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未熟な男性性がもたらす恋愛パートナーシップの問題


追記

ここに書いてある男性性、女性性とは“自分の内側にいるオトコとオンナ”のことで、男とか女の話ではありません。誰もがもつ2つの性質のことです。


『そんなに簡単に幸せになってはいけない』

『他人に幸せにしてもらってはいけない』


潜在意識でこのように思い込んでいるケースがとても多くあります。



『異性との関係で幸せになってはいけない』


このような呪縛を持ったまま、パートナーシップをなんとかしようともがく人が多くいます。私ももちろん、そのうちのひとりでした。


自分以外の”おとこ”と幸せになって欲しくない男性性を内側に秘めていたら、どうしたって何かにつけ外側の男性にはいちゃもんをつけたい現象はなくならないでしょう。

自分の内側にいる”おとこ”が、自分の内側にいる”おんな”に対して支配的でいたら、外側の男性に助けを求めようとしたって虚しいだけで終わるでしょう。


男性性と女性性に分けて解説する必要はないのですが、何にせよこれは超便利でして。今日も男性性と女性性視点からパートナーシップについて解説したいと思います。


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まず、未熟な男性性は、架空のヒーロー像を持ち、そのような人物になろうと

自分の心や身体を無視してまでも邁進します。


誰にでもこのような時期はあるのですが、

その時期によって心や身体が悲鳴をあげるようになっても、自分の追い求めていた”幸せの形”は、本当に願っていることではなく、

誰かに対する復讐のようなものだったり、
誰かに対する見せつけのようなものだったり、罪悪感の払拭にしか過ぎない

ということを直視したがりません。


さらにそのまま架空のヒーロー像が求める理想の現実に向けてがんばっていると、

そのうち自分の心と身体が声を出さなくなり、生きている実感がしなくなることもあります。


その時にやっと、思うわけです。

一体、誰の何のために自分は生きているのだろう?

誰の人生を生きているのだろう?と。


架空のヒーロー像に取り憑かれた男性性は、ひたすら自分の持つ能力やスキル、力というものを試し、勝利を目指します。


女性性にとっての勝利とは今ここに存在することで、それは今ここに存在していることに気づけば完了します。誰かを蹴落とす必要もなければ、加害者も被害者も必要ありません。


男性性にとっての勝利、特に未熟な男性性にとっての勝利には必ず誰か、敗者や弱者、という存在が必要です。


他者との比較の上でしか成り立たない勝利の形を持っている男性性は、一度勝ったところで満足せず、次々に敵を生み出しては自分のヒーロー的能力を証明しようとするのです。


内側の分裂がひどくなります。
やがて、枯れます。
女性性を通してつながっている命の源泉からエネルギーが供給されなくなり、気づいたら自力で稼働するしかなくなります。


未熟な男性性がそのような状況にあるとき、わたしたちは”簡単に”幸せになってはいけない、と思い込みます。

さらには、”誰かに全面的に与えられること”をとにかく嫌がります。

そんなヒーローはカッコ悪い、と未熟な男性性が心と身体を無視して、

助けや差し伸べられる手や、降り注ぐたくさんの愛や優しさを、己のエゴだけで拒んでしまうのです。


これがまぁ、外側で起きている映画のようなものなら可愛いのですが、自分自身の内側で起きているもんですから、苦しいわけですよね。



幸せになりたい、でも幸せになりたくない。

幸せにしてほしい、だけど幸せになんて絶対にして欲しくないし、受け取らない。


恋愛やパートナーシップにおいても
仕事においても
日常生活においても
何でもそうなのですが


自分の内側にいる男性性が未熟なままだと、心と身体が休まらないわけです。


心と身体が休まらないと、この世は戦場と化す。


どこかに常に敵がいて、自分を狙っている敵がいて、少しでも油断したらすぐに食われてしまって、ほかの人に頼ることなんて簡単にはできない、と。


心も身体も、基本的な性質としては”開きたがっている”のです。

硬く閉ざされた状態では、心も身体もうまく機能せず、潜在的な力を発揮することができないからです。


それを、わたしたちの未熟な男性性は知りません。


とにかく、とにかく。

いつの頃に覚えたかもわからないような謎のヒーロー願望を抱えて、今宵もずっと一人戦おうとしているのです。(敵などいない自然で平和な場所で)

では、どうしたらこの未熟な男性性を育てることができるのか。


もちろんいろんな段階があり、いろんな方法があるのですが、基本中の基本は


思考や言葉や行動は何のためにあるのか


というところを、とことん自分の中で考え、意識的になり、自分の思考や行動、言葉が持つエネルギーに対して責任をとるということです。


責任をとることを嫌がる男性性に対して、『お前の力はそんなもんじゃないだろう』と叱咤激励することも重要です。


なにせ、未熟な男性性が未熟な理由はひとつ。自信がないからです。


行動することや決断すること、選択することや計画を立てること。言葉を使って考え事をすることや、言葉を放つということ。


これら全て男性性の役割です。


こういった一連の役割に対して男性性が責任を取りたがらないことがあります。責任をとるということを一度覚えれば、


自分の行動や言葉や選択が持つ影響力や結果、というものをもっと直視するようになるでしょう。


不思議ですが、このように直視するようになるともっと自信を失うようで、実は逆です。


直視しないから盲目的になるだけで、直視すると逆に、自分の本来持っている力がわかるのです。


最初の方は男性性が落ち込むことや、ショックを受けることや、反省することもあるでしょう。

しかし、そこからさらに、自分の行動や言葉や選択を洗練させていこう!と思うことができたら、男性性は着実に成熟します。

成熟した男性性は、女性性からの声(心や身体の声)を聞くことができるようになります。

心や身体の声を聞き、それを翻訳することがうまくなれば、表現することも上手くなります。

女性性の声を聞いて、それを翻訳し、表現することに長ける男性性を持つと、その人自身は『自分の心と身体と頭』をフルで表現することができるようになります。


わたしの常々言っている、「自分を表現して生きる」とは、このことを指します。


男性性が成熟してくると、『他者に幸せにされてたまるもんか』といった幼稚な考え方をしなくなります。

そうなると逆に、他者から与えられている幸せに”気づける”ようになります。


逆に、自分を全く幸せにしない存在にも気づけるようになります。そのような存在から距離を置くことは、心と身体を大切に扱うということです。決してその相手の存在を否定しているわけではありません。


自分の心と身体が元気でなんぼ。心と身体が元気でなければ、何もできません。女性性が安心していること、元気でいること、喜んでいることなしに、男性性の喜びはない、ということを身を以て知るのです。


そうすれば、恋愛だろうとパートナーシップだろうと、何かが根本から変わってきます。人からの愛を受け取れる人は、人にも愛を与えることができる。

一般的には逆だと言われますが

(人に愛を与える人が、人からの愛を受け取れる・・・的に。)


わたしはあえて、逆でいきたい。

他者からの優しさやいたわり、愛情や気遣いにより気づけ、そこに感謝が湧いてきて、さらにはそれを心と身体を開いて受け取れること。


成熟した男性性は、架空のヒーロー像を手放してようやく、”受け取れる男性性”になり、そこから”与えたい男性性”が生まれるということなのです。


もし人生が無条件に自由で豊かだったら何をするかと言われたら書く、というくらい書くことが生きる上で欠かせない人間です。10年間の集大成を大放出します。サポートは全て執筆と研究活動に使わせて頂きます