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「なんで写真を撮るんですか?」

この記事に掲載してる写真は、ぼくが本当に見せたかった写真じゃない。本当に書きたいことも書いていない。なぜかといえば、読んだ人に大きなストレスを与えてしまうからだ。

人は受け入れられないストレスを感じると、現実から目を背けようとする。現実から目を背けても、現実が消えるわけじゃないのに。

現実から目が背けられなくなると、現実を見せてきた相手を叩くことで心の安定させようとする。つまり撮影者であるぼくが批難させるのが目にみえているから、本当に見せたい写真を載せないし書かないのだ。

災害時の報道をマスゴミと罵り、ボランティアする人を自分探しの旅と揶揄して、寄付をする人を売名や偽善者と叩く。

それぞれに問題点はあるだろうけど、揚げ足取りのように小さな問題点を見つけて叩き、被災者にとって大きな利益を潰す人はたくさんいる。

批難を浴びせるのはだいたいいつも安全地帯にいる人だ。どんなことでも現場に立って現実を見なければ理解できないことはある。

撮影中になんどか警察官から職務質問をうけた。窃盗や撮影目的の不法侵入が多いのだろう。立ち入り許可証と身分証明書を見せるとすぐに事情を理解してくれる。

撮影している内容にもよるけど写真家というのは、だいたい職務質問に慣れているものだ。

熊本県警から派遣されている若い警察官が、許可証に写真家と書いてあるのを見て「なんで写真を撮るんですか?」と質問してきた。

おそらく撮影した写真を使用するメディアや媒体などを確認したかったのだろうけど、ぼくは写真を撮る意味や本質ってなんなの?と質問を勘違いして言葉に詰まってしまった。

職務質問で言葉に詰まるのはダメだ、警察官はそこに怪しさを感じる。ラップバトルのようにポンポンと返事しなければいけない。

「いい質問ですねぇ」と最高にアホな返答をして考えこんでしまった。マジで良い質問だった。というよりも耳の痛い、答えに窮する質問だった。

突き詰めると写真を撮る理由なんてない。せいぜい記録という言い訳や理由づけぐらいしかない。撮りたいという欲求しかない。

言葉に詰まっていると「この現状を社会に伝えてください」警察官からこういわれて、心がすこし楽になったけどまた悩んでいる。

今回の立ち入り許可は国が出してくれている。なぜ許可が出たかというと、現実を隠すのではなく伝えてほしいと考えている人がいるからだ。ぼくも現場に立てて本当によかった。いつか安心して本音をかける社会になるといいな。

サポートされた資金で新しい経験をして、それをまたみなさまに共有したいと考えています。