コロナになって

1月27日の夜はふつうに寝たのだが、深夜すぎ、明け方にかかるぐらいから暑くて暑くてて「寝間着が熱いのだろうか」とか思いながら寝ていたのだが、どうも身体も痛い。朝になって熱を測ると7度7分あった。ゲッ。そっこーで葛根湯を飲んで、また寝て、起きると8度5分になっていた。主治医に電話すると、「明日なら」と言うし、そもそも主治医はちょっと遠いので行けないから、近所の当番医を、仲良しの区議会議員のさとみんに教えてもらい、自転車で向かった。このときは自分はインフルだと思っていた。だって家にあった抗原検査キットは陰性だったから。

だから途中で水とパンとビスケットを買って(このとき最大にウイルス放出していたはず、ごめんなさい)、病院で外で待ってると、私のような人が何人もいる。後から聞いたら、全員がコロナだったらしい。

で、鼻にぐるぐるする検査をされて、「コロナです」と言われて驚いて、えええ、逃げ切れると思ってたのに~と、この4年の様々な苦労を思い出す。私は死ぬほど予防してきた人だ。外食なんてほとんどしてないし。て、もともと外食する余裕なんてないから、もあるけど。

それからはひたすら寝る人。すでに2週間以上たったのだが、実はいまだに体調が悪い。だるくて、ねむくて、咳が出る。その3つなのだが、どうにもならん。寝転がりながら本をぼやぼや読んだり、録画していた「昨日何食べた」ばかり見ていて、今やケンジのセリフを自分が言い出しそう。てか、ケンジにひたすら魅了されるコロナ・デイズ。

あれもこれもそれもやろうと欲張って始まった2024年1から2月。こうして予定はすべて崩れ、最低限やらなくてはいけないことだけやり、あとはもうすべてごめんなさいして、グダグダしている。だって、それしかできないから。グダグダするしか道がない。こんなときに限ってお仕事の依頼などいただくのだが、ぜんぶ断った。

京都の市長選のあれこれのときもコロナ絶好調のときで、熱の怒りにまかせてツイートしまくったり、大暴れしていた。あれでまた確実に悪くなったな、うん。馬鹿だなぁ、私ってば。アハっ。でも、あれは今も怒ってるのです、ええ。もうさ、おじさんたちが主導して、市民置き去りの政治をリベラル政党が見せないでほしいんだよね。それは立憲でも共産党でもどこでも同じ。ドラマ「不適切にもほどがある」でもみんな見て、それぞれに考えたらいいのに。

友達やらが次々「おかゆ」のレトルトを送ってくれたり、梅干しのおいしいのくれたり、野菜くれたり、煮物くれたり。いちども会ったことない、ツイッターだけで知ってる女性がお弁当買ってきてくれたり、素敵な方が遠く中野まで来て、おいしいものを食べさせてくれたりもした。ありがたすぎる。私はすぐに甘えることにしてる人なので、「和田さん大丈夫ですか?」と聞かれると、大丈夫ではない、と答え、「何かほしいものありませんか?」と聞かれたら、具体的に答えることにしている。めたくそ図々しいw ありえないほどだ。

しかし、こういうときこそ共助は大事。共助、発動!とか、勝手に言う。私はみなさんによって生きていると、ひしひし感じながら、今日もダラダラ寝転んでいる。でも今日は夜、どうしてもやらないといけないことがあるので、がんばつて出かける。

いつか元気になって、みなさんにお返しできるよう、とにかく治します。コロナは手ごわいのぉ~~。愛する白鵬の「白鵬杯(少年たちの相撲大会)」も、初めて白鵬が協賛した女子相撲の大会「ドリームガールズ杯」も、見に行けず、残念っ。特にドリームガールズ杯は小学生から取材してる島袋心夏さんが優勝したから、くぅ~~、残念。

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