2019年8月15日

 以前に、うちの師匠(湯川れい子)のお兄さんが書いた、昭和18年頃の日記を読ませてもらったことがある。とても貴重な日記で、彼が戦争に召集される前までのもの。

 当時、お兄さんは大学生だけど、お父さんは海軍大佐で、弟も海軍エリート。だけど自分は戦争が嫌いで、召集されることを免除してもらう申請を何度も出して、戦争が嫌だ嫌だと何度も何度も書いていた。そのことで、お父さんとも言い合いをして、喧嘩をしたことも書いてあった。そういう申請があったことも知らなかったんだけど、とにかく、何度かそれを出して、なんとか引き延ばしてもらっていた。もしかしたらお父さんが偉い人だから、免除されたりもしていたのかもしれない。

 お兄さんは映画が好きで、ああ、戦時中も映画は上映していたんですねぇ。まぁ、海軍大佐のお金持ちの家ですから、食べるものも都内でありながら困ることなくあり、友達と映画にも行ったりしてるんだけど、でも、とにかく戦争に行きたくないと何度も書いてて、その気持ちというか、その叫びは、本当に読んでいてつらいもので、そしてお兄さんはその後結局、召集され、戦争に行って、フィリピンで戦死してしまう。海軍大佐の家の子でも、戦争は嫌で、行きたくなくて、それでも召集されてしまい、行かされて死んだ。遠い島で、骨も見つからず(師匠が遺骨収集に行ったけど、わからなかった)拾ってもらえず、今もどこかで一人眠っている。そんなバカなことがあっていいものか! いいわけがない!

 まだ20代そこそこの、趣味があって、将来があって、友達がいる、お金持ちな男の子。今なら、チャラい奴~なんて呼ばれたかもしれない。そんな子が、いやだいやだと泣きながら戦争に行かされた。親が海軍大佐でも、おじいちゃんが海軍大将でも(日露戦争の英雄だったらしい)、戦争は嫌で嫌で行きたくないと泣き叫んで、日記にそれを書き続け、そして戦地で死んだ。

 さっきネットで今日の靖国神社で、嬉々として軍服を着て行進してる人たちの写真を見て、あんたたちに、このお兄さんの気持ちなんて、死んでもわからないんだろう?と思った。だから、そんなふざけた真似ができる。本当に「英霊」とか言って、その人たちを心から尊敬し、心から思い、心から悼むなら、そんな真似は絶対にできない。ひたすら静かに祈り、私たちは何があってもあなたたちの苦しみ悲しみ絶望を繰り返させませんとかたく誓うだけだ。あんなバカげたことをしてるのを、フィリピンで一人今も眠っているお兄さんは見て、どんだけ悔しいだろうか。バカげたことは止めてくれ!と叫ぶことだろう。

 私たちはそのお兄さんのような大勢の人たちの命の犠牲の上に生きている。何があっても戦争をしてはいけないと固く誓うことこそが最も大切だと改めて言わなくてはいけない。


 

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