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LGB「T」にまつわるちょっとした話(6)

ドラァグクイーンとセックスワーカー(2018年の東京レインボープライドに書いた話です。)

ここ数年はプラカを持って、会場を練り歩くひとりトランスマーチをするのがあたしの参加スタイルで、パレードはそのプラカを持って歩いて浮かない所と考えTOKYO NO HATEで歩いていた。差別反対!というのは政治的プラカードを掲げるにはマッチしているし、効果的であろうとも考えていたからで…。

さて、今年は状況が随分違っていた、『セックスワークがテーマのフロート出すわよ!』とEDOさんからのお話があり、何でもマーガレットさんが16年ぶりにパレードに参加するとのことでその話を聞いたからには嫌がおうにも盛り上がる訳で…。
あたしはトランスジェンダーの活動家として最近は名乗っているけれど、元セックスワーカーで、セックスワーク関連の活動にも随分長い期間関わっているので、このテーマを聞いた時に『それは凄い!』と二つ返事で喜んだわけです。

ところで今回のフロートはマーガレットさん、シモーヌさんという東西のトップドラァグがフロートにのり、多くのドラァグクイーンとゴーゴーボーイが一緒に歩くという本当凄い企画で、どうなるのか不安はあるものの、これは何とか成功させたいという思いから、あたしもTwitterなどで宣伝を始め、色々な人に『37番フロートは凄いよ!』と声をかけて回るなど、いつもと全く違う動きだったわけです。
ところで、あたしはドラァグクイーンの人達への憧れというか、格好良さが結構好きで…特に単純に女性的な綺麗さタイプではなく、主張が強い綺麗さがある人が好きだったりしまして、そういうあたしの思いもあって、ドラァグクイーンにはあたしがトランジションし始めた頃から興味があったのです。

トランスジェンダーの傘には『DragQueen』も『DragKing』も入っていたりしますが、この事に懸念を示す人が昔からいます。(4.29のイベントで、質疑応答の時にトランスジェンダーアンブレラの話をしてドラァグの話をだしたら、アーロン・デヴォー氏が『ドラァグを含む、含まない問題があって、ヴァージニア・プリンスは強烈なゲイフォビックだったし』といったお話が出たりもしました)
でも、あたしはドラァグクイーンが本人がトランスジェンダーを使う使わないは別にして、トランスジェンダーの傘の下に含まれることは間違い無いと思っているのですよ。というのは、ドラァグクイーンが女装するのは、いわゆるお笑いとか、歌舞伎とかショーのために女装するというのはあきらかに異なっているとあたしは思っています。

ドラァグクイーンの多くはそのセクシャリティはともかく、その様相への憧れが間違い無くあるからそれをしていて、ショーとしてウケルために女装を選んでいるというとはかなり違っている人達だと思っています。結果的にショーのウケも大事になってくるわけですが、この順序や動悸の部分が大きく、トランス女性と方向性は違うものの、女性ジェンダーに対する強い思いがあることは殆どのドラァグクイーンに言えることだと考えています。

トランスジェンダーの傘の中には色々なタイプがいて、それはジェンダー表象の取り入れだけを行う者(異性装者、クロスドレッサー)、自身のジェンダー的立ち位置が一般的では無い、もしくは、一般的では無いと思っている者(ジェンダークイア、ジェンダーフルディテイ、Xジェンダー)、そういう色々なタイプの中にいるドラァグはクロスドレッサーなどとは方向性は違いますが、明らかにそのジェンダー表象に魅了されている人達であって、ショーなどの目的のためにドラァグとなるという人はすごく少ないと思っています。
なので、あたしから見れば、ゲイ(LGBTQ+)という枠組みの中でドラァグは間違い無くトランスジェンダーアンブレラの下にいるし、そうでなくてもとてもトランスジェンダーに近い場所に居る人達という感覚があるわけです。

そしてゴーゴーボーイも一緒に歩いてくれたわけで、彼らはゲイとしての性的魅力を高めてそれを売りとするパフォーマーであり、ストリッパーなどに近くセックスワークにも近い場所にいる人達だと思います(地域や国によってはゴーゴーであり、セックスワーカーといった人達も結構いるようですし…。)

このノートの写真に使っている、ストーンウォールの英雄でもあるマーシャPジョンソンは、黒人ドラァグクイーンであり、そして元セックスワーカーでもあります。本当に今回のフロートはあたしにとって、すごく重要なポイントを押さえたものだったという訳です。

戦後の上野公園に置ける街娼地域では、女性のセックスワーカーと女装をした男娼のセックスワーカーが同じ場所で商売をしているということで関係も親密だったようで、色々なタイプのセックスワーカーと、それを応援してくれる人達が赤い傘を差してPRIDEを掲げて歩く様は、本当にものすごく感動できました…。これは、感動させるために狙ったという事ではなく、結果的にすごく感動できた素敵な時間だったということです。

ただ…あたしにとってはまだまだ『ハッピープライド』という感覚にはなれません、正直プライドという意味では、まだまだ全然ハッピーな状態じゃないからです…。何故ハッピーじゃないのか?といえば、ハッピーとなるほど何かを達成している訳でもなく、むしろ自国にも、また世界中にもゲイ(LGBTQ+)の問題は山積しているからで…

『大変だけど、頑張ろう!』とお互いに声を掛け合うといった状況かなぁと思っているわけです。

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