自分の死に方を選ぶ。

“これまでの人生はどんな生き方でしたか?がんを抱えて、これからどう生きたいですか?”

緩和ケア医の西智弘先生は初診で患者さんにこう質問をする。
質問の意図は、一人一人違う生き方を患者さんと緩和ケア医師で一緒に考え、患者さんのゴールを定め、そのゴールを目標に寄り添い治療を決めていくためだ。

“そんなこと今まで一度も考えたことが無い。”
多くの患者さんはそう答えるそうだ。
“先生にお任せします。”
人によっては生き方をお任せする人もいるそうだ。

だから初診には1時間ほどじっくり時間をかけて患者さんのこれまでの生き方、何を大切に生きていたのか話し合う。高いコミュニケーション能力と人間性を必要とする。

7/14(土)より映画『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル〜最期に死ぬ時。』がポレポレ東中野、シネマ・チュプキ・タバタほか全国順次公開される。

関口祐加監督のお母様が痴呆症になり、介護をする日々を映したドキュメンタリー映画だ。

関口監督自身が手術のために全身麻酔をして自分の死を考えることになった。
なぜ全身麻酔で死ぬことを考えたかと言うと、関口監督が手術する一人前の患者さんが全身麻酔から目覚めずに亡くなるという医療事故が直前に起きたからだ。

そして、その一件があったせいなのか、関口監督の麻酔量は逆に少なく手術を終えてすぐに手術台の上で目が覚めて、激痛に襲われたそうだ。

さらに、入院中に友達になったがん患者の山田さんが亡くなったことなど、日々の生活のなかで短い期間に多くの死の匂いを吸い込んだことで人生の最後を考え映画を制作した。

そもそも生きることや死ぬことを日常的に考えて来た人なのだろう。
横浜のカフェでお話をしていて、死生観や作品への考え方、共感するところが多かった。写真家と映画監督、ジャンルが違えど同じ作家だ。

映画のテーマとしては重いドキュメンタリーになりがちだけど、関口監督の明るさでコメディのような仕上がりになっている。

“自分にとっても、家族にとっても後悔を残さない選択をしたい。”
西先生の質問を僕が真似して聞くと、関口監督はご自身の最後についてこう答えた。悩むことなく即答だった。

関口監督は映画内でも取材をしているスイスの自死幇助団体「ライフサークル」の会員にもなっている。
監督が自死幇助を実際に受けるには、回復の見込みがない病気になり、耐えがたい苦痛を伴っていること、そして本人の明確な意思があることが必須だ。

一般的に多くの人が認知している言葉は“安楽死”だけど、積極的安楽死、消極的安楽死、自死幇助(自殺幇助)などいくつかの種類を包括している。
そのほかに鎮静死など尊厳死や自然死、孤独死、自殺など、死に方の名前は雨の名前のようにたくさんある。

それぞれの細い説明は省略するけど、関口監督が選択肢の一つにしている自死幇助は医師が致死薬の入った点滴針を刺して、患者自らが点滴のボタンを押して薬を体内に流し込むものだ。なので自死の幇助、自殺の幇助と表現される。

日本国内では年間3万人の自殺者がいる。電車やビルの飛び込み。
樹海で首を吊ったり、自宅、車内などで練炭など使ったりと様々だけど、自殺に失敗して後遺症を抱える人も少なくない。

自殺の理由は様々だけど病院内で自殺する患者の半数はがん患者だ、健康な人に比べてがん患者は20倍以上の自殺のリスクがある。
スイスの自死幇助は医師の立ち会いのもと安全に確実に死ぬことができることがメリットだろう。もちろん直前に気が変わったりしたら止めてもいい。

西先生は日本国内の安楽死には反対している。

助かることができる患者、生きることを望む患者まで死なせればいいということに繋がりかねない。そして緩和ケアの成長も止まり、助けることができる患者まで死を選択肢なかねないと危惧する。

緩和ケアは手の施しようが無くなった患者が死ぬ場所ではない、生きることを考える場所だ。僕自身もがんになったけど、生きることを考えている。
それは緩和ケアのおかげに他ならない、もちろんがんになって早期にかかったという点が大きい。

ところが僕は患者さんとそのご家族とご遺族を取材して、感じたことだけどかなり多くの人が緩和ケアのことを誤解している。
誤解というレベルを大きく超えて緩和ケア医のことを悪くいう人が少なくない。

最後の最後に苦しむ患者には、鎮静死という措置が日本では認めらている。
鎮静死は強力な鎮静剤で眠らせて、苦しまずに眠ったまま自然死を迎えるものだ。
家族が患者の苦しむ姿を見ずにすみ、患者も苦しまなくてすむ。
僕は鎮静死は最後の救いだと思っている。

しかし鎮静死には大きな問題がある、鎮静は医師の判断で行うものだ。
患者が苦しみ家族がなんとかしてくれと望んでも、医師の裁量で施さないというのが現実として起きている。

鎮静を自分の信条や理念に反する行為だという認識の医師は少なくない。
そして高い技術と経験に伴う高い判断力が求めれらる上に、医師は人を救うために医師をやっているので心理的には施したくないのだろう。

ここで断っておくけど、西先生はそんなことはない。
西先生はよく、過去の緩和ケア医たちのツケを払っていると言う。
これからの緩和ケア医の育成が大切だと言っている。

僕は最後の最後は西先生の病院に転院して、看取ってもらうことを選択肢の一つにしている。僕の死をこれから若手緩和ケア医を育成する西先生の糧にしてもらいたいとも考えている、それくらい西先生は尊敬に値する医師だと僕は感じている。

西先生 ツイッターより追記

誤解を招きそうな部分について1点だけ。本文中に「過去の緩和ケア医たちのツケを払っている」という表現があるが、あれは別に先人たちを批判しているのではない。歴史の流れの中で、日本に緩和ケアを導入した当初と、いま求められている緩和ケアは違う。その進化の痛みを受け止めないとという意味

いまは早期緩和ケアが求められるが、過去はそうではなかったし、まずは終末期を整えることが何より先決だった。その名残で「まだ緩和ケアに行くのは早い」「ホスピスは死にに行くところ」となるが、先人たちに敬意を表しつつ、その文化を書き換えていくのが私たちの仕事。

なぜ多くの人が緩和ケアを誤解しているのか?
緩和ケアの医療体制の満足度が低いからに他ならない。

患者は“苦しみたくない。”
当たり前だ、誰だって苦しんで生きたくないし、死にたくない。
その苦しみから逃れるためにがん患者や精神疾患の患者は自殺する人が多い。
自分の存在意義を感じられずに、家族のためと信じて家族の希望を叶えようともする。

家族は“悲しみたくない。”
亡くなる悲しみを先延ばすために、患者に一分一秒でも長く生きて欲しいと願い、患者が望んでいない延命を望む家族が少なくない。
そしてこれが場合によっては患者を“苦しめる。”

医師は“救いたい。”
人を救いたくて医師になっている。
ただ、医師は患者の希望よりも家族の希望を優先しがちだ。
亡くなる患者よりも、これから生きる家族の満足度や生活を考えているのだろうが、同時に訴訟のリスクも気にしている。

それぞれの足並みが揃っていない、それが現在の医療だ。

関口監督は死ぬ方法の選択肢を持つことが大切だと言っている。
それは映画内でも医師が述べている、安楽死や自死幇助などの苦しまない選択肢を持つことで、安心して生きることを頑張れる。

僕もあまりにも体調が辛かった時期、散弾銃を所持していたことでどこか安心していた。最後はこれで死ねばいいやという選択肢があったからだ。

関口監督は医師と患者の関係は圧倒的に医師が強く、患者は生殺与奪権が握られていると言う。だから自分を守る手段や選択肢の一つとして自死幇助団体「ライフサークル」の会員になった。

僕も関口監督を通して、「ライフサークル」の会員になろうと手続きをお願いしている。西先生に看取ってもらう選択肢を持ちつつ、自死幇助の選択肢も持ちたい。

選択肢は多ければ多いいほどいい、その時の気分で選べばいい。
ファーストクラスでスイスに行って観光してから死ぬのも悪くない。気が変わったら帰国すればいい。

関口監督が“自分にとっても、家族にとっても後悔を残さない選択をしたい。”と述べた気持ちは僕も全く同感なのだ。妻と子どもにトラウマのような後悔を残したくない。自死幇助という選択肢は持てば、少なくとも自殺という選択肢を消去法で捨てることができる。

“死ぬことや、生きることをもっと考えて欲しい。”
安楽死に反対する緩和ケア医の西先生がよくいう言葉だ。

“観客に対してあなたならどうしたいですか?と挑発したい。死ぬことや、生きることをもっと考えて欲しい。”
スイスの自死幇助サークルの会員になった関口監督の言葉だ。

死に方に関して正反対の意見を述べている2人が本当に伝えたいことの根底のことは一致している。考える力の弱さ、思考停止させる教育。
人の意見に流されやすく、それでいて考えを押し付けてしまう危険性。

考えて欲しいからこそ、西先生と関口監督は患者と観客に決して答えを与えない。

日本では死ぬことを考える土壌ができていない。
土壌が整っていないところに、死の果実の苗を植えてもいいものは出来ないだろう。

土壌とは考える力だ。

自分だったらどうしたいかを考えることが大切だ、その考えは尊重されるべきだけど、それはあなたの答えであって決して人に押し付けたりするものではない。
また人から押し付けられたときに、跳ね返す力も必要だ。

私はこう死にたい、これだけでいいと思う。
僕は死に方や生き方を否定するのではなく、尊重することが大切だと感じている。

僕は自分の死を家族の不幸にして欲しくない、それが望みだ。
最後の最後で苦しんでいるのに、鎮静を施さない医師になどには命は任せられない。その姿を家族に見せて家族の後悔につなげて欲しくない。
たったそれだけが望みだ。

死に方はたくさんあるので、そのなかから自分の人生にあったものを選ぶべきだと僕は思う。

7月16日(月曜 祝日) がちょっと忙しい。ダブルブッキングした。
ポレポレ中野で映画上映後、13時から関口監督とトークイベントをします。

関口監督が本当に明るくて話しやすいので、時間をオーバーしそうで怖い。

やりたいことをして生きてきた人は人生を満足している。
死を考える映画監督と写真家、そんな二人のお話です。

訂正です、僕ひとりで登壇です。
緊張して寿命が縮みそうです

16:30からは川崎の高願寺で“安楽死を遂げるまで”の著者 宮下洋一さんと西先生と安楽死について対談します。

最大で300人ぐらい入れるそうなので、バンバン来てください。
実は先日お酒を飲みながら打ち合わせをして、終電ギリギリまで議論した。
時間が足りないぐらい濃密な話になると思います、懇親会もあるそうです。ぜひ。

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幡野広志

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コメント4件

コラムを拝読させていただきました。私の父も10年以上前にガンで他界しました。ガンが判明した後は総合病院で手術や化学療法などをうけ入院生活を送っていましたが、痛みがかなりあっても医師が最低限の麻酔しか使いたがらず、苦しむ父を見るのは大変つらかった記憶があります。これ以上の回復は見込めないという段階になって、ミッション系の緩和医療を行うホスピスに転院しました。そこは積極的治療は行わず緩和医療に特化した病院で、清潔な館内、明るい病室、やわらかい音楽が流れ、天気の良い日には屋上ガーデンで日向ぼっこ、週1回の割合で行われる館内のクラシックミニコンサートを聞かせるなど、本人は麻酔で眠っている状態にもかかわらず手厚いケアをしてもらいました。何よりもありがたかったのは、痛みなどで苦しんでいるときは、医師の指示のもとすぐに緩和の処置をしてくれたことです。お陰様でほとんど苦しむことなく人生を終わらせることができました。緩和医療のおかげで苦しむことなく最期を迎えることができて本当に良かったというのが、遺族の嘘偽りない思いです。
安楽自殺を推進して欲しい。
毎年、3万人近くの人が飛び降りとか飛び込みとか水死などのとても苦しい方法で自殺している。もっと楽な自殺方法があるにもかかわらず、である。

大手術を受けた友人の話。術前に全身麻酔薬を注射された際、針を刺されて麻酔薬が入り始めて3つ数えないうちに意識を失い、目が覚めたら手術後数時間経ってて自分の病室だった、と。

この話を聞いて、一番楽な死に方は、手術の下手な医者にかかって術中に死ぬのが、一番楽な死に方だと思った。眠っているうちに死ねるから。

で、自殺の際にも、全身麻酔薬と少々遅効性のある毒薬の混合薬を点滴で注入するのが一番楽な方法だと思うが、どうだろうか?

悲惨な死に方の自殺を撲滅しよう
個人的には安楽死反対の理由が幼稚に感じるね。包丁で殺人起きたら包丁は危ないものだからなくしましょうといってるレベル。そもそもすべての物事にはリスクはある、君らが普段処方してる薬だってそうだね、副作用があるからなくしましょうと言ってるのと変わらないよ。
じゃあ今すぐ本当に苦しくて死にたいという人はどうなるんだろう、もう少し柔軟に考えてほしいね。

もちろん大前提としてどちらが合ってるか間違ってるかなんて言う話じゃない、そんなものは個人の自由だという前提くらいはわかるよね。
ボクは昨年妻を自宅で看取りました。
訪問診療の緩和ケアです。
お別れには満足しています。もう少し早く緩和ケアを知っていたらなという欲はありますが、なにしろ標準治療医に心を傷つけられ、以来医者恐怖症になってしまったもので。

日本の良くないところは、選べないってところだと思います。死というのは、その人のものなのに、他の人が選択権を奪っていると感じます。
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