ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります(2014)

40年住んだ5階にある眺めのよい部屋、開発されていく周辺、不満はない。ただ、エレベータがないことを除いては。老夫婦は今後のため、家を売ることを決意する、という話。


三つの出来事を軸に、夫婦の過去を挟みながら進んでいく。やり手不動産の姪はかいがいしく働いてくれるけど老夫婦とリズムは合わず、姪も合わせる気がどうにもなさそう。そういうのってお互い「してあげてる」「してもらっている」という意識が働いているので双方がしんどいか、片方が割りを喰うわけで、やっぱり最後には破綻してた。

老犬のドロシーがかわいい。ドロシーも5階を毎日上り下りするのはしんどかったらしくヘルニアにかかり、命をかけた手術。

町ではタンクローリーが事故で捨て置かれ、運転手が逃亡。おそらくはイスラム教の男なので、テロリストかもしれない。不要不急の(この時期にたまたまそんなところが時代に沿った映画を引き当てるか? と思いつつ)外出は控えてくださいと知事が訴える事件が勃発。

そして家の売買の話。

けれどわたしがいちばん残ったシーンは、奥さんの

「私たちずっとふたりでやってきたじゃない。私たちは30の州が黒人と白人の結婚を認めず、20の州が嫌悪しているころに結婚した」

という科白。つまり全州で歓迎されていなかったということ。いまでも黒人と白人の結婚において、一部の州で申請をしなければならない、これは人種差別であると訴えがあったばかりなわけで、きれいさっぱりな問題ではない。遡ってその時代ではどれほど大変なことだったのか。

そして奥さんが子どもが産めない体質(おそらく)で、「普通ならできることが私にはできない。欠陥品なのよ」と嘆くシーン。これもいまもある問題であり、子どもが産めないからといって「欠陥品」ということは絶対にないのだが、黒人と白人の結婚、というだけで白い目で見られてきたふたり、子どもを望んでいたふたりにとって、どれほどの痛手だったのか。それでもやはり、ふたりで乗り越えたのだ。

この作品で夫婦はよく言い争いをするし、夫のほうは皮肉屋なのですぐひねくれた返しをするが、他人に向けては片方が、もう片方を悪く言われたときに絶対に怒る。言われた本人がなだめる側にいき、伴侶を馬鹿にされたほうが相手を批判する。それがすごくよかった。

老夫婦の気持ちを考えず、ビジネスのために、ひいては自分のために不動産屋として力を発揮する姪。夫は画家なのだが、ビジネスのために、ひいては自分のために作品を「モノ」「市場とあなたの作品が合わない(なので市場に合うものを描いてほしい)」と言う画廊の跡取り。

両方同じことで、ビジネスのためは生きるためなので悪くはないのだが、言われた側が受けとめてどう思うかまでを慮っていない。

そしてイスラム教徒というだけでテロリスト扱いされた、おそらくは事故を起こしてこわくなったため逃走しただけの男に対して、「殺せばいい」「卑劣な奴」と一方的な言葉を投げるアパートの売り手たる若夫婦とそのエージェント。

黒人というだけで受けてきた迫害を、おそらくは重ねる夫。

そして結局、大切なのはお互いと穏やかな暮らし。そう気づいて、老夫婦はまた仲良く、そして犬も回復! し、前と同じ暮らしに戻るのだ、というのは、緩やかながらいろいろと考えさせられる話だった。

そして作中ではっきり「これは差別だ」「迫害だ」と明言されない以上、受け手であるわたしがどこまで考えるかにすべてが委ねられている。だとすればやはりわたしは気づいて考えていけるようになりたいと思う。

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