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ICD11への話しとLGBTQ+の関係

昨年ICD11リリース時に書いたノートの改訂版です。

ICD11が遂にWHO総会で承認されました。発行は2022年だそうです。

さて、性同一性障害が精神疾患から削除され、新たに性の健康『Conditions Related to Sexual Health 』というカテゴリーが追加され、そこに性別不合(仮)『Gender Incongruence 』が登録されました…。

これにより性同一性障害(Gender Identity Disorder)が削除されただけではなく、疾患名称であった性転換症( Transsexualism)と異性装・服装倒錯(Transvestism)という2つの疾患概念が完全に削除されたことを意味します。

ゲイとトランスジェンダーの病理としての考え方は2つのポイントがありました…。まず、19世紀末にリヒャルト・フォン・クラフトが同性愛者へのインタビューを行った論文を発表し、かれらはごく普通の人達で精神疾患では無いという結論を書いていて、また、マグヌス・ヒルシュフェルトなどの『科学的な目で同性愛者などを見よう』と言う研究などによる性科学の基礎的な考え方は、きちんと当時のクイアな人達をインタービュー・モニタリングして、その人達がマジョリティと何が違うのか?、また、それまで宗教的に禁忌として見られていたものを『科学的な視点で見ることで、それらが差別されたりすることが無くなる』といった考えに基づいていた訳です。(TransSexual、TransVestiteという言葉はヒルシュフェルトが作った)
そして、フロイトもこのネタについて論じていて、人間はすべて両性愛で生まれ、大人になるにつれて異性愛者になると位置づけ、ゲイ・バイセクシャルは未発達な状態(今で言う発達障害)的な位置づけで語ます。しかし、その一方で、前記の2人の論文などを元に、同性愛者などを『転換療法』(ゲイやトランスであることを治そうとする行為)は行うべきでないと結論づけています。
ドイツから始まった画期的なゲイやトランスに対する考え方は戦争によって資料などが全て焼かれてしまい、そして戦後の混沌な状況へ突入します。
戦後早い段階から、ヒルシュフェルトなどの意志を継いだアメリカの性科学者ハリー・ベンジャミンは1940年代後半から正式に自信のクリニックでトランスの人達に対するホルモン療法を開始します。
アルフレッド・キンゼイが行ったアメリカに置ける性的行動の調査論文、キンゼイレポートが大ヒットして、アメリカ発のセックス革命が始まります。1940年代後半辺りから流行はじめたクイアな人達が自称として『GAY』を使い始め、この言葉も随分広まってきたころの話しです。

基本的には性に関して超保守的なアメリカにおいて、セックス革命の流れを脅威と感じた人達も多くいて、これが1952年に発行されたアメリカの精神保健マニュアルDSM1におけるHomoSexualityといった形として現れそれは、 Paraphilia (性的倒錯)の1つとして、ここから電気ショックやロボトミーなどを使った転換療法がはじまったのです。

※Paraphiliaは、それまで sexual perversion やsexual deviation と呼ばれていたものを、性科学者ジョン・マネーがそれらの持つスティグマを排除すべく作られた言葉で、ギリシャ語の παρά (para) 「側に・隣接する」と φιλία (-philia) 「友情・愛」を接合した造語です。ただ、その意志と反して言葉は使われる様になり、それまであったスティグマを拭うことは出来ませんでした。

ハリーベンジャミンなど、性科学ルートではゲイ(LGBTQ+)当事者を尊重する形で進んできましたが、医療マニュアルは、それらに対するフォビアがとても強く現れていく…セックス革命の反動、バックラッシュ的な形で病理化されていきます。

1965年発行のICD8にはTransVestismが、1975年発行のICD9には、TransSexualismとGenderIdentityDisorder(性同一性障害)が登場…いずれもコード302の Paraphilia (性的倒錯)として扱われてきたわけです。

この流れへの抵抗運動が、アメリカから始まったGAY PRIDEとなります。1960年代のアメリカでは、ソドミー法(アナルセックスの禁止)や異性装の禁止などが法的に定められていて、セックスワーカーやトランスジェンダーの多くがこれらの法律によって逮捕、投獄されていた時代です。

当時の売専ボーイ(ハスラー)や、トランスジェンダー・ドラァグクイーンなどのセックスワーカーは、一目でわかるタイプが多かったので…警察の取り締まり対象となりやすく…この形から警察VSゲイという構図が形作られていきます。そしていくつかの警察との戦いがあった後、転機となるNYのゲイバーStonewall INNを舞台とした事件、Stonewallの暴動が1969年の6月28日勃発…この暴動の直後から逮捕された仲間の保釈金を集めるための募金活動と、また、人権を無視した警察の行動に対して連日のデモ行進が始まります。

この連日のデモ行進では『GAY POWER』を掲げ、人権/平等そして『私達は病気ではない!』という非病理化を訴える活動を始めます。
このデモ行進1周年を記念して始まったのが『NYC GAY PRIDE』で、この活動を受け、アメリカの精神保健学会は1973年にDSMⅡからHomosexualを性的倒錯から削除します。
一方で前記したようにWHOは1975年発行のICD9においてなお、GAYに関するあらゆる形を『性的倒錯』として扱っていました。これは発行年はともかく、編集時期の問題もあり、激動の時代の過渡期だったためという事もあります。

一方で、ハリーベンジャミンが始めたトランスジェンダーに対する治療は、その後広がりを見せて大学病院などもジェンダークリニックを開設し、多くのトランスがホルモン治療や、手術を受けるようになりました。1970年代末、多く行ってきたトランス医療への総括が始まり『本当にホルモンや手術がトランスジェンダーのためになっているのか?』という根本的な話しがここでなされます。

この時にハリーベンジャミンの病院でホルモン療法を担当していた医師などが『ホルモン療法は決してトランスジェンダーの(トランスジェンダーという言葉は当時使っていませんが便宜上)QOLを上げているとは言いがたい、むしろ悪くなっている人の方が多いくらいだ』といった話しをしています。

手術の基本的な形も定着し、ホルモンの使用や手術がGAY界隈に広まったことで多くの人がこれを望んだわけですが、それによって自死を選択す者が多く、生活状況を悪くすることは治療とは呼べない…。しかし、それを望んでいる人達へのインタビューも数多くとられていて、それが必要なことも承知している。これらの問題の解決を図るため、現在のWPATH(トランスジェンダーの健康に関する専門家学会)の前進である、ハリーベンジャミン性別違和協会に置いて、ホルモン療法や手術を行うためのガイドライン『スタンダードオブケアー』を1979年に制作・発表します。

そして、これがDSMⅢにこのガイドラインの考えが反映され、Transsexualismが性的倒錯から精神疾患の1つとして別項目に移動されます。
WHOのマニュアルが次ぎに改訂されたのは1990年のことで、性的倒錯の項目コード302が分割され、F64という独自のコードを持った性同一性障害が創設され、その中にTranssexualismとTransvestismなどが移動し、その内容は前述のガイドラインを元にしたかたちに変化していました。

しかし、その一方で性的倒錯の項目を引き継いだコードF65のフェティシズムの中にもTransvestismが残り、また、DSMで削除されたことで、コードF65には同性愛関連の疾病がすべて削除されたのですが(IDAHOTのWIKIなどを参照)、コードF66 性発達及び方向づけに関連する心理及び行動の障害 という中にHomosexualを残した形となり、WHOはこれは疾患では無いと後に言っているものの、その形が疾病マニュアルに残ってしまったという事実もあったのです。

これらの歴史を振り返ると、GAYに関する疾患の多くが…フォビアから始まる、当事者にとっては悪意ある病理化であったものが、一方でトランスジェンダーに関するホルモン・手術などの診療から始まる流れと2つの全く別の思想が、混在する形でICD10までやってきたという状況だったわけです。

かなり難航したICD11の編集において、そのリリースのニュースでは、ゲーム依存や性同一性障害削除の話しが大きく取り上げられていますが…性的なことではさらならる大変革になっています。

まず、前述した『F66 性発達及び方向づけに関連する心理及び行動の障害 』は、疾患で無いというのであればそれをICDの中に残しておく必要は無いであろうという事で一致して、完全に削除されました。また、キンゼイレポートから始まる、個人の性的な趣味などのことを色濃く反映していた『フェティシズム』(これに付随するTransvestism)もすべて削除されました。

また、新たな形で書かれた『性別不合(仮)』ですが、旧来のガイドラインを元に作られた『性同一性障害の下にある性転換症』ではその状況の継続を2年としていましたが…これが、出来るだけWPATHが作る最新のガイドラインSOC7に合わせるために、その状況の継続を『数ヶ月』と、先に発表されているDSM5の『性別違和』における『半年』という基準より、さらに期間が短くされています。(これは、できるだけSOC7を元に、ホルモン・手術などを行うようにしてくださいというメッセージでもあるかと思われます)

長くなりましたが、今回の非精神病理化は『GAY POWER』運動から始まった『非病理化』の訴えを継続してきた結果であり、当然、完全非病理化が達成されるまでにには至っていないものの、その方向へ動き出したということは間違い無いかと思います。
すでにデンマークなど一部の国では、ICD11の発行を待たずしてトランスジェンダーを病理としてみることを止める、非病理化宣言をしている国もあります。

ホルモン・手術などへの手続きの部分はともかく、トランスジェンダーであるという事については、国連で承認されている『ジョグジャカルタ原則の 第18原則 医学的乱用からの保護 』に於いて、性指向、性自認に関して病理によった見方をしないように位置づけています。

ICD11発行まで、まだ時間はありますが…ここまでこぎつけた背景には色々な人の思いや、努力など様々な事柄があってのことです…。これはトランスジェンダーだけの話しではなく、LGBTQ+全体に関わるPRIDEの話しであることを是非知って欲しいのです。

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