仏教の本を今日中に読み切りたい という煩悩

仏教の本を読んでいて、「あと何章は今日のうちに読み進めたい」「今日中に何とか読破する」とか思っちゃうんですが、ふと、

「うわ、何たる矛盾であるか」

と思ったわけです。

つまり、こういうことです。さっき読んでいた本は、欲を捨ててお念仏を唱えることの味わいや、その豊かさ、考え方についての本でした。で、そんな本を読みながら、早く読み進めたい!などという考えは、おそらく本の内容とは真逆の行動だろうと。

早く読みたい!と思う心の裏には「目先の達成感への欲」「もっと色んな本を読みたいという知識欲」などといった欲が見え隠れしています。そうした煩悩から自由になるための教えが仏教であるのに、その教えを学びながら、同時進行で真逆のことをしてしまっている自分。。。やばい。

でもです。そのあとこんなことを思いました。

「あれ、でもそういう欲がないと、頑張れなくね?」と。

なんか、仏教の勉強をするたびに「諦観」が自分の中に溢れてくるんですよね。特に勉強した直後はブッダレベルの視座になるので、何を見ても、些細なことというか、くだらないことというか、無意味なものというか…なんか“悟った”ような目で世の中を見てしまうのです。

で、この状態だとどうしても、向上心みたいなものは湧いてこなくなるんですよね。

有名になりたい。デカいことしたい。社会のためになりたい。評価されたい。愛されたい。すごいと思われたい。金持ちになりたい。。。

ブッダ目線からしたら欲まみれでしかないですが、今の世の中で前向きに力いっぱい生きていくには、欲って必要な気がします。むしろ、欲が人間の活力の源泉になっているくらいに思えます。

欲が無くて、はたして社会に対して何かをする活力は生まれるのでしょうか。欲がない人は、魅力的に見えるのでしょうか。

もちろん、良くない欲望もありますが、多少いい顔がしたくて人助けをしたとしても、相手に感謝してもらえるのであれば、それは悪いことではないと思います。


仏教的な生き方には強く憧れを感じるのですが、その憧れの生き方と、今の自分の在りたい姿に大きな乖離を感じてしまいます。。。その乖離にむしろストレスを感じて、悶々とします。

あふれ出る欲に全力フルスイングしていたほうが、今は幸せなんだよなあ。。本音。。。

もちろん、全部の欲にフルスイングじゃなくて、抑えたい欲もありますが。

この、欲と仏教的生き方のバランス。

むずい。


いや~でも、欲から離れるとかは、もうちょい歳重ねてからでいいかなあ。とりあえずは。


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