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写真展が終わって。

“ 魚が切り身の状態で泳いでいると誤解している幼稚園児がいる。 ”
この話は食育関連になるとよく耳にするし、ネットでは嘲笑話のネタになっている。

僕はそんな幼稚園児に出会ったことがないからこの話が本当かどうかわからないけど、もし本当の話なのだとすれば子どもが悪いわけではない。知らないことを嘲笑するのではなく、教えてあげればいいのだ。僕は知識マウンティングにはもううんざり。

イカが空を飛ぶことがわかったのが5年前。
毎日空を飛んでいたイカから知識マウンティングされたら、イカが嫌いになりそうだ。

それよりも僕が狩猟をして驚いたのは、日常的に肉を食べているのに狩猟や屠殺を批難するワガママボディーの存在だった。
動物がかわいそうという心理的なことは理解できるが、あまりにもワガママすぎる。魚が切り身のまま泳ぐと勘違いしている幼稚園児の存在よりもワガママボディーな大人の方がよっぽど、衝撃的な存在だった。

1ヶ月と8日間いう長丁場の写真展が終わった。
2215人の方が来場してくださって、作者がいうのもなんだけど飾りにくい写真にもかかわらず40点以上も売れた。

数年前にカメラメーカーが所有するギャラリーで写真展をしたとき、1日平均200人ほどが訪れた。数字だけ見ると今回よりも多いのだけど、カメラメーカーのギャラリーはショールームや修理窓口なども兼ねているので、写真展を見にくるということではなく、ついでに写真展に訪れるという人が大半だった。

写真…というよりもカメラに関心が高い層が訪れることが多いので、カメラは何を使っているのですか?撮影方法は?プリンターは?という聞かれて一番つまらない質問の洪水で消耗させられた。

これは日頃から自分も気をつけていることだけど、写真を撮っている人ほど、写真を見るのが下手だったりする。そもそも写真を見せるのは難しい、同じ写真でも添える文章で見え方が180度変わるほど不安定なものだからだ。
不安定だからこそ伝えたいことを正しく伝えるために文章が大切になってくる。

“言葉にできないことを写真で表現したい。”
なんてことを言っている撮影者ほどポエミーな文章を写真に添えて霞ませる。

“作者の伝えたいことはなんでしょう?”という設問が小学生の頃に国語の授業であった。自分の作品を人に評価していただく立場になって初めて、文章表現の大切さを感じる。相手の理解力に期待するのではなく、自分の説明力を高める必要がある。

写真展の感想に目を通していると、僕が伝えたいことが正しく伝わっていることに安堵する。今回のギャラリーはついでにくるような立地ではなく、入場料を設定したこともあり写真展を目的にご足労いただいている。
女性は狩猟を嫌悪しがちだと思っていたけど、お客さんの7割が女性だった。

医療従事者や大病を患った人が多いのが今の僕の状況を反映しているようにも感じた。東京に来たついでなのだろうけど、北海道や沖縄の方までいた。
わざわざ新幹線に乗って写真展のために東京に来たという方もいた。

感想に批判的な意見が一件もないので、過度な動物愛護主義者や完全菜食主義者が来ていないことも伺える。

ネットでしつこく批難してきても、手間とお金を払ってまで批難しには来ないのだ。ネットの匿名性を利用してお気軽に相手を罵れるからこそ、しつこく批難してくる。

菜食主義というのは優しそうで聞こえがいいけど、菜食主義者が食べる野菜を生産する畑では罠を仕掛けて野生動物を殺している。
カラスに悩まされる農家の方に依頼されてカラスを獲り、畑に吊るすこともあった。こうしておくとしばらくカラスが畑に寄り付かないためだ。
農家の人や山間部に住む人ほど、動物を獲って欲しいと頼んでくる。

“ 動物を殺さないで電気柵やネットで守ればいいだろう。人間が動物の住処を奪ったからだろう。”こんな意見もたくさんネット上で見受けたけど、所詮これも批難はするけど、手間とお金は出さない人の意見だ。

そんな実態のない人たちの言葉に引っ張られていた自分が恥ずかしいと思えるほど、多くの感想をみなさまから受け取った。ノイジーマイノリティの言葉を塞いで、サイレントマジョリティの言葉を手にすることが出来たことが何よりの収穫だ。
いつかこの感想が息子の心を救うことになる機会が訪れると思う、その時のために大切に保管しておきたい。

人間が生きるというのは絶対に何かしらの命の上に成り立たなければならない。
食料だけでなく、物流や利便性のために高速道路を建設して電力のために動物の住処を奪う。クリーンなイメージの太陽光パネルだって動物の住処を奪っている。

いま手にしているスマホだって間接的には動物の命の上に成り立っている。
それが嫌なら生きることを辞めたほうがいい、見えないものに想像力を働かせてほしい。そんなことを伝えたい写真展だった。

ありがたいことにうっすらうっすらと次の写真展の企画も出ている。
次は息子の写真を展示しようと思っている。

ある程度のテーマやメッセージを持った作品を制作するのには時間がかかる。
今回の狩猟の作品「いただきます、ごちそうさま。」は撮影に5年かかった。
日本中の海上にある遺構を撮影した「海上遺跡」も撮影に5年かかった。

残りの寿命を考えると息子の写真が僕にとって最後の作品シリーズになると思う。

順当に考えれば息子は僕よりも長生きすると思うので、きっと完成することのない作品になることだと思う。もしくは僕が死ぬことで完成ということになるのかもしれない。

好きな被写体を好きなように撮影できるのは幸せなことだ、写真家でいてよかったと心から思う。

退院したらまず最初に息子を抱きしめてから、カメラを向けたい。

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