見出し画像

ベトナム旅行記

ベトナムを訪れたのは9年ぶり2回目だ。

9年前、僕は写真業界で箸にも棒にもかからない存在で、写真家を名乗る自信も覚悟も実績もない人間だった。日本で撮影することがつまらないと感じていて、海外で撮影することでやった気になっていた。評価されない自分を認めることができずに、評価されている人間を羨んだ。

当時の自分と作品を振り返ると、日本で撮影することがつまらないのではなくて、僕自身がつまらない人間だっただけだ。それを誤魔化すために、できるだけ遠くで普段見慣れない景色で撮影をしていた、だから作品を見返すとやはりつまらない。

つまらない人間が撮影しているんだから、つまらない作品ができる。評価されず、箸にも棒にもかからないのにはちゃんと理由があった。

そんな時期に僕は妻と出会い、9年前に滞在していたホテルの部屋に置かれていたレターセットに妻へ手紙を書いていた。その手紙を妻は今でも大切に持っている。

今年の2月に引越しをした時にその手紙を僕が見つけて、恐る恐る手にとって読んでみた。どんなことを書いていたか全く覚えていない。とんでもないラブレターだったらどうしよう。

最近になって多くの人に「過去のブログ記事を遡って全て読みました。」と笑顔で言われるけど、その度に寿命が少し早めに終わってお迎えが来ないかなと、空を一瞬見上げる。お迎えが迷っていたら発煙筒を両手に持って大きく振って知らせたい。

9年前の手紙は意外なほどあっさりしていた、9年前の自分を褒めてあげたい。

「いつか有名な写真家になって自慢できるようにしてあげるよ。」と手紙には書いてあった。

なんの根拠もない言葉だけど、幸か不幸か9年前に比べれば随分と有名になったと思う。僕はもうすぐ抗ガン剤治療が始まる、治療をすれば免疫力が下がり海外には行けない、海外どころか国内でも多くの制限ができてくる。

だから最後にまたベトナムに訪れて、手紙を書こうと思った。

9年前と同じ街に滞在して、同じ場所を訪れて、いまの気持ちを手紙にしようと思った。9年前と違うのは書く相手が一人増えたこと、妻と息子に一通づつ手紙を書きにベトナムを訪れた。

チェックインで杖を機内に持ち込んでいいか確認すると、機内の安全を確保するためか病状を聞かれた。ガンであることを伝えると、隣が空席の場所に変更してくれて、優先搭乗をしてくれるように搭乗カウンターに連絡してくれた、ありがたい。

羽田空港を深夜に出国して、ベトナムのホーチミンに早朝到着した。暑いアジアの特有の匂いがする、日本では感じない嗅ぐことがない匂いだ。

空港から滞在するホテルまでは路線バスを利用した。
海外でバスに乗るのってちょっと勇気がいる、僕は英語が全く話せない。
ベトナム人も英語が通じないので、ベトナム旅行は英語が話せなくてもさほど困らない。

僕は日本で外国人のふりをすることがある、寿司屋さんでマグロを指差しこれはなんですか?と英語で聞くと身振り手振り一生懸命、ツナであることを説明してくれる。
英語っぽい発音で「マァグロ」って返されたときなんて最高だ。

日本人は冷たいなんて言いがちだけど、困っている外国人に対しては優しいと僕は肌で感じる。これはベトナム人も同じことで彼らも一生懸命教えてくれる。
だから英語が通じなくても困ることはない。
ベトナムのバスカウンターで目的地のホテルを告げると、スマホで調べてくれてバスを教えてくれる。早朝のためなのか道は空いている。

ホテルのチェックインまで時間があるので、観光をする。
9年前に訪れた市場の同じお店で、9年前に購入した同じ帽子を購入する。
薄れていた記憶も同じ場所に立ち、同じ匂いを吸い込むと少しづつ思い出して行く。

サイゴン川までバイクタクシーで向かった。
日本人とわかるとすぐにぼったくり漁船クルーズが声をかけてくる。
ベトナムでは常に交渉が必要だ、ふっかけられる分、簡単に値引きもできる。
それも含めて旅の楽しさだ。

時間つぶしに船に乗り、どれくらいぼったくられるか楽しみだった。途中エンジントラブルで緊急着岸。ここで降りて欲しい、お金はいらないよと身振り手振りで言われた。予想外が起きる、これも旅の楽しみだ。

バイクタクシーに乗りホーチミンの像を見に行く。
バイクに乗っているときも写真を撮る。
みんな笑顔で手を振ってくれる、とにかく笑顔が多い。
これは日本にはない明るさだと思う、楽しそうだ。

ホーチミンの前で外国人観光客が集合写真を撮っていた。
そこにどんどん関係ない観光客も混じる、みんな笑顔で素敵だ。

日本でも似たような雰囲気になるときがある。
お祭りの日だ、祭りの日の少し高ぶる高揚感がベトナムでは毎日のようにある。

市場で家族へのお土産を探した。石を手彫りしたチェスの駒と盤のセットがあった。
これが将棋だったら購入したけど、チェスはあまり魅力を感じない。
値段は120万ドン、日本円でだいたい6000円。

ベトナム人の工場勤務の平均月収が2万円程度なのを考えると、高価なものだろう。
もちろん外国人観光客向けだから高めの設定になっている。

必死に売ろうと値引きしてきたので、25万ドンなら買うよとこちらもふっかける。
買う気が無いから交渉決裂でいいので一歩も譲歩しない、マナーの悪い交渉なんだけど、向こうが折れてOKしてきた。

少し悪いことしたので5万ドンをチップで払った。ベトナム人なら5万ドンあれば朝食分くらいになる。この買い物のエピソードを含めたまでがお土産になった。ずっしりと重いチェスを持ってホテルまで帰る。

夜は屋台でフォーを食べる。
英語は全く通じないけど、やはり笑顔で教えてくれる。
9年前はビールばかり飲んでいたけど、今回は飲まなかった。

朝食にフォーを食べて、クチトンネルというベトナム戦争時に使用されていた地下トンネルを訪れた。9年前はツアーを利用して訪れた、今回は路線バスで自力で向かう。東京駅から高尾山と同じくらいの距離をのんびりと進む。

態度があまり良くない車掌が途中、何かを見つけてバスを止めた。
ふらっとバスを降りた車掌が戻ると手には風船を持っていた、その風船を乗客の子どもに手渡した。きっと日常なのだろうけど、僕には衝撃的だった。

自分が楽しく働くから、他人にも寛容になれる。

日本でやったらネットで大バッシングされて朝の情報番組で取り上げられて、経営者が謝罪するのが目に見えてる。日本の窮屈な社会というのは誰でもなく、みんなで作り上げている。

ツアーガイド無しで杖をついていたためか、軍人がガイドとして付き添ってくれた。
温厚な青年で、笑顔で身振り手振り説明してくれる。
途中、彼に杖を取られて、何事かと思ったら杖で野良猫をじゃらし始めた。
きっとこういう人達が戦争に行ったのだろう、だから戦争は悲惨だ。

クチトンネルではベトナム戦争で使用されていた銃で射撃ができる。
僕が初めて銃を撃ったのもここだった。せっかくなのでまた撃ってみた。

M1ガーランドという第二次世界大戦からアメリカ軍が使用していた銃だ。
古い銃だけど、威力は高く反動は強い。耳を塞がないと耐えられないほどの銃声。
不思議なことに射撃場で聞く銃声と、自然の中で聞く銃声というのは別物だ。
射撃場の方が大きく鋭く感じる、コンクリートで囲まれているから音が反響するのか、僕は山の中で聞く銃声の方が好きだ。

100mほど先の的によく当たる、少しの訓練で誰でも簡単に効率的に人を殺すことができるから、軍隊では銃が採用されている。一体どんな気持ちで人を撃つのだろう。

後日ベトナム戦争に参加した男性を取材することができた、日本語を話す通訳を雇い話を聞いた。普通の老人にしか見えない男性は何人も敵を殺したそうだ。
「最初は人を殺すことがショックだったけど、だんだんと何も感じなくなる。」
彼が話した言葉は印象的だったけど、狩猟にも通じるものがある、きっと同じなのだろう。

ホーチミンに戻り戦争博物館を訪れた、アメリカ軍から鹵獲した兵器が地上に展示されている。その兵器の前で笑顔で記念写真を撮る欧米人はフロアーが上がるにつれて、顔が曇る。勝った国とは思えないほどの戦争の悲惨さが展示されている、もちろんそれを意識した展示だろう。

日本人を含む世界中の報道写真家の作品を見ることができる。
もしも自分がこの時この場所にいたらどんな写真を撮るだろう。
カメラを向けることができない、ということだけは無い。むしろたくさんシャッターを押すだろう。

50年経っても多くの人に戦争がどういうものか知らせることができる写真のすごさを改めて感じた。

報道写真家は時として批難の対象になる。
撮っていないで助けろという言葉は容易に想像ができるが、現地にいる人は撮って欲しいと願う。
これは日本の被災地でも同じことが起きる。

批難する人はいつも安全圏にいる人だ。

夜になると人は元気になる。きっと残業をしないからだと思う。
市場やお店で、公園では人が溢れて楽しんでいる。

ベトナムで雇った通訳の女性は日本の大学に通い、横浜で働いていたそうだ。
大学に通っていた時は日本が大好きで、ずっと日本にいたいと考えたけど仕事を始めて日本が耐えられなくなったそうだ。

日本の大学生も似ている、大学生の時はあんなに楽しそうで、パワーが溢れるのに就職すると途端に学生気分を捨てさせられて働く。
ベトナムではみんな学生気分で働いているから、楽しそうだ。

「私たちは貧しいけど、楽しいです。」という彼女の言葉が心に残っている。
ベトナムでは過労死はありえないそうだ、日本が行なっている外国人技能実習制度はベトナムでも悪い噂になっているという。

今回、ベトナムに訪れて色々なことを吸収できた。

数日間ベトナムに滞在して、最終日に妻と息子に手紙を書いた。パソコンで下書きして清書をした。ハイテクなのかアナログなのか非効率的ではある。

息子の手紙には世界は広く、人の心は深いと書き記し、いつかベトナムを訪れて欲しいので朝食分くらいのベトナムのお金を入れておいた。

妻の手紙には運良く新薬が登場したり、現在の標準治療が効いて9年後にまた僕が読むことができるように、9年前と同じあっさりとした手紙にした。
9年前と同じように根拠のないことを書いてみた、9年前と同様にもしかしたら叶うかもしれない。

またいつか、訪れたい。
今度訪れる時は家族で訪れたい。
そんなことを想い、帰国した。


サポートされた資金で新しい経験をして、それをまたみなさまに共有したいと考えています。