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エニシダが咲いた

8階建てマンションの6階、西向きの1K。

それが私の、社会人1年目の住まいだった。

そこに住むことになった理由は「会社が契約していたマンションだったから」という単純なもので、さらに何故敢えての西向きの部屋なのかというと、それはあみだくじで決まったからというなんて事のない理由だった。

当時の私は、同期の2人と共に会社からそのマンションの3部屋を与えられ、南向き、東向き、西向きの部屋をそれぞれ選ぶように命じられた。
そこで、あみだくじで当たった順に好きな部屋を選ぼう!という流れになったのだ。

そして、あみだくじが導き出した私の順番は3番目。
昔からこういう時に1番が来た試しがない。
ある意味予定調和な結果である。

あみだの神様から1番目に選ばれた同期が南向き、2番目に選ばれた同期が東向きを選び、神様から見放された私は西向きの部屋に住むことになった。

1番人気のない部屋に住むことになった私だったが、いざ住んでみるとそこは私にぴったりの部屋だった。
このマンションの西側には遮るものがなく、窓からの景色はなかなか悪くない。
さらに元々朝が苦手な私にとって、休日に遅く起きて来ても西日がガンガン差し込んで洗濯物をカラッと乾かしてくれる、というのも嬉しいポイントだった。

残り物には福があるとはまさにこのことだ。
あみだの神様には見放されたけれど、住まいの神様(そんなものあるのだろうか)には見放されていなかった!

そんなこんなでその部屋と共にスタートした新生活だったが、社会人1年目は胃が痛くなることの連続だった。
詳細は省略するけれど、私は荒れに荒れた1年を送ることになった。

そして、少し社会人生活にも慣れて来た3年目(だいぶ省略した)の頃の春。

植物でも育てるか…

ふとそう思った私は、近くの花屋さんに足を運んだ。
ややマンネリ化して来た毎日に、彩りを加えたかったのだ。

そこで出会ったのがエニシダだった。

みなさんはご存知だろうか。
エニシダという植物を。

その時の私は、そのお店で出会うまで、エニシダという植物を見たことも、名前を聞いたことすらなかった。
しかし、その植物は"エニシダ"と書かれたカードを添えられ、ちょこんとそこに咲いていた。

かわいい…

一目惚れだった。
濃いめの緑のこぶりな葉っぱがわさわさと集合していて、葉っぱと同じくらいの大きさで粒のような黄色の花びらが全体的にふぁさっと咲いていた。
鉢を少し持ち上げて香りをかいでみると、なんとなくハーブのような優しい香りもする。
派手さはないけれど、とても素朴で、爽やかで優しい感じがした。

これにしよう。

私は即決で、エニシダをお迎えすることにした。

そして、片手で軽々と持てるくらいの小さな鉢を、6階西向きの部屋のベランダに持って帰った。窓際がぱぁっと明るくなるのを感じて、幸せな気持ちになった。

エニシダとの生活は、とても素敵なものだった。一人暮らしの家に、緑と黄色の植物が優しく待っていてくれる安心感。
心地よい爽やかな香り。
私はすぐにエニシダが大好きになった。

…しかし、私は忘れていた。
自分がとても忘れっぽく、雑な人間だということを。

最初は毎日あげていた水やりが2日に1度、3日に1度になり…いつのまにか水やりを忘れる日が増えていった。
当時の私は仕事に慣れて来てはいたものの、春から夏にかけて忙しくなる職場での毎日に疲弊し、仕事から帰ると何も出来ずに寝てしまう…という日が増えていったのだ。

すると、エニシダは一気に枯れた。
気づけば、可愛い黄色の花びらやこぶりな緑の葉っぱたちが、はらはらと落ちてしまっていた。

私には植物を育てる余裕なんてなかったんだ…

こんなに可愛い植物を枯らしてしまった。
こちらが勝手に連れて来たくせに、ちゃんと大切にしてあげられなかった…そんな自分に失望した。

思い出すと、なんだか胸が痛くなる。


そんな、悲しい思い出から10年が経った。

私をとりまく環境は随分変わった。
夫と出会い、結婚して、子どもを2人産み、あの頃とは違う家に住んでいる。

そして、再会した。
とある花屋さんで、あのエニシダに。

エニシダはやっぱり、ちょこんとそこに咲いていた。
豪華に咲き誇るタイプの花々とは違う佇まいで、そこに静かに咲いていた。

私は、あの時の嬉しさや幸せな気持ち、そして悲しさや切なさを思い出した。
お花を迎え入れる時は、容易い想いで迎え入れてはいけない。
植物だってペットとなんら変わりない。
ちゃんとお世話することが出来る、という自信を持って受け入れるべきだ。

でも今なら出来る気がした。
もう1度、この子と暮らしてみたい。
そんな気持ちが湧いて来た。

花屋さんの店員さんに

「エニシダって来年もまた咲くんですか?」
そう聞くと

「そうですね〜、上手に育てられる方は何度もお花を咲かせられますよ」

毎年、どころかすぐ枯らしてしまった身としてはなんだか傷を抉られる回答だったけれど、店員さんには何の他意もないはずだ。
私は意を決して、またエニシダをお迎えすることにした。
図らずも、同じようなサイズの鉢だった。

新しい家にも、この可愛い存在はよく馴染んでくれた。
10年前はベランダで育てていたけれど、今回は玄関前で暮らしてもらうことにした。

そして毎日水をやった。
今の私はもう忘れない。
当たり前のことが、当たり前に出来るようになったのだ。なんてことないお花の水やりだけれど、そういう「自分との約束をきちんと守れている」という実感が、日々を生きる自信に繋がっていく。

しかし、エニシダの花は少し経つと散っていった。私は不安になった。

また、水やりが足りなかったのだろうか…
もっと日当たりがいいところに置くべきだっただろうか…
いや、むしろもう少し日陰の方がよかったのか…

何が…何が…何がダメだったんでしょうかぁぁぁぁ!!!!!!

情緒不安定である。
すっかり自信をなくした私だったが、10年前とは違う。少し落ち着こう。花は散ったけれど、葉っぱはまだ元気だ。以前のトラウマから不安はあるけれど、変わらず水をあげ続けた。

もしかすると、今年のお花の時期はもう終わったのかもしれない。
今年は急に初夏みたいな気候になったしな。
きっとエニシダはもう夏と勘違いしてしまったのではないか。

そんなことを言い聞かせながら、水やりをした。

そして2週間程経ったある日。

我が家のエニシダ

なんと!!!!!!!

また黄色の花びらが顔を出してくれたのである。

え、しかもよく見たらこの周りにゆさゆさしてる麦の穂みたいなのも蕾なんじゃない?!?!?!え!!!え、え!!!!!エニシダちゃーーーーーーーーーーーーーーーん!!!!!!!!!!

「上手な方は何度もお花を咲かせられますよ」

あの店員さんのお言葉がリフレインする。

上手な方は…
何度も…
お花を…

わぁーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!

私は心の中で舞い踊った。
(本当は心の中と言わず踊り出したい気分だったが、さすがに玄関先なのでご近所の目も考慮して自粛した。)

また咲いてくれた…
またこの可愛い花々を見せてくれた…

本当に、本当にありがとう…!!!!!!!!

なんとも言えない、嬉しい気持ちになった。
毎日変わらず植物をお世話して、植物が元気で居てくれる、そしてまた花を咲かせてくれる。
そんな優しいサイクルが、私の心を満たしてくれた。

憧れた、植物との生活。
それはただインテリアとしてそこに置くだけではなく、きちんとお世話が出来るという条件付きで実現するものだった。
当然のことなのに、昔の私はわかっていなかった。本当にあまちゃんである。

でも、10年前には出来なかったことが、今の私には出来る。

そんな実感も嬉しかった。

ここ6年程の私は「母としての自分」として、ほとんどの日々を過ごして来た。
自分のやりたいこと、やってみたいこと、頑張りたいこと…
そういったことよりも、子の命を守ること、健やかに育てることで必死に毎日を過ごして来た。

でもまたここに来て「子育て」と並行しつつも、自分なりに生活を楽しむ、ということが少しずつ、出来るようになって来た気がする。

そんなことを思わせてくれた、エニシダとの再会。
本当にかわいくいとおしい植物である。

今ここで開花を待つこの蕾たちが、自分の咲きたいようにしっかりと咲けますように。
また来年も、この可愛いお花と出会えますように。

そして、あのベランダで悲しんでいた私よ。
10年後の自分は、お花が散った後もまた、ちゃんとお花を咲かせることが出来たよ。

だから今感じる悲しみも切なさもまた、生きてさえいれば、違うものに見える日が来るのかも。

なんてね。

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