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第9回 主人公はのび太

「ドラえもんみたいなAIロボットができたら、看護師は必要なくなるかもしれない。」

どういう流れでこの話になったのか、いまいちよく覚えていないのだけど、バイタルをとる看護師さんとAIの話になった。非医療者にとって、鮮度が高く正しい情報にありつくというのは、難しいことでもある。

AIが進歩して精度が上がり、「ヘイ!siri」や「OK!google」などがホームドクターの代わりになって医療の相談ができれば、医師の仕事は軽減されるだろうし、患者だってネットに溢れるいかがわしい情報に左右されなくなる。すくなくとも、授乳中のママがキャベツの葉っぱを胸に貼るということは避けられる。

血液検査やMRIの画像診断など、患者の状態から病気を推測して薬を処方する行為は、そのうちAIがやったほうが正確性は高まるかもしれない。

医師と酒を飲むと、必ずといっていいほどAIの話になる。仕事がAIに奪われると感じてしまうのか反発する人が多いが、それはすこし狭量な考えだ。AIが得意なことはAIに任せて、人間は人間が得意なことをしていけばいい。

新しい技術を否定していたら、駅の自動改札も高速道路のETCレーンも存在せず、不便な世の中になるだろう。

コミュニケーションを基礎としてケアをする看護師がAIに代わられるのは、ずいぶんと先のことなのだろうとぼくは考えていたので、ドラえもんの話はおもしろいなぁと、ぎゅぎゅっと二の腕を圧迫されながら感心してしまった。

感情豊かでコミュニケーション能力を備えたAIが登場したら、医療現場はどうなるのだろう?

映画では、人を助けるものとしてそれらはすでに登場している。ぼくが子どもの頃に夢中になってみた映画『ターミネーター2』では、アーノルド・シュワルツェネッガー演じるT-800 が、少年を守るために未来から送られた屈強なAI搭載アンドロイドだ。

最近の映画だと、『インターステラー』でTARS というAIロボットが登場する。小難しい計算を一瞬でやってくれたり、宇宙船の操縦をしてくれたり、ジョークのきいた会話までする。

これらには共通点がある。主人のことを否定せず、命令を忠実に実行してくれて、ときには自分の命をかけてでも主人のことを守ろうとする。物事を正しく把握して、正しい情報を主人に与え、一緒に考えてくれる。主人を傷つけるような現実逃避や、安易な励ましはしない。

もしもドラえもんがいたら、ぼくは、看護師さんではなくて、自分の家族になってほしいと、ふと思った。

もしものび太くんが命に関わる病気になったらなら?

すぐにガミガミと説教をするお母さんでもなく、存在感が薄いお父さんでもなく、一番にドラえもんに泣きついて相談するのではないか。ドラえもんはきっと、一緒に泣いてくれる。のび太くんを助けるために情報を集めて全力を尽くし、のび太くんのやりたいことをサポートする。

T-800もTARSも、感情表現こそ違えど、同じことをするだろう。

家族が命に関わる病気になって、冷静さを保てる家族はそういない。ただ、冷静さを失ったときが、患者と家族のボタンの掛け違いの始まりでもある。患者の首に縄をつけて引っ張りまわす家族がたくさんいることを、ぼくは病気になって知った。

そして日本の医療では、首を引っ張る家族の意思が、最終的に尊重される。家族が患者の主人になり、患者が言いなりになってしまう。ドラえもんなら、そんなことはしない。それを医療が後押ししている状態なのだ。いいことだとは思えない。

ドラえもんみたいなAIロボットができたら、家族として最適な存在なのだと思う。『ターミネーター2』では少年の母がT-800 を「理想の父親だ」と評するシーンがある。もしスマホが人格を持っていたとすれば、ぼくのことを今一番よく理解しているのは、スマホだろう。

何年後かわからないけど未来の診察室では、医師とAIロボ、患者とAIロボの4者で治療方針を話しあって決めているのではないか。そういう時代が、いつか来る。

訪問介護と看護(医学書院)でコラムと表紙写真を毎月やらせていただいています。9月3日ってドラえもんの誕生日なんですって、おめでとう。
100年後にドラえもんがいるといいなぁ。

サポートされた資金で新しい経験をして、それをまたみなさまに共有したいと考えています。