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失敗の2文字がいつも僕を連れて行ってくれた。 CHOOSE YOUR LIFE STORY-いいちゃん

自分ではどうすることもできないことに直面したときに、
辛く、悲しく、思わず
「はぁ」とため息が出てしまう。

そんなときに彼の進んできた道の話は、
きっと誰かの背中を後押しすることになるだろう。

彼と別れたあとの帰りの新幹線の中で、
わたしはそんなことを考えていました。

彼の名は、飯塚遼馬
2022年5月から、ハッシャダイソーシャルのインターン生として主に関西で活動をしてくれている立命館大学に通う大学1年生。

みんなからは”いいちゃん”と親しまれています。

なぜ、地元の東京を離れ、関西の大学に来たのか
なぜ、高校を卒業後、浪人することになったのか
そして

なぜ、ハッシャダイソーシャルに出会い、活動をはじめることになったのか、

そんな質問と新大阪駅行きの切符を握って、名古屋駅を出発した今日の朝のわたしとは、
彼の話を聞いてひとつ成長したのではと感じています。


-自分の好きなeスポーツに向き合った高校生活-

→どんな高校生活を過ごしたの??
東京学芸大学附属国際中等教育学校という中高一貫校の学校で生徒の半分ぐらいが帰国子女の学校です。
中学から勉強が嫌いでゲームばかりやっていました。

高校に入ってから、学校の授業の一環で、課題探求をやらないといけなくて、「なにをやってもいいよ」とは言われていたけど、、何をすればいいのかわからなかった。
みんなはジェンダーとか、地方創生とか、貧困とかを調べていたのだけど、みんな本当にそれをやりたいのかな。もっと自分が共感できるものってなんだろう。と思っていた。

そんなときに唯一、共感できたのがeスポーツで。
ゲームが大好きだし、ゲームでなにかの課題を解決したり、誰かを幸せにできないかと、イベントに参加しだしました。

高校1年生の時は論文とか文献がなくて、なにもできなかった。だから高校2年生のタイミングでeスポーツのイベントに手当たり次第参加しました。とにかく行動することに決めたんだよね。
2ヶ月で30回くらいのイベントに参加し、いろいろな人に出会う中で、eスポーツのスタートアップの会社の社長の方に、声をかけてそれが実って、インターンを始めることになったんです。

→eスポーツを通してどんな課題を解決したかったの??

インターンをはじめてプロ選手に出会ってはじめて知ったeスポーツ界の課題があって。
プロの選手って、僕らにとっては憧れなんですよね、めちゃくちゃかっこいい。でもそんな憧れの選手なのに当時は全然稼ぐことができないという課題がありました。これがもうめちゃくちゃ悔しくて。

だから僕らは大会を開くことにしたんですよね、賞金をだせる規模の、
高校2年生の夏から、高校を卒業するまでの間に30大会くらい開催しました。

賞金は企業から協賛していただいていました。
eスポーツの未来に可能性を感じている企業だったり、ゲームメーカーだったり、

でも、ここでもう一個大きな課題が見えてきて、
「大会の運営って、めちゃくちゃきついんですよね」

選手に賞金は渡したいけど、やることがたくさんあって、

だから次に「持続する大会」にテーマがかわったんですよね。
大会を単発にせずに、リーグ戦の形式にして、大会毎に「プロ選手」が誕生する仕組みを作りました。
プロ選手がいると、スポンサーは、協賛を出しやすくなるし、
一般の人も、もしかしたら僕もプロになれるかもしれないと、参加してくれるようになって参加者も増えました。
それが高2の冬だったかな?僕が一人で実現したわけではなくて、おんぶに抱っこでなんとか実現させたって感じでした。

-治らない病気と戦って知った自分が本当にやりたいこと-


→なるほどね、自分の好きなことでお金が稼げる世の中は素敵だなって思う。
 そこから自分の進路をどう選択していったの?

実は、高校2年の夏くらいに、炎症性腸疾患という病気を患いました。

炎症性腸疾患は現代の医学では治らない病気で、ピークが高校3年生の夏だったんですよね。夏から、秋にかけて、入院・手術で、もともと、課題探求にチカラを入れていたから、一般での入試は、ほぼ考えていなかった。

だから必然的に浪人ということになった。もう、卒業することで手一杯でした。

→そこから浪人生活がはじまって、一般入試に切り替えた?

いいえ、AO入試を受けることに変わりはありませんでした。
*1 U-23サミットに参加したときにその年の代表をしていたハヤテさん(田島颯さん)のもとで、個別塾をうけることになりました。AO入試に向けた勉強をしていく中で何度も「ハッシャダイソーシャル」の名前をハヤテさんの口から聞いていました。

同時に「いいちゃんが見ている世界は、めちゃくちゃ狭いよ」と「恵まれた環境で、みんなが大学に行くことが当たり前じゃないんだよ」と言われ、それがすごく響いていた。
だから「ハッシャダイソーシャル」のことを知りたいという気持ちがその頃から芽生え始めていました。
なので病気を患い、ハヤテさんに出会ったからこそ、「ハッシャダイソーシャル」を知れたのだと今は感じています。

*1「U-23サミット」https://u23summit.com/


-失敗がぼくを運んでくれた-

→いいちゃんは、なんで地元の東京を離れてまで大阪の大学に進学することを選んだの?

もともと第一志望が慶應義塾大学でした(笑)
でも落ちちゃって、、今の立命館大学は第2志望でした。

→慶応義塾大学に落ちた時の、落ち込み・絶望感みたいなものはなかったの?

落ちた瞬間だけあったかな。落ちることは想像できていなくて、

でもどこか、「関西にいったほうがいいよ」って神様に言われている気がしていました。
僕、結構そういう勘があたったりするんですよ。

受験が終わったタイミングで、*2「project:ZENKAI」が始動することを知り、学歴不問でお金がかからないということに「うあ、これだ」と衝撃で、自分もハッシャダイソーシャルで活動をしたいと本格的に考えました。

*2 project:ZENKAIはトヨタ自動車株式会社と共同で、学歴や偏差値だけにとらわれない教育や採用 の”新たな指標”を探求するオンラインプログラムです https://project-zenkai.jp/


たまたま来た関西で人のご縁を通して、勝山さんと知り合って、
会って話をして…
ハッシャダイソーシャルのインターンを始めることができて…
勝山さんと関西での活動にチカラを入れています。

やっぱり、第一志望に落ちたという「失敗があったからこそ今がある」と思うんです。
ほんと、ご縁だなって。

一度は落ち込んだけどね。

僕はこれからも自分が知らない価値観に触れて、勉強して、たくさんの価値観を持って
高校生に「CHOOSE YOUR LIFE」を届けていきたいと思っています。


-あとがき-

先日、とある学校で授業を行わせていただきました。
高校生に小さい紙に今の悩みを書いてもらい、それを見ると、
「失敗が怖い」ということがいくつか書かれていました。

僕はそんな高校生になんと声をかければよかったんでしょうか。

「失敗は成功のもと」ということわざがあります。今回取材を受けてくれたいいちゃんはまさに失敗を乗り越えて、今の輝く彼がいるのだと思います。

・・・

でも、やっぱり失敗はしたくない。

きっと僕にできることは「たくさん失敗しな」ではなくて、

自分の失敗をたくさん教えることではないかと思いました。

そんな失敗があったけど今は笑っているよと伝えることだと思いました。

これからもたくさんのことに挑戦をして、目の前で失敗も成功も見せることのできる、そんな大人でありたいと思います。

・・・

<執筆・編集・写真=ハッシャダイソーシャル 伊邉 夢>

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