コミケットと創作に救われた話。

夏コミ初参加で合同誌を出したらガチで吐きそうになりそうになった

2022年12月31日, 18時も過ぎたあたり。今新幹線に乗っている。東京駅で買った駅弁を食べ終えた。冷めていても美味しい駅弁って本当に凄いと思う。
今乗っている新幹線は東海道新幹線であり, 僕が一番使う新幹線だ。僕が新幹線に乗る大きな理由はいくつかある。一つ目は出張, 仕事で使う場合。二つ目は帰省, 新幹線を使う場合。そして三つ目には即売会から/への移動が挙げられる。
実は新幹線に乗るシチュエーションとして, この三つ目の理由に該当することが多い。特に大みそかの日に新幹線に乗るということは, 冬コミの帰りである可能性が非常に高い。なぜなら, ただの帰省であればもう少し早めに帰るからだ。
そしてこうして即売会後に新幹線に乗って帰省するのは久しぶりである。今数えてみたが, 最後にコミケ後に新幹線に乗って帰省したのは2016年の夏コミ以来だ。まったくの偶然であるが, 今から書こうとしていることはまさにこの2016年の夏コミの話である。忘れもしないコミケットだった。
 
実はコミケットの初出展は2016年の夏だった。その時はとある二次創作のジャンルで合同誌を主催していた。その時に提出して頂いた原稿はどれも素晴らしかった。中には10頁以上寄稿して頂いた方もいた。内容も非常に面白かったし, 提出原稿を眺めては腹を抱えて笑ったことも覚えている。あとがきを組んでいるときも非常に楽しかった。
 
その後当日。刷った部数は100部+見本誌。表紙は自分が描いたが, 内容は自信があった。寄稿者の一人にお願いしてコス参加して貰った。当時の自分としては「万全」の態勢で挑んだ初の夏コミだった。
 
しかしその結果たるや, 語るのも悍ましい程に燦々たる結果だった。当日売れた部数は7部である。時間が過ぎていく, 人は往来していくが自分のサークルの前に立ち止まる人はいない。時間が経つにつれ, 本当に視界が歪んだ。ひどい頭痛もした。前日の寝不足のせいなのか, 朝食を抜いたことが原因か, 当日の暑さが原因か, 今ではよく覚えてはいない。
 
頭痛の原因は自分の本が売れないとか, 誰も見向きしてくれないとか, 印刷費を回収できないとか, そんな理由ではなかった。自分が企画した合同が, 自分が主催になって製本したばっかりに, 自分が表紙を描いてしまったがばっかりに寄稿して頂いた作品らが陽の目を浴びないのかという事実とお手伝いに対する申し訳の無さが一番の理由だった。懺悔の気持ちでいっぱいであった。記憶が正しければ14時頃, 「もう無理だ」と諦めを決意し, 乾ききった笑顔と共に, 残った合同誌を郵送して逃げるようにコミケットを去った。
そして帰りの新幹線に乗った。新幹線の中でただ窓の外を呆然と眺めていた。おぼつかない足取りの中, 何とか実家に帰り, お風呂に入ってソファーに倒れこんだ。身体が全く動かず, 頭痛も取れなかった。恐らく脱水症状からくる軽度の熱中症であった。

創作が出来なくなった

その後, はっきり言うと自分の作品に自信を持つことがほぼ出来なくなった。それでも何とかコミケットには参加した。合同誌を組んでも, 本の内容確認をするときはいつも自分が描いた頁だけ飛ばした。個人誌を作っても, まともに中身を確認することは出来なかった。
即売会の雰囲気が好きなのと, 他の方々が創作したものを見ることが好きなのと, 申し込んだときのノリが自分の創作のモチベーションだったのではいかと今思ってしまう。

でも大半の原因は自分にあるのではないか。年に二・三回の即売会の時だけ絵を描き, 編集の仕方もろくに調べず, 宣伝の仕方も不十分であった。一方では即売会に参加する度に「自分は即売会の経験を積んでいる」という自尊心だけが徒に膨れ上がった。そして誰かに相談をすることを避け, 即売会後の結果も真剣に見直したことは無かった。自分の惰性と怠慢, 産業廃棄物以下の自尊心。反吐が出るものばかりである。あの合同誌が手に取られなかった理由の大半は自分にあるし, その後即売会を心から楽しめなくなったのは全て自分のせいである。
 
そして2020年の6月, 合同誌を組み, 即売会で頒布を行った。即売会が終わるや否や, 友人と軽く食事を済ませて帰宅した。

ぼんやりと天井を眺めていると, 心が自然に折れる音が聴こえた。

最後に一枚, Twitterのアイコンを描いて, 同人活動を辞めた。

その理由は多岐に渡る。当時丁度新しい部署に配属となり, 仕事の質が変わった。通勤時間も以前の3倍となった。他にも当時から蔓延し始めたCOVID19, ライフスタイルの変化, 遠因になるものはいくつか存在する。
しかし, 同人活動を続けられなくなった大きな理由は自分にあった。今ならよくわかる。意欲というガソリンを切らした状態でずっと走っていたのだから。初めて同人誌を出した時の熱はどこに消えたのか。画力も皆無だったのに, それでも28頁描ききったあの時の心はどこに消えたのか。その後, 凡そ二年間。まともにペンが握れなかった。握らなかった。

その後は同人活動とは無縁の生活を送った。久しぶりにバイクを新車で購入したり, キャンプに行ったりなど, 同人活動を辞めたがそこそこ充実した生活は送れていた。そして, 創作に対する気持ちや不完全燃焼感も特にはなかった。

やはりコロナ禍にあり, 即売会自体がかなり少なくなったことも大きかったのかもしれない, そしてあれだけ熱を注いでいたコミケット自体も延期になったりという原因が大きいかもしれない。

空白の二年間とドラマ

ところで, その前からふと再開したものがあった。卓球である。松尾は元から卓球に縁があり, それなりに熱量を込めてやっていた。2019年の夏ごろに何の拍子かはよく思い出せないが, 久しぶりにラケットを握った。昔とは違い, 今はそこそこ卓球スクールも増えてきた。その後もそこそこの頻度でラケットを握ることになり, そこからまた国際大会を見始めるようになった。荘智淵選手, ギオニス選手, 小西(吉田)海偉選手などがまだ現役でやっていたことにも驚きだった。

だが, ドラマがあった。忘れもしない2021年の東京オリンピックの混合ダブルスである。ドイツ戦での逆転劇。2-9からの逆転劇は本当に心が震えるものであった。あの状況下であれば並みの人ならば誰もが逃げたくなると思う。それでも水谷・伊藤両選手は逃げなかった。外出先, バイクのディーラーに向かう中の電車で食い入るように見ていた。まるで現役時代に戻ったかのように応援した。
その後台湾戦を退け, 優勝の中国戦での勝利。ここでのプレイはものすごく語りたいが, ここでは控えておく。その後のシングルスでのドラマや団体でのドラマ, 多くの感動があった。自分自身, テレビの前で食い入るように応援することはまずなかったが, 今回のオリンピックでは我を忘れて応援した。素晴らしいひと時であった。

このあたりから少しずつではあるが, 創作から完全に離れていた心境の変化が出てきた。絵をマトモに描くことはなかったが, キャラクターの設定を考え始めたのである。二次創作で, このキャラクターの戦型はどうなるのかと妄想することが増えた。

さらに、即売会の一般参加を久しぶりにするようになった。主に近所で開催されているものばかりであったが、久しぶりにじっくり製作物を見ることは楽しかった。思えばのんびり一般参加をしたのは久しぶりだったかもしれない。やはり他の人の創作を見ることは楽しかった。

そして2021年にC99が無事開催されたことが2021年最後のドラマだった。人数は制限, 移動も制限, サークルも一般参加も制限。制限に次ぐ制限, その中でも, 従来のように思うようにいかない中でも再開されたことは, 自分に大きな何かを与えてくれた。何か気づかないうちに自分に変化があったと思われる。具体的には、またスペース参加したいと思うことが増えたのだ。

二つの出来事と創作の再開

そして創作再開の年がやってきた。2022年に二つの出来事があった。

一つ目はとある小説本の表紙と挿絵をお願いされたことである。もともと合同誌を組んでいたジャンルであったし, スペース参加したいと考えていた自分には願ってもない依頼だった。
久々に筆を執ってみると, 忘れていたものが蘇ってきた。あれだけ使っていたペンタブレットを埃被らせてしまって申し訳なかった。何よりも絵を描けるかどうかは不安であった。だが, 案外何とかなるものだった。3か月で何とか表紙絵と挿絵を完成させることが出来た。

久しぶりの即売会は随分と緊張した。前日は遠足を楽しみにする小学生が如く, 中々寝られなかった。当日, サークルの準備をしたり, 挨拶をしたりする中で久しぶりにサークル側に立つことが楽しいと感じた。そして助力した小説本が目の前で売れた瞬間, 閉じきっていた心の中に久しぶりの爽やかな風が吹き込んできた。

「楽しい」という純粋な気持ちだ。

二つ目はC100のお手伝いである。コミケットに申し込みを始めた時から, C100までは出ると胸に誓っていたことを思い出したのだ。c99同様, 制限はあったものの, いざ現地に足を運べばあの空気はちっとも変っていなかった。
東ホールの広さ。
会場独特の香り。
人々が準備に励む姿。
一斉点検の放送。
開会と同時に始まる拍手。
人が往来する姿。
それをサークルスペースで眺める。
目の前に参加者が立ち止まる。
本のページがめくられ, 紙が擦れる音。
「一冊お願いします。」という声。
「〇円です。」と返す声。

久しぶりに思い出した。
地元から新幹線に乗り, お品書きをTwitterでチェックする。即売会の前日は現地で遊び, 喰い, 緊張しながら寝る。当日はそわそわしながら国際展示場に向かう。帰りには美味いものを喰う。そして満足して帰る。
これがコミケットだ。僕の大好きなコミケットだ。

気が付けば, C101の申込書を買っていた。スペースに戻り, 主に許可をもらってネームを切り始めた。まったくの無意識であった。驚くほど筆が進んだ。久しぶりの連続作業だからか, 指が痛くなった。

描くなら何が良いか。なんて悩みは一瞬も感じなかった。

卓球だ。卓球しかない。ブルアカの生徒が卓球をする話だった。

そして忘れもしないあの日, 当選のメールが来た。

「「金曜日 西地区”た”ブロック─01b」に配置されました。」

その一文に, 感謝しかなかった。

やるしかない

そこからはもう, 急転直下の毎日だった。なんとかネームは切ったが, あまりにもページ数が多すぎる。今の自分では描けない。友人に相談をし, この話が面白いかどうか, 削るべきかどうかを相談した。

原稿作製の動画なんかも見始めたりした。作業通話にも頻繁に入った。同時により没入するために, 卓球の練習時間も増やした。
しかし, 中々描けない。あのスピーディな展開を描く上では, 今の画力では到底描ききれない。かといって, その動作を描く上で必要以上の手抜きは許されない。原稿が落ちるか, それだけは赦されない。描くしかない。

あの時と同じだった。2015年。画力はない。でも描かねばならない。どうするか。意地でも描くしかないのである。チートなんてものは存在しない。泥臭くやるしかない。努力とかじゃない。行動しかない。

七年前と同じ心境で描いてみた。何が何でも完成させるという心境だ。
クリスタの3D人形をガンガン使った。
ラケットを握った自分の姿を模した。
試合の動画を見続けた。
使えるものはすべて使った。自分のプライドは全部かなぐり捨てた。今迄出した本の数なんかどうでもいい。とにかく描く。下手でも描く。ろくに努力もしていなかったのだから, 今更そんなプライドに縋るんじゃないと言い聞かせてひたすら描いた。描いた。描いた。今迄描いたことがないものが描けた。やったことがない描写を入れられた。一つ描きあがるごとに, 得も言われぬ喜びが込み上げてきた。

締め切り当日の12/20。完成した。その時の喜びは, 実はよく覚えていない。
でも, 原稿が上がったという事実を久しぶりにかみしめることが出来た。

C101 1日目当日


12/30。
朝起きる。
緊張が走る。
電車に乗る。
息を整える。
いつも通り国際展示場駅で降りる。
年の瀬の寒さが身を切る。
その中やぐら橋を抜ける。
ビッグサイトが見えてくる。

何度も来たはずのビッグサイト。
寒さで目が乾燥したのだろうか。少しだけ, 涙が出た。

スペースにつく。
自分のサークルを探す。
机の下には段ボールがある。
開封する。自分の本だ。20頁。とても薄い。
中身を開ける。
隅々まで見渡した。初めて見渡した。

相変わらず画力はない。
でも, 何だかとても嬉しかった。
「今、自分はここにいるんだ」という感動で一杯だった。
はやる気持ちをおさえ, 周りを見渡せば, 圧倒的に僕より絵が上手い人ばかりだ。少しだけ後悔の気持ちが残った。サークル参加を始めてしたころから描き続けていれば, 僕も少しは彼らに近付けたのではないかと。
設営が出来た。最後の宣伝をする。席に着く。拍手が始まる。人が来る。

開始1時間過ぎ, 一冊売れた。
知らない人が手を取ってくれた。
それだけで十分だった。
充分に, 松尾という男は救われたのだ。

ある友人は作品の完成を祝ってくれた。
別の友人はこのためだけに来てくれた。

感謝だ。感謝しかない。
僕はただ場数だけ踏んだ初心者である。それでも, 周りの人たちと環境に支えられ, 本を出すことに成功した。

そして15時頃, 人の往来も落ち着き, 一日目を後にした。

売れた部数を見てみると, 正直最初期と同じかそれに少し毛が生えた程度である。でも, なんというか予想は着いていた。予想通りだったから笑いが出てきた。印刷費の回収すらも出来ていない。こんなにお釣りを作る必要すらもなかった。なんだか笑い続けたのだ。

でもあの笑いは, 昔の乾いた笑いではない。
自分の何かを清算した後の悦びによるものだ。

その後、違う友人がサイゼリヤで沢山話を聴いてくれた。
「久しぶりに自信たっぷりの顔を見た。」
「なんだか元気そうだな。」
その言葉でまた救われた。とにかく感謝の連続だ。

家に帰り, 落ち着いたところで目を閉じる。充実した日々が蘇ってきた。
この作品は決して自分一人で作ったものではない。多くの人と環境の後押しがあってできたのだ。

二日目は午前中, ひたすらコミケットの熱に揉まれた。やはりこのエネルギーはここでしか味わえない。人の往来が落ち着き, 自分が気になった本をいくつかピックアップして購入した。

久しぶりに, 楽しい二日間だった。

コミケットに救われた

二日終えた今, 自分の立ち位置が改めて見えてきた。自分の心に正直になり, いらないプライドをかなぐり捨てられた。結果はどうであれ, ようやく自分のやりたいことが見えてきた。やらないといけないことも見えてきた。

僕は昔, 自分の至らなさでコミケットで絶望した。しかし, それはコミケットのせいではない。自分の立ち位置を理解していなかったためだ。あの時の後悔にようやく目を向けられた。ようやく謙虚な気持ちを手に入れた。

自分の立ち位置を教えてくれたのはコミケットだ。
コミケットに救われたのだ。

大げさに聞こえるかもしれないが, 自分に出来ること, 自分が見つめなおさないといけないこと, 自分がやりたいこと, 自分がやらなければならないこと。それらを全て教えてくれたのがコミケットだ。

その懐の広さにただ, 感謝しかない。



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