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アフター1964東京オリンピック

 思い込み、というのはよくある。思い込みで、これはこうだ、ああだとついつい言ってしまう。ツイートしてしまう。すると、ソースを出せ!ファクトチェックしろ!と怒られ、あら、やだ、そうだったのね?と思うこと度々な昨今だ。

 で。オリンピックだ。オリンピックねぇ~。いやぁ、正直、ずっとアテネと、冬は、そうだねぇ。雪とか施設とかありそうなインスブルックとか、その辺りでずっと、ずっと、同じ場所開催でいいんじゃね? そしたら施設も無駄にならないし? 甲子園みたいにさ、同じ会場で、そこの会場に出ることがステイタスみたいので、いいんじゃね?

 と、常々思う私です。

 アテネ目指してるんです! インスブルック目指してるんです!

 ずっとそういう感じでいい。えっ? それじゃ、なんか、国際交流にならん? それなら、「えぇ、今度のインスブルック大会、テーマはアジアです、アジアです、アジア色を出します」とか言って、テーマ別にすればいいんじゃね? 金かける必要ないんじゃね? 自然にその方が優しくね?

 何度も言いますが、私はそう思います、はい。

 「アフター1964東京オリンピック」著・カルロス矢吹 出版:CYZO  1600円+税

 を読んで、さらにそう思った。私たち、なんとなく思い込んでいたよね? 昔の東京オリンピックって、成功してて、ハッピーで、万歳だったって? 

 でも、段々化けの皮がはがれてくると、当時も東京中がひっぺ返され、昔ながらのものが失われ、会場建設とか、当時は一気に高速道路なども作られ、住む所を追われた人もいた。

 そして、この本を読んで分かったのは、そもそもハッピー万歳だと思い込んでた選手たち自身にも、あれれれれ?なのがけっこうあったじゃん、という話。

 もちろん、あれれれ?から始まる試行錯誤があったからこそ、その後学んで色々な面で良くなったスポーツもあるんだそう。が、それでもなんでも、オリンピックという魔物(とよく言うよね)に間に合わせるため、急ごしらえの突貫工事的に選手たちもあつらえられたりで、選手たち自身が???なままオリンピックを迎え、参加し、そして終えていること、この本を読んで初めて知った。

 この本は、東京オリンピックに出場した選手ら12人にインタビューしたものをまとめている。

 東京オリンピックに翻弄された人たちの証言はもちろん、日本においてスポーツがそれまでどういう立ち位置で進み、オリンピックを機にどう変化していくかなどもきちんと丁寧に調べて記す。私はよく相撲について書くことがあるけど、スポーツについて書くライターの人は、この本、読んで、そういう視点を心に留めておくのはいいことだと思う。スポーツに対する概念は、時代と共に大きく変わること、特にこういうオリンピックのようなものがあると、それが変化することを見つめるのは大切だ。

 で、オリンピアンだけじゃなく、唯一、東京オリンピックの映画を作った市川崑についての話も出てくる。市川はすでにないので、話はそのとき撮影スタッフを務めた山本晋也監督に聞いている。東京オリンピックで最も成功したものって、実はこの映画じゃないのか?と、読んで思わされた。その後テレビで何度か放映され、断片的には見た記憶があるこの映画、なるほどそうやって制作され、へ~、最初は不評で、でも大ヒットして、そのことが東京オリンピックというものの成功譚にそのまま変わっていったことがよく分かる。

 そして最後にパラリンピアンだった近藤秀夫さんが登場する。この章が色々私には一番衝撃的だった。当時の障がい者たちが置かれた状況などにも言及し、この章だけでも、ほんと、読んでほしい。そして近藤さんたちが願った東京オリンピック後の、障がい者に優しい街づくりは結局今も実現していないこと。それを今度のパラリンピックで実現できるのか? と、厳しい視線を向けているのもいい。

 スポーツ・ルポルタージュとして、これは傑作です。

 

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