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「選択できる社会保障」という理想の医療環境について

先日、理化学研究所の髙橋政代先生と看護管理学会で対談した際に教えて頂いたインド・ハイデラバードのL V Prasad Eye Institute 病院でみた

医療を平等にするためにサービスに階段をつけ、50%以上の患者は無料で治療している

という理想的な医療環境について、大いに刺激を受けて、それを妻に説明した。

色々と説明をしたのだが、妻が「つまりこういうことね」と素晴らしく分かりやすい例えで返してくれたのでメモ。

それは「飛行機ビジネス」のような感じではないかと。

エコノミークラス、ビジネスクラス、ファーストクラス。

それぞれ、みな目的地には辿り着けるが、搭乗前・搭乗中に受けるサービスが大きく異なり、利用者は自身の経済力と体験に対する費用対効果を鑑み、選択できるようになっているよねと。

一方、航空会社は、エコノミークラス運賃収入では、航空機を飛ばすに不十分で、何倍も支払うビジネス・ファースト運賃が運行を担保する収益源だよねと。

翻って医療。

理想の医療環境とは何か。理想の社会保障としての医療はどういうカタチなのか。

そもそも、出発地から目的地まで行く、という点で経済的な差別があってはならない。これは基本的人権。

したがって、標準的な診療方法・医薬品などは受けられる、これがエコノミークラス。

一方、より早く、速く、より個別性をもって、より挑戦的な診療方法・サービスが受けられるのはビジネス、ファーストクラス。

実際、個々の医療機関で、保険の枠組みを超えて、富裕層に限った高額で付加価値の高いサービスを提供するところはあるが、それでは、その特定の医療機関のみが成立し、一般の医療機関は成立しない。それは、国民全体に提示された選択肢ではなく、公の医療環境とは言わない。

また、そもそも富裕層という人たちは、既に公的保険や税金負担は、一般の何倍・何十倍もの負担を、誰にも褒められることなく黙々と続けている。しかし、医療機関で受けるサービスは最大公約数の社会保障レベル。皆と同じ。ファーストクラス運賃を払ってエコノミークラスしか座席がない。

払ってきたお金は多いのに、受けるサービスは皆と同じ。これは、二重の不満を生む。

であれば、より対価の高い医療サービスを「公的な保険の範疇」で選択できるようにすれば良いのではないか。 同じ医療機関で提供できるようにするべきではないか。(混合診療とはまた違う概念というのがポイント)

この「保険の範疇」で「選択肢を用意する」ということは、富裕層が普段から高額な税金と保険負担をしていることへの納得感を高めることにもなり、より貢献の意思を引き立てることにつながると思う。

なお、当然、エコノミークラスばかり使う富裕層がいても良いし、ファーストクラスにたまに乗る贅沢もあって良いだろう。

選択できる、選択肢を用意していること。これが日本の社会保障を崩壊から守る、唯一の道だと思う。

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