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文字を残すこと

10数年前にブログが流行し、その後mixiのようなSNSに流行りが移行しました。わたしは、きっかけさえあれば流行りに乗ってみようとする方です。ブログもmixiも通過して、twitterを始めました。特に東日本大震災以降は、暇さえあれば携帯を開いてタイムラインを追うようになりました。わたしが暮らす秋田は被災したわけではありませんが、3月11日から3月13日の夜8時ぐらいまで自宅の停電が復旧しませんでした。今思うと、SNSのタイムラインを追うことで、だれかとの繋がりを感じて安心していたのかもしれません。

今は、twitterをメモ書き、Facebookは仕事の記録、Instagramは心を動かした映像の記録、noteが心を動かした言葉や思考の記録という具合に住み分けています。よくもまあ、こんなに管理しているものだと自分でも不思議に思います。

なぜこのようなことを書き記したかといいますと、noteはわたしに何かあったときに、家族や近い友人が読むかもしれないことを考えながら、想像しながら、書いているからです。誰にも明かさずに、なんとなく始めたnoteですが、思った以上に『わたし』を出して書いている内容が多く、ここのフォロワーや通りすがりの方を読者と想定して書く分には良いのですが、いつも家族が読んだらこれどう思うのだろう、と考えてしまいます。決して後ろめたい内容は書いていないのですが。

その一方、自分の言葉を残しておく重要性も感じています。先日、手帳に挟んでおいた、ある方からの手紙を久しぶりに読み返しました。もう亡くなられた方から頂いたもので、手紙の主の瑞々しい心の動きが伝わってくる文章でした。ずいぶん前に直接お会いしたときの会話の続きでしたので、ひょっとして今ならメールやLINEでサラサラと書き記す内容かもしれません。ご高齢でしたが、言葉を扱うのが上手な方からの手紙でしたので、読んだだけで心の動きが伝わってきました。わたしも、日常の中で心を動かしたことを、きれいな言葉で残したいと思った次第です。手紙の中で印象に残った言葉は、後日、別エントリします。

#日記 #エッセイ #書くこと #SNS

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