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働くこと、仕事のこと、お金のこと(2019.03INL)

3月インスパイアニュースレターのテーマは『働くこと、お金をもらうこと、仕事のこと』というざっくりしたタイトルですが、全体的に”これから仕事はどうなっていくのか?”についてや、”働くとはどういうことなのか?”について、お金についても絡めながら考察をすすめていきたいと思います。


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わたしの仕事は、”考える”こと!?


ふと、「わたしって仕事しているのかな」って思うことがよくある。

なぜなら、わたしの仕事の大半は”考える時間”で構成されているからだ。

考えて考えて考えてインプットしてインプットしてエネルギーを溜めて・・・、きた!というタイミングに合わせて外に放出していく。

どのくらい放出されるのか、どんなアウトプットになるのか?そして、それが”価値あるもの”として認識され、実際にお金に変わるかどうかは、この”考える時間”にかかっていると言っても過言ではない。

だから、他者から見るとわたしは仕事をしていないように見えるかもしれない。

朝起きて、ゆっくりしながら、予定がない日は今日は何をするかな?と考える。

頭の中には常に、いくつかの案件が横並びでおいてあって、今日はどれに手をつけるかな?どれについて考えるかな?とイメージをわかしたりする。

調子がいいと、そのまま昼まで、考えたり書き出したりしながらまた考えたりする。調子が悪いと、何も考える気もやる気もまとめる気にもならないので、散歩に出たり、ご飯をつくったり、ネットサーフィンをしてぼーっと時間を過ごしたり、する。

何時にどこで何をするのか、と決められていない分自由に感じることもあるが、自分の調子に随分と振り回されるから、一時は本気で就職を考えたりもした。

でも結局、わたしの仕事は”考える”ことなのだ。誰になんと言われようと、表立って見えなかろうと、わたしは”考えること”を一番の仕事にしている。


いつ何につながり、化けるかわからない


考えることを仕事にしていると、実働の時間は少なくなる。実働の時間というのは例えば、実際に何かをしたり、手を動かしたり、体力を使ったりする時間のこと。

わたしでいえば、講義をすることや、メルマガを書いたりテキストを書いたり打ち合わせをしたり、レクチャーをする時間などは実働の時間である。

例えばカフェで働いている人なら、実働の時間そのものが仕事の時間だと言ってもいいだろう。実際にわたしがカフェの店員をしていた頃は、実働した時間がそのまま自分の仕事の時間だったし、それによってお給料が決まっていた。

実際に手を動かして、体力を使って、何かを生み出す”わかりやすい行為”に時間を使うことで、それが実になって(お金という形になって)返ってくる。

だから、その分、自分が何をやったのか具体性があって、それによってどんな結果や効果がもたらされたのか、という判断がつけやすい。

考えることを主な仕事とした場合、今日考えたことがあしたには無意味になっていることも多いし、この前考えた意味のないことが、次の日に何かと繋がって考えがまとまることも多い。

つまり、考えるという仕事は目で捉えたり、数字で測ったり、誰かにこれくらいやりましたよと、証明することが非常にむつかしい仕事なのだ。気分はニートだ。

どうしてこんなことを仕事にしているのだろう、とたまに思うこともあるけれど、そういう性分なのだからどうしようもない、と今は思っている。


限界を迎えた、”仕事への恐怖”


昔はそうではなかった。何かしら他者に対して証明できる”わかりやすい”仕事をしなければ、人から認めてもらえないと思っていた。

だから、今よりも多くの記事を書き、今よりたくさんセミナーを開催し、今よりも考える時間は少なかった。

ある時から、「自分は仕事をしているんだぞ」とアピールするような、そんな働き方に限界を感じた。そんなに記事を書かなくても、そんなにセミナーを開催しなくても、いいんじゃないかと思うようになった。

実際に、周りからみてわたしの働く時間や実働の時間は半減しているけれど、その分”考える”という仕事をする時間は増えた。つまり、暇になったかと思いきや、逆に、仕事は増えたのである。

とはいえ、自分に合っている仕事だから、別にそれが苦痛ではない。むしろ、他者に働いていると思われようとか、仕事をしていると認められて、そこに価値を感じてもらおうとする方が、苦痛である。


勇気を持って、”仕事”する


自分の”働きっぷり”を評価されて、自分の”仕事”を評価されて、そこに対価を支払われるような働き方というのは、まず仕事の形がわかりやすくなければいけない。

仕事がわかりやすくないと、評価できないからだ。いてくれるだけで助かっているよ!とどこの会社さえも言ってくれればいいが、実際には非現実的なことである。

その人の”見えない”仕事を評価するのは難しいしエネルギーが必要になるから、わかりやすく”結果”を求めてしまうのだ。

仕事は一生懸命しても、結果がでなければしていないも同然・・となってしまう世の中なのではないだろうか。もしそれが嫌だなら、見えないところまで評価してくれる人の元に着くか、自分で自分の価値を決める立場になるか、どちらかしか今の所は道はない。

アイデアを出すことが仕事だとか、新しいことを発見してくることが仕事だとか、寝ることが仕事だとか、そういうことは目に見えないし、数字で測ることもできないし、重さもないから評価しにくい。

そうすると、人はまず”評価されやすい仕事”というものをまず選んでしまうことがある。あるいは、自分にとっての”本当の仕事”とは何かを考えることなく、何が合っているのだろう、どんな仕事に就けばいいのだろうと悩んだりする。

本当に大切な仕事に時間を割けないことも多い。アイデアを出すことが最大の仕事である人にとって様々な情報に触れることやリサーチする時間も大切な仕事の一環だが、「それをやってなんになる?」と言われてしまえば、他者の目を気にして時間をかけられなくなるだあろう。

本質的な仕事に時間をかけずにいると、本当は最終的な結果もそこそこになる。

しかし、勇気をもって「それをしていいよ」とは言えない社会だ。そんなことをするくらいなら、営業でもいってお金になる仕事を取ってこい!とでも言われそうだ。(完全な妄想だが。)


ハタユカ的、”仕事論”


わたしは、仕事とは非常に個人的であり、かつ自己を中心に行えるものではないといけないと考えている。そして、仕事をすることでお金を直接的に得ようと考えるから苦しくなることもあるのではないか、と思う。

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