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気仙沼

東日本大震災から8年がたった。

黒い津波が畑と住宅をのみこむ映像をNHKが中継していたことを鮮明に覚えている。時刻は16時ぐらい、東の海から上ってきた津波が西日にあたり、ぼくは美しさのようなものを感じてしまい、いまこの瞬間にここに行って写真を撮りたいとおもった。

甚大な被害があることは容易に想像ができた、いまふりかえれば恐怖心から一種の現実逃避だったのかもしれない。

“ファインダーをのぞいていると恐怖感がなくなる。”
イラク戦争で活躍した知人の戦場カメラマンがこんなことをぼくに教えてくれた。

ぼくは戦場にたったことがないけど、ファインダーをのぞいていると安心感をかんじることは実際にある。でもこれは順番としては逆で、ファインダーをのぞいたことで安心感が得られるわけではなく、撮影者としてその場所に存在することを許されたから安心してファインダーをのぞけるのだ。

見ず知らずの他人の結婚式ですら、カメラマンという役割があれば存在を許されるのだ、役割の安心感がファインダーをのぞくことに反映されているだけだとおもう。

写真家という仕事は日本中いろんなところに撮影に行く。
ぼくも東日本大震災の被災地へいままでになんども撮影に行った。被災地にいくと、マスコミが報道するイメージとのギャップをいつも感じる。

あたりまえだけど被災地にも変わらない日常があるのだ。仕事をして、美味しいものを食べて、お酒を飲んで、恋愛して、笑って、ケンカして、遊んだりして、子どもは笑っているし泣いてもいる。

被災地だからといって悲しみにくれているわけでも、無理に明るくしているわけでもない。悲しみや故人を想う気持ちもあたりまえのようにあるが、感情の比率は大きくは変わらない。不幸であると思い込んではいけない。

ガン患者にも世間のイメージがあるとはおもうけど、いざガン患者になってみるとわかるけど、やることがすこし変わるだけで、感情の比率はそう大きくは変わらない。

3月上旬になると震災を特集する番組が増える。
お涙ちょうだいや、感動をさせようとする構成にすこし辟易とするけど、視聴者が涙を流して感動をしたいのかもしれない。

現地にいかなければ感じることができないことだらけだ。
体験してみないとわからないことばかりだ。

ぼくは今年から気仙沼で漁業に関わる人たちを撮影をしている。
つばき会という気仙沼の女性たちが震災後にはじめた“気仙沼  漁師カレンダー”という企画の撮影だ。

最初、依頼があったときにぼくは引き受けるか悩んだ。

被災地だからとか、漁師さんだからとかじゃなくて、これまでに起用されて撮影してる写真家たちが名実ともにレベルが高い人たちで、ここの並びにぼくがはいったら邪魔をしてしまうのではないかと感じた。(いまでもけっこう感んじてる。)

2019年の漁師カレンダーは飛ぶ鳥をシャッターでうち落とす勢いの奥山由之さんが撮影されたものだ。

海の漁師さんって寡黙で排他的で、怖いというイメージがあってすこし身構えていた。山の猟師がそういう人が多かったからなのかもしれない。

じっさいに撮影をしてみると気仙沼の漁師さんはみんな気さくで優しい。
人って見た目じゃないってことを感じる。お会いする方はみんな話好きで、社交的だ。こういうことも実際にあってみなければわからないことだ。

撮影にもやたらと協力的で、いきなり撮影のお願いをしてもこころよく引き受けてくれてやりやすい。このやりやすさは漁師さんがつばき会を信頼していて、つばき会がお膳立てをしてくれいるからだ。

そして過去のカレンダーの実績があり、これまでの写真家たちがつぎたしてくれた気仙沼の人たちと写真家の関係性があってのことだ。

ぼくが撮影した“気仙沼 漁師カレンダー”は2021年に発売される。
ちょうど震災から10年の節目にあたる。

誰かのイメージにのるのではなくて、自分が感じたように撮りたい。

ファインダーをのぞいたときの安心感を、次のカレンダーの撮影者と、これから気仙沼を訪れる人にも引き継げられるように撮影したい。












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