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旅のはじまりと目的。

女満別空港にきた、初めて訪れた空港だ。

女満別は“めまんべつ”と読む、ぼくはてっきり“にょまんべつ”だと勘違いしていた。スマホで変換されないので“女満別 読み方”とネット検索して正しい読み方を知った。検索するときも変換できないものだから、おんな、まん、べつをそれぞれ変換して検索をした。

北海道が悪いわけじゃないけど、北海道の地名はわかりにくい。

足寄は“あしょろ”と読む。内地の感覚だと“あしより”だ。認知度がたかい稚内だって、認知度が低かったら“ちない”と読み違えてしまいそうだ。逆に北見はどうしてそんなに内地よりの読み方なんだ、“ほっけん”ぐらいとんがってもいいだろう。

レンタカーで目的地の住所を入力するときも、漢字が読めなくてスマホ片手に編集者の鴨志田(かもしだ)と幡野(はたの)の二人がかりで検索をした。鈴木心(すずきしん)はそんなところも写真を撮ってる。

こんかいの旅のメンバーはこの3人。よくよく考えるとこの3人の名前もすこし読みにくいし、読み間違えられてきた経験が多そうだ。少なくともぼくはいままでの人生で何度も、読み間違いや誤変換されてきた。

ぼくが悪いわけじゃないけど、幡野という名前はわかりにくい。

なぜ旅のメンバーが写真家2人に編集者という組み合わせかというと雑誌の企画で知床のヒグマを目的に訪れている。今日10月1日発売のBRUTUS (ブルータス)の特集が“心を開放する旅、本、音楽。”というものでありがたいことに抜擢をされた。

抜擢というよりも、売り込んだという方が正確だ。ぼくにはいまマネージャーがついてくれている。ぼくには不釣り合いなほど優秀な人でバランス感覚が絶妙にいい人だ。

ガンになってマネージャーがつくのかよ、というツッコミが入りそうだけど、マネージャーの存在がぼくをストレスから守ってくれて、やりたいことや治療に集中させてくれるので、ぼくの寿命を延ばしてくれている。

マネージャーにやりたい仕事はないですか?と聞かれたのでブルータスの名前を最初にあげた。ぼくはずっとブルータスに憧れていた。ブルータスに起用されるカメラマンはみな優秀だ、写真が上手い。そして写真の重要性を理解している編集者がいる。憧れはあったけど、一歩を踏み出す勇気がなかったのかもしれない。

マネージャーはその日のうちに編集部に連絡してくれて、あっという間に話が進んだ。ぼくの実力を30割り増しぐらいにしてくれるのがマネージャーの存在だ。

そうして2泊3日の知床の旅の企画が決まった。
写真家2人の手綱を緩めたり引っ張ったりする、編集者カモシダが一番大変だ。

ぼくはそもそも他の撮影者と写真を撮りに行くのが好きじゃない。
写真学生時代、授業や夏休みなどで同級生と一緒に写真を撮りに行って似たような写真を量産するという思い出作りにはいいけど、写真としてはどうなんだろうということを何度も味わった経験がある。

写真学校は1年で中退、あたりまえながらそれからずっと一人で撮ってきたけど、7月に福島の帰宅困難地域をぼく鈴木心さんで一緒に訪れて写真を撮ったときに考えが変わった。同じ場所に立ち似たようなカメラを使っていても、全く違うものをうつし、文章も全く違うものを綴る。

それが新鮮で面白かった。写真学生のとき友人と似た写真を撮っていたのは、自信がなかったから友人と同じ写真を撮って自分を安心させていたのだろう。当時のぼくが写真に対して言葉が全く出てこなかったのは、なにも考えていなかったからだと思う。

孤独が成長させてくれて、その経験が人と写真を撮りにいく楽しさを教えてくれた。ブルータス誌面でも2泊3日の旅が写真日記のように写真と文章がセットになっている。

同じ場所で撮影してもやはり全く違う写真を撮り、文章を綴っている。

いつか訪れたいと何年もまえから思っていたけど、35年間生きてきて知床に訪れるのは人生で初めてだ。

もしかしたら口先だけで本当は訪れる気がなかったのかもしれない。あるいは自分の人生が80歳まであるとぼんやりと想像していて、平日の観光地で溢れる高齢者のように、自分もヒマになったら訪れればいいやと思っていたのかもしれない。

北海道の自然遺産の知床に本気で訪れようと思ったら、東京都の自然遺産である八王子から6時間もあれば行ける場所だ。

忙しいとか、お金とか、季節や天気など、もっともらしいつまらない行けない理由を作って行っていなかっただけだ。25歳だったころのぼくは、行く理由を作って日本中を旅していた。最近、25歳の感覚を取り戻すかのように、行く理由を作って旅をしている。

それは自分の人生が80歳どころか、40歳すらあやしい状況になったからだ。ぼくはガンだ、治る見込みはない。病気の話はどうでもいいのだけど、とにかく人は人生の終わりが見えてくると途端にやりたいことが見えてくる。

こんかいの旅の目的は“ヒグマを見ること。”だった。残念だけどヒグマを見ることはできなかった。ただ旅というのは目的をはたすことが全てではない。

八王子から電車に乗り、飛行機に乗って北海道に入る、車を運転して、ヘリコプターや船に乗ってヒグマを探す。美味しい食事を食べたり、人と出会って会話をする。匂いや風や温度を感じる。そういった点と点をつなげる線を描くことが旅なのだとぼくはおもう。

写真からは絶対に感じることができないことを体感できるのが旅だ。知らなかったことを知ることで知識になり、体感と交わることで経験になる。旅は人生経験になり、人の深みを増す。

生きているうちに、また知床を訪れたい。こんどは息子と妻と訪れて、また違う線を描きたい。たくさんの線を描きたい、旅をするたびにそうおもう。

編集者カモシダからぼくが撮影した写真が表紙の候補にあがっていることを伝えられた。デザイナーが選んだ表紙候補が3点あり、そのうち2点がぼくの写真だったそうだ。宝くじなら当たりそうな確率だけど、今回は残念ながら表紙を撮ることはできなかった、やはりそう簡単なものではない。

それでも自分の写真にブルータスのロゴの入った表紙デザインの画像が送られてきたときは嬉しかった。電車の中つり広告はぼくが撮影した写真が採用されています。書店やコンビニで見かけたらぜひ手にとってください。

10月7日の17時から“写真は読みものです”というイベントに出ます。
写真の話をします、ぜひ。

サポートされた資金で新しい経験をして、それをまたみなさまに共有したいと考えています。