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あらためて与謝野晶子のスゴさが身にしみた話【和樂web取材こぼれ話・その4】

小学館の和樂webに執筆した記事のこぼれ話をお届けしている連載コラムです。今回は、2020年11月掲載の「夫の浮気や生活苦にも人並外れたバイタリティーで乗り切った!与謝野晶子の諦めない人生」についてご紹介します。(冒頭の写真は、昭和初期の与謝野寛(鉄幹)と晶子夫妻で、鞍馬寺蔵。許諾を得て掲載しています)

与謝野晶子というと、皆さんはどういうイメージを持たれるでしょうか? 『みだれ髪』で知られる情熱の歌人、『君死にたまふことなかれ』の反戦詩人、『山は動く』を書いたフェミニスト…。代表的なものはこんな感じでしょうか。

私が与謝野晶子を初めて知ったのは、11歳ごろ。大岡信がジュニア向けに名作の詩を紹介した本に載っていた『君死にたまふことなかれ』を目にしたのがきっかけです。

反戦の内容に心打たれた…ということはなく、私が何に活用したかというと…。当時、小学校のクラスでは、「山手線の駅名が全部言える!」とか、「日本の歴代首相の名前が言えるぞ!」とか、暗記自慢がブームになっていました。「お前はなんか言えるのかよ」と、男子に言われて、負けず嫌いの私はやり返したいと思っていたのです。

でも、ありきたりの内容では面白くないなと思って、『君死にたまふことなかれ』を覚えることに。お風呂に入って、本に載っていた1番と3番を一生懸命覚えました。小さいときの記憶力ってすごいですね。今でもそらんじることができます。

「かたみに人の血を流し、獣の道に死ねよとは」など、意味は分からないながらも、言葉の響きがカッコいいなあと幼心にも思いました。それを男子の前で言うと、大抵、鼻白んで去っていきました。

次に与謝野晶子の作品と触れたのは、記事にも書きましたが、源氏物語の現代語訳(角川文庫版)。この本も大岡信の本も、読書好きな父が買ってくれました。これが源氏物語との出合いになりました。

一般的にはもっとも有名である『みだれ髪』を知るのは、10代後半になってから。私にとって与謝野晶子という人は、『君死にたまふことなかれ』、源氏物語の現代語訳のイメージが根底にあるのです。

与謝野寛と晶子というカップルの面白さに夢中になったのは、 渡辺淳一の評伝小説『君(きみ)も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟(コクリコ)』です。『文藝春秋』に連載されているのを、大学の図書館で見つけ、毎号楽しみに読みふけりました。

大阪・堺にいた晶子が、寛に導かれて、歌壇でヒロインになっていく。晶子にしてみると、寛は憧れの師だったと思うです。それが、結婚して時が経るにつれ、晶子と寛の文学的立場は逆転します。

崇拝していた夫が文学的に失墜していく。一方の妻は生来の才華を開花させていく。詩歌における同志であり、寝食を共にする夫婦。同じ屋根の下で暮らす夫婦だったからこそ、凄まじい葛藤と愛憎があったはずです。その中で13人の子をなし、数々の歌を紡いでいった。晶子の心持ちはどんなだったのか。また、妻の盛名に押され、抗いながらも連れ添った寛の心の内は。この夫婦関係に興味は尽きません。このあたりの心模様が、前述の『君も雛罌粟~』に描かれているので、ご興味のある方にはおすすめです。

晶子の業績を調べていて思い出していたのは、金子みすゞのこと。彼女は夫に詩作を禁止され、26歳で自死しています。女性が表立って才能を発揮するのが困難であったあの時代に、晶子があれだけ健筆を振るえたのは寛の理解と励ましがあったからだと思うのです。寛の存在なくして、晶子の活躍はなかったのではないでしょうか。

愛とは、プラスであれ、マイナスであれ、どれほどのエネルギーを生むのだろう? それを動力に人生を生き切った与謝野晶子という人は、やはり幸せだったと思うです。



 


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