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不信感に取り憑かれた男性性と、自己喪失した女性性の物語(INL2019.1)


■ 不信感に取り憑かれた男性性と、自己喪失した女性性の物語 ■


これは、わたしたちの内面で起こっている、自己不信と自己信頼の物語です。

さらにこれは、わたしたちにとって重要な魂の帰還プロセスを知ることにもなる重要なストーリーです。

誰しもの男性性は不信感に取り憑かれ、誰しもの女性性は傷ついて自分を見失ってしまいます。

そこから生まれる様々な問題をきっかけにしてやっと、わたしたちは表面的な現象ではなく自分の内面に意識を向けるようになるのです。

男性性と女性性の本来の役割、そして不信感とは一体どのような本質を持っているのか?

そこを知ることによって、何が起きても全ては光へと繋がっているということがわかってくるでしょう。

今回のインスパイアニュースレターでは、人生の奇跡に触れる物語をご紹介していきたいと思います。


■この記事は


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まずはじめに基礎的なこと


まず男性性と女性性はもともとひとつのところから生まれてきました。陰陽で言えば、陰は女性性、陽は男性性、と一般的に例えられます。

男性性はわたしたちの思考や選択、判断や評価、行為行動を司ります。物事を計算したり、過去と未来に焦点を当ててプロセスを描きます。

女性性はわたしたちの感覚の部分。大元と繋がっており、存在そのものの性質を表わします。

女性性には未来や過去といった時間軸はなく、基本的に今の中に全てあります。

まるでそれは自然そのもの。宇宙そのものです。

自我、というのは男性性女性性、この両方に別れている状態のことを指しますし、本来の私たちが“分裂している”という認識そのもののことです。

つまり、自我も、男性性も、女性性も、“わたしそのもの”ではないけれど、“わたし”の一部である、という風に捉えてもらえるといいんじゃないかと思います。

自我の芽生えと男性性・女性性の分離は同じタイミングで起こります。しかし、男性性と女性性が分かれたその時点では、まだ不信感といったものは存在しません。

小さい子どもが、だんだんと“自分と自分以外のもの”があるという認識が芽生え始め、

そこからさらに“自分と自分以外のものの因果律”を認識するようになることで、自我がはっきりしてきます。

今回のニュースレターでは自我の成長について書くことはしませんが、男性性と女性性のストーリーは自我の成熟ストーリーといっても良いかもしれません。

(若干異なるのですが、同じだとイメージしてもらっても問題はありません)

わたしたちの中で一体どんなことが起きているのだろうか?自分の潜在意識・自分の心というのはどういう風になっているのだろうか?

この疑問は今お読みになっている方は、1度は感じたことがあるはずです。

男性性と女性性が、それぞれ本来の姿を見失い、そこから自分を取り戻していくそのストーリーを知ることで、あなたの人生がますます面白く愛おしいものになりますように。

それでは、物語のはじまりはじまりです・・・

男性性と女性性が分かれる時


さて、男性性と女性性。はじまりはそんな関係性はありませんでした。

最初にも触れたように、自分と自分以外のものがあるのだ、という認識がうまれ、そこからさらに“自分がこういうことをすると、周りではこういうことが起こる”といった因果律を認識するようになります。

因果律が芽生え始めていくと、男性性と女性性がはっきり分かれていきます。

だんだん子どもが、“こういうことをすると、こうなる”だとか“こういうことを言うと、こうなる”といった行動と結果の関係を覚えていくようなもの。

だから、男性性と女性性に分かれていくのは誰にとっても普通のことで、それは全ての人の中で起こります。

男性性と女性性は、もともととっても仲の良い幼馴染の男の子と女の子、といった関係性でした。

ともに楽しみに、ともに悲しみ、共に泣き、共に笑い。まるで運命共同体のような関係性でした。

何かをきっかけにして、その二人はどんどん離れます。

その“何か”というのは人によって違う体験ですが、ほとんどの場合は因果律が関係しています。

例えば、最初は“こういう事を言ったら、こうなるのかな?”くらいのレベルだったものが、“こういう事を言ったら、絶対にこうなる”くらいのレベルにまでなる。

そうやって“観念”が出来上がっていくごとに、どんどん男性性と女性性は離れていくと想像してみてください。

もともと男性性は、女性性を通して神聖なる領域と繋がっていました。

その神聖なる領域というのは普遍的な真実と呼ぶこともあれば、インテグリティと表現することもあれば、大いなる意識と表現することもありますし、宇宙といってもいいでしょう。自然と言っても良いです。

とにかく、個を超えたソース(源)との繋がりを女性性が持っています。だから女性性はそこと繋がっているので、この世の全てと繋がりを持っており、かつそれを知っています。

男性性はそこと直接繋がってはいませんが、女性性を通してそのエネルギーを受け取っています。

そのため、女性性から分離されてしまうと、男性性はそのエネルギーを受け取れない、繋がれない・・・と想像してみてください。

さて、女性性から離れてしまった男性性は大元とのつながりを断たれてしまうため、突然自信を失っていきます。

誰のためになんのために何をすべきなのか、わからなくなってしまいます。

女性性は男性性から切り離されてもその大元とつながっているため、最初の方は特に問題は起こりません。しかし、男性性は違うのです。

自信を失った男性性は、女性性を手探りで探す旅に出ます。

しかし、どうしても女性性を見つけられなかったりしますし、その旅の最中に外部からの影響によって、不信感に取り憑かれてしまいます。


不信感に取り憑かれた男性性


このようにイメージしてみてくださいね。

例えば幼い頃(男性性と女性性が切り離された頃)に、外部から強い制限や抑圧、コントロールを受けたとしましょう。

こういった他者からのコントロールはすべて不信感によって起こるものです。その中で男性性は、最初は抗ってみるものの、次第にその不信感に取り憑かれていきます。

そうすると、男性性が本来持っている力を忘れ、完全に不信感に取り憑かれてしまうのです。こうなるともはや、男性性は男性性としての自分を忘れ、不信感と同期してしまうのです。

不信感に取り憑かれた男性性はやがて、ヒーロー願望を抱きます。取り憑いている不信感からの声を聞き、その言う通りになろうとします。

また、そのプロセスの中で女性性に対する管理が始まります。

不信感に取り憑かれた男性性が女性性の管理をするようになると、本来の女性性の姿を否定し、新しい理想的な女性性になって欲しいとコントロールするようになります。

そうやって、不信感に取り憑かれた男性性による、あるがままの存在否定やジャッジを受けることで次第に女性性も疲れ果てていきます。

やがて、女性性も自分を見失って行くのです。

こうして、不信感に取り憑かれた男性性と、コントロールによって自己喪失し、自己否定をした女性性の組み合わせが私たちの中で完成してしまうのです。

ここまでの話をもう少し、具体的かつみなさんの日常的な場面に落とし込んで解説してみましょう。

まず、男性性に取り憑いている不信感ですが、これは男性性そのものが抱く自信のなさではありません。

しかし、男性性が女性性と手を離したことによって生まれた、一粒の不信感が、その外側から不信感を引き寄せていきます。

ちょっとの「疑い」が、どんどん外側の疑いを呼び寄せてしまうようになる、というイメージです。だから、注意すべき点は、

『男性性が自然と持っている疑いと
男性性に取り憑いている疑いは違うものである』

というところです。

例えば、男性性が自然と持っている疑いは、“疑うことへの疑い”にちかいです。

あるいは表現を変えるなら、“自信を必要としなければならないことへの疑い”といっても良いでしょう。

男性性の本来の力が発揮されると、適切なところで適切な“防衛”をすることができます。

それは女性性を守るためであり、女性性を傷つけたり、女性性の望んでいない方にいかないようにするための力です。

決してコントロールだとか、あるがままを否定して変えていこうとするだとか、そういった力ではないんですね。

そのため、本来の男性性が目覚めると、その人は“否定も肯定もなしの選択や決断”をすることが可能になるのです。

それは、攻撃のための選択ではなく、あるいは勝利のための選択ではなく、あくまでも基本的には“守る”ため。

女性性の動きをコントロールするのではなく、女性性のボディガードをすることが、本来の力になるわけです。

しかし、男性性に取り憑いている不信感というのは、そういった力を忘れさせ、男性性の力を見せびらかそうとそそのかします。

女性性に向けて、ではなく、他者に向けて自分以外の存在に向けて、男性性の力を発揮させ、そして認めさせよう、と働きかけます。

ここで、ベクトルが本来女性性に向いているのが、外側(他者や社会)に向くことがわかりますよね。

そして、他者の視点から逆算し、「お前はこういう人物にならなければならない」といったヒーロー像を抱かせます。


架空のヒーロー像


男性性は本来、そのままでいてすでにヒーローなのですが、とはいってもそれは、いまの世の中にはこびっているようなヒーロー像ではありません。

(今の世の中に溢れているヒーロー像は、攻撃や戦い、勝利のイメージが強いので)

本当の男性性は、そういったヒーローの存在ではないのです。


しかし、不信感によって男性性は架空のヒーロー像を抱き、それに向かっていこうとします。その時に、女性性に求める架空のヒロイン像も登場します。

女性性に求める架空のヒロイン像は、ヒーロー像に合わせて作られます。

架空のヒーロー像が証明したい力、他者に向けて立証していきたいと思っているところ、そして認めて欲しいと思えるような力を中心にして、ヒロイン像を女性性に要求するようになります。

その架空のヒロイン像は、ほとんどの場合本来の女性性とはかけ離れている、もしくは正反対であることが多いのです。

つまり、不信感に取り憑かれた男性性は、己のマンパワーを証明するために、女性性を手段にしていくのですね。

女性性が傷ついた存在でいるだとか、足りないところがあるだとか、未熟だとか、全然できていないだとか、そういった“助けなければいけない存在”でいないと、ヒーローとしての力を立証することができません。

だから、不信感に取り憑かれた男性性は、女性性に対して「お前はそういう奴なんだ」と吹き込んでいくのです。

本来の女性性は、自分が何者であるかはじめから知っています。そして自分のあるがままが完璧であり、それでいいということも知っています。

それに、男性性のマンパワーを証明して欲しいとも思っていませんし、望んでもいません。

しかし、手段にされてしまった女性性は、不信感に取り憑かれた男性性から架空の理想像を押し付けられるようになり、

次第に自己喪失をしてしまって、足りない自分、満たされていない自分、傷ついた自分というセルフイメージを受け入れてしまうのです。(もはや、根負けのようなものですが)

このようなことが大人になるまでに起きており、大人になってからもずっと私たちの内側で起こっているのです。

そういったことに気づいていくためには、自分の内側で泣き叫んでいる女性性がいることや、自己喪失している女性性がいることに気づき、

自分の男性性が本来の姿ではなく、不信感に取り憑かれている状態であると気づくことからスタートします。

自身の身に起きるさまざまな問題というのは、そのほとんどが“ネガティブな感情や反応”を伴うものですよね。

実はそれは、女性性からのサイレンであり、女性性からの“違う”といった表現でもあるのです。

しかし、男性性が不信感に取り憑かれた状態では、そのサインを見逃すか、もしくは「そんなことを感じるなんて、なんてダメな奴だ」とさらにコントロールをしてしまうか、または違った方向に解決を持っていこうとしてしまうのです。

男性性と女性性の本質を知って観察しよう


まずは基本的な、男性性と女性性の本来の姿を知り、今の自分がどんな状態にあるのかを、ニュートラルに観察してみましょう。

そうすることで、男性性が不信感から解放され、真の力に目覚めることができます。

また、女性性もそれによって、不信感に取り憑かれた男性性による過剰管理から解放されるため、真の姿に目覚めていくのです。

ちなみに、男性性の目覚めと女性性の目覚め、どちらが順番に起こるのか決めることができません。

人によってさまざまです。

しかし、どちらにせよ、両方の性質が真の力、真の姿に目覚めていくことで私たちは、やっと自分の本当の使命や生き方、あり方に気づくことができて、そして向かっていくことができるのです。


人が自分を見失い出すと男性性がこうなる


この話をもっと具体的にしてみましょう。

例えば、幼少期の頃に「お前はなんてダメな奴なんだ」「お前はこうなりなさい」「どうしてこんなこともできないんだ」「どうしてこんなことをするんだ」と強く批判されたり、

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