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ドラムを哲学するドラマー。言葉によって行われる、音楽/ドラム/リズム/グルーヴetc……

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ドラムを哲学するドラマー。言葉によって行われる、音楽/ドラム/リズム/グルーヴetc…へのアプローチ。その試行/思考をここに記す。文章は芸術。色々な文調で、色々な長さで。思考の新鮮さと論理的精度を大事にしています。ドラムと関係ない文章も書きます。

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  • プロのアーティストとは何か

最近の記事

30になって。

先日30歳になった。 111という覚えやすい日付の午前11:27を以て、生まれてから30年が経った。 俺、おめでとう。 さて。 20代最後の1年は、その幕が開き切るよりも早くに、未曾有の恐るべき存在によって、台無しにされてしまった。 今更書くまでもないぐらいに世の中が変わった。変わって久しい。そろそろ1年が経とうとしている。 「2020年は色々ありすぎて、何も無かった。」 仲間達と顔を合わせるたびにそのような話をした年末だった。 「リモート忘年会」と称したはいいもの

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    • 暮れ。

       令和が終わる。 「結局、自分にあまり浸透しきることはないまま、」と言いたいところだが、予想に反してそこそこしっくりきた状態で、令和が終わる。  一年(正確には7ヶ月ほど?)を共に過ごして、やはり素晴らしい元号であるといつ振り返っても実感ができる。  令和元年、激動の一年だった。  いちドラム科講師として関係していたKYOTO NESTの学校長に就任した。これは事件だ。  ドラムを叩くしか能のない人間が学校長である。四苦八苦しながら日々なんとかこなしている。「こなせてい

      • 幸せとは、

         月一更新が悪い癖ですっかり月末更新。 「いい文章が浮かびそう」なんてシチュエーションは決まって何かと何かの間の間に訪れたりして、たとえばNESTに向かう途中の空が綺麗だとか、そんな時。  有り難くも忙しい日々の中で、「大人になる」「幸せ」「自由」ということの意味を最近になってよく考えるようになった。  幸せとはなんだ。これは哲学的取り組みのひとつだ。  星が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものじゃなく、大切な人に降りかかった雨に傘をさせることだ、とback number

        • 生命のシンバル

          「全ての物事は科学で解明できる」 ある意味で正しいし、ある意味で正しくないと思う。 厳密に言えば、この世には「科学で簡単に解明できるもの」と「科学で解明できなくはないが、それには途方もない時間がかかるもの」があるのだと思う。 たとえば「指揮者によってオーケストラの音が変わる」という。大学の時の恋人が吹奏楽サークルに所属しており、その定期演奏会を観に行ったときのこと。 本編が終わり、アンコールが始まる。そこで、指揮者が替わったのだ。 後から聞けば、出てきた男性はサークルのO

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        • プロのアーティストとは何か
          5本

        記事

          グルーヴ。

          えーと。 グルーヴはドラム界における最も大きな哲学的議題のひとつです。 要するに善とは?悪とは?生とは?死とは?心とは?という問いかけと同じ。色々な考え方や視点があって、ひとつの答えというものがありそうで無いもの。 山背氏は、この問題に初めて言語的な=なるべく多くの人に伝達しやすい方法で取り組もうと試みた。この試みは、それこそ哲学であり、その点では賞賛されるべきであり、だからこそ氏の定義するグルーヴというのが、多くのドラマーが考えているよりもある意味「狭義」のものに

          グルーヴ。

          メタモンな僕たち。

          「メタモンなんよねぇ~」  久しぶりに会った友人が、お酒を飲む手を止め、しばらくとまでは言えないほどの短い間を空けて、笑いながらこぼした。哀か楽なら哀の、陰か陽なら陰の色を帯びた息は、すなわちそれが少なくとも喜ばしい事態-『結果』ではないということを物語っていた。 「メタモンやったなぁー」  少し前からSNSで流行しているポケモン診断。ここにいるのは、その結果が揃ってメタモンだった男女である。  診断結果はこうだ。 「相手に合わせて変化できる柔軟なキミ!でも、自

          メタモンな僕たち。

          「感動」のメカニズム―映画を何度も観るか観ないかという議論から考える―

           先日、興味深いツイートを見つけた。  見覚えのある方もいらっしゃることかと思う。  この登場人物―主人公と「同期」の、どちらの気持ちもよくわかる。自分は同じ映画を複数回観ることは基本的に無く、『同じ映画を何度も観る』という行為、文化、慣習には普段から馴染みがない。すなわち「同期」と同じ立場になる。これを読んでいる皆さまがどうかはわからないが、きっとおそらくこのツイートの反響を見ると、この主人公は、少なくともマジョリティではないのだろうな、と思う。  決してその、マジョ

          「感動」のメカニズム―映画を何度も観るか観ないかという議論から考える―

          ⑤プロのアーティストとは何か~大塚明夫に学ぶプロフェッショナル~

          見られているもうひとつ、窮屈という言葉について。 色々な人が、自分を見ています。みなさんを見ています。 いや、矛盾したことを言うようですが、今のみなさんは、誰も見ていません。今みなさんが、例えば現場の関係者にどう見られているかお教えしますね。つまり、「若い子たち」の中の一人として見られているということです。ドラマや映画で言うところのエキストラ、つまり「通行人A」とか「店員B」とか、そんな感じ。 しかし、現場入りしてはっきりとした声で、 「おはようございます!○○です!よろ

          ⑤プロのアーティストとは何か~大塚明夫に学ぶプロフェッショナル~

          ④プロのアーティストとは何か~大塚明夫に学ぶプロフェッショナル~

          お金をいただくことのこわさ 自分のパフォーマンスに、価値がつく。0円だったものが0円でなくなる。そのことの重大さをないがしろにした瞬間、プロとしての堕落が始まります。 もちろん、さきほどお伝えした初めてのプロとしてのステージの第一回目を経験して、そこからめげることなくお金をもらってドラムを叩き続けて、今の自分があります。 継続する上で、毎回そのような恐ろしさと真っ向から立ち向かっているようでは心が持たないです。重要なのは、その恐ろしさをしっかりと容認し、見つめ、それでい

          ④プロのアーティストとは何か~大塚明夫に学ぶプロフェッショナル~

          ③ プロのアーティストとは何か~大塚明夫に学ぶプロフェッショナル~

          軽んじていたのは大きなミスはやらかすことなく、なんとかライブをやり終えました。しかし、客観的に見れば、決して悪くないステージだった。大丈夫。 片づけをしながら、だんだんと重苦しい気分が晴れてきたところに、バンドのメンバーが「おつかれ!」と声をかけてきました。 なんて言われたと思いますか? 「ハッチありがとう!今日も最高だった、またこれからもよろしく!」というような、自分の救いとなるような言葉は。 これから始まるプロとしての第一歩を飾る華々しい言葉は、待っていませんでし

          ③ プロのアーティストとは何か~大塚明夫に学ぶプロフェッショナル~

          ②プロのアーティストとは何か~大塚明夫に学ぶプロフェッショナル~

          「職業」と、「生き方」もう一つ(に限ったことではないですが)、プロの定義が曖昧な業界があります。 声優業界です。 声優、大塚明夫の著書に『声優魂』というものがあります。大好きな人です。メタルギアソリッドというゲームのスネーク役の人ですね。 そこに書かれてある文章を引用したいと思います。 「声優になりたい」  そう思うことは自由です。しかし、「声優になる」ことを「職業の選択」のようには思わない方がいい。この道を選ぶということは、「医者になる」「パティシエになる」「バ

          ②プロのアーティストとは何か~大塚明夫に学ぶプロフェッショナル~

          ①プロのアーティストとは何か~大塚明夫に学ぶプロフェッショナル~

          去る5月24日に行われた、KYOTO NEST主催『Artist Session vol.4』における特別講義『プロのアーティストとは何か』の様子をお届けします。 --- プロって何?みなさん、おはようございます。発表を終えたみんなは、お疲れ様でした。 さて、ここから少し時間をもらって、みなさんと一緒に考えていきたいことがあります。 非常に重たく、暗く、イヤな内容であることを、先にお伝えしておきます。 ここにいる他の先生さえ、もしかしたら顔をしかめるかもしれない。苦笑

          ①プロのアーティストとは何か~大塚明夫に学ぶプロフェッショナル~

          サディスティック・ポリリズム

           ポリリズムとは何か、その美学とは何かを考えるときに、真っ先に思い浮かぶのは「騙し絵」である。同じような考えをお持ちの方は少なくはないと思う。「複数の要素が同時に共存している」。音楽とは樹木のように、まずリズムがその主幹を形成し、メロディが花や葉のようにそれを彩るといった関係性で成立しているが、その幹=リズムがそもそも単一、一本ではないというところから、その存在自体の奇抜さが際立ってくる。騙し絵にも、これと定まった「見方」というのは存在しないのだ。ある一つのなにかを描いている

          サディスティック・ポリリズム

          街が、

           街が、  妙な雰囲気に包まれている。  何かが変わる前。嵐が来る前。  人々の、心の中の慌ただしさが、体の外に滲み出てしまって、  それがあちこちに、  モヤのように漂っているみたいだ。  何かが終わってしまう間際、何をしないといけないわけでもないのに、ただどこか落ち着かない。  「やり残した」ことがある気がしている。死ぬわけでもないのに。  何かに焦っている。  したいことができないまま、  伝えたいありがとうを、伝えたいごめんねを伝えないまま、

          街が、

          「セッティング」を見つめる②

           演奏とは表現であり、「良い演奏」とは、定義は様々であるが「純度が限りなく100%に近い自己表現」と言っていいだろう。純度を高めるためにはストレスなく音を出すことが必要最低限の条件ということになるが、ではその「ストレスなく音を出す」ために何が必要かということを考えると、やはりセッティングを見つめ直すことが非常に重要になってくるのである。普段の活動の中でその時間を設けられないのなら、無理やりにでも時間を作った方がよい。一切演奏の練習はしなくてよいから、全てのパーツについてとこと

          「セッティング」を見つめる②

          「セッティング」を見つめる①

           人様の、という意味ではなく、自分のセッティングを見つめなおすという機会が、実はドラマーにはあまりない。少なくとも、自主的にそのような時間を設けようとしないと、いつまでもその機会はやってこない。  バンド音楽を構成する諸要素の中でも、ドラムという楽器、ドラムスというパートは他のものと比較をしたときに特異点が多くあるが、その中の一つが表題に関わるものである。すなわち、「パーソナルポジション」ともいうべきものの設定、確保が難しいのだ。ギターやベースは、弦高、ストラップの長さ、そ

          「セッティング」を見つめる①