど
素敵なブログやメールで
私達二期生を支えてくれた
絢音ちゃんに拍手!!!!


正規メンバーはたくさんお仕事あるし
学生メンバーは学校あるし
そんな中、プリンシパルに励んだ
私以外のメンバーに拍手!!!!


乃木坂46がだいすき!!!
(乃木坂46 研究生 公式ブログ 2014年6月23日)


 最終公演では、2期生の相楽伊織が初めてファンの前に姿を見せた。相楽は加入初期のレッスンには参加していたが、通っていた学校の関係で芸能活動ができなかった。1年近くの遅れを感じながら研究生としてステージに立つ緊張している相楽をかりんは背中を叩いて後押しした。
 『16人のプリンシパル trois』は2期生にとって、ようやく全員が揃った舞台でもあった。

11. アンダーライブの産声


 乃木坂46には「選抜」と「アンダー」という構図が存在する。
 表題曲の発売が決まるたびに、選抜発表が行われ、選抜とアンダーに分かれる。そして、選抜メンバーが表題曲を歌い、アンダーメンバーはアンダー曲を歌う。冠番組の『乃木坂って、どこ?』に選抜メンバーは毎回出演できるが、アンダーメンバーになると長らく出ないこともある。
 では、どうすれば選抜に入れるのか? そこに明確な基準はなく、選抜とアンダーの誰もがその現状に苦しんでいた。しかし、誰もが現状を変える術を知らず、選抜とアンダーには隔たりが存在していた。
 アンダーライブは「アンダーメンバーだけでライブをする」という名目のもとに誕生した。2014年4月13日、幕張メッセの握手会会場でアンダーライブは産声を上げた。「楽天カード×アンダーライブ」と銘打たれ、参加するには楽天カードの登録、元々の登録者は10000円以上の明細が必要となる特殊なライブとなった。
 当日、ミニライブから全国握手会は始まる。全メンバーが握手会を終えると、ファンは退場する。そこから握手会会場がアンダーライブの会場になる。握手会で満杯だった会場にどれだけのファンが残ってくれるだろうか? 戦々恐々するアンダーメンバーは、昂る気持ちを抑えながらステージに向かう。
 そこでアンダーメンバーが見た幕張メッセの会場は、昼間の握手会の時とは違う様相だった。
 会場は空白の部分が目立ち、それはすなわちアンダーメンバーにとって自分たちへの期待感そのもののように映った。ただ、そこで挫けるわけにはいかない。観に来てくれたファンに対して、全力のパフォーマンスで応える。10曲という短いライブだったが、パフォーマンスを終えてから予想だにしなかったアンコールが起きる。アンダーメンバーの気持ちが確かにファンの心に届いたことを意味していた。10曲しか振りを入れていなかったため、アンコールの曲はない。急遽、振り無しのフリーで追加の2曲をパフォーマンスした。終演後、メンバーの目には涙が浮かんでいた。
 初のアンダーライブが終わり、次のアンダーライブが渋谷TSUTAYA O-EASTに決まってはいたが、そこでも苦戦は続いていた。渋谷TSUTAYA O-EASTの公演では募集要項が少し変わる。CDの握手券の「応募券」三枚で応募をして、抽選されるという仕組みになった。が、最初の募集の数は壊滅的なものだった。これではアンダーライブが終わってしまう。メンバーはブログで呼びかけを行ったり、どうにか募集期間を延ばすことにした。結果、幕張メッセのライブの反響も重なり集客の面はどうにか確保することができた。
 自分たちの居場所をようやく見つけることができたが、その光は今にも消えそうな光りだった。
 幕張メッセの握手会、渋谷TSUTAYA O-EASTの公演、ポートメッセ名古屋の握手会、3つの場所を経験したアンダーライブは、9枚目のシングルからいよいよ本格的にチケット制のライブへと変容していく。
 2期生の研究生はアンダーライブが熱を帯び始めたタイミングで、アンダーライブに参加することになる。しかし、アンダーライブに溶け込むのはそう簡単なものではなかった。

12. 研究生にとってのアンダーライブ


 『8枚目シングル』に続いて、『9枚目シングル』でのアンダーライブも決定する。場所は六本木ブルーシアター。4日間での全7公演へと拡大した。
 六本木ブルーシアター800人のキャパシティをチケット制で埋まるのか。そんな疑問がありつつも、アンダーメンバーの士気は上がっていた。セットリストをどうするか、演出をどうするか、ライブの構成を話し合う。とにかく必死だった。当時センターを務めていた伊藤万理華は『8枚目シングル』選抜発表後のブログに「アンダーに対しての概念ぶっ壊してやる勢いで頑張ります」という思いを書いている。アンダーメンバー全員が気合を入れていた。
 そんなアンダーライブのレッスンで、2期生は初めて1期生に注意される。
 2期生は基本的にバックダンサーや卒業生のポジションに入るのが主な役割だった。それに加えて堀未央奈のセンター曲である7枚目シングル『バレッタ』を2期生だけで披露することがセットリストで決まっていた。
 2期生が自分たちの披露する『バレッタ』のリハーサルをしている時だった。ミスをしてもヘラヘラと笑っている2期生に永島聖羅が注意をした。
 乃木坂46にはおとなしいメンバーが多くいたが、永島は自分の意見をしっかりと言うことのできるメンバーだった。自分たちがこのアンダーライブを成功させなければ、次のアンダーライブはもうないかもしれない。それは永島以外の1期生も感じていることだった。中には正規メンバーだけでやりたいメンバーもいた。
 研究生はそれを感じていたが、身をもって知ってはいなかった。素人に近いような存在で、正規メンバーと研究生の違いを考えては、ふわふわゆらゆらと乃木坂46を漂っていた。自分たちが参加している曲もない。セットリストの話し合いをするからと言われ、楽屋から出たこともあった。
 この時期の乃木坂には、「選抜とアンダー」、「正規メンバーと研究生」、2つの隔たりが存在していた。
 しかし、1期生に注意されたことで、2期生の取り組み方は変わる。パフォーマンスの面で言えば、隔たりを越えて一つに纏まろうとしはしていた。しかし、プリンシパルを終えて近くなっていたかのように見えた「心の距離」は、近づくきっかけもなく、離れていったようにさえ感じることもあった。

13. アンダーライブ、開演


 6月28日、アンダーライブは六本木ブルシアターから幕を開ける。
 800人のキャパシティには、代々木第一体育館や日本武道館とは違う空間があった。来場した800人の観客に向けて、メンバーは全力のパフォーマンスを間近で見せる。普段の私立女子高のような佇まいとは180度違う全力のパフォーマンスは観客には新鮮に映った。
 それぞれのメンバーの個性に合わせたユニット編成を披露するパートがあれば、シングルメドレーを披露するパートもある。そして熱のこもったパフォーマンスがある。今までの乃木坂46にないライブに会場の熱気は高まり、それは外のメディアにまで広がっていった。アンダーライブは雑誌に載るようにまでなり、「アンダーライブが凄い」という噂は瞬く間に広がっていく。
 ライブ後には毎回自分たちのパフォーマンスをチェックして意見を交わす。常に良いライブにしたい、ここに全てを込める、そういった1期生の熱量に2期生も必死で付いて行った。
 研究生であるかりんは2時間前にレッスン場に来ては黙々と練習をしていた。ダンスやパフォーマンスが優れていると言われることは少ない。ただ、1期生に追いつかなくてはいけない。研究生というポジションだろうが自分にできることはしっかりとやりたかった。
 そして、なによりもライブが楽しかった。アイドルになりたかったかりんにとってステージでパフォーマンスすることはなにものにも代え難い楽しさがあった。
 かりんはこの前後の時期から、2期生の立ち位置を全て覚えるようになる。学業で忙しい研究生や、仕事が入っている他の2期生と違って、自分が一番時間がある。いつでも一番効率的な考え方をしていた。それに、2期生の甘い部分で怒られるのは嫌だった。アンダーライブより前から研究生は演出家の人間から注意されることがあった。そんなときは、決まって1期生も同じ括りで怒られる。自分たちが原因で怒られることもできるだけ避けたかった。これ以上、1期生と2期生の関係が離れることも止めたかった。
 アンダーライブの2期生だけで歌う『バレッタ』はフロントを正規メンバーの新内と北野が担当して、センターは空けたままでパフォーマンスをしていた。なぜならそこは、堀未央奈のポジションだからだ。
 そうして過ぎていくアンダーライブの日々。気づけば追加公演だけになっていた。アンダーライブ追加公演、渋谷AiiAシアターで披露した『バレッタ』。そのセンターに立っていたは堀だった。追加公演には相楽伊織も参加し、学業でいない矢田里沙子以外の2期生が全員揃ったステージだった。一年前、全国握手会でミニライブをした以来、一つになりたくてもなれなかった2期生がまた久しぶり一つになろうとしていた瞬間でもあった。終始、全員が笑顔でパフォーマンスをした「バレッタ」に会場も盛り上がりを見せた。
 アンダーライブは短い期間を全力のまま駆け抜けていった。そして見事、成功と言ってもいい成果を収める。それは『アンダーライブ セカンドシーズン』が発表されたことだった。崖っぷちだった『アンダーライブ』が次へと繋がった。その発表にメンバー全員が喜んだ。

14. 『10枚目シングル』選抜発表


 2014年8月3日放送の『乃木坂って、どこ?』において『10枚目シングル』選抜発表が行われ、アンダーからは斎藤ちはるが初めて選抜入りした。この斎藤ちはるの選抜入りで1期生の現存メンバーは全て選抜に入ったことになった。
 アンダーライブを通して、『9枚目シングル』ではアンダーメンバーが5人選抜に入り、それ自体がモチベーションにも繋がったが、10枚目では斎藤ちはるただ一人。そのことに落胆するメンバーはいた。アンダーライブを引っ張っていた永島聖羅は選抜発表を受けて「私は、乃木坂46に必要なのかな? って最近考えてしまいます。私は最近自分に自信が持てません。考えると怖くなってしまいます」と自身のブログに心境を吐露した。
 2期生では堀未央奈、北野日奈子、新内眞衣に続いて伊藤かりんが正規メンバーへと昇格し、アンダーメンバーとして活動していくことが発表された。
 発表が公式サイトに上がったのは選抜発表の翌日。研究生や2期生は各々のブログでかりん昇格した喜びを伝えた。
研究生にとっては、環境を分かり合える仲間としてのかりん、率先して研究生を纏めていたまとめ役としてのかりん、それらを同時に失う寂しさや不安はあった。しかし、それらもすべて成長するためのきっかけだと捉えて、かりんの昇格を祝福した。先に昇格した新内とは、お互いに微妙な距離感だった時期もあるが、ようやく気軽に話せるようになった。
 ほどなくして、『真夏の全国ツアー2014』が始まる。『真夏の全国ツアー』は『9枚目シングル』としての活動になるので、かりんは研究生ブロックに入ることになった。
この期間のかりんは、正規メンバーになったとはいえ、研究生の時に活動していたものが世に出ることが多かった。
 一つが、『乃木坂って、ここ』というネット配信番組である。この番組は『乃木坂って、どこ?』と対になる形でアンダーメンバーが基本的に出演するネット配信番組だったが、アンダーメンバーが『のぎ天』という楽天SHOWROOM(現:楽天TV)に活動の場を移していたので、研究生に出演が回ってきた流れだった。企画としてはよみうりランドに行って、絶叫アトラクションやお化け屋敷でリアクションに挑戦するというもの。実際に配信するタイミングでかりんは正規メンバーに昇格していたが、自分のブログのコメント機能を使ってMVPだったメンバーを募り、研究生たちの活動をすくい上げようとしていた。
 もう一つは、『将棋ウォーズカップ2 芸能界最強決定戦』。この番組はかりんが乃木坂に入って初めての一人仕事で、「2」になって再び参加することになる。スマートフォンアプリを使いながら団体戦を繰り広げる企画であり、前回から将棋にハマっていたかりんは勝利を収める活躍を見せる。
 その他にも『のぎ天』に出演、『10枚目シングル』のMVに初めてMV撮影で参加、かりんは正規メンバーになったことで活動の幅を一つ一つ広げていた。

15. 矢田里沙子、米徳京花の活動辞退


 矢田里沙子と米徳京花が学業に専念するため乃木坂46の活動を辞退するという発表が出たのは、かりんが正規メンバーに昇格した一か月と少し経った時だった。
 加入して1年半、西川七海に続いての活動辞退。苦楽を共にしてきた仲間が正規メンバーに昇格することもなく、一人、また一人と去っていく。気づけば2期生は11人になろうとしていた。当時の乃木坂46運営委員会が活動辞退を発表した公式HPの文章の最後には、「本人も悩みぬいたうえでの決断ですので、何卒ご理解いただきますようお願い致します。」という一文が添えられていたが、2期生は寂しさや悔しさでいっぱいだった。
 2人が卒業して1ヶ月経った後の北野日奈子のブログには2期生への思いがこう綴られている。


卒業をすることを聞いてから
ブログを書くまでずっと考えないようにしていました。


2人は前向きな気持ちで卒業を選び卒業していきました!
だから、2人の未来を私は心から応援しています!

でも、正直な気持ちをいうと
私は2人が卒業することが、
悔しくて悔しくてしょうがなかったです。

2人から卒業を聞いてから、引き止めたくても引き止められない私がいて。

引き止められない理由を一生懸命考えたら、色々溢れてきて。。。

2期生として加入させてもらった14人。

初めてみんなでステージに立ったのは
最終オーディションの合格者が
名前を呼ばれてステージの上にたった
乃木坂ビルのステージです。


あの日から私たちは同じグループの同期として名前も顔も知らなかったところから今日までずっと活動してきました。


3月28日から今日まで
ななつんが卒業して
伊織の活動がはじまって
里沙子と京ちゃんが卒業していきました。

その間にも、未央奈が選抜に入って
日奈子が選抜に選んでもらえて
まいちゅんとかりんがアンダーに昇格して、乃木坂という1つのグループの中にあった二期生というグループの中に、いつのまにか研究生と正規というグループができていました。


二期生みんなで、活動する機会が減ったため顔を合わせることが少なくなるにつつれて研究生という名前の壁が厚くなっていくように感じました。

考えてもしょうがないことを、いつまでも引きずってしまう私は
他のメンバーと気持ちがすれ違ってしまったことも何度かありました。


個々で自分の色を出して行かなければいけない。
よいしょよいしょではいられないことも
分かってはいますが、
それでも今回2人が研究生として卒業じゃなくて活動辞退として
乃木坂を脱退していったことが
悔しくてしょうがないです。


言葉が思いに足りません。
(乃木坂46 北野日奈子 公式ブログ 2014年11月8日)


 年齢が近かった新内眞衣は矢田里沙子と、同い年だった渡辺みり愛は米徳杏香と、自分の思いを各々のブログに載せている。


歳が近いということもあって、
ホテルで相部屋になったり、
話すことも多かったね~

いろんな話をしたけど、
いつも里沙子優しさに
たくさん救われてました。


初期の頃から
学校と仕事との両立で
悩んでたの知ってたけど、
もう少し一緒に居たかったな。


最後にくれたお手紙に
ごめんね。って書かれて
涙が止まりませんでした。


夢がある里沙子を
これからもずっと応援してます。
(乃木坂46 新内眞衣 公式ブログ 2014年10月29日)


◎きょん◎


唯一の同い年 !

だからこそ話せる事もあったし
同い年だからこそ
ふざけあえたなーって思う。


入りたての頃ね、約束したの

「20歳になったら乃木神社で絶対成人式あげようね」


辞めるって知った時に
メールで

「約束果たせなくてごめんね。」

ってきた時、
覚えててくれた嬉しさと驚きで
号泣しました

そんな事全然ないよ
2人だけで絶対成人式
乃木神社でしようね。


オーディションの時も
靴がたまたまお揃いで
びっくりしたし、
何かと縁がある私たち。笑

またディズニー行こうね♡
お泊まりもまた行きます

同い年で同じ希望をもって
乃木坂46に入り、
今は新たな違う道を歩むけど
離れてても応援してるよ

ずっとずっと大好きです

ありがとう。
(乃木坂46 研究生 公式ブログ 2014年10月17日)

 それぞれがそれぞれの立っている場所でそれぞれの思いを抱えていた。誰もが「活動辞退」という言葉を使いたくなかった。
 2人の最後の活動日になったパシフィコ横浜の個別握手会、その日にかりんは2人のために卒業アルバムを作る。それは個人的なものだったが、新内眞衣、伊藤純奈、北野日奈子、山崎怜奈の協力で完成させることができた。
 2人の研究生のために開かれた卒業セレモニーでは、一人ずつ卒業していくメンバーに対して手紙を読む場面が来る。矢田里沙子の卒業セレモニーで最後に手紙を呼んだのはかりんだった。「重複する部分があるかも」と前置きされたブログにはこう書かれている。


里沙子はオーディションで見かけて
顔がタイプ!って思ったのが
第一印象です(๑•̀‧̫•́๑)(笑)


今でこそこんなに仲良いけど、
初期は可もなく不可もなく、
同期ってだけだったかも(笑)

でもバースデーライブで、
いろいろ悩んだ時に
同じ悩みを持ったのがきっかけで
すごく話すようになって、
今では私の相棒ですヾ(ω` )/♡

そのバースデーライブとかから
私たち数ヶ月悩み苦しんで。

そんな時に2人で呼ばれた
氣志團さんとのライブでの
アンダーメンバーのアンダー!

本当に嬉しくて、
2人でたくさん練習したね。
「生まれたままで」は
私にとってとっても大切な曲に
なりました。


プリンシパルのお稽古も
一緒にいっぱい頑張って、
お互い結果を残せて
本当に本当に嬉しかった!

りさこのことはわりと分かってる
つもりだから、
もしかしたらそろそろ...
という話を母親としてた夜に
里沙子から卒業の話をされて、
号泣で号泣で大変だったよ!(笑)


居なくなるのは淋しいけど
居なくなってもずっと仲良しだし
ずっと頼らせてもらうし!


乃木坂でこんなに仲良くなれる人に
出会えると思ってなかったよ!
ありがとう♡
(乃木坂46 伊藤かりん 公式ブログ 2014年10月18日)


 2015年に公開された乃木坂46のドキュメンタリー映画『悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46』の公開を記念して発売されたパンフレットには「乃木坂46問46答」と題されたコーナーがある。メンバー一人ひとりが一問一答形式で質問に答えているが、「悩みごとを相談するのは誰?」という問いに「矢田里沙子」とかりんは答えている。
 かりんと矢田の友情は、卒業した後も続いていた。

16. 夏の終わり


 話を『真夏の全国ツアー 2014』に少し遡る。このツアーは2週間で大阪、福岡、仙台、名古屋を回り、最終地点は東京の明治神宮野球場だった。この会場でアーティストが単独ライブを開催するのは、THE ALFEE以来14年ぶり。乃木坂史上最大の3万人規模の野外ライブ、大いなる挑戦ではあったが、メンバーには苦い思い出として残った。
 全国ツアーとして各地を回ってきたが、神宮のライブではその流れを汲むというよりは、別のモノを作ろうという試みがあった。ただ、別のモノをやるにしてはそれまでの会場とは比べもなく広いうえに、時間も足りない。
神宮球場は会場が広い。ステージの遠くにあるスタンド席にいる観客は、間近でパフォーマンスを見る機会が少ない。そのため、近くに行けるような演出を作り、それを楽しみにしているメンバーは多かった。しかし、本番が始まるとトラブルが続き、スタンド席に近づける僅かな機会も時間の問題でカットされた。
 ライブ終了後、出演したメンバーは泣いていた。特にアンダーメンバーは『アンダーライブ』でライブと向き合ってきただけに、悔しさを滲ませていた。自分たちには足りてないものが多い。
演出に頼り過ぎず、ダンスや歌、パフォーマンスができるようにならなくてはいけない。そして、アンダーメンバーが求めた場はすぐに訪れる。

17. 『アンダーライブ セカンドシーズン』始動


 『真夏の全国ツアー 2014』、名古屋公演で発表された『アンダーライブ セカンドシーズン』の日程は全18公演。乃木坂史上、最長のライブ日程となった。会場になるのは前回と同じく六本木ブルーシアター。ライブのテーマは、演出に頼らないパフォーマンスの向上。あくまで自分たち自身の力をつけることを第一として、レッスンから向き合っていった。
 初日を迎えた六本木ブルーシアターは満員のファンで埋まっていた。前回のアンダーライブの盛り上がりを聞きつけたファンも中にはいた。
 センターを務めたのは1期生の井上小百合。井上は前作のシングルでは選抜に入っており、前回のアンダーライブに参加していない。それ故に『セカンドシーズン』をセンターとして引っ張れるか、内心は不安だった。ただ、同じ環境で入った大和里菜や斉藤優里とパフォーマンスを擦り合わせていく。ダンスが得意だった川村真洋がメンバーにダンスを教え、永島聖羅がリーダーのような振る舞いでメンバーを纏めていく。
 ライブではメンバーの団結力、統一感が800人という会場の規模も相まってファンにダイレクトに伝わる。会場は熱気に溢れ、そんな熱気に応えるようなパフォーマンスをさらにメンバーも見せる。会場の熱はどんどん高まっていった。
 2期生も『セカンドシーズン』に入り、だんだんと存在感を放つようになる。北野日奈子は『バレッタ』のセンターを務め、新内眞衣は2期生全員での『ダンケシェーン』のセンターを務める。『ダンケシェーン』は永島に「1期生よりもフレッシュなんだからもっと弾けた方がいい」とアドバイスされ、日に日に良くなっていった。
 全体のパフォーマンスを上げることに注力されたライブだったためか、今まで好評を博したユニットでのパフォーマンスはなかった。ただ、新しく一人ひとりのメンバーにスポットライトを当てる企画「日替わりMC」が立てられ、正規メンバーは3分間のひとりMCに挑戦する。プレッシャーを感じて苦戦するメンバーもいたが、かりんは楽しんでいた。むしろ「ひとりで3分も話せる」と、意気揚々だった。他のメンバーがMCでミスをしたらフォローをするなど、自分にしかできないことをしっかりとこなしていた。
 『セカンドシーズン』は怪我人が複数出たライブでもあった。センターの井上小百合が4公演目が終わった後に靭帯の負傷で欠場が余儀ない状況に追われる。それに続いて、山崎怜奈と北野日奈子の体調不良も重なり、全員が揃ったのは全18公演の終盤に当たる14公演目だった。井上が出演できなかった3日間、『セカンドシーズン』を引っ張った『10枚目シングル』のアンダー曲『あの日 僕は咄嗟に嘘をついた』のパフォーマンス時は、井上のポジションであるセンターを空けて待っていた。3日後に井上が復帰する。山崎と北野が帰ってくる。会場は全員が揃うのをずっと待っていた。全員が揃った14日目、乃木坂のライブでも類を見ないWアンコールが起こる。今まで見たことのない会場の盛り上がり、その雰囲気に涙を流すメンバーが続出した。めったに泣かず、「千秋楽まで泣かない」と決めていた永島聖羅の涙がどんどん伝染していって、全員が泣いていた。『セカンドシーズン』はWアンコールの勢いのまま、千秋楽まで駆け抜けた。
 千秋楽のあとに行われた『スペシャル公演』では、卒業を発表していた伊藤寧々の最後のステージとなった。伊藤寧々はかりんを含めて後輩にも気さくに話しかけ、食事にも行ってくれる優しい先輩だった。最後のステージでは、自身のセンター曲や初めて選抜に入った曲を披露する。途中、母からの手紙やメンバーからのメッセージボードも渡され、幸せな空間が包み込むが、最後は涙涙のステージになり、『アンダーライブ セカンドシーズン』は幕を下ろした。

18. つづく『アンダーライブ』


 11月3日の月曜日、文化の日に行われた全国握手会で『アンダーライブ セカンドシーズン FINAL』の開催、『Merry X'mas Show 2014』の開催、『1stアルバム』のリリース、一挙に3つの情報が発表される。
 『セカンドシーズン FINAL』の会場は有明コロシアム。キャパシティは今までの規模からぐっと増えて8000人。六本木ブルーシアターの10倍もの規模である。『アンダーライブ』におけるメンバーの活躍が、一つ認められた瞬間だった。
 1期生のアンダーメンバーは泣いていた。不安はもちろんある。だがそれ以上に自分たち一人ひとりが乃木坂46を背負って頑張ってきたこと、そして成長できたことが認められたことが嬉しかった。今まで積み重ねた経験を大舞台で放出できることにメンバーもファンも期待感は高まっていた。
 2014年12月12日、『Merry X'mas Show 2014』の13日14日公演を控えた前日に『アンダーライブセカンドシーズン FINAL』は開催された。
 冒頭の『OVERTURE』が終わり『あの日 僕は咄嗟に嘘をついた』のイントロが流れる。シリアスだが感情を高鳴らせるようなピアノのメロディーに会場は一気にヒートアップする。
 今回の『セカンドシーズン FINAL』の大きな目玉は「全員センター」という企画だった。この企画は名前の通り、事前に正規メンバーと研究生を含む全員がクジを引いて出た曲を、それぞれがセンターでパフォーマンスをするというシンプルな企画。だが、今までの「日替わりMC」から続くメンバーにスポットライトを当てるという目的を、より自分達が高めてきたパフォーマンスとして表現する意味があった。「アンダー」という概念を壊すような、今まで観たことのないライブにファンは驚き、そして歓喜する。アンダーメンバーが、選抜でもアンダーでもない、それぞれがそれぞれの色を持てることを証明したライブになった。

19. 『11枚目シングル』選抜発表


 年が明けた2015年1月18日放送の『乃木坂って、どこ?』において『11枚目シングル』の選抜発表が行われた。アンダーメンバーからはアンダーライブをセンターとフロントで引っ張ってきた伊藤万理華、齊藤飛鳥が選抜に。そして、研究生の相楽伊織が初選抜として選抜メンバーに選ばれる。
 また一人、研究生としての仲間が正規メンバーへ昇格する。しかし、残った研究生は冷静だった。
 この頃になると研究生の活動の幅は広がっていた。1stアルバム『透明な色』のアンダー曲には研究生も参加した。ただ、アルバムのジャケットではエキストラのように写っていて、差は確実に存在した。
 また、AKB48と兼任していた生駒里奈が「じゃんけん大会」でAKB48の人気メンバー、小嶋陽菜と対決したことをきっかけに生まれた「こじ坂46」の楽曲にも参加。研究生は焦っても仕方がない、今の自分達にできることをしっかりやっていこうと考えていた。
 加入当初、13人いた研究生は伊藤純奈、佐々木琴子、鈴木絢音、寺田蘭世、山崎怜奈、渡辺みり愛の6人になっていた。
 一方、選抜入りした相楽は選抜メンバーの中で焦りを覚えていた。元々、学業の都合もあって活動時期が遅れ、研究生として入るも研究生の中で自分だけがダンスをマスターしていなかった。どうにか追い付こうとするも、奏功しているうちに今度は選抜メンバーに選ばれる。選抜メンバーとの経験の差に焦りながら、なぜ正規メンバーとして選抜に入ったのか、それを考えることなく瞬く間に時間は過ぎていった。
 かりんはこの時期、独自路線を歩んでいた。前年の12月から月刊誌『将棋世界』で連載を始める。研究生時代、エネルギーが有り余ってもどこに出せばいいのか、出す場所もなかったかりんに活動の場所を与えてくれたのが将棋だった。その将棋の仕事が一つ、形として結実した連載だった。
 もちろん、乃木坂46としての活動を疎かにしていたわけではない。年末には「2014年乃木坂46 流行語大賞」企画を発案する。ブログで乃木坂関連の流行った言葉を募集して、年末にランキング形式で発表した。ファン目線でも物事を考えられるかりんらしい試みだった。
 この時期、アンダーメンバーが主に出演するネット番組『のぎ天』に、研究生も参加するようになる。研究生の中でも最年少に近いメンバーは、1期生から可愛がられることも多かった。ただ、かりんの場合、ほとんどのアンダーメンバーが年下になる。この時のかりんは「ゴリラ界の天使」と弄られるようになっていた。
 アンダーメンバーは自分たちの番組を自分たちで盛り上げるため、お互いに言葉強めに弄り合っていた。番組が盛り上がることを第一に考えた行為だったかもしれないが、かりん自身も、弄られることがアンダーメンバーの仲に溶け込む一つの方法だと考えていたのかもしれない。

20. 3rd YEAR BIRTHDAY LIVE


 2015年2月22日、毎年開催される『バースデーライブ』の3年目の地として選ばれたのは西武ドームだった。幕張メッセイベントホール、横浜アリーナ、西武ドーム。年々拡大していった来場者は3年目に38000人にものぼった。
 『バースデーライブ』のコンセプトは乃木坂46として発表された楽曲を全曲披露するというもの。この時点での乃木坂46の楽曲は68曲もあり、全てをパフォーマンスするのは7時間を越える。ライブ当日、関東地方には大寒波が襲来。気温は2度、体感はもっと低くなる。全メンバーは、大寒波の中で7時間半にも及ぶ空前絶後のライブへと挑戦した。
 バースデーライブ前日に更新されたかりんのブログは100回目の更新を迎えていた。前々から100回目にはファンを驚かせるような企画をやると告知しており、ファンは密かに期待していた。記念すべき100回目のブログは翌日に開催されるバースデーライブ向けの内容。かりんとメンバーの2ショット写真と一緒に全メンバーのサイリウムカラーが羅列していて、誰がどんなサイリウムカラーか、サイリウムが決まっている曲はどういうものがあるか。どんなファンでも人目に分かる内容になっていた。ファンやメンバー思いのかりんだからできる行動であり、このブログのコメントの数は1500を越えた。
 バースデーライブは大きなトラブルもなく、乃木坂46が積み重ねたものを提示する多様性に溢れたライブになった。シングル毎に乃木坂46が発表した楽曲をパフォーマンスする。寒さも厳しかったがメンバー全員でなんとか乗り越えた。
ライブの合間には乃木坂46が氣志團のライブに参加した時に生まれた「乃木團」が出演。氣志團の楽曲を自分達で楽器を使い生披露したり、シングル毎に特典として付けられる個人PVという映像企画を模したパフォーマンスがあったりと、寒さを忘れるほどの大きな盛り上がりを見せた。
 アンコールのMC中にはサプライズ発表が電光掲示板に映る。
乃木坂の年間行事となっていた『16人のプリンシパル』が形を変えて、新しい舞台が決まることが発表される。そしてついに、待ちに待っていた瞬間が訪れる。
 モニターに映る「業務報告」という文字が読み上げられる。そして「伊藤純奈」の名が。「佐々木琴子」の名が。かりんの涙腺はもう決壊していた。「鈴木絢音」「寺田蘭世」「山崎怜奈」「渡辺みり愛」ファンの声がどんどん上がっていく。「以上6名を正規メンバーに昇格」の文字が読み上げられた時、一気に会場は祝福の歓喜に包まれる。放心状態の6人は先輩や同期にステージ中央へ促されるが、なかなか動けない。正規メンバーは研究生よりも泣いていた。ようやく6人が真ん中に立って寺田や渡辺が感謝の言葉を述べる。その言葉には当時の葛藤や迷いがあった。
 最後の発表では「募集します!乃木坂46新プロジェクトメンバー1期生」という告知が行われ、2期生は3期生の募集告知が始まると思っていたので肩透かしを食らった。この告知はのちに「欅坂46」として誕生する。
 1か月後に発売された11枚目シングル『命は美しい』の通常盤CDには当時の研究生6人で歌われた「ボーダー」という楽曲が収録されている。選抜とアンダー、正規メンバーと研究生、その隔たりに苦悩した6人に相応しい楽曲となった。「ボーダー」でセンターを務めたのは寺田蘭世。寺田は昇格が決まったあとのブログに当時の心境をこう綴っている。


研究生昇格
あのときは色んな感情が混ざり
うまく言葉にできなかったのですが


ここからスタートだと思っております

突然、みおなが
センターに選ばれた
めちゃめちゃ悔しいって
思ったあの日


いつの間にかまいちゅんも
正規メンバーへ、、、
アンダーライブに
まだ参加してなかった頃
ステージで楽しそうに
踊っていたメンバーを観て
羨ましくもあり
複雑で泣きながら
ステージを
ただ見てることしか
出来なかったあの日、、、


きぃちゃん
どんどん可愛くなって
ダンスも上手くなっていく
きぃちゃんをみて
愛おしく思うと同時に
何だか、遠く感じてしまったあの日


かりんは
研究生のリーダー的存在でした。
本当にしっかりしていて
常に何事にも真剣で全力

かりんちゃんが昇格って聞いた時


残された研究生は
何を思ったのだろう、、、
これからどうなるのかなって
正規メンバーへの
道のりは長くなりそうだなと
私は思ってしまいました。


私は、一足先に正規メンバーに
上がっていった子達みたいに
誇れるものも無いですし
不器用で、泣き虫で、、、

本当にまだまだです。

でも、今回正規メンバーに
なったという事で


少しぐらい
自分に自信をもって
行きたいなと思っています!


今欲しい物

自信!!!!


昇格したことを
2期生も泣いて喜んでくれて
卒業した2期生達からも
メールもらいました!

そして、1期生の方も
沢山おめでとうと
言ってくださりました


畠中さんはステージ上で
抱きしめてくださったり


白石さんには
これからも一緒に頑張ろうねと
言っていただけたり


永島さんはメールをくれました!
本当に嬉しかった


そして、スタッフさん
ライブ終了後おめでとうと
言ってくださいました!!


2.22 乃木坂46の記念日に
西武ドームと言う素晴らしい場所で
昇格発表一生忘れられない記念日です


泣きながら
たまたま近くに居た絢音ちゃんと
花道を手を繋ぎながら
走り抜けたあの瞬間


スタート


これからも宜しくお願い致します!!
(乃木坂46 寺田蘭世 公式ブログ 2015年2月25日)

 寺田は加入当初から「やるからには一番を目指したい」とセンターになることを目標にしていた。そんな寺田に渡辺は、「1回目のセンターおめでとう」と祝福の言葉をかけた。寺田はその言い回しが堪らなく嬉しかった。
 先に昇格していたかりんは2期生全員で昇格できなかった悔しさがあった。「ボーダー」という曲に対して、「おめでとう」という気持ちと「自分も参加したかった」という気持ち、その二つがせめぎ合っていた。ただ、バースデーライブ後に更新されたブログには「おめでとう」の言葉と、これからの2期生の存在をファンに向けて伝えている。

乃木坂はチーム制ではないから、
選抜16人アンダー16人が基本で、
誰かが卒業しないと
私たちは昇格出来ないのかな?
とみんなで考えた時期もありました。

どうしたら昇格して、
メンバーとして認めてもらえるのか。
いっぱいいっぱい考えたと思います。

でも答えは見つからなくて。
辛かったよね。よく頑張ったね。

もうすぐ加入して2年。
早いようで長かった2年でした。


欠けてしまったメンバーもいるけど、
これでようやく正式に二期生が全員
乃木坂46として認められました!
スタートラインに立てました!

本当に幸せです!

とは言ってもまだまだ未熟な私たち。
どんどん学んでどんどん吸収して
頑張りますので、
今回昇格した6名含め
二期生11名を温かく
見守っていただけたら嬉しいです!
(乃木坂46 伊藤かりん 公式ブログ 2015年2月24日)

21. 『アンダーライブ』サードシーズンへ突入


 4月14日から19日にかけて『アンダーライブ サードシーズン』が6日間8公演の日程で開催された。公演日数だけ見ると、『セカンドシーズン』よりも少なくなっているので勢いが落ち着いたように見えるが、内容は前回よりも激しいライブの日々になる。
 『アンダーライブ サードシーズン』でアンダーメンバーはとにかくひたすらに踊った。MCを挟むことのない「ノンストップライブ」に観客は衝撃を受ける。既存の曲にも新しい振りをつけ直す。途中、朗読パートを挟むも、とにかくガンガンに踊っていく様をファンに見せつける。
 センターを務めた中元日芽香はパフォーマンスに定評のあるメンバーで、センターに決まったときも周りから「おめでとう」と言われるほど納得の人選だった。中元自身は「パフォーマンスが中途半端だと途中でダレるんじゃないか」という懸念材料があった。が、メンバーはそんな不安を払拭するように一致団結してライブを盛り上げ、ファンとの一体感ある空間を作り出す。今まで以上に汗をかき、ひたすらに踊るライブはメンバーにとっても充足感があった。
 最終公演では前作センターで今回フロントに入った井上小百合が朗読パートを担当する。井上はリハーサル中から膝を痛めており、初日からテーピングをしてステージに登壇していた。千秋楽の前々日に痛みが襲い、千秋楽の前日に一人だけ休演する。井上の朗読はその日の予定だったが、繰り越される形になった。
 千秋楽に戻ってくることができた井上小百合は、共に助け合ったアンダーメンバーに向けて、自分の言葉を素直に読み上げる。


「私は弱い人間です。一人では枯れてしまう…。だからこそ、支えてくれる人が大好きです。大切です。私は、乃木坂46のアンダーメンバーの呼び名が『アンダー』ではなく『希望』だということを知っています」(ザテレビジョン 乃木坂46アンダーライブ3rdシーズンが感動の千秋楽!)


 それは井上自身がアンダーとして活動していく中で常に思っていることだった。「アンダー」と言われるのは仕方のないことかもしれない。だけど、みんなが上に行きたくて一生懸命にやっているその姿は、キラキラしていて希望に見えた。だから井上はこの言葉を自分で選んだ。
そして歌われる乃木坂46の代表曲「君の名は希望」。アンダーメンバーが歌う「君の名は希望」には、今までにない新しい意味を付与してブルーシアターで歌い上げられた。
 全員が正規メンバーとなって迎えた初めてのアンダーライブは、今までの積み重ねと希望ある未来を感じさせるライブとなった。一体感と盛り上がりは、前回よりもさらに大きくなっていた。

22. かりんと将棋


 NHKのEテレで日曜の朝に毎週放送されている『将棋フォーカス』という番組がある。この番組はプロ棋士とタレントが番組MCを担当しており、将棋の面白さを世間にもっと広げる一翼を担っている番組として放送されていた。2015年3月、番組のMCの卒業が発表され、4月から新MCとして白羽の矢が立ったのがかりんだった。
 かりんと将棋との出会いは子供の頃まで遡る。祖父から将棋を教えてくれたのがきっかけだった。そこから将棋に触れる機会はなくなり、再び出会うのは乃木坂46の研究生時代まで時間は進む。
 かりんは基本的に自分でも言うようにポジティブな人間だ。ただ、そんなかりんが一番精神的に難しい時期を送ったのが研究生の時代だった。活動したいのに活動できない。そんな日々に舞い込んで来たのが将棋の仕事だった。
 マネージャーが将棋のできる人間をメンバーに募集したとき、当初は誰も手を挙げなかった。研究生であるかりんは、研究生である自分が前に出るべきかどうか逡巡するが、最後の最後で手を挙げる。ルールを知っている程度だったが、久しぶりに指す将棋は楽しいものだった。研究生として将棋にやりがいを感じられたことが、よりかりんのアイドルとしての活動をポジティブなものにしていった。
 出演した『将棋ウォーズカップ』は負けてしまったが、それっきりで将棋をやめることはなく、再び『将棋ウォーズカップ2』に呼ばれた時にはリベンジできるくらいの成長を見せた。
 『将棋ウォーズカップ』の仕事が『将棋ウォーズカップ2』に繋がり、『将棋世界』での連載にも繋がった。2015年の始めに『将棋フォーカス』にゲストとして出演する。そして、4月からは『将棋フォーカス』のMCとしてかりんは「アイドル初の将棋番組司会」という存在になった。
 乃木坂46として子供の頃からの憧れのアイドルになることができたかりんだったが、1年も経たないうちに独自の路線を行った方がいいと考えた。将棋は独自路線を往くかりんを支えてくれる大切な存在だった。また、自分の好きな「話すこと」を生かせるという意味でも『将棋フォーカス』はやりがいのある仕事だった。
 小さい頃、かりんに将棋を教えた祖父。かりんが乃木坂46に加入して、芸能活動を始める時に反対したのも祖父だった。ただ、『将棋フォーカス』に出演することになって一番に喜んでいたのも祖父だった。放送を毎週楽しみにして、周りの人に自慢することもあったという。
 2017年、バースデーライブの後に更新されたかりんのブログには、祖父が亡くなったことが記されている。将棋とかりんを繋いだ祖父。そんな祖父を思い、「少しはお爺ちゃん孝行出来てたかな?」という一文でブログは締められている。

23. 『12枚目シングル』選抜発表


 2015年の夏を司る『12枚目シングル』の選抜発表はいつもと少し変わった形式で発表された。いつものように乃木坂46の冠番組である『乃木坂工事中』(『乃木坂って、どこ?』のリニューアルした番組)で放送されるが、スタジオで収録する形式とは違い、楽屋のパイプ椅子に並んで座っているメンバーを乃木坂46運営委員会委員長の今野義雄氏が選抜メンバーを読み上げるという形に変わった。
 選抜発表は直近の3月にAKB48との兼任が解除された生駒里奈が、2年半ぶりに乃木坂46のセンターとして選ばれることになった。
 AKB48の兼任は前年の2月から始まり、公式でライバルグループと謳われた乃木坂46のメンバーが兼任することに反対するファンも少なくなかった。生駒の兼任と同時に発表されたSKE48の松井玲奈が乃木坂46にやって来ることを含めて、戸惑うメンバーもいた。
 生駒としては、乃木坂に足りないものをAKB48から学び、吸収しようと考えていたが、そのスタートは難しいものだった。ただ地道に活動していく中で、理解は深まっていき、『AKB48 37thシングル 選抜総選挙』では生駒里奈の順位を一つでも上位に入れるようにメンバーも動く。その模様が『乃木坂って、どこ?』にて放送され、メンバーの絆にファンの見方も少しずつ変わっていった。
 AKB48のツアーと乃木坂46のツアーが重なるという頭も体も疲労困憊する期間を乗り越えた生駒がセンターとして帰還するという形になったのが、『12枚目シングル』選抜発表だった。
 乃木坂46が乃木坂46として活動していく再スタートとも言える記念碑的なシングル。そこに2期生で選抜に選ばれたのは新内眞衣ただ一人だった。
 新内は大学3年生の就活の時期に乃木坂46のオーディションと出会い、グループ初の学位取得者のメンバーとして2期生で乃木坂に加入した。その経歴を活かし、正規メンバーに昇格した後から「OL兼任アイドル」としてニッポン放送のグループ企業で働く傍らアイドルとして活動するようになる。その環境の中で、時には「乃木坂46 何度目の青空か?cafe in 丸の内」という1か月の期間限定カフェのカフェマネージャーとして働きもした。2015年に入ってからはBayFMでラジオが始まり、OLとアイドルの両輪で実績を積み上げての初選抜となった。
 かりんも新内の選抜入りを喜んだ。自分のブログに「見守って支えるから」と、新内のファンに対してのメッセージを送った。
 ただ、かりんはかりんで新しくアンダーになった7人の2期生に対してフォローしていくことを心掛けていた。

24. 『アンダーライブ 4thシーズン』そして、夢の武道館へ


 乃木坂46の夏は、真夏の全国ツアーと共に幕を開ける。2015年の夏は「乃木坂らしさ」とはなにかをテーマに全国を回っていった。ツアーの最終地は神宮球場。1年前の悔しさをセンターの生駒里奈を中心にして、グループ全体の成功体験へと変えたライブになった。
 神宮のライブの中盤には前日に発表されていた『アンダーライブ 4thシーズン』に続き、12月の『日本武道館単独公演』も発表された。
 日本武道館は、アンダーライブが始まった当初に立てていた目標の場所でもあった。800人規模のブルーシアターで研鑽を重ねたアンダーメンバーは、8000人の有明コロシアムを経て、12000人の日本武道館に立つ。
 『アンダーライブ 4thシーズン』は12月に控える日本武道館を見据えて10月15日から全12公演で行われる。『4thシーズン』のセンターは堀未央奈に任された。
 堀は7枚目シングルでセンターに選ばれ、そこから2期生の代表という見方をされ続けていた。その中で1列目から2列目、2列目から3列目を経験して、センターを経験した人間としては初のアンダーに入る格好となった。当時の堀は自分の活動に悩みを抱えていた。選抜にはいるが、選抜に相応しいことができているのか、選抜に選ばれた人間は常になにかを問われている。堀は自分に決意をして今まで長かった髪を短く切り落とした。そんなタイミングでの選抜発表だった。
 アンダーとして活動していくということは、もちろんアンダーライブにも参加する。センターを任された堀に課せられたものは多かった。
 アンダー曲のダンスを一つ一つ、ゼロから覚えていく。振りからフォーメーションまでを、今までの経験値を持っているアンダーメンバーに合わさなくてはいけない。かりんと渡辺みり愛はそんな堀に事細かにパフォーマンス面で手助けをした。
 『4thシーズン』は日本武道館公演を見据えてのライブとなったため、ステージ上で討論会を行うことになった。テーマは「武道館でのアンダーライブで何をしてほしいか」、「あなたにとってアンダーライブとは」。これを2つのグループに分かれて討論する。武道館でのライブをどういうものにするかというのが目的にあったが、武道館に向けての「MC強化」という面も大きかった。
 ライブの中身は原点回帰が図られる。今までの感情をむき出しにするようなパフォーマンスや踊りまくるダンスからは少し離れ、丁寧に感情を入れ込んでパフォーマンスをするようにした。シングルの表題曲をアンコールの1曲のみ披露することに限り、なるべくアンダー曲やユニット曲をパフォーマンスする、これは一つの挑戦でもあった。
 『セカンドシーズン』『サードシーズン』に続いての『4thシーズン』だったが、落ち着きのあるライブだったため、『セカンドシーズン』『サードシーズン』を越えていない、と感じるメンバーはそれなりにいた。
 その部分、かりんはポジティブに捉えていて、当時のインタビューでこう答えている。


「個人的に乃木坂の全体ライブの空気感が好き、というのが大前提としてあるんですけど。4thは、アンダーライブらしい激しさや全力感がありつつ、一つひとつの楽曲を丁寧にパフォーマンスする優美さもあって、そのバランスがうまく取れていたと思うんです。あと、1期生と2期生の心の距離が本当になくなってできたな、って。さらに距離が縮まって、すごく楽しくのびのびできた4thでした」(BOMB 2016年1月号)


 この後のインタビューは、かりんが1期生と2期生の仲を繋いだ存在と考えている伊藤純奈がかりんの意見に同意する形で進められている。
 この頃になると、1期生と2期生の2人だけで遊びに行くメンバーが増えていた。アンダーライブという一つの目的に向かって進む中、ようやく1期生と2期生の壁は目に見えてなくなりつつあった。

25. 紅白へと向かった13枚目シングル『今、話したい誰かがいる』


 2015年10月28日に発売された13枚目シングル『今、話したい誰かがいる』は当時の乃木坂46が持っていた自己最高売り上げを4作連続で更新し、乃木坂46の勢いの大きさを象徴した。
 発売の1か月後には、『紅白歌合戦』への初出場を決めた。『紅白』は一年前に内定の報道が出た末に逃した悔しい思い出がグループ全体にあった。夢の舞台へ、ようやく乃木坂46は立とうとしていた。
 13枚目シングルはそういった意味で印象深い作品になったが、2期生は誰も選抜入りすることができなかった。
 選抜発表が終わるとアンダーになったメンバーはスタジオから出ていくことになっている。その時、最初にその事実に気づいたのは北野日奈子だった。
 「え!? 待って、2期生全員いない?」
 その意味はすぐに理解することができた。選抜に入っていない事実に悔しさを覚えるメンバーもいたが、堀未央奈やかりんはすぐに切り替えていた。「これ以上落ちることはない。これからは上がるしかないんだ」、堀はそう考えていた。
 『12枚目シングル』で唯一2期生として選抜に入っていた新内は責任を感じていた。2期生にバトンを渡せなかった。それが申し訳なかった。
 2期生が誰も選抜に入れなかった『13枚目シングル』だったが、アンダー曲のフロント4人中3人は2期生で固められている。寺田蘭世は当時をこう振り返っている。


「私としては、正規メンバーになれて、はじめてフロントに立たせてもらったが、この時にいただいた『嫉妬の権利』でした。選抜発表の時点では悔しかったけど、『嫉妬』のポジションを知って、私は嬉しかったんです。それが正直な気持ちです。だから、これは2期生特有のものなんですけど、それぞれの個性がばらばらなので、共有し合えることがホントに少ないんですよね。『嫉妬』の期間がみんなにとって本当に悔しい期間だったか、と聞かれたら、そうとは言えないと思います」(BRODY 2017年10月号)

 正規メンバーに昇格してからの『12枚目シングル』を学業のために参加できなかった山崎怜奈。山崎は初めてシングルに参加できることを「ようやく乃木坂46のメンバーになれた気がした」思いと、早く追い付かなくてはいけない不安が同居していた。
 2期生の中でも考えていることは様々だった。
 かりんは『13枚目シングル』で握手会の部数が減っていた。握手会自体かりんは好きでいて、握手会の部数が減ったことは「久しぶりに悔しいこと」であった。握手会の部数は一つの人気の指数として取られる。その部数が減ったことに悔しさを感じながらも、乃木坂46というグループにいる自分を客観的にこう考えていた。


「ちょっと陰のある子が多いグループの中で、私は陰も性格的な表裏も全然なくて、全く落ち込むことがないタイプ。悩まないのは、得な性格だと思っているんですけど、乃木坂46のファンには悩む姿が好きな方も多いので、それは申し訳ないなと思います。」(日経エンタテインメント! アイドルスペシャル 2016)


 かりん自身は基本的にポジティブである。2期生が選抜に入ってなくても、すぐに「ここからだ」と思える。しかし、周りの考えや思いも汲まなくてはいけない。事実、2期生は選抜に入れていない。
 雑誌の企画で2期生の座談会が開かれた際には、かりんが現状を踏まえつつ2016年の未来を語った。


「今の2期生は嵐の前は静けさだから。絶対、2期生の時代がくるから。あんまり2期生、2期生言うのは好きじゃない。もう(1期生と)一緒じゃんって思うんだけど、来年は『2期生がいてよかったね』って絶対言わせるから。『2期生要らない』って言われたこともあったけど、来年はいい年にしましょう。」(BRODY 2017年10月号)

 その言葉を聞いて、相楽と山崎は涙が溢れた。2期生の誰もが自分自身の環境で葛藤していた。
 2期生はバラバラな思いを持ちながらも、アンダーというグループで目指す目的地へと進まなければいけなかった。

26. アンダーライブ 日本武道館公演


 2015年12月17日、乃木坂46のアンダーメンバーは夢の日本武道館のステージに立つ。元々はアンダーライブが始まった初期、なにか目標を立てようということで挙げられた目的地が武道館だった。2014年4月に始まったアンダーライブが1年8ヶ月の時を経てついに大舞台にかけ登った瞬間だった。
 武道館のアンダーライブは『嫉妬の権利』で幕を上げる。『嫉妬の権利』は中元日芽香と堀未央奈という直近のアンダーライブを座長として引っ張った2人をWセンターに据えた、今までのアンダー曲を深化させたようなクールで激しい楽曲。会場の期待感はうずうずと高まり、そこからのノンストップライブで一気に会場の熱は最高潮に。『サードシーズン』で磨き上げたダンスパフォーマンスは観客の視線を釘付けにする。『4thシーズン』で鍛えたMCを挟んで、『セカンドシーズン FINAL』で好評を博した「全員センター」企画でライブはさらに盛り上がる。一人ひとりのメンバーがこの日までに練習を重ねた曲をセンターに立って披露する。
 かりんは『僕がいる場所」を披露した。常日頃から言っていた「歌が歌いたい」ということをスタッフに伝え、曲のラストはかりんのソロだけでじっくりと歌い上げた。気を張りすぎた反省点があり、満足とは言えないものの、自分の歌を少しでも知ってほしいという思いで歌唱した。
 ライブは大いに盛り上がり、アンコールに入る。最後のMCパート入る時、大型モニターに「永島聖羅から重大な発表があります」という文字が浮かぶ。
 ファンやメンバーの視線が永島に集まる。その神妙な顔つきに、会場が息を飲む。そこで永島の口から出た言葉は「グループからの卒業発表」だった。


この場をお借りして皆さんに話したいことがあります。
私は17歳の夏に乃木坂46のオーディションを受けて愛知から上京し、それから4年間、たくさんの経験をさせてもらいました。
アンダーライブは私にとってすごく大事な場所です。そんな今日、ここ武道館でアンダーライブができて……。アンダーメンバーは、アンダーライブが始まったときから武道館を目指してきました。ここまで支えてくださった皆さん、本当にありがとうございます。今日ここで、区切りとして私はひとつの決断をします。
私永島聖羅は、乃木坂46を卒業します。次の夢に向かって、永島聖羅として歩む道を選びました。卒業の日にちはまだ決まってないんですが、皆さんに会えないわけではなく、今後も芸能活動を続けていきたいと思っています。ここまでアンダーライブを、永島聖羅を支えてきてくださった皆さん、本当にありがとうございます。これからも乃木坂46、そしてここにいる輝かしい未来が待っているアンダーメンバーの応援を、どうかよろしくお願いします!(音楽ナタリー 乃木坂46永島聖羅が卒業発表「次の夢に向かって、永島聖羅として歩む道を」)


27. 永島聖羅


 永島聖羅は高校2年生の時に「乃木坂46一期生オーディション」に応募した1期生メンバー。
高校生になってから芸能界へ思いが芽生え始め、色々なオーディションに応募するも、最終オーディションで落ちることが続く。そんなときに親友から勧められたのが「乃木坂46一期生オーディション」だった。アイドルのことはあまり知らなかったが、親友の勧めもあって受けたことが乃木坂46加入のきっかけになる。
 愛知からアイドルになるため上京した永島だったが、アイドルの活動は辛く悲しいこともあった。初期の乃木坂46は選抜に選ばれなければ露出する機会はめっきり少なくなる。デビュー曲の選抜メンバーに入ることもできず、この頃は持ち前の笑顔が消え、スタッフに「私、笑えてますか?」と聞くこともあったという。
 5枚目シングル『君の名は希望』で初めて選抜入りする。この曲は初出場した紅白でも歌われ、グループにとっても永島にとっても大切な曲になった。以降、アンダーになることが多くなり、そんなときに始まったのが『アンダーライブ』だった。アンダー曲でフロントに入ることはなかったが、表でも裏でもアンダーメンバーを纏めたのが永島だった。
 表ではMCを多く担い、裏ではセットリストから様々な提案をする。初期のアンダーライブでユニット楽曲が好評だったが、ユニット曲の追加の提案をしたのも永島だった。ライブ期間では毎公演必ずライブ映像をチェックしては次のライブへの改善点を伝える。自分のことよりも乃木坂46のことを考えることが多く、アンダーライブをよくしたいという思いだけでやってきた。
 卒業は2015年に入ってずっと考えていた。きっかけの一つになったのが『アンダーライブ 4thシーズン』だった。千秋楽ではいつも涙を流していたのに、涙がでなかった。もちろん、ライブの構成が感動的でなかったというものあるが、一つやりきったという思いが沸き、卒業を決意した。
 武道館での卒業発表は川村真洋と斉藤優里には打ち明けていたが、2人以外のメンバーには隠していた。永島の卒業発表を受けて、ステージでは泣き崩れるメンバーもいた。ずっと永島を慕っていた北野日奈子は公演後も号泣していた。泣いていたのはアンダーメンバーだけではなく、武道館公演を観に来ていた選抜メンバーも涙を流していて、そんな光景を見ながら永島は「自分のために泣いてくれるメンバー」の存在をありがたいなと感じていた。
 かりんは永島の卒業を薄々感じていた。他のメンバーとの雑誌の取材の際に、今後の活動に対してのコメントが曖昧なものばかりで、ずっと歯切れの悪いことを言っていた。そこにかりんと1期生の和田まあやは「もしや」と感じていた。
 永島が2日間ある武道館での公演の初日に発表したのは、全員で目指した武道館の最後は笑顔で終えたかったからだった。2日目のアンコールでは今までのアンダーライブを引っ張ってきた伊藤万理華や井上小百合などのメンバーも登場し、永島の卒業も含めた集大成を感じさせた。
 『永島聖羅卒業コンサート』は年を越した2016年3月19、20日の2日間で3公演が行われた。会場は永島の地元である愛知県の名古屋国際会議場センチュリーホール。各公演3000人、合計で9000人のファンが永島の卒業を見届けるために駆けつけた。
 ライブ本編は永島らしい涙と笑いに満ちたものになった。参加できなかった選抜メンバーがVTRでメッセージを送ったり、両親からのメッセージも読まれたりとサプライズ満載な卒業コンサートになった。


「私は皆さんやメンバーにとって、どんな存在でしたか? 乃木坂に入ってくれてありがとうって存在になれてますか? この4年半、乃木坂に入れて、大切なメンバーに出会えて、そしてファンの皆さんに出会えて。私にとって乃木坂46はかけがえのない宝物です。こんな私を支えてくれてありがとうございます」(Rakutenブックス 乃木坂46公認コラム『のぼり坂』vol.48)


 日本武道館で卒業発表をしたとき、「せっかくの夢の舞台で、なぜこのタイミングなんだ?」と否定的なファンもいた。ただ、永島は自分に対してこれほどまで悲しんでくれるメンバーやファンがいたことに気が付かなかったのかもしれない。グループが大きくなる中で、永島聖羅という人間は自分のことを顧みずにアンダーや1期生、2期生、グループのことを常に考えていた。そんな永島が卒業をする。
 卒業を決めていたであろう年末に発売された雑誌のインタビューで2期生について永島はこう語っている。


「2期生には勢いがあるし「頑張りたい」という気持ちが伝わってきます。1期生には出せない2期生ならではの魅力があると思うので、いっぱい出してほしいです。そろそろ、1期生だから、2期生だからって、分けて考えなくてもいいのかなと思っています。みんなで乃木坂46なので」(日経エンタテイメント! アイドルスペシャル 2016)


 最初は怒られたところからのスタートだった。アンダーライブを通していく中で2期生の成長に合わせて優しく厳しく接してくれたこと、それを2期生の誰もが感謝をしていた。

28. 『14枚目シングル』選抜発表


 年が明けた1月、乃木坂46の最年長だった深川麻衣が自身のブログで卒業発表した。メンバーに愛され、誰とも分け隔てなく接する。負の感情を見せない優しさで包まれた性格は「聖母」と呼ばれていた。2期生では年長メンバーだった新内眞衣がよく食事に行き相談を聞いてもらっていた。
 深川の卒業は永島の卒業とも合わせて、乃木坂46というグループがゆっくりと変わっていくことを示唆していた。
 『14枚目シングル』のセンターはその深川が担当することになる。アンダーからはただ一人、堀が選抜に選ばれた。アンダーライブは武道館という結果を成し遂げたが、堀以外のアンダーメンバーは14枚目もアンダーとして活動していくことになった。
 アンダーライブが始まった初期は3人、4人がアンダーから選抜に入っていたが、この時期はその流れが鈍化していた。
 ただ前作の『13枚目シングル』ではアンダーメンバーだけによるユニットが生まれた。1期生の中田花奈と中元日芽香、2期生の北野日奈子、寺田蘭世、堀未央奈によるユニットで、中元が出演するラジオでサンクエトワールという名前が生まれ、活動していた。CD発売のミニライブやサイン会を行い、ユニットだけで活動する姿は乃木坂46の新たな可能性を示していた。
 北野は前年にファッション誌『Zipper』の専属モデルに選ばれ、サンクエトワールの新しい活動をしながら手応えを感じていたので、選抜には入れないもどかしさが強かった。もっと前に出なくてはいけない。2期生がもっと先輩の刺激にならないといけない。しかし、そう思っている同期が以外と少ないことに気付く。
 北野はこの時期、楽屋でも一人になることが増えていた。2期生という括りから抜け出そうと考えていたからだ。ただ、そんな北野に同期の新内は気付いていた。北野をカフェに誘い「日奈子の気持ちも分かるけど、1回途切れてそのままのメンバーが出てきたらみんな嫌だろうし、いろんな人としゃべっておいたほうがいいんじゃない?」と伝えたこともあった。初期に2人だけで正規メンバーのライブに参加したこともあり、同じ時期に昇格した2人だからこそ、新内は北野を孤立させようとはしなかった。
 2月22日には毎年行われるバースデーライブが、東京オリンピックのための改修工事で都内の使用できる会場がなくなる2016年問題によって延期することが発表された。そのため『46時間TV』というインターネット番組が代わりに放送されることになった。この番組は全メンバーが10分間の自分の番組を持つ「乃木坂電視台」という企画があり、かりんは他のメンバーの企画に呼ばれることが多く、スタジオにもいるので、その活躍は目立っていた。
 卒業する深川麻衣をフィーチャーした企画『乃木坂46時間TVスペシャルライブ』 も同番組で行われた。この企画は今までのシングルに収録されている楽曲の中から1シングルにつき1曲を選び披露するというミニライブ。この企画で11曲目に深川が選んだ曲が「ボーダー」だった。
 『3枚目シングル』から卒業するまで選抜に入っていた深川と、アンダーでの活動が多い2期生が一緒に歌った曲は僅かしかない。全メンバー歌唱曲を除けば、かりんと歌った曲は存在しない。ただ、深川はちゃんと2期生を見ていた。ボーダーを歌ったメンバーたちも特別な場で自分たちの歌を選んでくれたことを感謝し、愛に溢れる空間になった。

29. 『アンダーライブ』全国へ ~東北シリーズ~ 開幕


 アンダーライブが全国に回ることが発表されたのはアンダーライブ武道館公演の2日目だった。1日目のアンコール明けのMCでは永島の卒業が発表されたが、2日目のアンコール明けのMCではモニターに日本地図が表れ、東京から各地方へと光が伸びるという映像が流れる。これをアンダーライブが全国に回ることだと考えたメンバーは多く、その後に正式に発表された。
 武道館という大きな目標を成し遂げたメンバーにとって、全国を回ることは新しい挑戦でもあり、乃木坂46運営委員会委員長の今野義雄は全国を回る意味をインタビューでこう答えている。


今野:実はいま、乃木坂46の問題点ってなんだろうといえば、東京に比重が高いことです。完全に首都圏アイドルなんですよね。首都圏においてはものすごく強いけれど、地方ではまだまだ知られてないし、存在感がそんなに伝わってない。ここをどうやって開拓していくかがグループ全体のテーマなのですが、ここをアンダーに背負ってもらうことになると思います。ステージを見てもらって、ファンを獲得するというミッションをアンダーに託す。ただ、これまでやっていたのと同じような魂のぶつかり合いを、そのまま持って行って成功するかというのもまた違うと思うんですね。新しいテーマを考えて、何か変えていかなければいけない。(Real Sound 乃木坂46運営・今野義雄氏が語る、グループの“安定”と“課題” 「2016年は激動の年になる」)


 新たな挑戦でもある全国ツアーのスタート地点として、永島聖羅の卒業コンサートは愛知県で開かれた。
 その1ヶ月後、『アンダーライブ全国ツアー 東北シリーズ』は初日の福島で幕を開ける。
 このライブに参加したのは『14枚目シングル』のアンダーメンバーであり、センターを務めたのは中元日芽香。メンバーは東北を回る期待と不安に満ちていたが、ライブは今までにない特殊な形へと変容する。
 今野氏が言うような「新しいテーマ」というのが、東北シリーズライブの肝であった、「表現力の向上」に重きを置いたライブ構成だった。
 今までのアンダーライブにあった、ガシガシ踊る、企画で盛り上げる、といったものは廃された。一見すると舞台や映画のような「表現力」に重視したライブとなった。
ライブの冒頭、各メンバーが各々のスピードで左右を行き交う。時には立ち止まり、集団になったかと思えば、また各人が歩き出す。やがて、そこから二組に分かれ、双方を見合い、交差して、1曲目が始まる。
また、センターの中元が右手を上に指差して、ミュージカルのように踊ると羽根が舞い落ちてくるという演出もある。ステージで一本のストーリーが表現されるようなライブになった。
 かりんは「こんなに変わるんだ」と思いつつ「新しい挑戦」と捉えていたが、最初は抵抗があるメンバーもいた。それまでの「明るく楽しい」にも「悔しさを全力でぶつける」にも属さない、「暗闇」のような演出だったからだ。
 苦戦するメンバーは多くいた。また、乃木坂46というグループを背負って東北に行っている以上、「表現」を中心にしたライブを観て乃木坂46に興味を持ってもらわなくてはいけない。中途半端な出来になり、乃木坂46への興味を失っては困る。そのためには初挑戦のライブではあるが完成度はずっと高いものにしなくてはいけない。メンバーでの話し合いも今まで以上に行われた。北野日奈子はセンターの中元と「これでいいのかな?」と毎日のようにやり取りをした。
 その中でも伊藤純奈は元々、演技をすることが好きだということもあってか、ライブ期間で「殻が破れたかも」と発言する一幕もあった。
 ただ、苦戦したのはメンバーだけでなく、集客の面でも席が余る公演が出ることもあった。
 アンダーの力不足なのか、今までの活動が東京に集中しすぎていたのか、宣伝が足りていなかったのか、理由は多数あれど、事実は事実として残る。そんな苦さを感じながら東北シリーズは終了する。

30. 2016年の夏


 2016年の夏、かりんの活動は充実していた。夏を迎える4月には『将棋フォーカス』のMCを継続し、初夏に発売された2ndアルバム『それぞれの椅子』には初めて2期生楽曲が収録されることになった。ボーダーを歌っていないかりんにとっては、3年間活動してきて初めてもらったユニット曲になった。他の2期生も2期生楽曲の誕生に喜んだ。
 また、2月に放送された『46時間TV』は早くも第二回目が放送される。かりんは代打MCや放送中の写真を撮る企画を任され、第2回目も色々な部分で顔を出していた。山崎怜奈は黒板アートという企画でスタジオには出ることは少ないかったが、密かに活躍をしていた。
 『15枚目シングル』が発売され、アンダーからは中元日芽香と北野日奈子の2名が選抜に入る。かりんはアンダーとして活動していくが、15枚目シングル『裸足でsummer』にはアンダー曲の収録だけではなく、さゆりんご軍団の『白米様』にも参加する。
 このさゆりんご軍団、メンバーは松村沙友理、佐々木琴子、寺田蘭世、伊藤かりんの4名で、1期生の松村沙友理を軍団長とする軍団、ということになっている。
 はじまりは、人見知りの松村が2期生と仲良くなりという思いから同じアニメが好きな佐々木琴子と寺田蘭世を強引にさゆりんご軍団に入れた。そして、そのまとめ役としてかりんが選ばれたという経緯になる。
 乃木坂46の冠番組内で触れられたことをきっかけにファンの間に瞬く間に広まった。松村の企画力と発想力でグラビア撮影や雑誌の連載も始まり、曲まで作られるに至った。
 成り行きで軍団に参加したかりんだったが、自身が開設して使わなくなっていた755というトークアプリを「さゆりんご軍団の記録」と改めて、積極的に軍団の活動を発信していった。
 真夏の全国ツアーに合わせて開催されたバースデーライブでは、全曲披露なのでもちろん「白米様」も披露する。「白米様」では縦に4人並ぶフォーメーションが採用されており、その最後尾であるかりんは神宮球場の360度見られるステージで少し気恥ずかしいダンスしなければいけず、後々に自虐として語られるようになる。

31. 『アンダーライブ全国ツアー 2016 ~中国シリーズ~』


 9月22日、広島県の会場から『中国シリーズ』は始まった。山陰地方を回らずに広島、岡山、山口の三県三公演という短い公演、力不足を感じながらのライブになった。
 センターを務めたのは樋口日奈。1期生の樋口にとっては初めてのセンターになった。初めてのセンターでプレッシャーのかかる樋口を選抜からアンダーに入った伊藤万理華と井上小百合が挟むフォーメーションとなった。
 伊藤と井上はアンダーライブの地盤を作り上げた存在であり、アンダーライブに参加すること自体が3作4作ぶりということになった。舞台経験の多い2人だからこそ「表現」することを重視した『アンダーライブ全国ツアー』を支えることができる。そういう意味でアンダーに入った可能性もあったかもしれない。
 それでも2人の中には「悔しい」という感情があって、その2人と気持ちの距離を埋めるのが難しかったようにかりんは感じていた。
 公演が始まる頃には一体感が生まれ、演出も前回から少し変わり、観客が声を出しやすい、アイドルのライブに少し寄ったステージになった。結果から見れば公演を行った会場で空席が出ることはなくライブは成功を収めた。
 最終日、かりんはアンダーライブで全国を回れる意味を感じながら、「アンダーだからこそ全国を細かいところまで回れる。それが嬉しい」といったようなことを喋った。
井上のスピーチは、中国地方を回ったアンダーライブと自分自身の気持ちを振り返るものだった。


「3年前くらいかな。〝アンダーライブ〟っていうものが握手会の特典でやっていた時のやつに参加してたんですけど、その時は前の方しかお客さんがいなくて、後ろの方で走り回ってる人がいるくらい全然人が集まらなくて。でもそれがアンダーライブっていうものが公式で単独ライブさせてもらえるようになって、今回全国をまわってきて2000人くらいの規模の会場が全部売り切れっていうのが嬉しくて。ホントにありがたいなって、思ったんですけど…、やっぱり、〝アンダー〟っていう名前を引っさげて全国まわるのは、いろんな感情があって…。みんなとまわるのはめっちゃ楽しいんだけど、やっぱり楽しいとか嬉しいとかっていう気持ちだけじゃなくて、ホントに色んな…、複雑な感情がある中でこのステージに立ってて…。今回のシングルでアンダーライブ開催されますって言われた時もすっごい嬉しかったんだけど…それに参加するっていうことがどういう事なんだろうな…って…。素直に『やったーアンダーライブでれる!』っていう気持ちでは正直なくて。色んな感情が、ホントに…あったけど…色々考えたけど…、この三日間過ごしてきて、みんなと過ごして、お客さんの顔を見て、ホントに頑張ってよかったなって思いました! ありがとうございました!」


 井上はメンバーと確認しながら自分の話す言葉を考えていた。嘘はつきたくない、自分の言葉でありのままを伝えた。かりんと井上はの言葉は相反するようなことにも見えるが、2人の言葉を聞きながら伊藤万理華は、「素直だったり、重たかったり、暑苦しかったりする思いがグチャグチャになって、それでいいものを見せるのがアンダーライブなんだな」と感じていた。
 それぞれの考えをぶつけるのがアンダーライブではあるが、立っている場所によって考え方が違うものもある。それが最後のスピーチとして出たアンダーライブとなった。

32. 『伊藤かりん』の考え方


 かりんの考え方は、アイドルとして、乃木坂として、アンダーとして、少し変わっていると見られることがある。しかし、そこの部分にかりんのアイドルとしての矜持がある。2015年に取材されたインタビューでは自分自身の考えをこう話している。


「自分の見た目は嫌いです。顔も体型にも自信がない。なりたいと思ってアイドルになったものの、自分がかわいいか、かわいくないかは考えていませんでした(笑)。
 歌って踊ること自体が好きなので、立つ場所は一番後ろでもいいと思っているんですよ。ポジションなりに見える踊り方をすればいいので。それに、私が前に行くことで、他の誰かが下がらなきゃいけなくなるのが嫌で。それなら、私は後ろでいいんです。自分の人気より、グループの人気を大切にしたいから、私よりかわいい子が前にいたほうが、乃木坂にとってはプラスになるので。」(日経エンタテインメント! アイドルスペシャル 2016)


 これは2期生に対しても同じで、「基本的には2期生みんなの背中を押したいという気持ちが強い」。ただ、そんなかりんに寺田は「自分を出してほしい」というもどかしさを感じており、度々かりんに伝えている。
 それはかりんの性格上、仕方のないことでもあった。序列を付けられるのがアイドルの活動ではあるが、かりんは「みんなで楽しく幸せになりたい」というスタンスを持っている。


「競争ごとは嫌いではないし、勝てばうれしいんですけど、それで泣いている子とかがいると、譲りたくなっちゃうんですよ。でも、ファンの方には多分、私はガツガツとした性格でハキハキとしゃべる、強い印象をもたれていると思います。それは前に出るタイプの子が少ないから、そう見られるだけで。それに、自分が目立ちたいというだけではなくて、グループのために自分なりに貢献できるやり方を探しているんですね。だから、みんなと同じ方向で競争するのではなく、将棋とか、ラジオとか、他の子とは違った分野で、活路を見出だせたらいいなと思っています。」(日経エンタテインメント! アイドルスペシャル 2016)


 かりんはかりんの考え方でグループに貢献できることを考え、実行していた。 

33. 『16枚目シングル』選抜発表


 11月9日に発売された『16枚目シングル』は15枚目シングル『裸足でsummer』の16人の選抜メンバーに加え、アンダーから伊藤万理華、井上小百合、新内眞衣の3人が選ばれ、合計19人の過去最多人数となった。
 新内本人は「まさか」という思いだったが、4月から『オールナイトニッポンZERO』のレギュラーを担当し、活動の幅を広げていた。そんな新内が2度目の選抜に加わる編成となった。
 選抜発表の数日後に放送されたラジオで16枚目シングルのタイトル『サヨナラの意味』が発表され、センターの橋本奈々未の口から誕生日の2月20日付近での卒業並びに芸能界引退が発表される。
 橋本は乃木坂46の初期から選抜を含め中心的な活躍をしており、その言葉や行動は、ファンからの人気や信頼感が厚かった。堀が『バレッタ』でセンターになったときにはブログ内で堀を支えることを表明する一方で、大人の選んだことへ疑問を呈する一幕もあった。
 橋本の卒業発表含め、かりんは自分の年齢を考えることが少しだけ増える。
 『16枚目シングル』でかりんが嬉しかったことは乃木坂46を知ったときから好きだった高山一実がフロントメンバーに選ばれたことだった。高山も橋本と同じく初期から中心的な活躍をしており、橋本の門出を近くのポジションから祝うことになった。かりんのブログには「密かな夢」として高山と同じ楽曲を歌うことが挙げられている。ただ、「叶いそうでなかなか遠い夢」とも書いてはいた。
 選抜発表前の9月には、7月に募集が始まった「乃木坂46三期生オーディション」の合格者12名がLINE LIVEにて初披露された。
 三期生オーディションは、一期生オーディションの38934人、二期生オーディションの16302人を上回る48986人もの応募があった。二期生オーディションと比較すると約3倍もの数となり、乃木坂46というグループの大きさを如実に表すことになった。
 乃木坂に吹く新しい風を感じながら、乃木坂46に冬がやって来る。

34. 『Merry X'mas Show 2016 ~アンダー単独公演~』


 毎年、年末に行われてきた『Merry X'mas Show』だが、2016年は少し趣向の変わった並びで行われた。
 12月6日『選抜単独公演』、12月7日『アンダー単独公演』、12月8日『選抜単独公演』、12月9日『アンダー単独公演』、12月10日『3期生お見立て会』。
 このアンダー単独公演に参加したのは『16枚目シングル』のアンダーメンバー16名。初の試みでもある選抜とアンダーを分けての公演となった。
 『選抜単独公演』のメイン企画は選抜メンバーの一人ひとりが1曲をプロデュースするというもの。演出から歌唱するメンバーを選ぶ至る所まで細かく自分の好きなことができる企画だった。
 『アンダー単独公演』のメイン企画は今まで発売された16曲の表題曲を全員センターでパフォーマンスするというもの。
 嫌でも選抜とアンダーが比較される現実、ただ、目を背けるわけにもいかない。「全員センター」企画だけに頼らない、東北地方と中国地方を回りながら深めた団結感で今まで以上のパフォーマンスを見せつける意気込みでいた。
 1公演目はクリスマスメドレー、2公演目は乃木團を引き連れてのメドレー。センターに立った寺田蘭世は「泥臭く全力でみんな同じ方向を向いているライブ」になるよう、一つひとつの部分をこだわっていた。そして、それが強く出たのが、アンコールのMCにおける寺田のスピーチだった。


 「まず、千秋楽を、みんな全員16人無事に終えられたことは、本当に、当たり前のことでなく……。それでなおかつ、ファンの方々も、楽しかったですか? (歓声が起こる) こういうことは、いろんな奇跡が重なってこそのことだと思います。本当に、ありがとうございます。
そうですね……。振り返ると、今回16枚シングルということで、アンダー楽曲「ブランコ」は、このメンバー全員で歌っている楽曲でして。「ブランコ」のミュージックビデオ、みなさんも見てくださいました? (歓声が起こる) ちょっとドラゴンと戦ったりしていて、トレジャーハンターっていうのが1つのテーマだったんです。
そうですね……。私は、今までで史上最弱のアンダーのセンターなんじゃないかなって思うんですけど……。(客席から、そんなことないよ~! という声) いや、そこははっきりそう認めたいです。そうですね。そうだなって思っていて。でも、ミュージックビデオでも、私だけ武器を持っていなくて、1人だけ水筒っていう。そうですね、そんな最弱だった子が、武道館。こんな夢の、日本武道館でセンターに立たせてもらって。
トレジャーハンターのイメージって、やたらでこぼこ道を歩きたがるし、歩き出しはいつもひとりぼっちなんですよ。でもその中で、新しい仲間を見つけたりして、歩いていくし、その中でいろんな経験を得て、なんだろうな、新しい武器を、強い武器を身につけたりして、いつかはドラゴンっていうすごい強いものを倒すっていうのが、トレジャーハンターのそういうゲームのアレじゃないですか。『ゲームだからそれは成り立っているんだよ』って言う方もいると思うし、『そんな夢物語絶対あり得ない』って言う方のほうが多いと思うんですよ。
私にたとえると、ずっと『センターになりたいです』って言わせてもらっているけど、『お前には絶対できない』って言う人もいると思うんですよ。(再び、そんなことないよ~! という声) だけど、私は、それを絶対にかなえたいなって思っていて、ここは夢の通過点だと思っています。(大歓声が起こる) そして、ここにいるメンバー16人きっといろんな思いがあると思うんですけど、みんなもきっとまだまだ夢の途中だと思っています。だからみんなで頑張っていきたいなって思っているし、なんだろな……。
何言ったって、いろいろどうこう言われるし、言われるお仕事なので、仕方ないなって思っているんですけど。こんなたとえ方して伝わるか分からないですけど、1+1が2なんて誰が決めたんだ、って話なんですよ!(おおお~っ!? と驚きの歓声) 私、ただのバカです。数学ができないバカです。だけど、そういうことじゃないんです。人生はそういうもので計ってほしくないんです!(大歓声があがり、拍手もわき起こる) だから私は、1+1は、100にしたいと思います!  この後の曲も、そうですね……。ここいる、そうですね、1人1人、十人十色だと思いますので、それぞれ悔いなく、楽しんでいただければなと思っています。ということで、メンバーは次の曲の準備をお願いします。
(川村真洋から「いい話だったよ」と言われる)
ありがとうございます。私だけじゃなくて、みんなで最強なんです。16枚目のアンダーメンバーが、最強なんです! みんなが大好き。ここにいるファンのみなさんも、スタッフさんも、テレビの前で見ているみなさんも、みんな大好きです!」(日刊スポーツ 乃木坂の歴史に残る、寺田蘭世炎のスピーチ/コラム)


 約4分のスピーチだった。元々、言葉にエネルギーを持っているメンバーではあったが、乃木坂の活動の中で言葉は磨かれていった。研究生から正規メンバーになり、武道館のステージでファンを沸かせるようなスピーチをするようになった寺田をかりんは見守っていた。
 寺田はこの夏に乃木坂46に加入して一番悔しいと感じることも多かった。そして、そこから抜けた先にあったのがセンターというポジションだった。
このスピーチに会場は大きな盛り上がりを見せ、そして、誰もが寺田蘭世の成長を感じた日本武道館のステージになった。

35. 『17枚目シングル』選抜発表


 2017年1月末、『乃木坂工事中』で『17枚目シングル』の選抜発表が行われた。選抜人数は過去最多の21人。前作のメンバーに加え、1期生の斉藤優里、中田花奈、樋口日奈、2期生からは寺田蘭世が初めて選抜に選ばれた。橋本奈々未の卒業を控え、乃木坂46の総力戦という見方もできる選抜メンバーとなった。
 対してアンダーメンバーは12人。こちらは過去最少の人数となった。ユニットみたいだと、後にかりんは自虐するが、それくらいには少ないメンバー編成だった。
 そして2月20日から22日にかけて、さいたまスーパーアリーナにて『乃木坂46 5th YEAR BIRTHDAY LIVE』が開催された。各日、30000人の集客予定だったが、即完売の勢いもあって「見切れ席」や「ステージ裏席」の5000席を追加で販売したが、これもすぐに売り切れた。
 初日のみ『橋本奈々未卒業コンサート』という特別編成で行われた。橋本が各シングルから好きな曲をピックアップして37曲を披露。乃木坂のほとんどの活動を隣り合わせで見てきた同い年の白石麻衣から感謝の手紙が読み上げられると、涙を浮かべながら抱擁するといった感動的な一幕もあった。
 深川麻衣のスペシャルイベント同様「ボーダー」が選ばれ、ボーダーのメンバーは感謝の気持ちでパフォーマンスした。加入した初期から橋本を慕っていた伊藤純奈は、ソロパートで橋本のこれからの幸せを願って歌い届けた。
 橋本の卒業コンサートの流れもあって、2日目、3日目は今までの『バースデーライブ』の恒例となっていた、持ち歌を1枚目のシングルから順番に披露していく形はなくなった。
 続く2日目、『OVERTURE』から1曲目を飾ったのは『あの日 僕は咄嗟に嘘をついた』だった。アンダーライブ以外の全体ライブでカップリング曲から始まるのは初めて。奇しくも『アンダーライブ セカンドシーズン』を彷彿とさせるような始まりとなって会場は盛り上がりを見せた。
 2日目3日目を通じて、かりんの一番の山場は3日目に披露した『傾斜する』だった。この曲ではメインステージのリフトに乗って、アリーナにいる観客の頭上をリフトで通過してサブステージまで移動するという演出が組まれていた。高所恐怖症のかりんにとってはギリギリのパフォーマンスだった。
 幕張メッセイベントホールから始まった『バースデーライブ』、年を重ねるごとに会場の規模を拡大させ、5年目の誕生日を最終合計10万5千人の観客を動員して盛大に祝った。

36. 『アンダーライブ全国ツアー 2017 ~関東シリーズ 東京公演~』


 3月22日、乃木坂46のHPにある動画が上げられる。「乃木坂46からのお知らせ」と題された動画には、『17枚目シングル』のアンダーセンターを務める2期生の渡辺みり愛が歩いている画面から始まる。
 渡辺は12人のアンダーメンバーに対する思いを述べながらある場所へと歩いていく。その道の先には目的地の看板「東京体育館」の文字が見える。渡辺が東京体育館の前に立つ。その画面に「乃木坂46 アンダーライブ開催決定! 4月20日、21日、22日 東京体育館」という文字が表れる。
 「超えるしかないと思ってるんで。超えます」
 渡辺みり愛の言葉で映像が終わる。
 このアンダーライブは急遽始まった公演だった。選抜発表後、アンダーに入ったメンバーは、12人という少なさから3期生が合流するのではないかと勘繰っていた。それは2期生の時と同じように3期生が入るなら色々と教えることが出てくるという懸念だった。が、
アンダーライブと3期生の単独ライブが分けて開催されることが同時にスタッフの口から発表され、3期生は合流しないことが分かる。
 アンダーライブが決まる際、「みんな次第だよ」とスタッフはメンバーに問いかけたが、迷うメンバーもいた。伊藤純奈と能條愛未が舞台により、ライブには参加できるがリハーサルなどのスケジュールは難しいだろうということは分かっていた。
 『17枚目シングル』アンダー曲でフロントを務める鈴木絢音は、少ない人数で大きな会場になると一人が受け持つお客さんの数が増えるということも心配していた。
 ただ、かりんは「めっちゃやりたかった」。もちろん鈴木の言っていることも理解しているし、鈴木に対しても「できる子だけど、心配」という気持ちもあったが、「やりたい」気持ちが勝っていた。舞台に出演する能條が「やります」と即答し、かりんを含めた周りが「いけるよ!」という空気になり東京体育館の3日間4公演が決まる。
 公演日が決まったはいいものの、リハーサルは4月3日からスタートするギリギリの日程。初日から舞台組の2人はいない。それに加え、センターの渡辺みり愛も体調不良で欠席。初日は9人しかいない状態が始まる。時には仕事の関係で7人しかいないリハーサルのときもあった。ただ、そんな時でも集まって会話することは増えていたという。
 全体人数が多いと個々のグループに分かれてしまうが、元々の人数が少ないのでそこでの団結感は今まで以上に強まっていった。
 17枚目シングルアンダー曲『風船は生きている』、センターの渡辺みり愛を含めてフロントは鈴木絢音、山崎怜奈という3人だけ。渡辺17歳、鈴木18歳、山崎19歳の若い2期生の3人にフロントは任された。2期生のみがフロントを務めるアンダー曲は初。ただし、渡辺以外の2人は初めてのフロントの経験だった。
 前に誰もいない、自分たちが引っ張らなくてはいけない、フロント独特のプレッシャーに苛まれていった。山崎はリハーサルが進むなかでも成功するかどうか確信は持てなかった。鈴木はいっぱいいっぱいの中でゲネの途中にケガもして、不安な状態で本番を迎えた。フロントの2人は不安や緊張を堪えていた。
 渡辺は2期生の最年少として最初から落ち着きのある子供だった。ただ、ダンスが上手いのに本番では委縮してしまう恥ずかしがり屋な面があった。かりんもそのことを色々と口にしたが、『13枚目シングル』のユニットだったサンクエトワールのパフォーマンスを見て触発される。同期への対抗心が出始める。そこからパフォーマンスが褒められるようになる。ただ、かりんは今回のアンダーライブでMCとしても期待している面があった。
 センターとしての重圧や色々な期待を感じながらテンション高くリハーサルをしていた。そんな渡辺をかりんが見て思ったのは「不安と、自分の無邪気さを出すことの戦い」になっているなということだった。
 本番初日、渡辺が玄関を出ようとしたら足がすくんで立てなくなる。手や足の震えが止まらず、なぜか涙が溢れた。こんなことは乃木坂46の活動で初めてのことだった。
 しかしライブの幕が上がる。1曲目、このアンダーライブを司る17枚目シングルアンダー曲『風船は生きている』。オープニングから軽快なアコースティックギターの音色で、渡辺を先頭に3人が登場する。カメラは渡辺の表情を捉える。その目には涙が浮かんでいた。
 センターというプレッシャーを感じながらも、いざステージに向かうと、そこには想像以上の綺麗な景色があった。その綺麗な景色を0番という位置で見れることが嬉しかった。出番前、隣にいた山崎が「あなたはできる子、信じてる」と声をかけた。色んな事が重なった涙だった。
 渡辺の涙で幕を上げたアンダーライブは、「ファンタスティック3」と称された企画が行われる。これは1公演に3人にスポットライトを当てる内容で、1人を中心にして4曲ずつ歌うという「全員センター」企画をバージョンアップしたようなものだった。
 トップバッターは山崎怜奈。
 スタッフから3人に対して「気迫がない」と言われ、悔しいよりも辛いと思ったこともあった。パフォーマンスに対しての自信はずっとなかった。ただ、やるしかない。山崎はもう腹を括っていた。
 山崎が最初の一人として勢いをつけ、続く斎藤ちはると鈴木絢音も自分自身と向き合いながら作ったパフォーマンスを観客に見せる。
 続く2日目。1日目の反省として演出家から挙げられたのが「いいライブだったけど、最後のMCは次につながる言葉があったほうがいい」というものだった。1日目の「ファンタスティック3」のMCはその公演自体のことを話していたが、もっとひとりで話せる場だからもっと大切にしようと言われる。
 2日目の「ファンタスティック3」の2人目は2期生の佐々木琴子。前日の夜にスピーチを考えてきたが、うまく言葉が出てこない。少しの沈黙の後に出た言葉「突然ですが……」に会場の緊張が走る。佐々木が言いたかったのは、今までの自分自身とこれからについてだった。


「やる気がないと思われても仕方がない行動を取ったりもしたけど、こんな私を見捨てずにいてくれたスタッフさんやファンの皆さんのためにももっと頑張りたいと思います」


 佐々木自身、ダンスも歌も上手いわけではなく、努力していないと捉えられることが多かった。ただ、佐々木には佐々木のペースがあり、そのペースで頑張ってきた。このスピーチは、ゆっくりではあるかもしれないがもっと頑張りたいということを伝えたい思いがあった。普段、感情を言葉として伝えることが少ない佐々木の言葉に会場の熱は一回り熱くなる。そして、3人目、かりんの「ファンタスティック3」が始まる。
 かりんの「ファンタスティック3」は常に言い続けてる「歌いたい」という思いを凝縮したセットリストになった。ただ、リハーサル中には絶対に結果を残すという意気込みが強すぎたせいか、何度も歌ってきた曲が飛んでしまったこともあった。本番ではしっかりと歌唱し、会場にかりんの歌声を届かせた。
 そしてMCパートでは、かりんの今までの思いを言葉にする。

「アンダーでも夢を叶えられる」

 後々、雑誌やネットの記事にもなり、かりん曰く「擦られた」言葉になるが、この言葉は多くのファンやメンバーに確かに響いた。ステージ上では涙するメンバーも少なくなかった。
 かりんにとっては「超ポジティブ」な言葉だった。2017年に入り、よく食べるということでゴールデン番組に出演したり、第一生命 U-29のCMに将棋を絡めた場面で出演したり、活動の幅を広げていたかりんだからこそ言える言葉だった。
 かりんはアンダーライブが好きだ。そして競争するのも好きではない。選抜がやっている仕事に自分のやりたい分野があるというだけで、自分の場所でもできることがある。かりんの言葉はアンダーライブ全体の熱をさらに高めて、3公演4公演を駆け抜けた。
 3公演目には、アンダーライブ終了後に渡辺が書いたブログのタイトルを用いた、メンバーに対する思い言葉にする場面もあった。

「私からお話をさせて下さい。幼い頃、図鑑を見ていて、花はアイスランドポピーという花を見つけました。バレリーナの衣装のような黄色の花です。今朝ふとアイスランドポピーの花言葉を検索してみたら、優しさと思いやりと書いてあって、最後に『私は勝つ』という言葉が書いてありました。私は勝つという言葉は、今のアンダーメンバーの私達にぴったりと思ったんですね。昨日かりんちゃんが言っているように、アンダーだからといって叶えられないことなんてないんですよ。私達は、もっともっと上に行けるんですよ。私達もこの言葉を信じて私達は勝ちます。(会場万雷の拍手)次が千秋楽です。勝ってやるという気持ちで、私は全曲全霊でやりますので、皆さんついて来て下さい。もっと上へ勝ちに行きます。」(https://twitter.com/stamp_hobby/status/855683139447930880?s=19)


 集客の面でも苦戦していた『関東シリーズ 東京公演』だったが、最終日には満員御礼となり、数字の面でも尻上がりに数字を上げていったライブになった。アンコールの「風船は生きている」のパフォーマンス時には、サプライズで4600個の風船が振り落とされ、会場は多幸感に溢れた。そしてダブルアンコールでも終わることなく、ついにはトリプルアンコールまで巻き起こり、その盛り上がりは近年のアンダーライブにはない沸き立つものだった。
 かりんは『関東シリーズ 東京公演』をインタビューで後にこう思い返っている。


かりん 一日目も二日目も席は完全には埋まってないですし、自分で言うのもなんだけど、この12人でここまでのライブができるとは1ミリも思っていなくて。今までの人達がいないから、「物足りなかった」って結果になるとだろうけど、「でも楽しめばいいや」みたいに思ってたんです。でも、ファンの人達との一体感が、「いつぶりだろう?」っていう、怖いくらいの一体感で、全体ライブでも味わえない、一個を目指す感じにゾワゾワして、言葉では言い表せない達成感に満ち溢れてました。(MARQUEE Vol.121)

37. 『真夏の全国ツアー2017』初の「期別ライブ」


 2017年の夏は明治神宮野球場から幕を上げた。今までのツアーは最終地が神宮であり、そこを目指すライブだった。神宮をスタートにすることで、2017年の神宮ライブはいつものライブとは趣向を変えたライブが行われた。それが「期別ライブ」というものだった。
 この期別ライブは乃木坂に存在する1期生、2期生、3期生がそれぞれの期で纏まってパフォーマンスするというシンプルな構成。ただ分けたことが、それぞれの期で全く色の違うライブをすることに繋がった。
 期別パフォーマンスをすることに乗り気ではないメンバーもいた。渡辺みり愛は「2期生という括りに縛られたくなかった」という。「2期生」という見られ方をすることによって、2期生は1期生を超えられないと思われるのが嫌だったからだ。渡辺には1人の乃木坂46のメンバーとして積み重ねてきたものがあり、だからこその思いだった。しかし、乃木坂46というグループが頻繁にメンバー募集をしないこともあって、期生別で見られるということはよくある。
 2期生のリハーサルが始まるが、乃木坂46のメンバーが主に出演している舞台「あさひなぐ」に堀未央奈、北野日奈子、新内眞衣の3人が出演していた。リハーサルに参加できない日々が続くが、3人からは頻繁に連絡が来ていたという。
 新内は送られてきたセットリストを見て、「もうセットリストは決まっているんだ」と軽いショックを受ける。そのセットリストには『嫉妬の権利』が入っていなかったからだ。『嫉妬の権利』は2期生が全員アンダーに入ったときのアンダー曲であり、2期生を表す上ではこれ以上ない曲だった。ただ、新内が提案しても反応を返すメンバーは少ししかいなかった。
 山崎怜奈は『別れ際、もっと好きになる』を入れたかった。『ボーダー』を歌ったメンバーが昇格して初めて参加したアンダー曲(山崎は休業のため不参加)だったからだ。寺田蘭世も絶対に『嫉妬』と『別れ際』は歌いたかった。最終的にはかりんがまとめてスタッフに提案するなかでセットリストは決まっていった。
 期別でパフォーマンスをするということで、リハーサルはもちろん期別ごとに分かれて行っていた。そこで2期生は困惑する。1期生と3期生に見られるという状況に落ち着かない。元より2期生としての活動が僅少なメンバーがそう感じるのも当然だった。そこで2期生は今まで見せたことのない団結感で自然に集まり、パフォーマンスや振りの細かい確認をし合いながら、当日を迎えるに至った。

38. 『真夏の全国ツアー 2017』神宮の涙


 2017年7月1日、リハーサル時に降っていた雨も上がり、夏の太陽の日差しを感じながら神宮の期別ライブは幕を上げた。
 トップバッターは3期生。加入して1年も経たない12人だがフレッシュさと一体感を見せて、1曲目から会場を盛り上げる。
 3期生はオーディションから大手出版社各社とコラボレーションした特別企画で「anan」や「non-no」といった雑誌に登場する権利が与えられるメンバーもいて、期待値の高さを窺わせた。加入して3ヶ月後には『Merry Xmas Show 2016』の選抜とアンダーの4公演後に『3期生お見立て会』として日本武道館のステージに立つ。1000円のチケットは完売し、12000人のファンが集まった。そこで発表された『3人のプリンシパル』を12人でやり切り、アンダーライブの初期に使用していた「AiiA 2.5 Theater Tokyo」で単独公演を開催。その間にも『乃木坂工事中』で先輩メンバーが3期生を紹介する企画を3週に渡って放送。直近で発売された『17枚目シングル』では3期生単独の楽曲がMVと同時に作られる。
 3期生は、1期生とも2期生とも違う、新しい道を歩んでいた。
 3期生というグループの経験はこの数か月でメキメキと上昇していた。期別ライブをチャンスと捉えて、初期の表題曲を散りばめながら三期生楽曲の2曲を入れたセットリストに会場は沸き立っていた。
その盛り上がりを2期生はステージの下で待機しながら聞いていた。北野はその時のことをこう述懐する。


「3期生の歌声とお客さんのコールを聞いていたら、2期生が入ってから4年半の思いがよみがえってきました。私たちにとって重い時間だったなと思って……。2期生が経験していないことを3期生は経験しているんだなとか、もっと2期生としていろんなことを活動したかったなとか。2期生という括りに縛られたいわけじゃないけど、もう時間は巻き戻らないんだよなぁと思ったら、待っている間、すごく苦しかったです」(BRODY 2017年10月号)


 2期生の10人はBステージの真下にいた。演出上、堀だけが神宮球場のベンチ裏で待機している。
盛り上がっている真上のステージをよそに、2期生の面々はふと感傷的になっていた。それは、会場の雰囲気がそうさせたのかもしれない。期別ライブという構図がそうさせたのかもしれない。1つになりたくてもなれなかった自分たち自身のこれまでの歴史がぼんやりと浮き出てくるようだった。
 一番後ろに待機していた相楽伊織は前に並ぶ仲間を見ながらこんなことを思っていた。


「私、本番前に初めて2期生っていいなぁって思いました。(中略)ふと見上げたら、みんなの勇ましい顔が見えて……。あぁ、仲間っていいなって思いました。なんだかんだで、このコたちに支えてきてもらって、今があるんだなぁって。ご飯を食べに行って愚痴を聞いてもらったみたいな小さなことも、すべてがコの一瞬につながっていたんです。」(BRODY 2017年10月号)


 2期生として遅れて入った相楽、いつもマイペースに映る相楽の涙をかりんは気づいていた。「2期生として初めての大きな舞台。」その事実を噛み締めながら、かりんの目にも涙が浮かんでいた。その涙は伝染してほとんどのメンバーが涙を流した。
 一回メイクを直して、再び集まる。北野含めたメンバーはかりんの目を見て、どこかかりんの言葉を待っていると、その視線を受けてかりんが言った。
 「今日は2期生だけだから! 楽しもうね! こんな大きな場所で、このメンバーでやることは一生ないと思うからさ!」
 その言葉を受けてメンバーがそれぞれのスタンバイ場所に散っていく。
 3期生の出番が終わり、VTRが流れ始める。
 「2013年3月。乃木坂46最終オーディション。あの時、全員が喜びを共有した。」モニターには2期生のこれまでの過去を振り返る映像が流されていた。薄暗いオーディション会場。少ないスポットライトがステージを照らし、嬉し泣きをしているあどけない2期生たちの姿。
 「ところが、その年の秋のライブ」「そこで発表されたのは、」代々木第一体育館のスクリーンに映る『堀未央奈』の文字。堀は不安そうな表情でセンターに立って一礼する。「堀の選抜入り。しかもそれは、センターとしての抜擢。――友情は続いた。ただ、一緒に活動する機会は多くはなかった」「4年前 1人で歩いた道 今日は、みんなが待っている」
 『バレッタ』のイントロが神宮に木霊する。
 そのVTRを観て、北野は号泣していた。元々、同期愛の強い北野の涙を見て泣くつもりもないのに泣いてしまう同期は少なからずいた。そして、とにかく、ついに、ようやく、2期生だけのステージの順番はやって来た。
 『バレッタ」のイントロと共に堀がベンチ裏からバックステージへ登場。それを待っていたかのように堀の両サイドから他の2期生が現れ、全員で『バレッタ』と『気付いたら片想い』を披露して、語りパートへと入る。
 2期生が神宮球場を占拠した瞬間、その光景に涙するファンもいた。ただ、2期生は自信を持って2曲を披露し、次の曲へ山崎、北野、新内が静かに語り出す。


「4年前の春、私たちは乃木坂46 2期研究生として加入しました。その年の秋には(堀)未央奈が突然センターに選ばれ、その次のシングルでは(北野)日奈子が選抜入りしました」

「私たち2期生は、先輩たちの存在が大きな壁に感じながらもこのまま坂を上り続けるのだと信じていました。しかし、それから約1年半後の秋、13枚目シングル選抜発表、そこで私たち2期生の名前は誰1人呼ばれることはありませんでした」

「続いての曲は、そんな私たちが悔しく辛い日々を過ごした曲です。今日、私たち2期生が11人でこのステージに立てることをすごく意味があることだと思っています。少しでも何か感じ取ってくれたらうれしいです。それでは聞いて下さい。『嫉妬の権利』」(modelpress 乃木坂46、東京ドーム2DAYS決定!涙と笑顔…怒涛の“サプライズ祭り”白石麻衣、西野七瀬らも感極まる<セットリスト/ライブレポ>)


 「嫉妬の権利」を歌う。それが2期生のセットリストに込められた思いだった。誰に嫉妬しているのか、嫉妬していないのかは分からない。なにに嫉妬しているのか、嫉妬していないのかも分からない。ただ、この神宮で『嫉妬の権利』を歌う権利を持つのは2期生だけだった。
 2日目の中盤には寺田蘭世と鈴木絢音、新内眞衣のスピーチが行われ、当時の心境とこれからの決意をスピーチした。


「私は2期生の中でも(研究生の期間が)最も長いメンバーの一人でした。その期間は悔しい思いだったりとか、『頑張れ』って人から言われたりしましたけど、そういう言葉でも表せられない期間でした。でもその期間があったからこそ今の私があると思います。“絶対”とかはあり得ないかもしれないけど、昨日のライブを2期生11人でやった時に、これからの乃木坂46は、私たち2期生が絶対に作っていこうって私は思いました」

「私は乃木坂46の3歳のお誕生日の時に5人のメンバーと昇格しました。当時、私は秋田から通いながら活動していたので……5人と一緒に昇格してよかったのかなって今でも気がかりだし、5人のファンの皆さんにも申し訳ない気持ちでいっぱいです。スタートが遅かった分、差を感じることはたくさんある、でもこれからその差を確実に埋めていくことが私にできることじゃないかなって思います」

「私は21歳の時に乃木坂46の研究生として入ってきて……(涙を堪えながら)大丈夫。21歳で研究生ってなかなか焦るものがあって、ちょうど1年後くらいに正規メンバーとして、それと同時にOL兼任も始めたんです。OL兼任でいろいろ意見をいただいて、毎日泣きそうになりながらお家に帰っていた。同じ境遇の人がいないから誰に相談していいかわからないし、だからといって私に対する鋭い目が背くわけでもなかったので、どうしよう、どうしようって。でも、やっぱり助けてくれる人、見ていてくれる人はいっぱいいて、そこで私は頑張ろうと思って4年間にやってきました」(modelpress 乃木坂46、東京ドーム2DAYS決定!涙と笑顔…怒涛の“サプライズ祭り”白石麻衣、西野七瀬らも感極まる<セットリスト/ライブレポ>)


 そこからの2期生は、テンションの上がる『そんなバカな…』、『人はなぜ走るのか?』を観客を煽りながらパフォーマンスする。MCを再び挟んで、最後は『きっかけ』を歌い上げる。『きっかけ』は決意を歌った歌であり、そこには2期生の決心があった。
 そうしてエモーショナルな高まりを見せた2期生だけの神宮の夏は終わった。
 続く1期生は1曲目の『制服のマネキン』から、炎がステージの前から噴出する演出で、1曲目から一番の盛り上がりを見せた。裏にはけた2期生には確かな充足感があった。
 神宮のライブとはどういうものだったのか。堀は「2期生が本当にひとつになれたのは神宮なんだ」と思ったという。『13枚目シングル』期間を経て、神宮で一つになった。そういう見方ができるかもしれないが、2期生の最年少でもある渡辺みり愛は2期生というものに対してこういう考えを持っている。


「2期生って、色がバラバラなんです。どうやってもそろうことはありません。同じ色にならないんです。色が違っても、虹ならひとつになれるじゃないですか。11人が11色をした虹なんですよ、2期生は。見ていて、そのほうが楽しいと思います。融合? そんなの無理です(笑)」(BRODY 2017年10月号)


 寺田蘭世は神宮のライブをこう意義付けた。

「2期生って、それまでは個人で戦ってきた印象があるじゃないですか。未央奈は選抜の中で個人として戦ってきたし、北野や新内が選抜入りした時もそうでした。そういう時って、本当は弱いところを出したいけど出せないんです。だけど、今回の神宮はみんなで戦った。そういう安心感があったんです。だから、みんな泣いてしまったんじゃないかな。こんなに味方がいて、仲間でやれるって、どんなに楽なんだっていうことにみんな気づいたんだと思います。だって、神宮でのライブは過去に何度も立たせてもらっているから、本来ならそんなに緊張することないし、急に泣き出すなんてことないはずなんです。各メンバー、違う感情はあっただろうけど、どこかでつながっているな、やっぱり2期生いいなって改めて思いました」(BRODY 2017年10月号)


 神宮ライブの2年後、再び2期生を特集した雑誌で、かりんは2期生に対する思いを笑いながらこんな風に述べている。

「よくメンバーが言うんですよ、『2期生ってなんだかんだでいいよね』って。必ず『なんだかんだ』がつくんです。みんなそれぞれがいいところも嫌なところも知っている。イライラするところもあります(笑)。でも、全部ひっくるめていいんですよ」(BRODY 2019年6月号)


 期によって、その期に対する思いは様々にある。1期生には1期生の、3期生には3期生の、その期への仲間への思いがある。
 2期生の2期生に対する「なんだかんだ」という言葉には、ぶつかりながらやって来た6年の歴史が詰まっていた。
 『18枚目シングル』には2期生として初めてとなるMV付き楽曲が収録された。MVの監督は伊藤衆人。研究生時代からお世話になっている監督が初めてのMVに手腕を振るった。

39. 18枚目シングルアンダー曲『アンダー』


 神宮で行われた『真夏の全国ツアー 2017』、その一週間後に『18枚目シングル』の選抜発表が行われた。『乃木坂工事中』で放送された選抜発表は、15作目以来のスタジオ収録での発表になった。15作目の放送では、齋藤飛鳥が初めてセンターに選ばれた。それ以来のスタジオ収録での選抜発表、1期生2期生3期生全メンバーが揃っている、なにかが起きる、そんな予感が充満していた。
 アナウンサーから一人ずつ発表される。2期生からは新内と堀が呼ばれた。そして、最後に呼ばれたのは3期生の大園桃子と与田祐希。『18枚目シングル』は3期生のWセンターとなった。
 1週間後に解禁された表題曲『逃げ水」は夏らしい爽やかさとノスタルジーを感じさせる楽曲だった。その後もカップリング曲が次々に解禁されて、その度に反響が上がるが、アンダー曲がオンエアされると、その曲をめぐってファンの間で議論が巻き起こる。
 18枚目シングルアンダー曲の『アンダー』はアンダーメンバーのこと歌っているような歌詞になっていた。
 ”今はスポットライトは当たっていない。それでも人知れず影はステージを支えている。気付かれない存在だとしても、いつか自分に気づいてほしい。ポジションは全てではないから。”
 スポットライトが当たってないのではなく、当ててないだけなのでは? そもそも気付かれない存在だと思っていない。それよりなによりも、今歌うべき歌なのか? という数々の意見を呼んだ。
 アイドルが歌う曲は、その曲を歌うメンバーによって歌詞のニュアンスが変わることが往々にしてある。それは歌詞そのものが持つ普遍さ故だが、この歌詞はあまりにも歌うメンバー対して持つ意味が直接的すぎた。
 メンバーもその歌詞に驚いた人間は少なくなかった。「そこまで重く受け止めないでほしい」と樋口日奈はスタッフに言われた。反応がバラバラの中でかりんは「好きな歌詞」だと、楽曲が解禁されるよりも前にブログで発言していた。また、日にちが経つにつれ、話題に出ることも少なくはなっていた。
 そんな折り、8月6日に中元日芽香が自身でMCを担当するラジオでグループからの卒業を発表する。中元は体調不良を理由に『17枚目シングル期間』を休業していた。約2ヶ月の期間を経て、3月末に復帰。ゆっくりと活動を再開していくと思われていた矢先での卒業発表だった。卒業理由も休業理由と同じで、体調が優れない日が多く万全の活動ができないというものだった。直後に行われる真夏の全国ツアーも全公演欠席。神宮で発表された『アンダーライブ 九州シリーズ』には同行する旨が伝えられた。
 『アンダー』は表題曲同様にWセンターになり、そのセンターを務めたのが中元日芽香と北野日奈子だった。北野はWセンターとはいえ初めてセンターを務めることになった。が、北野の体調が優れない。握手会は体調不良による欠席が目立ち、いつも笑顔が多く太陽のような明るさの北野が全国ツアーでは浮かない表情をすることが目立つ。全国ツアーは中元がいないことで北野が単独のセンターになるが、ついには全国ツアーも欠席して、代わりに同期の渡辺が務めたりもした。
 9月4日には19枚目シングル『いつかできるから今日できる』の選抜発表が行われる。『19枚目シングル』はこの2017年の当初から乃木坂46がグループとして推し進めてきたプロジェクト『あさひなぐプロジェクト』の一つとして映画『あさひなぐ』の主題歌に用いられた楽曲だった。元々、漫画原作だったものを4月には舞台化しており、映画と舞台に出演した当時の選抜メンバーに組み込んだ19人となった。18枚目のアンダーからは1期生の中田花奈、斉藤優里と北野日奈子が選ばれる。3人とも『あさひなぐプロジェクト』に関わっていたメンバーだった。
 北野は選抜発表後のブログで感謝を記しているが、その後の握手会やアルバム発売スペシャルイベントに欠席するなど難しい状況が続いていた。
 そして、10月に入る。メンバーは不安を感じながらも一路、冬の訪れを感じる九州へと向かった。

40. 『アンダーライブ全国ツアー 2017 ~九州シリーズ~』


 『九州シリーズ』の公演は全6日の7公演。初日の大分が昼と夜の公演。1日の休みを挟んで、福岡で3日間。そこから鹿児島、千秋楽の宮崎という行程だった。
 初日、大分・佐伯文化会館のステージに北野日奈子の姿はなかった。朝、公式Twittertに「北野日奈子 休演のお知らせ」が上がる。北野の体調は回復してはいなかった。
 初日の公演は中元が単独でセンターを務めた。ただ、中元も体調が芳しくはない。前作、前々作のセンターを務めた渡辺みり愛、寺田蘭世がセンターポジションに立って補い合う。スピーチの部分も樋口日奈やかりんが担当する。
 アンダーライブ史上、一番過酷なシリーズが始まった。
 何日もリハーサルしたものが2日前にガラッと変わる。今までのアンダーライブを経験した経験値のあるメンバーでなければ乗り越えられなかった。どのメンバーもそう振り返るライブになった。
 『九州シリーズ』の演出は、東北シリーズと中国シリーズの演出を踏襲し、良いとこ取りしたものになった。
 まず、プロローグから幕を上げる。歴代の表題曲のインストが流れる中で、当時選抜に入っていたメンバーにスポットライトが当たる。1枚目から連綿と繋がる選抜発表の歴史を感じさせる演出だった。
 そこから『OVERTURE』、1曲目は『自由の彼方』で始まりを告げる。『セカンドシーズン』の後に発売された1stアルバムで入ったクールだが熱量の高いアンダー曲である。そこからは『嫉妬の権利』『不等号』『あの日 僕は咄嗟に嘘をついた』『別れ際、もっと好きになる』『ブランコ』という全てがアンダーの曲。そこで会場の一体感は増す。そこから表題曲のライブを盛り上げることのできる曲で観客の熱は高まる。そこからはユニットコーナー。ダンスユニット、歌ものユニット、変わり種ユニット、それぞれが個性を爆発させる。
 そこからは一転、感情を表現するパートへと入るが、そこのスイッチ役を任されたのがかりんだった。かりんはアンダーライブのことやアンダーという立場の難しさ、もどかしさを語り、最後は前向きな言葉で締める。かりん自身、アンダーも前向きに捉えているが、観客はかりんの言葉をアンダーの気持ちの総意だと受けとる。また、そういった感情の吐露する言葉を待っている空気もある。自分の性格的なことと、このアンダーライブに纏う空気、その場の会場の雰囲気、すべてを踏まえつつかりんは毎晩悩みながらスピーチを考えていた。
 初日の大分を終え、メンバーは福岡へと移動する。福岡の会場は福岡国際センターという2014年の真夏の全国ツアーで巡っており、その時は満員にならなかった。
 大分公演を一日の休みで挟んだ福岡初日、会場は満員の観客で埋まっていた。アンダーライブだけで人が集まれることを一つ証明して見せた。
 14時25分、「北野日奈子 休演のお知らせ」が上がり、この日も会場に姿を表すことができなかった。その北野に向けて中元がスピーチする。中元が休業を決めたとき、北野にこう言葉をかけられた。


「ひめたんの帰ってくる場所は日奈子が守るから」


 中元が復帰し、Wセンターが決まったときに誰よりもそれを嬉しがったのは北野だった。1期生と2期生、期は違うが、同い年の2人。中元が全国ツアーに参加できないときも、必死になって真ん中で引っ張ろうとしていた。そして、北野は今ステージに立てていない。中元は、北野にかけられた言葉を用いながらステージにいない北野に言葉を届けた。


「日奈子の帰ってくる場所はみんなでまもるから」


 北野にも言葉は届いたはずだが、2日目の17時25分、「北野日奈子 休演のお知らせ」が公式Twitterでアナウンスされる。この日も北野はステージに立つことはできなかった。
 ステージでは感傷的なライブが連日続いていた。前日には斉藤優里がスピーチ中に話す内容が上手く話せずに少し泣いてしまう。
2日目は、中元と同い年の斎藤ちはるがスピーチをする順番になっていた。斎藤は、自分が1期生の中で一番選抜に入るのが遅かったことに触れ、それでもここからもう一つ踏み越えて上に行きたい。涙ながらにそういった内容を語っていたが、その時に中元を呼ぶ声が会場の隅から上がった。それは斎藤ちはるを鼓舞するような言葉でもなく、ただただ私的な欲を満たすだけに中元の名前を叫ぶ人間だった。場は騒然とする。ファンも誰もが状況を飲み込めないまま、ステージは転換していく。
 その日の夜、中元からファンへ向けられたモバイルメールには「自分がいないほうがライブがよくなるのかな」といったライブとメンバーへの思いが書かれていた。
 そうして福岡3日目の公演を迎える。大分、福岡1日目、福岡2日目、北野が休演するお知らせを発表していた時間は日に日に公演間近の時間になっていた。北野もギリギリだがどうにか出ようとしてくれていることは想像に易い。そう思っているファンは少なくなかった。
 開演時間は18時30分。時計の時刻は17時、17時30分、18時と進んでいく。休演のお知らせはまだ来ない。18時30分。会場が暗転してプロローグが始まる。会場がざわつき出し、そのざわつきが伝播する。そして『OVERTURE』が終わる。1曲目の『自由の彼方』、その一番前に、北野日奈子はいた。
北野日奈子は帰ってきた。そして、必死にパフォーマンスする姿に観客も必死で応える。会場が一体となる空間がそこにはあった。

 アンダー曲の一連のパートを歌い上げ、MCに入る。今だ難しい状況だが、みんなのお陰で出られたことを会場のファンとメンバーに伝えた。
 北野は出られることになったが、今度は中元の出演が難しいという問題が起き、数曲の参加になることが会話の中で触れられた。
 MCの後には盛り上げる曲を歌うが、ここでのメンバーはフォーメーションには縛られずにそれぞれの場所に散って観客を煽りに行くが、北野はステージからあまり動くことなく観客を盛り上げていた。難しい状態のなかでライブをしているのは明白だったが、その隣には寺田や渡辺といった同期が離れずに行動を共にしていた。2期生は北野のことを近くで支えていた。
 その後のかりんの語りは、ステージにいない中元に対する感謝だった。アンダーライブのリハーサル期間、集中し過ぎるなかで沈んでしまうことも多いが、そんなときに柔らかい雰囲気で場を和ませるのが中元だった。それのおかげで本番までの期間を通り抜くことができた。かりんの語りを会場は静かに聞いていた。
 語りのあとは、歌詞の朗読パートに繋がるが、そこに中元の姿はあった。北野が、中元が、樋口が、朗読を終える。『アンダー』のどこか重く美しいイントロが流れ出し、会場の緊張感は高まる。中元と北野はステージの上でゆっくりと近づいて熱い抱擁を交わした。お互いがお互いを支え合って、ようやくWセンターが揃った瞬間だった。
 福岡での3日目はエモーショナルな空気に満ち満ちていた。その福岡を終えた先は鹿児島のライブとなった。鹿児島でかりんの語りは北野について触れたものだった。北野はいつも笑顔で明るくて、太陽みたいな存在。だけど、反対に月みたいな面もある。そんな面も応援してあげてほしい。かりんは中元と北野の背中を押せるよう、語りの部分でかりんにしかできないことを実行していた。
 10月20日。宮崎県で『九州シリーズ』の千秋楽が行われた。冒頭、はじまりを告げるプロローグから始まるが、今まで17人しかいなかった人影が、千秋楽で18人になっていた。ついに、中元と北野が最初からライブに参加できることを意味していた。会場はその2人の姿を見て一気に盛り上がる。そして、中元は最後のスピーチでこう語った。


「ちょっと自分語りとお願いが多くなっちゃうんですけども。ま、最後だし、聞いてやるか!と思って聞いてください(笑)。
そうですね――、わたしは通院を始めて三年半がたちます。 (笑顔で)全然よくならなかったです。
それが、もうダメだなぁって、もうここまでだなぁって思ったのが卒業を決めたきっかけでした。
わたしは誰にも相談せずに――、一人で決めました。
そうですね、よく健康が第一とか言いますけど、わたしにとっては健康でいることよりも乃木坂での活動が本当に一番だった。
ここにいると、この世界ではわたしを必要としてくれる人が沢山いました。 ひめたんが必要だよ、とか。ひめたんだけみてるよ、って言ってくれる人が沢山いて。あっ、わたし、ここにいていいんだなぁって、わたしの帰ってくる場所はここなんだなぁって思うことができて、それがうれしくて、今日まで踏ん張ってやってくることができました。
でも正直――、思い返してみると、辛かったことの方が多かったなぁという気がします。特にこの一年は沢山泣きました。
これからの人生は笑っていたい、みなさん心配しないで欲しいし私を引き止めないで欲しい。
ファンのみなさん、それぞれに推しメンがいると思います。 メンバーと過ごす時間は、すごくかけがえのないもので――、でもそれに気づくのはタイムリミットを知ってから、あらためて気づくことがあるかもしれません。
そんなときに後悔しないように、どうか――、たくさん――、日々メンバーに愛を伝えてあげてください。
ぼくには、わたしには、あなたが必要だよって、沢山言ってあげてください。そうして、メンバーと、ファンの皆さんで、これからも素敵な乃木坂46を作っていってください。
最後に――、わたしを応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました」


 中元はかわいらしい顔立ちと甘い声で「ひめたん」と呼ばれ、メンバーから愛される存在だった。ただ、本人は抱え込みやすい性格で、それを人にも相談できないような性格だった。周りからどれだけ「相談してね」と言われても「無理をしないで」と言われても、不器用なりにやるしかないのが中元だった。
 アンダーライブの初期、伊藤万理華と井上小百合がセンターとして引っ張っていた。そのバトンを『サードシーズン』で託されたのが中元だった。2人が活躍しながら選抜に選ばれていくなかで、中元はその流れに乗ることができなかった。それでも中元はやり続けるしかなかった。
 13枚目のアンダー曲『嫉妬の権利』。2期生が4人フロントに並ぶなかで、中元一人だけが1期生だった。そんな中元の隣のポジションにずっといたのが北野だった。北野と中元はお互い性格が合わないと思っていても近くのポジションになるとすぐに打ち解けた。そして『15枚目シングル』で一緒に選抜に入った。2人は話していた。選抜の経験が少ない自分達がアンダーで培ってきた熱量で3列目から盛り上げるんだと。
 しかし、中元の体調は戻らなかった。最後のアンダー曲を一緒に歌えるかもしれない。そんなときに手渡された曲が『アンダー」だった。Wセンターの2人は必要以上に受け止めすぎたのかもしれない。しかし、中元と北野が受け止めなければ『アンダー』という曲は昇華されなかった。アイドルのエモーショナルさに2人は傷つきながら、どうにか踏み止まってやっていた。
 ライブの最後、樋口の優しくもあたたかい語りから最後の曲がはじまる。『僕だけの光』。太陽を羨みつつも、自分の光を見つけたいんだという希望に溢れた曲。ピアノアレンジが施された楽曲をメンバーが一人ずつ歌に入りながら最後は全員で歌い上げる。そして曲が終わり、メンバーは後ろに立て掛けられてあるガーベラの花が連なったタワーを見上げてライブは静かに終わる。
 ガーベラの花言葉、オレンジは「我慢強さ」、黄色は「親しみやすさ」、白は「希望」を表す。一番上に立つ花は白のガーベラ。アンダーメンバーは希望を見上げて物語は終幕する。
 かりんは最後の語りで現実的なところを見定めながら話し始めた。1年前に始まった『アンダーライブ全国ツアー』、最初に回ったのは東北。あれから1年が経って今は九州シリーズを回っている。ただ、あのときの東北を回ったメンバーから新内眞衣を除いてメンバーは変わっていない。この事をどう捉えるのかは難しい。その揺るがない事実を踏まえながら話し始めた。


「わたしは目標を立てるとき、手の届かないような目標は立てないようにしています。それを前提に聞いてほしいんですけど、私には最近かがげた目標があります。それはアンダーメンバーだけでMステに出たい。それが今の目標です」


 アンダーライブ初期、センターだった伊藤万理華の思いは「アンダーに対しての概念ぶっ壊してやる」という強い決意があった。そこからアンダーライブが積み重なっていき、井上小百合は「乃木坂46アンダーメンバーの呼び名は、アンダーではなく希望だということを知りました」とステージの上で朗読した。勢いを持って日本武道館を満員にしてみせたこともあった。そして全国へと飛び立った。
 ただ、そこからのアンダーライブは目標を失った。全国を回ればそれが自分たち自身の大きさを示すものになるとも難しい。かりんはアンダーライブが好きだし、アンダーというポジションに誇りを持っている。だからこそ、「アンダーでも夢を叶えられる」と言ったこともあった。
 しかし、どうしたって「アンダー」という言葉は付きまとう。その言葉が持つ「悔しさ」や「もどかしさ」に負けそうになるメンバーが出てしまう。現実に九州シリーズでは真正面からぶつかざるを得なかった。では、どうすればいいのか?
 選抜がなければアンダーという存在は生まれない。そして選抜がいるからこそ、その輝きの度数は違ってくる。乃木坂46というグループの構造上、どうしたって2つに分けられてしまう。全員が選抜に入ることなんてあり得ない。
 それならば、アンダーという存在をもう一つ上のステージに上げるしかない。そして、それが乃木坂46というグループが大きくなっていくことに回り回って繋がっていく。
 かりんの出した答えは、メンバー愛とグループ愛、そしてメンバーのために自分を捧げるかりんにしか言えない言葉だった。
 その決意を後にして、全員で戦った九州でのライブは終わりを告げた。

41. 夢の『東京ドーム』~伊藤万理華、中元日芽香の卒業~


 夏に行われた神宮ライブで発表された『真夏の全国ツアー2017 FINAL! 東京ドーム』は11月7日から2日間に渡って開催された。
 11万人の観客席に対して応募が55万人だったという報道もあったりと、人気グループとしての存在感を示した。
 かりんにとってもグループに加入した初期からの夢でもあり、東京ドームのステージには感慨深いものがあった。セットリストは乃木坂の歴史と人気曲で構成されてはいたが、途中でアンダーメンバーだけが出演するパートもあった。2015年の武道館で行われたアンダーライブのような、歴代のアンダーメンバーがパフォーマンスして華を飾った。
 ライブではプロジェクトマッピングやピアノ演奏のバックで歌うところなど、随所に飽きさせない演出が入っていたが、アンダーパートは基本的にはでな演出を使わなかった。特に『アンダー』をパフォーマンスする部分では『九州シリーズ』で一回り強くなったメンバーが歌とダンスだけで勝負する。あるのは光の演出のみ。丁寧に、激しく、感情に訴えかけるパフォーマンスを観客に見せた。カメラもそれに応え、メンバーの一挙手一投足のすべてをしっかりと捉え続けた。
 また、卒業を発表していた中元日芽香と伊藤万理華の最後のステージにもなった。Wアンコールでは2人を送り出す曲である『きっかけ』が流れる。花道を歩きながら中元は同い年で乃木坂に入った斎藤ちはると生田絵梨花と涙ぐみながら肩を組んで歩いた。伊藤はじゃれ合いながら歩き、泣くのをこらえていたが、曲の終わりでメンバーに囲まれた瞬間には涙がこぼれてきた。伊藤にとって『きっかけ』は中国シリーズから励まされた歌であり、その曲が最後に歌えることが嬉しかった。アンダーとして、選抜として、色々なポジションを渡り歩いた個性的なアイドルだったが、最後は清々しい笑顔で「次へ向かう」姿勢をファンに見せた。中元も最後は笑顔で、常に理想を目指しながら最後まで不器用に走り抜けたアイドル生活に別れを告げた。
 『東京ドーム公演』のリハーサルは『九州シリーズ』のすぐ後から始まった。めまぐるしいスケジュールだったが、なんとかやり遂げることができた。かりんの東京ドームは、アンコールで乗ったフロートと呼ばれる乗り物がエレクトリカルパレードみたいで印象に残るという、かりんらしい思い出として刻まれた。

42. 『アンダーライブ全国ツアー 2017 近畿・四国シリーズ』


 大阪、滋賀、兵庫、徳島、香川を回るアンダーライブは一言で言えばハッピーなライブとなった。前回の『九州シリーズ』が東北と中国を回ってきて高められてきた「表現力」の極地のようなライブとなったため、転換が図られた。演出家が変わり、とても楽しい空気で回ることができた。どうしても印象が薄くなってしまうが、1月に発売を控えたアンダーアルバムの楽曲も初めて人前で披露する機会にもなった。アルバムの新曲、『自惚れビーチ』のセンターを務めたのは鈴木絢音。鈴木にとっては初のセンター曲となった。
 ライブでは冬のアンダー曲『初恋の人を今でも』を座長の樋口日奈がアカペラで歌うところからスタートする。中盤では『白米様」をポンポンを持って踊ったりと、終始明るい雰囲気で回ることができた。表題曲なしでセットリストを組むという挑戦も行った。

43. かりんの2017年


 かりんが年始に挙げた目標は4つあった。「将棋で初段になる(3月まで)」、「レポーターのお仕事をする(食レポとか旅ロケとか)」、「ラジオレギュラー」、「どんな形でもいいからMステに出る」。
 達成率から言えばほとんどの目標を達成することはできなかったが、かりん個人としては個人仕事が増えた1年でもあった。その背景には乃木坂46というグループが躍進したことも一つとしてはあるが、一番大きかったのはやはり将棋だった。
 藤井聡太七段(当時:四段)が公式戦29連勝を達成して、最多記録を30年ぶりに更新した。その事からメディアに注目され、将棋ブームとも呼べる現象が巻き起こる。それに伴い、かりんの仕事も増えていく。『NHKスペシャル』や『笑神様は突然に…』、『ミラクル9』に出演したりと、活躍の幅を広げる。
 また、大好きなディズニーでも『ディズニートラベラー』に出演する。かなり嬉しかったのか、ブログに3つの記事に分けて思い出を写真と共に語った。
 将棋のアマチュア初段を取ることは叶わなかったが、『将棋フォーカス』で共演している中村太一五段が王座のタイトルを獲得。山崎隆之八段はNHK杯を優勝。2人とも乃木坂46の全体ライブやアンダーライブに来てくれる心優しい共演者であり、その2人の活躍はかりんにとっても喜ばしいものがあった。かりんは王座就位式に参加し、中村王座に花束を渡す。
 個人仕事以外でもかりんは色々なことを発信していた。真夏の全国ツアーは、文字通り全国各地を回るが、その各都市でライブ終わりにはご飯会という打ち上げのようなものが開かれる。これは自主的に参加したいメンバーは参加できるものだったが、かりんは皆勤賞だった。どうせいつも出ているなら写真を撮ってファンに届けようということで、この年の全国ツアーから「ご飯会」の写真をアンダーライブ含めて逐一ブログで報告するようになる。
 また、一年の恒例行事となった「乃木坂46流行語大賞2017」を開催。この年の募集は過去最多となる7000をも越える数になったが、機械の苦手なかりんは逐一「正」の字を書いて一つ一つ集計した。毎年かりんは自分で決めた特別賞を設けていて、この年の特別賞には「三番目の風」を選んだ。

44. 『アンダーアルバム』発売


 2018年の年始、乃木坂46にとって1番大きなトピックはアンダーアルバムの発売だった。
1月10日、乃木坂46初のアンダー曲だけで構成された『僕だけの君~Under Super Best~』が発売された。オリコンデイリーチャートは1位。数字が全てではないが、その数字が『九州シリーズ』のときに立てた目標へと導いてくれると考えていた。
 1日ごとにオリコンデイリーチャートは発表され、2日目も1位。3日目も1位。4日目も1位。5日目は2位。6日目は3位。7日目に1位。最終的な結果は、オリコン週間ランキング1位を獲得。10.1万枚を売り上げての1位だった。
 発売の前週には『プレミアMelodiX!』に呼ばれ、発売後には『おはスタ』に出演した。しかし、「Music Station」に出演する目標を達成することはなかった。
 3月末に発売された雑誌で、かりんはアンダーメンバーで出演したかった思いを話している。


ちょっと時期は過ぎちゃってもう厳しいとは思うんですけど、本当はアンダーで『Mステ』に出たかったんです。だって、それは自分のポジションで出られるわけだし、自分が5年間頑張ってきたアンダーのみんなと一緒に出られたらいいなっていう。それに、選抜はもちろん仲間だけど、普段の活動で接している時間が少ない子たちが多いので、ちょっと自分の中で違う……いとこぐらいの感覚というか(笑)。もちろん大切な仲間に変わりないけど、私はアンダーメンバーの子たちと出たいという気持ちが強かったんです。(BUBKA 2018年3月号)


45. 生駒里奈 卒業


 「生駒里奈 卒業」の報が明らかになったのは2018年1月30日の日刊スポーツだった。前日の深夜からインターネットで話題になり、早朝には各局のニュースとして取り上げられるほどだった。生駒は乃木坂46の顔であり、メンバーやファンが認める看板役者だった。
 そんな生駒の卒業発表にファンは衝撃が走った。誰もがその事実を受け入れがたい状況の中、堀未央奈がブログを更新した。その内容は生駒への感謝を伝えるものだった。


生駒さん
卒業

昨日知りました

生駒さんはとても強い方です
自分の意見がはっきりとしていて
周りに流されない
主張がしっかりとできる
意志の強いぶれない方。

私がセンターになった時
経験も知名度も人気も実力も
何もない私を
簡単に受け入れられるはずがないのに

生駒さんは1番に
話しかけてきてくださったこと
心配しないで
守るからって言ってくださったこと
ずっと忘れません

色んな感情があったと思うのに
笑顔で受け入れてくださって
それが本当に嬉しくて心強くて...
私も後輩ができたら
どんなに悔しいことがあっても
自分の感情が溢れても
後輩の事を考えて守ってあげられる
身近にいてあげられるような人になりたいって
思いました

曲ごとに変わるパフォーマンス
飾らない性格
メンバーに対する愛
強い意志

本当に魅力的でした

ライブのリハなどでは
いつもまとめてくださったり
2期や3期の事も気にかけてくださり
生駒さんの乃木坂に対する愛が
ひしひしと伝わる毎日でした


生駒さんから学んだたくさんの事を
私達は忘れずに引き継いでいきたいです
卒業されてもずっとずっとメンバー。
未央奈、成長したなぁって
安心してもらえるように
私も益々頑張らなくちゃ...!

新しい道へ進まれても
きっと生駒さんは
いつまでも魅力的で素敵な方なんだろうなぁ
と思います


出会いもあれば
別れもあるわけで

一瞬一瞬の時間
一人一人との関わりを
もっと今以上に大切にしていきたいです


20thでは生駒さんと
いい思い出をたくさん作りたいなぁ...
そしていいシングルになるよう
メンバー全員で頑張ります

生駒さんにとって素敵な、
充実した人生になりますように...

生駒さん大好きです

堀 未央奈


 生駒は堀だけではなく、常に2期生を気にかけていた。
1年前の神宮期別ライブの後のブログには、「2期生ちゃんはね、もはや同士だから 2期と共に乃木坂を作って来たんだもん。」という言葉を載せた。その言葉に救われた2期生のメンバーは多くいた。どんな見られ方をされようが、生駒が言うその言葉の持つ意味はなによりも重く深かった。
 生駒は常に行動し、なにかを発信してきたメンバーだった。『僕だけの君~Under Super Best~』が発売されたときにも初期のアンダー曲に憧れていたと語り、「私はみんなが目標です。 そんなパフォーマンスをしてる そんなライブを作っているみんながカッコいい。」と『アンダーアルバム』のことをブログで触れていた。
 生駒が卒業を発表した数日後には同い年の川村真洋が卒業発表をブログに載せる。川村はダンスが上手く、アンダーライブでも遺憾なくその実力を発揮してきた。アンダーライブのダンスの激しさは川村が一翼を担っていた。それだけではなく、普段は柔らかい空気を醸し出していて、グループの風通しをよくする存在でもあった。川村の最後の活動日、かりんの涙は止まることなく、リハーサルしては泣いて、メイクしては泣いて、メイク直しては泣くという、その存在の大きさと寂しさにずっと泣いていた。
 2人の卒業発表を受けて、かりんは「寂しい」というタイトルと2人とのツーショット写真を載せて、2人のファンと寂しさを分かち合った。
 生駒の卒業コンサートは4月22日、日本武道館で開催された。チケットの倍率は30倍とも言われ、全国128の映画館で6万席が完売した卒業コンサートとなった。
 ライブは生駒本人がセットリストや構成まで立ち入って考えられた。
コンサートではAKB48の兼任時代、渡辺麻友と2人で歌った思い出の曲でもある『てもでもの涙』を鈴木絢音と一緒に披露した。生駒と鈴木は同じ秋田出身で、生駒はずっと鈴木のことを気にかけていた。『てもでもの涙』は生駒と鈴木の2人にとって最初で最後のパフォーマンスになった。
 生駒が卒業した後の5月、フルメンバーで生駒の最後のシングルとなった『シンクロニシティ』を披露する機会が『Music Staion』にて訪れる。当日は全メンバーで舞踊のようなシンクロニシティのパフォーマンスをした。かりんにとって「どんな形でもMステに出る」という目標が達成された瞬間だった。かりんは嬉しかった。
 曲前には、1期生でただ一人「Mステ」に出たことのなかった川後陽菜とかりんがカメラに映る場面もあった。

46. 『アンダーライブ全国ツアー 2018 ~中部シリーズ~』


 『中部シリーズ』において一番のトピックになったのがアンダーメンバーに3期生が加わることだった。公式HPでの発表は特になかったが、3期生はアンダーライブに参加することになった。一気に21人の大所帯になるかと思われたが、同時期に平行して乃木坂46メンバーが主役を勤めたミュージカル『美少女戦士セーラームーン』とのスケジュールにより、5人参加できないというアナウンスが入る。この時期から始まったことではないが、メンバーそれぞれが個人の仕事との兼ね合いで上手くリハーサルに参加できないということはあった。ただ、スケジュールの都合での不参加というのは異例でもあった。
 そして、他にも懸念材料があった。センターを務める鈴木絢音が、直前まで舞台に参加していた関係でリハーサルにほとんど出れていなかった。ただ、鈴木自身は自分がリーダーシップを発揮するタイプではないと自覚していた。「みんなで同じラインに立って、同じ場所を向くようなライブにしよう」と考えていた。元より3期生と調和も図らねばいけない。1期生2期生のアンダーメンバーは自分達の経験を3期生に伝えようとしていた。
 3期生は沢山の曲を1から振り入れをすることになったが、先輩のメンバーが付きっきりで教えることもあったという。かりんは向井葉月という活気ある後輩に『Mステ』の楽屋で鏡を前にして何度も一緒に踊っていた。向井は乃木坂46のなかで勢いのあるがむしゃらなダンスがよく話題になっているメンバーだった。かりんは向井の熱意や踊り方が好きだからこそ、振りだけは正しくやってほしかった。
 1期生に最年少として入った和田まあやがアンダーのリーダーという初めての役職を全うしようとしていた。和田は普段から笑顔でメンバーから愛されるキャラクター。ただ、ダンススキルは高く、そんな和田は「まあやリーダー」と呼ばれながら、いかにいいチームになるかを考えていた。
 1から振り付けを覚えなくてはいけない、フォーメーションを覚えなくてはいけない、3期生も追い込まれそうになったりもしたが、そんなときは先輩が声をかけた。相楽伊織や斎藤ちはるなどが声をかけて、伊藤純奈はメンバーを癒していた。山崎怜奈はリハーサルに来れない鈴木に連絡を取っていた。
 一人ひとりが自分の役割を作り今までのアンダーライブの形を伝えようとしていた。
 最終日、アンコールの『乃木坂の詩』を歌ったあとに斎藤と相楽がステージ中央に並んで乃木坂46からの卒業を発表した。
 卒業の発表を聞いたのはツアーで回っているタイミングだった。斎藤と相楽を慕っていた3期生は信じられない気持ちだった。ようやく仲良くなれたのに。ステージ上で話す2人を見て、実感が込み上げてきて涙をするメンバーもいた。自分が思っている以上の涙が出たメンバーもいた。ツアーと言うには短い期間だったかもしれないが、後輩の3期生との距離がなくなってきていることはその涙が物語っていた。
 かりんはこのツアーにある目標を持っていた。それは『九州シリーズ』で斎藤ちはると一緒に歌った『隙間」の感動をもう一度味わうことだった。『隙間」の原曲は7人のユニット曲。それを『九州シリーズ』のユニットコーナーでは歌唱に定評のある2人だけで歌った。お互いのソロパートから始まり歌声が重なりあって高まっていく流れに、会場は大きな拍手に包まれた。あの感動を『中部シリーズ』でもう一度再現したい。かりんはそう考えていた。
 歌う曲は『誰かは味方』、メンバーはかりんと斎藤ちはるに加えて伊藤純奈が入った。しかし、上手くいかずに序盤は納得できるものに仕上がらなかった。最終公演、ラストのサビ前の3人がハモるところで大きな完成と拍手が起こる。かりんはそれが嬉しく嬉しくて、ラストのサビはこっそり泣いていた。
 かりんはライブ前の円陣からすでに涙が止まらず泣いていた。アンコールの『乃木坂の詩』を歌っているときも、歌の後に卒業発表があるのでいつも通りにしなくてはいけなかったが、歌詞が染みて泣いてしまう。最後に2人が選んだ曲が『羽根の記憶」だった。
『羽根の記憶』は10年後の未来を思う。どこでなにしているかはわからない。挫折をしているかもしれない。ただ、空は自由でどこまでもある。自分の中に眠る可能性を信じる。旅立つ2人に相応しい曲だった。

47. 相楽伊織


 相楽伊織はかりんと同じ1期生のオーディションを受けている経歴を持つ。かりんは自虐ネタとして自分は早々に落ちたことをネタにするが、相楽は最終オーディションまで通過して、あと一歩で乃木坂46の1期生だった。しかし、結果は落選してしまう。
 だが、相楽はそこで立ち止まることなく2期生オーディションに応募し、合格する。しかし、学業の関係で芸能活動ができないことが分かる。相楽が乃木坂46として活動し始めたのは2期生が1年の時間を経過したあとだった。あと一歩で乃木坂46になれた相楽は、何歩も遅れたところから乃木坂46としての活動をスタートさせる。
 そんな相楽に優しく声をかけたのが1期生の秋元真夏だった。秋元は相楽と同じ境遇で、遅れて乃木坂46に合流して活動を始めたメンバー。自分の似た境遇の相楽が気になっていた。相楽自身もアイドルとしての秋元が好きだったので、2人の小さな交流が始まった。
 ダンスの苦手な相楽はアンダーライブで心が折れそうになることが多かった。研究生の1年の差は大きかった。相楽は必死についていく。そんなとき、『11枚目シングル』で選抜に選ばれる。選抜では堀や1期生の齊藤飛鳥が話しかけてくれるので、孤独になる不安はなかったが、周りの選抜メンバーとの差に焦ることはあった。先に昇格した自分を研究生がどう見ているのか不安になったときもあった。
 選抜期間は一瞬にして終わり、アンダーとしてまた活動していくことになる。選抜にいた時期のことはあまり記憶にないという。そこからはアンダーとして活動していく。相楽はクールな顔立ちからは想像できないようなふんわりとした声で自分のキャラクターを作り上げていった。そして、相楽はメンバーが一人でいると手を差し伸べてくれるような存在だった。
 1年前、北野日奈子が『九州シリーズ』と『東京ドーム公演』を終えたあとに体調不良を理由に休業した。北野自身、その前の冬から体調があまり良くなく、これからの活動をしていくために大事をとって休業することにした。相楽は北野と仲が良かった。休業している北野を気遣っていた。北野が久しぶりに公の場に出るとき、近くにいたのも相楽だった。卒業することを言われた北野は、夢をちゃんと決めている相楽を止めることはできなかった。
 相楽伊織、渡辺みり愛、鈴木絢音と秋元真夏で「真夏さんリスペクト軍団」を作ったこともあった。これはかりんが入っているユニット「さゆりんご軍団」に対抗するような流れで作られた軍団で、お互いに軍団としての対抗意識があった。活発なさゆりんご軍団に比べ、真夏軍団はどこかマイペースに活動しており、その活動の少なさをファンから言われることもあった。自分で作った軍団の活動に少し悩んでいる秋元の相談役をしていたのも相楽だった。
 相楽の卒業をきっかけに真夏軍団でネット配信番組を配信することがあった。その番組の最後で、軍団メンバーから手紙を読むサプライズがあった。最後の秋元の手紙が読まれた後には、卒業する相楽が秋元に優しい口調で思いを伝えた。


「もっとね。いっぱい、真夏さんと一緒にお仕事できたらよかったなって、思います……。真夏さんを送り出したかったなっていう気持ちはすごいあります」


 それを聞いた秋元の目には涙が浮かんでいた。


「ずっと……、ずっと誰よりも応援するから、なんかあったら絶対言うんだよ」


 後輩や同期から弄られる秋元にとって、相楽の真っ直ぐな思いはいつも秋元の気を許せる後輩だった。
 2018年は毎年恒例の『真夏の全国ツアー』と『バースデーライブ』が同時に開催され、そこが斎藤ちはると相楽伊織のラストステージとなった。
 相楽は最後のステージになった神宮のステージと今までの思い出をブログで書き記した。


あーなんかね、
ライブ終わって1番に思ったことは
「メンバーの事こんなに好きだったんだ、自分」
て、思いました。

あと、ライブって楽しいって思えた
正直ね、ライブ嫌だなって思ってた時期もあったし
ファンの人の声援も歪んで聞こえる時もあって
もうダメだ、ってなった時もあったの

でも今回のライブは
ただただ楽しめた!!!

楽しんでる姿をみんなに見て欲しかったのかも。


初日は雨だし
2日目も強風で大変だったけど
3日目はしっかり晴れてくれたし
本当によかった

選抜メンバーとは
ほとんど一緒にならなかったけど
2日目のアンコールで真夏さんと同じ会場だったし

最終日のダブルアンコールのガールズルールを
白石さんと一緒に歌えたの

2番のサビのジャンプ
一緒に手繋いで飛んだの、忘れられないなぁ

すっごい嬉しかった(^^)


あとは、「アンダー」を披露した時
日奈子がセンターで歌って最後に笑顔だった時
すっごく嬉しくて
最終日2回目の「アンダー」披露の時は
イントロの移動で日奈子が目合わせて笑ってくれて
その時心から「よかったぁ」って思った。

日奈子は今回のライブ
私と踊れるの最後だからって頑張ってくれて
笑顔で一緒に踊れたの本当に嬉しかったよ(^^)

お互いが必要としてる関係って
中々簡単に作れるものじゃないし
絶妙なバランスを保ってないと
簡単に壊れちゃうものだから難しいけど

日奈子とはずっとずっとこんな関係でいたいな♡

みなさんも推しメンとは
そういう素敵な関係築いていってね。

この4年間はみんなとの思い出しかないくらい
本当に乃木坂で活動してる時間は長くて
濃いものだったんだなって思いました。

皆さんには
私の卒業という選択が
どう見えてるのか分からないけど
私はこれからの人生の中で
色んな事に挑戦したいしやりたい事が山ほどあるし
経験したいことも沢山ある!

それを叶えるために
乃木坂46を辞めるって決断をしたんです。

もちろん
モデルのお仕事をしたいって事が1番だけど、
それだけだったら多分乃木坂にいた方が
チャンスは沢山あると思う。

でもそれより大事なものを見つけたっていうか
本当に言葉足らずで上手く言い表せないんだけど

自分の理想の人生を
自分の努力で歩いていきたいって思ったの!


正直、順風満帆な人生じゃないし
むしろその逆だったし
両親には本当に迷惑かけたし
わがままに生きてきて
きっとこれからもそうだと思うけど

これからも私は自分を信じてがんばる!!!


何かに挑戦することって簡単じゃないけど
私の卒業がきっかけで誰かの背中を
後押しできたら嬉しいな!!


誰かの力になりたいって強く思います。(乃木坂46 相楽伊織 公式ブログ 2018年7月12日)


48. 『アンダーライブ全国ツアー 2018 ~北海道シリーズ~』


 夏のツアーを飾った『21枚目シングル』のアンダーメンバーは、秋風を感じる北の大地へと降り立った。乃木坂46として2013年以来の北海道の地となった。その2013年を知っているのは1期生のみである。
 このライブもスケジュールが切迫したものになった。再びミュージカル『美少女戦士・セーラームーン』(セラミュ)の公演期間と重なり、リハーサルに参加できないメンバーが出てきてしまう。センターを務める1期生、中田花奈も『セラミュ』に出演していた。
 リハーサルに人数がなかなか揃わない。ただ、かりんの熱は妙に高まっていた。この時期、後輩に対して色々なものを受け継いでもらわないといけない、と考えていた。
リハーサルにも熱が入る。時には3期生を集めて注意したこともあった。ただ、それも一重には3期生への思いが念頭にあった。


「これから3期生が中心になっていくかもしれないから、アンダーライブを伝統として伝えるために、ただの振りコピ集団にならないように」(BUBKA 2019年3月号)


 そこにはかりんなりの使命感だった。
2期生までは南流石をはじめとした振り付けの先生が初期の曲を一から教えた。手の角度や指の広げ方といった細かいところまで教えられた。3期生の場合はダンサーの先生が映像を観たうえで教えるだが、微妙に違うところが出てくる。そこをかりんはオリジナルに忠実に教えた。
 踊ることが得意なわけではないが、正確に踊れることはできる。そして正確な躍りを知っているからこそ、自分にしか教えられないと思い後輩へ教えていた。そして、時にはリーダーの和田まあやと助け合いながら3期生に色々と教えていった。
 リハーサルはギリギリになったがなんとか間に合わせることができた。演出家は『近畿・四国シリーズ』から担当している演出家が引き続き担当。ライブはユニットを中心として、センターのメンバーが持つイメージを膨らましてユニットを組み合わせていった。
 1曲目、いきなりセンターの中田花奈のセクシーで妖艶なダンスから始まる。そこからは多種多様なユニットがパフォーマンスする。元気な3期生がセンターなら明るい曲、落ち着きのある2期生ならクールな曲、ダンスの上手い1期生ならダンスの激しい曲。十人十色で盛り上げていく。表現力を高めていく期間があったからこそ生まれたセットリストだった。終盤にはアンダー曲を次々と披露。満足感の高いライブとなった。
 アンコール後には1期生の能條愛未が卒業発表をする。『中部シリーズ』に続いてアンダーライブでまた一人卒業生を送ることになる。能條が最後に選んだ曲は「きっかけ」だった。曲が始まり、1期生が最初に能條のもとに駆け寄る。集まるメンバーは4人しかいない。その少なさが1期生の涙を加速させる。続いて2期生が駆け寄る。2期生も泣いている。3期生も泣いている。普段は楽屋からお喋りで変なことを言っているがステージに立つと歌の上手さとダンスの上手さでライブを引っ張る存在だった。そんな能條の卒業を涙で祝福した。

49. 1期生の卒業


 2018年に入ってから1期生の卒業が相次いでいた。生駒里奈、川村真洋、斎藤ちはる、能條愛未。秋には西野七瀬、若月佑美、川後陽菜の卒業が発表された。西野は年が明けた2019年のバースデーライブでの卒業。若月は12月の頭に武道館で『卒業セレモニー』を開催して卒業。川後は12月末の『アンダーライブ全国ツアー 2018 ~関東シリーズ~』をもって卒業。それぞれがそれぞれの形での卒業する場所を決めていた。
 若月は長らく選抜メンバーとしてグループに貢献しているメンバーだった。早くから舞台での活動で乃木坂46というグループの幅を広げていた。気遣いのできる人間で、2期生が加入したときにも一番最初に話しかけたり、先輩との話しやすい空気を作っていた。かりんが『16人のプリンシパル』でお披露目される出番を待つ楽屋で、とてつもない緊張をしているときに声をかけてくれた先輩の一人が若月だった。
 『若月佑美 卒業セレモニー』は日本武道館で開催された。『卒業コンサート』とは違い、歌ありトークあり、今まで活動してきた若月の色んな面を振り返ろう、というような催しになった。
 『卒業前にやっておきたい曲BEST5』という企画で歌の披露をした。その曲間には『卒業前に聴いておきたい曲』として『ボーダー』が披露される。『ボーダー』のソロパートを歌う伊藤純奈は舞台で若月と共演してお世話になっていた。若月から学んだ色々なことを最後の場で返したい気持ちはあったが、涙で歌うこともままならなかった。
 最後はメンバーの一人ひとりに「感謝」のガーベラを手渡し、グループでの活動を終えた。
 年末には『レコード大賞』を2連覇するという結果を成し遂げた乃木坂46だったが、初期からグループを支えてきた1期生のメンバーは一人、また一人と卒業していった。その度にかりんはブログで寂しさを口にした。若月の『卒業コンサート』後のブログには、「みんなでずーっと乃木坂でいられたら 楽しくて幸せなのにな~ そうもいかないよな~ って毎日考えます。さみしい」と心境を綴っている。

50. 『アンダーライブ全国ツアー 2018 ~関東シリーズ~』


 12月19、20日に武蔵野の森総合スポーツプラザ メインホールで『関東シリーズ』は開催された。都内でアンダーライブが行われるのは2016年以来となった。
 メンバーは22枚目のアンダーメンバー18人。前作、選抜だった2期生の鈴木絢音と3期生の岩本蓮加がアンダーに。21作目でアンダーだった3期生の伊藤理々杏と佐藤楓は22作目で初選抜に入ったので、今回のアンダーライブには参加していない。
 鈴木は選抜発表後のブログに「いただいたチャンスを掴むことも、2期生に選抜のバトンを繋ぐことも出来ませんでした。申し訳ない気持ちでいっぱいです」と投稿した。かりんはその文章を読んで胸が締め付けられた。かりんには「選抜のバトンを繋ぐ」という考えがなかったからだ。鈴木は鈴木で一歩ずつ2期生としての使命を言葉にできるほどに大きくなっていた。
 そんな鈴木がフロントに入った『関東シリーズ』のセンターは北野日奈子となった。
 北野は前作のアンダー曲から参加し、順調に仕事に復帰していた。センターに入った22枚目シングルアンダー曲『日常』のフロントは、北野日奈子、鈴木絢音、岩本蓮加、寺田蘭世、樋口日奈の5人となった。岩本を除く4人がセンター経験者という、「日常」の激しいダンスと強い曲調に相応しいメンバーとなった。
 アンダーライブをするにあたって、北野は「アンダーライブがいいものになればいいな」という思いだった。当然、誰しもが考えうることではあるが、北野には葛藤があった。長らく休業していた自分がセンターとして引っ張っていけるのか。今まで元気と明るさを取り柄としてきた人間に、「休業」の二文字は大きな出来事として残っていた。色んな見方をされる怖さもある中で、北野は「そういう気持ちを全部吹き飛ばしてやるしかない」と居直っていた。居直るためには「勇気」と「強さ」が必要だった。
 北野は一つずつ「勇気」をもって行動に移していく。まず、以前のアンダーライブにあった「話し合いの時間」を作ってほしいとスタッフに願い出る。アンダーライブの黎明期にはそうした話し合いを通して意思統一を図っていた。アンダーメンバーの仕事が増えてきたことにより段々と失われていたものだった。北野はかりんに手伝ってもらい、メンバーを集めながら自分の思いを伝えていった。「個性も大事だけど、ここはみんなで揃えましょう」「みんな忙しい中、悪いとは思うけど、ここにいる間だけは一生懸命やってほしい」。1期生の先輩もいる前で言うのは気が引いたが、1期生のメンバーも北野の気持ちは分かっていたので後押しした。メンバーそれぞれ頑張る方向性や自分たちの個性は違うが、「ライブを良くしたい」という根っこにある部分を繋ごうとしていた。
 パフォーマンスの面でもひたすら振りを固める作業を繰り返した。リハーサルに参加できないメンバーがいても、参加できるメンバーだけで何度も固めていった。
 本番、『初恋の人は今でも』からアンダーライブは幕を開ける。今まで全国を回りながら培ったバラエティに富んだライブを見せつつ、樋口のセンター曲『シークレットグラフィティー』や鈴木のセンター曲『自惚れビーチ』で会場の1万人のテンションを上げる。そして、『アンダー』を披露する。北野がただ一人、真ん中に立って歌う『アンダー』に、観客は色々な思いを感じながら見入っていた。
 終盤戦。ラストのブロックは北野のソロダンスから始まる。加入当初は講師から何度も怒られたダンス。だけど今はもう楽しめる余裕がある。北野の気持ちが込められたダンス、そこからは会場のモニターも切った、照明とメンバーのダンスだけで戦う。『嫉妬の権利』『制服のマネキン』『インフルエンサー』『ここにいる理由』そして『日常』。固めに固めた感情の入ったパフォーマンスに会場の熱気は最高潮に達した。
 センターとして引っ張ってきた北野は最後のスピーチで「アンダー」になぞらえた内容でアンダーメンバーへの思いを口にした。


急なんですが、前から、楽曲の「アンダー」に対して、その時にどんな感情で歌ったらいいか分からない、って言ったことがあります。正直、今も何が正解か分からないですが、正解がないところが、すごくいいなと思います。

アンダーメンバーそれぞれがポジションを任されて、そこでどうやって輝くかは自分次第で。たとえ、スポットライトがあたってなくても、アンダーメンバーは自分自身で光を放てるメンバーだと思います。そこがアンダメンバーの良さであり、強みだと思っています。

私は、あの曲をすごく大切に思っています。これからも大切に歌いたいな、って思っています。今日で、このメンバーで歌うのは最後になりますが、このメンバーだからこそ、このアンダーライブができたと思うし、みんなと、この時を過ごせたことを本当に幸せに思います。

数年後、それぞれがここを飛び立って、どんなところで、どんなことをして、どうやって輝くかは分かりませんが、今日のこの時を過ごした私たちにとって、今日のこのことが人生の宝物で、人生の財産になると思います。

私は多分、頼りなかったし、引っ張っていくというよりは、足を引っ張ってしまっていて、頼りなかったと思うんですが、みんなと同じ空気の温度になれたことが本当に幸せに思います。ありがとうございました。(日刊スポーツ 北野日奈子「人生の宝物で、財産」スピーチ全文まま)


 アンコールでは会場が真っ赤な色に包まれる。赤は川後のサイリウムカラーだった。川後はしたためてきた手紙を読み上げる。そこには今までの思いと感謝が綴られていた。


乃木坂46に入って、7年と4カ月がたちました。たくさんの思い出がありますが、私を成長させてくれたのは、このアンダーライブです。(涙ぐんで)私は、1回目のアンダーライブから、今日まで、全ての公演に出演してきました。(拍手がわき起こる)

自分に誇れるものがあるとしたら、それは、乃木坂のメンバーで、一番ライブをやってきたということです。だから、始まった当初からは想像できないような、こんなにすてきな景色を見られて、悔いはありません。

応援し、支えてくれたファンの皆さんが、今日まで、私をアイドルにしてくれました。私の夢は、いつもファンの方と一緒にかなえてきました。数あるアイドルの中から、乃木坂46の川後陽菜を見つけてくれて、本当に、ありがとうございます。

私がここまで来れたのは、最初は反対してたけど、ずっとサポートしてくれた家族のみんなとか、友達とか、スタッフのみなさん、ずっと一緒に戦ってきたメンバーのみんな、そしてファンの皆さん、今まで関わってくださった、全ての方のおかげです。たくさんの愛をありがとうございました、乃木坂46、川後陽菜より。(日刊スポーツ 川後陽菜「悔いはありません」卒業スピーチ全文まま)


 川後は斜めの視点で物事を見れるメンバーで、そのセンスはメンバーの中でも特異な存在だった。
 最後は初期から慕っていた深川麻衣の卒業シングル『ハルジオンが咲く頃』で川後を見送る。1期生2期生3期生が順番に並んで歌う。川後を送る1期生は3人になっていた。気づけばアンダーライブを初期から作り上げてきたメンバーも少なくなっていた。川後と特に仲が良かった2期生のかりんと伊藤純奈、3期生の中村麗乃は泣きっぱなしだった。
 かりんは最後のブロックの「日常」を踊った後は、呼吸すら危うく隣にいた後輩の向井葉月に支えられるほどだった。が、それ以上に達成感と幸福感で一杯だった。ユニットでは歌ものをまた歌えることができ、涙もあったが幸せな気持ちでライブを終えることができた。

51. 7th YEAR BIRTHDAY LIVE


 7回目のバースデーライブは京セラドームにて4日間の行程で行われた。最終日には西野七瀬の卒業コンサートが控える中で始まった。初日から3日目までは「全曲披露」に立ち返り、1枚目のシングルから順々にメンバーはステージに登場していった。
 かりんはこの時もうすでに卒業を決めていた。初日の6曲目、「おいでシャンプー」から2期生は登場することになっていたが、かりんは「この曲を歌うのも最後だな」と思いながら待機していると涙が出てきた。その周りで泣いているメンバーもいたという。泣いてステージに出たら、その姿をファンが気にしてしまう。それを心配させないようにステージでは笑顔で踊った。
 2日目の中盤には4枚目のアルバムが5月に発売されることが発表される。かりんは誕生日のある5月を目処に活動終了を考えていたので、この発表は驚きだった。なぜなら、シングルが発売すれば高い確率でアンダーライブが開催される。そして、そのアンダーライブで卒業できるかもしれない。
ただ、アルバムが発売されることで開催されたアンダーライブは今までにない。つまり、このバースデーライブが最後のライブになることをだんだんとかりんは実感していった。
 3日目を終えて、4日目の『西野七瀬 卒業コンサート』の幕が上がる。西野自らスタッフと考えたセットリストで今昔ある乃木坂46の曲を1曲1曲パフォーマンスする。バースデーライブ同様にフライングの演出やステージの壁を歩く演出などが盛り込まれていた。中盤、西野が考案したキャラクターを気球のようなバルーンに乗って空中で会場を回る演出には会場は大いに盛り上がった。
 アンコールも終わり、最後の最後は涙をこらえるメンバー、泣き出しているメンバー、全員とハグを交わし、西野のソロ曲「光合成希望」を披露して幕を閉じた。
 かりんを含めたメンバーは連日連夜、深夜まで続くリハーサルを行っていた。何度も限界を迎えそうになるが、スタッフと一致団結して乗り切ったライブになった。
 7回目の誕生日を祝うライブとなったが、かりんにとっては悔しい思いが残るライブにもなった。かりんが今まで歌ってきた23曲のうち、6曲を歌うことができなかった。演出上その6曲は、高所に上げられたリフトの上でパフォーマンスしなければいけないが、高所恐怖症のかりんには難しい問題だった。マネージャーに「どうする?かりんが決めていいよ」と言われるが、自分が出てパフォーマンスが落ちたら自分が許せない。でも、それを自分の口から言うのがあまりにも苦しかった。最後は自分の口からマネージャーに伝えたが、苦しくて悔しい気持ちが溢れた。
 ライブ本番中、高所でパフォーマンスするメンバーを観て涙が止まらなかった。これが最後のステージ。自分が6年間を共にしてきた23曲。大切にしてきた曲を歌うことのできないかりんの涙は、隣にいた同期の新内眞衣や松村沙友理に伝染して2人とも泣いていたという。

52. 『大好きなファンの皆様へ』


 3月22日、21:00に投稿されたブログにて伊藤かりんは卒業発表をした。


この度、
乃木坂46を卒業することになりました!


許されるなら、
ずーっと!一生!おばあちゃんになるまで
乃木坂にいたい!

そのくらいこのお仕事が大好きで、
メンバーが大好きで、
スタッフさんが大好きで、
なによりファンの皆さんが大好きです!

それでも自分の人生、
乃木坂の未来を考えた時、
私のやれる事はもうないかなと感じて
卒業することを決めました。

卒業してもメンバーやスタッフさんには
会おうと思えば会えるけど、
ファンの皆さんに会えなくなることを
考えたら辛すぎて、
なかなか決断できずにいました。。。

自分の中でいつくらいにしよう。と
気持ちを固めたのは1年くらい前です。

自分の出来ることをやろう、
持てるものを全て後輩に
伝えていこうと過ごした1年でした!

(シルエット写真)

私が皆さんの前に初めて
姿を現したシルエット写真!

覚えてる人いるかなあ〜?
懐かしいなあ〜!

加入した時は19歳でした!
そんな私も5月で、26歳になります。

辛いことが全くなかったわけではないけど
幸せだと感じることの方が
100倍多い6年間でした!

ライブが大好きな私にとって
アンダーライブにたくさん出られた事は
アイドル人生の1番の誇りです!!!

(中略)

乃木坂辞めた後のことは
まだ正直白紙状態です!

芸能活動続けたいな〜と
漠然と考えてはいますが、
一度、一息ついて、
将来のこと考えようと思っています!

(ライブの集合写真)

5年半前。

(ライブの集合写真)

1ヶ月前。

残り2ヶ月ほどになりますが、
一分一秒大切にして
たくさんハッピーな想い出作れたら
いいなと思っていますので
最後までよろしくお願いします!


ブログもいつも通り
たくさん書きますね(^_^)

乃木坂だいすき!!!


伊藤かりん
(乃木坂46 伊藤かりん 公式ブログ 2019年3月22日)


 かりんのなかでぼんやりと誕生日までかな、という気持ちがあった。そして、『将棋フォーカスを』を卒業するタイミングも重なって卒業することを決めた。『将棋フォーカス』は乃木坂46としての仕事であって、『将棋フォーカスが』あったからこそ乃木坂46の活動を続けてこれた。あまりにも『将棋フォーカス』は大きい番組だった。その『将棋フォーカス』のMCを後任として務めるのが3期生の向井葉月に決まった。向井は将棋を嗜んでいるわけではないが、そのフレッシュさを求められた抜擢となった。かりんは向井に対してこんなメッセージを送っている。

 『将棋フォーカス』では最後の最後に長年目指していたアマチュア初段の段位になり、有終の美を飾った。
 その数日後には2期生会が開かれた。3月28日で6周年を迎えた、深く根を張る強い人間ばかり。個性を抑えてほしいくらいの個性の塊だが、かりんにとっても他の2期生にとっても大切な存在であることには変わりない。
 伊藤純奈は『16人のプリンシパル』から好きだった芝居の仕事が、2017年から飛躍的に多くなった。2018年には主演の舞台も決まるなど、成長著しい。どのメンバーから好かれる性格で、メンバーに癒しを提供している。かりんとは加入した頃からの関係性は変わらずに、成人式の振袖はかりんのアドバイスをもらいながら決めた。
 北野日奈子はかりんが卒業した後の『23枚目シングル』で初めて選抜の2列目に入った。誰よりも仲間思いで、かりんが卒業を決めた際には、かりんのことを止めようとした。卒業生が増えていくなかで先輩から受け継いだものは繋げていく、そんな思いで2列目に立っている。
 相楽伊織はモデルへの道を一歩一歩進んでいる。『Girls Award』のランウェイも歩き、卒業を決めたときの理想に近づこうとしている。
 佐々木琴子は色々なものに触れながらゆっくりと自分の道を進んでいる。加入当初から何年も言い続けたラジオの仕事が決まった。まだまだこれからである。かりんとはすぐ仲良くなったわけではないが、かりんは佐々木のことがほっとけなかった。佐々木にとってかりんは「母親」だった。
 新内眞衣は2018年の3月にOLを卒業した。今は一刀流である。『新内眞衣のオールナイトニッポンゼロ』は一部に昇格して『乃木坂46のオールナイトニッポン』と名前を変えたが、依然パーソナリティとして大役を任されている。夢だったレギュラーモデルとしても活躍し始めている。かりんが同期にいてくれたからこそ、最年長でもまとめ役に徹することなく活動できたことをインタビューで語ったこともある。新内の二刀流を集中できた。
 鈴木絢音は2度目の選抜に選ばれた。舞台の仕事、ナレーションの仕事、仕事の幅は広がった。2期生に選抜のバトンを渡す日も近いかもしれない。『中部シリーズ』での活躍にかりんは驚いた。そして、その成長が嬉しかった。アンダーライブの初期にかりんに頼っていた関係は、いつの間にか頼られる関係へと成長を遂げていた。
 寺田蘭世は自信を持ってアイドルをやっている。研究生の時の思い、それを忘れずに常に高みを目指している。かりんの顔が好きで、かりんに対して「かりんちゃん、かわいい」と言うが、かりんはいつもあしらっていた。でも本当はいつも嬉しかった。
 堀未央奈はいつでも自分よりも同期のことを考えている。そして信じている。映画の初主演も経験して、ますます活動の場を広げる。かりんと同じように後輩にも目を向けて、グループのことも考えていが、自分の研鑽は怠らない。
 山崎怜奈は独自の道を切り開く。歴史番組やクイズ番組というフィールドを広げて、前に進もうとしている。かりんは2015年のインタビューで注目だと答えた。「何があっても折れない強靭なハートを持っていて、今後何十年かかってもジワリジワリ前に来ると思います」。
 渡辺みり愛はダンスを極め続けている。選抜でもアンダーでも踊りで表現することに変わりはない。その思いを抱いて、初めて選抜に入った。かりんにはあまり頼らないようにしていた。ただ、ふとしたときにかりんはフォローする。今では愛おしい存在になった。

 伊藤かりんは乃木坂46を卒業する。ずっとアイドルになりたかった。入ってからの研究生は苦しい時代だった。相方と言える存在との別れはすぐにやってきた。先輩との付き合い方に迷った時期もあった。そんな浮遊してたときに仲良くなったのは同時期に卒業を発表した斉藤優理だった。先輩だが一緒にいるだけで落ち着ける存在だった。アイドルとしての陰が足りないと思ったこともあった。でも陰なんて感じることのないくらいハッピーだった。アイドルは笑顔を届ける存在だと信じていた。将棋は乃木坂46の活動の根幹に在り続けた。将棋に救われたことは沢山あった。さゆりんご軍団という謎の軍団に入れられることもあった。だけど軍団の活動は楽しいものばかりだった。入れてくれた軍団長には感謝しかなかった。自分のことを頼ってくれて嬉しかった。この一年でやってきたことはライブの熱量を一定にすることだった。一年かけて熱量を上げていった。もう伝えることはなくなった。心置きなく卒業できる。そして、かりんは卒業を決めた。
 最後のステージは横浜アリーナになった。ずっとライブをしたかった地元での開催。たくさんの目標を抱いたかりんはアイドルを卒業する。大好きなアンダーライブで。


◆主な参考文献一覧

篠本634『乃木坂46物語』集英社
『悲しみの忘れ方』パンフレット
ザテレビジョン 乃木坂46アンダーライブ3rdシーズンが感動の千秋楽!(https://thetv.jp/news/detail/57879/)
音楽ナタリー 乃木坂46永島聖羅が卒業発表「次の夢に向かって、永島聖羅として歩む道を」(https://natalie.mu/music/news/169696)
楽天ブックス 乃木坂46公認コラム『のぼり坂』vol.48(https://books.rakuten.co.jp/event/column/nogizaka46/vol48.html)
リアルサウンド 乃木坂46運営・今野義雄氏が語る、グループの“安定”と“課題” 「2016年は激動の年になる」(https://realsound.jp/2016/01/post-5866_3.html)
日刊スポーツ 乃木坂の歴史に残る、寺田蘭世炎のスピーチ/コラム(https://www.nikkansports.com/entertainment/nogizaka46/news/1749957.html)
モデルプレス 乃木坂46、東京ドーム2DAYS決定!涙と笑顔…怒涛の“サプライズ祭り”白石麻衣、西野七瀬らも感極まる<セットリスト/ライブレポ>(https://mdpr.jp/music/detail/1697826)
日刊スポーツ 北野日奈子「人生の宝物で、財産」スピーチ全文まま(https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201812210000004.html)
日刊スポーツ 川後陽菜「悔いはありません」卒業スピーチ全文まま(https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201812200000836.html)
乃木坂46 公式ブログ各記事(http://blog.nogizaka46.com/)


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