音楽ってすげい ー24歳になった最近のこと
久しぶりにうまい家系ラーメンを見つけました。赤坂にあるよくありそうな家系ラーメンのお店なのですが、これがうまい。スープがめっちゃまろやか。
仕事終わり、大盛りの食券買って、ご飯まで追加して、スープまで完飲。
「いいラーメン屋見つけたなあ」と、とてもいい気分で店を後に。
10歩歩いて、あ、財布無い。と店に戻ったら、財布がどこにもありませんでした。え?探してもどこにもないんだけど。。
誕生日に彼女にもらったオーダーメイドの皮財布を一日で盗まれる、そんな24歳のスタートでした。
さて、24歳になりました。24にもなると、歳をとることにあまり意味を感じなくなりますね。
去年の誕生日は大学生活最後の誕生日で、お坊さんになることを決断した日でもありました。
その前は、facebookの友達がちょうど1000人になった誕生日でした。
その前は、21歳、なんだか大人になるような気持ちになった誕生日。ーーー
そんな感じで毎年何かしら強く心に感じるものを持ちながら誕生日を迎えてきましたが、今年はまぁさらっとしてる。笑 特に何の感慨もない。
あーあ、こうしてだんだん時間が経つことへの感受性が薄れていって、いつのまにかおじいちゃんになってるんだろうなあ。
でも、そんな老後を楽しむために、誕生日を節目に、その時に感じていることとかを書き残しておきたいなあとは思うのです。
最近は新しい発見・感情もあったので、書くのめんどくさいけど記録しておこうと思います。
音楽ってすげい!
最近感じていることですが、音楽ってすごい!
音楽だけでなく、アート、演劇、スポーツ・・・最近、そういったものに強く心動かされることがあります。
9月にニューアコースティックキャンプというフェスに行きました。
群馬は水上のキャンプ場にて開催されるフェスで、キャンプしながら音楽を楽しめるのが特徴です。
MONOEYES、竹原ピストル、スガシカオ、ハナレグミ、フラカン、片平里菜、morohaなどエモい方々の歌をたくさん聞けて最高だった。
会を主宰するのは、BrahmanのTOSHI-LOWさん。
寛容さがなくて、弱者に厳しくて、助け合いを拒絶するような社会に息苦しさを感じている人たちが、「もっといい世界作ろうよ」って思える2日間を目指してる。
(https://www.cinra.net/interview/201809-toshilow より)
こういう動機でフェス主宰する人もいるんですね...!
とにかく自由な雰囲気が流れていて、例えば、ほかのアーティストのライブにTOSHI-LOWさんが突如乱入、一緒に歌ったり、一升瓶持ち込んで酒煽るなんてシーンもありました。
最初はだれかよくわからんゴツいおっさんが邪魔してる…と思いながら見ていましたが、アーティストとTOSHI-LOWさんの関係性がすごく素敵なんだなということがやり取りを通して見えてきます。
アーティストが完ぺきな演奏を披露し観客を喜ばす。というのが普通のフェスだと思いますが、その時アーティストって、どっか別の世界にいる存在のように見えてしまいますよね。
それが、ニューアコで舞台上でゲラゲラ笑いあってるアーティストの方たちの姿を見ていると、なんというか、親近感のようなものを感じました。
「この人ら、全然普通の人じゃん!」と。
そういう見方になると、急にアーティストの人間性みたいなものがよく見えてくる気がするんですよね。
この人ってどんな人なんだろう。どういう経験をしてきたんだろう。何を思って歌を歌っているんだろう。
きっと、色んな経験を経て、いまこの舞台上に立っているんだよな。
そう思うと、曲の歌詞、その曲の紹介の仕方、歌う表情、その全てが意味を持って、生き生きと躍動して心に響いてきます。
その人がどんな道を歩んできたかなんてほとんど知らないけど、その人生そのものが結晶となって歌になっているんだと、自然にそう感じられるようになりました。
これまではどちらかというと、歌の歌詞とかはあまり気にせず、メロディで曲を聴いていました。
でも、ニューアコではちょっと違う聴き方になりました。
“人生の結晶”なんだと思ってその曲を聴くと、心への届き方が全然違う。フラカンとか、morohaとか、もうヤバイ。
あぁ、なんて尊く、なんてパワーを持った存在なんだろう。
音楽ってすげい!
これマジ。本当に。
特にスガシカオさんのライブは、なんか泣きそうになった。
シカオさん、実は大学卒業後、サラリーマンとして働いていた経験があるそう。長崎の造船所で住み込みで働いていたんだとか。
なんだけど、26か7の時、学生時代からやっていた音楽活動をあきらめきれず、4年働いた会社を辞めて、夢を追いかけて音楽の世界に飛び込んだそうです。
そういう背景を知ったうえでの“progress”。
ぼくらは位置について 横一列でスタートをきった
つまずいている あいつのことを見て
本当はシメシメと思っていた
誰かを許せたり 大切な人を守れたり
いまだ何一つ サマになっていやしない
相変わらず あの日のダメな ぼく
ずっと探していた 理想の自分って
もうちょっとカッコよかったけれど
僕が歩いてきた 日々と道のりを
ほんとは“ジブン”っていうらしい
世界中にあふれているため息と
君とぼくの甘酸っぱい挫折に捧ぐ…
“あと一歩だけ、前に 進もう”
なんか、北海道から出て、大学入って、学生から社会人になって、今。前を向いて歩いてるつもりだけど、やっぱ後悔とかたくさんあるし。自分の嫌な部分は全然消えてなくて辟易するし。自信満々なふうにしてるけど、全然自信ないし。いいやつなふうにしてるけど、クズやろうだし。
でも、それも含めて、確かに自分が歩いてきた道のりなわけで。書いててまた泣きそうなるわ。そうして歩いてきた、今ここにいる自分が、何にも代えられない自分なんだから。それを認めて、ちょっとでもいいほうに向かって進んでいこうよって。
・・・
いや、シカオさん、どんだけいい歌詞書くんや。
シカオさんのあの独特のくねくねしながら歌う姿を見ながら、なんかわからんけど、すごくポカポカした気持ちになりました。
ニューアコースティックキャンプ。めっちゃくちゃ良かった。たくさんのパワーをもらいました。
さて、これと同じようなパワーをもらえるものとして、スポーツ、アートとかもあります。
グワーッと心に迫ってきて、心の中で超特大の花火をぶっ放されるような感じ。コンサドーレ札幌を応援しているときも、こんな気持ちになります。
音楽、スポーツ、アート。こういうものに共通するものって何なんですかね。
“全身全力のエネルギーの結晶”
もっといい表現ある気がしますが、ニュアンス的にはこんな感じかな。
音楽にしてもスポーツにしてもアートにしても、どれも何かに全力で向かい合ったことが結晶となって、僕たちのもとに届いてるんだなと。
やっぱ人間だれしも、人が何か想い持って本気になってやってることに心打たれるんじゃないかと思います。
同じスガシカオの歌をなんぼ歌の上手いコピーバンドが情熱的に歌ったって、本人が歌うのには絶対勝てない気がします。
きっと、心を動かされるのって、たぶん、歌のうまさとか、スポーツでいえば勝った負けたとかそういうことじゃなくて、その人の人生そのものに なんだと思います。
人を元気にしたいとか、支えになりたいとか、少しでも思ってるなら、まず自分が全身全力で生きること。それが大事なのかなと。
色んな名言とか、仏教の教えとかも一緒で、そういうのって、きっと、言葉自体がすごいのではなくて、重要なのは、誰がどういう想いで言うかなのかなと思いました。
というわけで、“全力”と“表現すること”を心に置いてしばらく過ごしてみようかなと思っています。
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