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それでも今日を生きて行く(寄り道編)

 この数年、私の生活を大きく支える原稿料を下さる、ありがたい仕事があったのだが、今日メールが来て、それが来月で終わることが告げられた。

 今日はその原稿の締め切りで、きちんと朝1で原稿を出し、編集者さんからの返信にそれは書かれていた。「改編で和田さんの連載はあと2回(今回入れて)になります。つまり、来月が最後です。よろしくお願いします」とあった。なる~~~~ほど~~~~~~。
 よもや編集者さんはこの仕事が私の生活を大きく支えてるとは思わなんだろう。たった2行のお知らせで、私の人生はお先真っ暗、瞬く間に奈落の底に墜ちてしまった。よろしくお願いしますってなああに? なああに? どう、よろしくしたらいいの? せめて5行ぐらい書いてよ、あ、いや、違う、せめて、もうちょっと前に教えてくれたら、まぁ、それでも、どうにもならんのだが。ああ、せめて、せめて、あと一年ぐらいやらせてよ~~~。いやいや、あと二年、三年、私の生活支えてよ~~~~♪と歌い出したくなりました。

 フリーのライターとして26歳から生きて来て、ライター業としては19歳から生きて来て、今53歳。このように突然に連載が終わることは多々あった。その度、阿鼻叫喚、大暴れ、落ち込み、死ぬ死ぬ騒ぎ、大変なことを繰り返してきた。何度もそういうことあるんだから、慣れてるでしょう?とか、そういうことに日頃から対処しておかないと、なんてしたり顔で言う人に言おう。そんな準備できる、そんな心構えできるぐらいなら、フリーランスなんてやってないで、きちっと会社勤めしてますから、ええ。ええ。会社勤めとか出来ない社会の落伍者だからフリーランスなんですっ! ええっ!

 大えばりしてみるが、してみたところでしょうがない。阿鼻叫喚、大暴れ、ぶち切れ段階を過ぎ、今は反省と落ち込みのみである。ああ、私、なんでライターになんてなったんだろう? ほんと、もうちょっと修行して、きちんと会社とかお役所とかに務められるように、それかもっと手に職を付けて一人で生きて行けるようにしておけばよかったのに、本当にバカだわ、という人生振り返りモードになっている。

 そもそも何かを書く、ということを始めたのは高校生の頃だ。高校1年生の秋、エア・サプライというオーストラリアの、やたらハイトーン・ボイスなグループに夢中だった友達のモリさんが自転車で田舎道を併走しながら、
「ねえねえ、エア・サプライ、ステキなんだからさ、ワダコー(当時の私のニックネーム)もさぁ、番組一度見てみて」
 と、しつこく勧める番組「ベストヒットUSA」を何気なく見たときのことだ。私は天啓を受けてしまった。
 そこに出ておられた(ビデオクリップが紹介されておられたのである)エア・サプライではなく、リック・スプリングフィールドというアメリカの王子に魅せられてしまったのだ。撃ち抜かれた、そう表現したい。
 王子に撃ち抜かれた16歳の和田、そりゃもう瞬く間にフォーリン・ラヴ! リック王子のためなら地獄の淵を見てもいい! みたいなアホアホな思い込み一色に支配されたのである。
 はて、リック王子? どんな人?

 私は小学生の頃、最近またよくTVに出ている野口五郎に夢中だったが(五郎ノート、などを作り、明星、平凡を切り抜いては貼っておった)、その五郎王子をアメリカ人ぽくした感じ?とでも言おうか。間違ってるかもしれないが、そんな感じぃ~。リック王子。馬面?

 そして、とにかくリック王子に夢中になった私は学校帰りに近所のファミレス「もくば」で必死にバイトしまくり、その賃金で「タイガー・ビート」や「セヴンティーン」など洋モノ雑誌(エロ系ではありませんよぉ)を沼津駅前の「マルサン」という書店で購入しては、リック王子のグラビアを舐めるように見ていたのだが、そのうち舐めてるだけでは物足りなくなり、「この思いを誰かに伝えたい!」と、「タイガー・ビート」や、当時読んでいた日本の音楽雑誌「ビバ・ロック」などに「文通しませんか?うふっ。当方高校2年、女子です~」みたいな紹介文を書いて投書。一時期はペンフレンドが13人ぐらいいて、日々ひたすら自分がどんなにリック王子を好きかをしたためていた。ブログなどない時代である。下手な英語も下手な日本語も、ひたすらリック王子のことを書くためなら、苦労ではなかった。

 しかし、そんなしたためは相手方には飽きられ、次第にペンフレンドは減少。そんな折に出合ったのが、湯川さんがDJを務めていた「全米トップ40」というラジオ番組で、今度はこちらへと毎週毎週しつこくリック王子についてしたため、したため、それが、その後、私を湯川さんの事務所へと誘うことにつながったのだから、王子への愛、ある意味、一つの結実?

 さらに同時期である。たまたま「マルサン」書店で見つけた、創刊されたばかりのインタビュー雑誌「JUNNON」(今もあるのだろうか?)が「あなたの好きな人にインタビューする読者を募集!」なる企画を発表した。
「これ、リックで応募したい!!!」
 瞬く間に興奮して叫び、13人ものペンフレンドや湯川さんにしたため、したためまくってきた己が愛をここに一気に集中させ、私は熱い熱い、熱すぎる応募手紙を書いて投函した。

 すると、しばらくして編集部から手紙が着た!

「うわああああああああああああああああああああああああ!」
 大興奮で手紙を開けると、そこには意外なことが書いてあった。残念ながらあなたの願うリック・スプリングフィールドさんにはインタビューさせてはあげられない。海外の方で難しい。ただ、あなたの手紙は大変面白く読んだ。あなたの熱意は素晴らしい。感激した、とあった。インタビュー企画には落選したが、手紙の文章が褒められたのだ。

 えっ? 意外なことに驚き、驚きながらも私はまだリック王子にインタビューすることを諦めきれず、編集部に「わざわざお手紙くださり、ありがとうございます。でも、いつか、いつか、機会があったら、リック王子にインタビューさせてください」と、またしつこく手紙を書いて出してみた。

 すると、編集部もすごく丁寧で(今どきはこういう手間をしてくれる人、少ないんじゃないかなぁ。。。だいたい、ほら、2行だし。。。って、あ、いや、まぁ。。。あはははは)、再び手紙をくれた。今度は編集長からだった。そしてそこに書かれていたのは、「あなたは文章が面白いから、将来はライターになりなさい」という一文だった。

 それはリック王子に撃ち抜かれたのとはまた別の衝撃というか、驚き、揺さぶりを私に与えた。私は文章が面白いの? そうなの? そうなのか? そうか。そうだ。私、ライターになろう。そのとき決めたんだ。

 それから36年経った。私はめでたくライターにはなったものの、いまだ四苦八苦して愛読書(?)は「タウンワーク」だ。「タウンワーク」の読み解き方、という本なら今すぐ書けそうな気がする。需要ありませんか(笑)?
 いつになったら私は「いやぁ、ライターになって良かったぁ」と思えるのだろう? とりあえず今は、急いでもう一個(すでに一個やってます)バイトを探さなきゃ。お盆明けにはコンビニで「タウンワーク」をピックアップさ!  

 

 

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