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【私的記録】人は、物質から放たれている非物質しか観ていない?今年のとっておきな出来事から思うこと。



わたし、今、人生で一番お肌が荒れています。



この記事は、私的記録(超個人的な日記)のようなものなので、のっけから私的な発言いきなりぶっ込んですみません。


ただね、今人生で一番肌荒れしています。それなのに、人生で一番『綺麗ですね』って言われるんです。意味がわかりませんよね。えぇ、不思議ですよねぇ。

自分史上最高に肌が荒れている時期に突入してからこの3ヶ月ほど、驚くほどたくさんの人に『綺麗になっていきますね』『モチモチしてますね』『艶がすごいですね』と言われるんです。


・・・みんな、目ついてる?


ってはもちろん冗談ですが。ただ不思議ですよね、実際には肌荒れしているのですから。一番プリプリしてモチモチしてお肌が綺麗だった時は、それほど言われたことなかったのに。


でも、人生って人間ってそういうもんだろうなーって改めて思うこの頃。そしてどんどん自分の中で信憑性が増している”ある説”があります。

それは・・・







人間、肉体を見ていない説。


肉体は見られていない説。そもそも、物質的なところは見えていない説。そもそも人間って肉体じゃない説?です。最後のはちょっとあやしいとこまで飛ばしちゃいましたが、でもまぁやはりと言いますか改めてガッテンです。




人は、物質から放たれている非物質しか観ていない説




コロナでちょっと疲れて、6月くらいから何かの反動でものすごく忙しくなり精神的にドタバタしたことでホルモンバランスが崩れ、甲状腺の機能にどうやら問題が起きました。何をどうしたって治らなくて、むしろひどくなっていくので本人は悲しみとか怒りとかいろんな感情が溢れ出てくるわけですよ。


「何がいけないの?」

「こんなに頑張っているのに、どうして良くなっていかないの?」

「わたし何も間違っていることしていないのにどうして良くならないの?」



両手で顔を包み込みながら思わず泣いた時、ハッとしました。



「そらそうや、頑張っているからやん!」

「正しいことをしようとするからやん!」

「自分の声、全く聞いてないやん!」


普段からずーっと仕事で言い続けてきていることなのに、10年経ってもやはり気を抜けば「正しいことを繰り返してうまくいかせようとする」力が出てくるんやなって、笑ってしまいました。潜在意識、あぁ奥ゆかしき。




正しいことや他人の教えてくれること、一般的な常識や専門的な知識はとても参考になるのです。道を逸れそうになったときに必要ですが、だからと言って道を歩く足にはならない。自分の声は道を歩く足そのものであり、その足がしっかりしていないことには、いくら正しいことや正解を求めたって負担でしかありません。



わたしは自分に対して気持ち良いことをしていない、と。治すこと、原因を見つけて倒すこと、自分と戦っていました。その先にある”幸せ”は全く無視して。

インターネットや本を通して探してきたあらゆる”それっぽいこと”は、わたしを正すことはするけれど、わたしを気持ちよくしては、くれなかった。本来の目的を忘れていたのです。

正しいことをすることではなく、
治すことでもなくて、
改善することじゃなくて、
綺麗になることでもなくて、

わたし自身に気持ち良さを感じること。自分でいることにい気持ち良さや安心感を感じていること。それがあらゆることのゴールだということを忘れてて、そして感情のピークが来たと同時に思い出しました。床に座り込んでひと泣きした後、ケラケラ笑いが止まらなくなりました。誰かに見られていたらとんでもなくやばい人ですね。



鏡を見て絶望したと同時に、忘れていたことを思い出す感じ。やっぱり何事もバランスが取れていて、陰が極まって陽に転ずるんだなと思うし、だからこそいつも「この現状だからこそ自分がやるようになったこと、意識するようになったこと、恩恵」を探すのです。


睡眠を整えること、呼吸を整えること、食事を見直すこと、自分自身の扱いに対する全てを見直すこと。わたしが与えられている恩恵といえばこれらに行き着きます。そして思い出すのです。

そういえばコロナになったすぐ後はスケジュールに余裕ができて、気持ちにも余裕ができて、自分のために毎日ご飯を作るのが楽しくて、ずーっと気持ち良さの中にいたなぁと。


『なぁんだ。”治す”んじゃなくて、”戻る”でいいんだね』って。


きっとあなたの”変えたい何か”も、”戻る”という感覚でいいんです。



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自分史上最高にどんどんお肌が荒れていくと同時に自分史上最高に自分のケアをしていくわけですから、もちろん、自分史上最高に自分のことに全集中しますよね。そらもう、自分自身に対する扱い方を最高レベルまでに引き上げますよね。そら、気づけなかった”小さな不調”に敏感になり、その度に修正してケアしますから、良いに決まってますよね。少しでも冷えたらすぐ温めるし、少しでも凝り固まってたらパソコン閉じて深呼吸するし。ちょっとでもおかしいなと気付けるから、ちょっとのことですぐに”幸せ”への方向修正ができる。心の勉強を通して自分が我慢弱くなっていると思ったなら、それはある意味で素敵なことでもあるのですヨ。ただ、気持ちよさへの修正をするか否か、だね。


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で。人は、物質から放たれている非物質しか観ていない説、に戻るんですが。


自分自身が自分自身をどう扱っているのか?自分自身とのコミュニケーションそのものが、人の目の奥に映るのだとしたら・・・。もはやわたしの肌荒れなんて誰の目にも映ってないんじゃないかと思うわけです。むしろ見えているのはわたしだけで、外の人間には鏡ごしに見える様な肉体的なわたし自身はいないのではないか?

他の人から見えている自分は、鏡ごしに自分が見えている自分とは全く違う髪の毛の色、髪質、肌質、目の大きさ、身体の大きさで映っているとしたら。自分の見ているそのまんまで、全く見えていないとしたら?不安がって欲しいわけじゃなくて、そこには「気にしてもしょうがない」という希望しかないわけです。


だったら、好きな自分でいようよ、と。シンプルだけど、自分が好きだと感じる気持ちのいい自分でいようよ、と。気持ちよさが人の目の奥に届くなら、あなたはどんな風に目の奥に映りたいですか?わたしはスッキリ爽快!だけど心が穏やかになってちょっぴりハッピーになる、そんな香りの人でいたい。あ、これは目じゃなくて鼻の奥だね。



鏡から見える自分は、自分のみたい自分で。他人から見える自分は、『私が私をどういう人間だと扱っているのか』そのリアリティが、心の目には映るのだなって、頭ではずっと理解していたけれど。

”わかっているつもり”から卒業して”そのものになる”くらい、細胞に入れ込んで覚えなさい!って言われているような気分です。今、そういう時期なんじゃないかな、みんなはどうかな。



あれもやって、これもやってみて、それもやって、でも動かないなら、最もシンプルなことを。最も質素だなと思う答えを。それを採用する勇気を持って、気持ちよく過ごしたい、ただそれに尽きることを許す。難しいことも複雑なこともグルグル何周かして、最も簡単でパワフルな答えにかえってきつつある2020年の秋でした。


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もし人生が無条件に自由で豊かだったら何をするかと言われたら書く、というくらい書くことが生きる上で欠かせない人間です。10年間の集大成を大放出します。サポートは全て執筆と研究活動に使わせて頂きます