音楽はいいねぇ

 コロナになって、その後、ずっと調子が今一つで家にゴロゴロいるばかりで気持ちはどんどん落ち込んでいく中で、よくラジオで音楽を聴く。今も聞きながら書いている。音楽はいいよねえ~。目を閉じて聞けば、たちまち違う世界が広がる。行ったことも、見たこともない世界に連れて行ってくれる。調子悪くて、何もできず、ぼんやりしてるだけなのに、音楽があれば、新しい世界が開ける。

 昔は音楽ライターをしていた。いつもあれこれ音楽を聴いては、狭い6畳間とかで、ひとり座って、遠い世界を夢見て、旅していた。そうそう、私は20代、30代と、ずっと、ただ夢を見ていたんだよねぇ。つくづくそう思う。で、ハッと気づいたら、やばやばやば、仕事もお金もない!って感じで大慌て。いやぁ、本にも書いたけど、まさに「蟻とキリギリス」のキリギリスさんそのものじゃ~ん。「これって私のせいですか?」って、おまえのせいだよ!とさんざののしられたが、いや、そうかもね、あはははは。ま、それでも社会構造の責任ですよと言い続けますが、ええ。

 ところで、竹田ダニエルさんのこの記事が話題だ。

 そう、スーパーボウルで盛り上がる陰で、ガザでは多くの子供も大人も虐殺されている。
「テイラー・スウィフトもビヨンセも、カルチャー的にも経済的にも、さらには政治的にも大きな影響力を持った大富豪たちだ。彼女たちに限らず、数多くの「セレブ」たちがガザで起きていることについて声を上げないことに、多くのファンや一般人は不満を抱き、批判している。」(記事より)

 そのとおりだ。テイラーやビヨンセがここでは例にあがってるが、もっともっと年上の、たとえば日頃は社会派であるとされるブルース・スプリングスティーンや、ああ、ボブ・ディラン、そういう人たちは声をあげないのだろうか? 町に出て、デモの先頭に立たないのか? 実は私は彼らの音楽で遠い世界に旅したことはほとんどないのだが(旅したのはテイラーとかのがずっと多いなぁ)、ボスもボブも社会に物申すスタンスでお金得てきたんだよね?と、彼らにこそ声をあげてほしいと願う。そして同時に、そういう人たちの音楽を「物申す素晴らしい音楽だ」と称賛してきた方々も、声をあげてくれたらいいのに。

 しかし、そういうセレブ頼みちゅうか、セレブが声をあげることって逆効果であるような気もする。竹田さんも書いている。
「去年あたりからこの「セレブ信仰」の有害性はさらに議論されており、あまりに格差が広がり、アメリカの社会不安が増幅するとともに、セレブに「正しさ」を求めることはもはや無意味であるということも主張されるようになった」

 以前はよく大統領選挙前になるとセレブが集って応援コンサートが盛んだった。ブッシュ大統領を落とそう!と私の好きなバンドとかも盛んにコンサートをやっていた。でも、たいていその運動は効力を発揮しないんだけど。で、あるとき見ていて、なんかこう、この華やかな人たちがキラキラと歌い「選挙に行こう」「ブッシュじゃない人に」「トランプじゃない人に」投票しようと呼びかけることって、逆に今生活が苦しくて、辛くて、がんばっても報われない人には、逆効果じゃないのか?と思った。その頃、私自身もバイトに明け暮れていた。

 音楽は素晴らしいし、本当に楽しい。ただその力は万能ではない。私たち自身がそれを理解し、夢を見ながら現実も見ていかなきゃ、と改めて思う。

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