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呪術廻戦がなぜ「アツイ」漫画なのか、アツく語ろう夏。

呪術廻戦が今現在ジャンプ誌におけるフロントランナーとしてトップを走り続けている現状を、漫画ファンはどのように受け止めているのだろうか。
少年誌の様々な楽しみ方に自分はあまりついていけていない感覚がある(がもちろん否定したいのではないししっかりと楽しませて貰っている)。例えば「男性キャラがいっぱい出てくるマンガ」を女性が楽しみ、「女性キャラがいっぱい出てくるマンガ」を男性が楽しむという風潮がいつの間に全面に押し出されるようになったのか。自分はその流れを肌感覚で理解できるほどの熟練のマンガファンではないのでなんとも言い難いのだが、とにかく思うのは、筋金入りのマンガ「フアン」が今日のマンガをどう受け止めているのだろうか、ということだ。

冨樫義博は少年マンガ(だけでなく少女マンガや文学作品など)を取り込み分解し再構築して、しかし再構築それ自体を目的とすることなく、冨樫義博が感じた「悦び」や「熱」をしっかりと読者に伝えるために新しいものを作り続けてきた。
呪術廻戦を初めて読んだ時に自分がまず感じたのは「冨樫義博」であり、後に知ることとなったBLEACHからの影響をすぐに察知することはできなかった。というのも領域展開とかまんま卍解じゃん!ではあるのだが、それは「まっすぐな主人公とクールなライバル」的なお約束を取り込んだのだろうな、と思っていたのだ。呪術廻戦が引き継いだ精神性においてBLEACHは恐らくあまりにも血肉化されすぎていて顕在化しないのだろう。これは芥見下々の作品からギャグマンガや漫才への愛が垣間見えるが、それ自体をひけらかすことなく「自然にできること」として披露されていることにも共通する。
しかしそうなると、果たして作者にとって「冨樫義博」とは何なのだろうか、と考えてしまう。
確実な愛とリスペクトは垣間見えるものの、あくまで表面的に、初見で一発でわかるほどに表面的になぞる様に模倣する冨樫義博的バトル描写。果たして作者はそれを行うことで何を目論んでいるのか?
マンガファンだからこそ気が付く、呪術廻戦における数々のオマージュ、パロディ、模倣、様式。BLEACHの精神性をハンターハンターの様式に則って送り出す。
「呪術廻戦は新しくない」「呪術廻戦は面白いが、上手いだけのマンガだ」
果たして呪術廻戦の成功は、巧みさは、斬新性はそこにあるのだろうか?

否!!

呪術廻戦の唯一無二の素晴らしさ、それは「熱」である!!

死滅回遊編にて登場した秤金次というキャラクターがいる。主人公たちの通う呪術高専の先輩的な立ち位置であり、使う術式は「坐殺博徒」。そう、これはパチンコの演出をモデルとした術式なのである。

「坐殺博徒」は実在のパチンコ台をモデルにした領域だ!!
ルールは簡単!!
図柄を3つ揃えれば大当たり!!
大当たりを引けば俺(秤)はあるボーナスがもらえるゾ!!
どんなボーナスかは当たってからのお楽しみだ!!

とのことだ。(実際の複雑な演出方法は漫画を読んで確かめて欲しい)
私は、この術式を目撃し全てを悟った。
このマンガは決して「上手い」人の描いた「上手い」少年漫画なのではない。これは「アツイ」マンガなのだと。

ひとつの疑問が解消された。なぜ作者は苦手そうに見える頭脳戦や複雑なルール作りを徹底するのだろうか?冨樫義博も芥見下々もそれが出来る人ではあるのだが、2人の根本が違うことは感じ取れる。諸星大二郎の学者的なセンスがただの知識量に依拠しないように、芥見下々にとってのライフワークは果たして頭脳戦と複雑なルールなのか?
否。
全ては秤金次から始まっていたのだ。
確率、利息、残金、収入、そしてアコムと法律。パチンコにおけるルールとお金の巡り、出ていくもの入ってくるもの、そしてそれらを超越するのは「運」と「台」である。「運」とは人間がどうこう出来ない何かであり、それは才能や神的なものとも言い換えられる。そして「台」とは「運」をコントロールする人工的な機械である。
どうやら呪術廻戦の呪術廻戦たるテーマが見えてきたようだ。
術式、呪力、領域展開の関係性はパチンコに置き換えることが出来る。玉の出し入れ、金の出し入れ、タイミングと目押し、そして確変、確定演出である。
さらにこのマンガから漂う「才能論」の匂い。人間(凡人)ではどうしようもない天才や天災、主人公たる虎杖悠仁はそれらを乗り越えることなく話は進んでいく。なぜなら作者は知っているからだ。人間ではどうにもコントロールできない「運」と「台」の仕組みがあるということを。そしてそのふたつに翻弄され、人間たる芥見下々は、必死にルールと法律を学び、残りの残金とこれからの収入を足し引きしながら「前借りの契約」を結ぶのである。

呪術廻戦の根底に流れるパチンコの精神と、それを体現する秤金次というキャラクターについて理解して頂けただろうか。
…恐ろしい事実が見えて来ないだろうか。
芥見下々は初めから、天下の少年ジャンプで「パチンコ」をやろうとしていたのだ。
私が冒頭でこねくり回していた浅い漫画論を飛び越えて、芥見下々は巧妙にパチンコの「熱」を全国の少年少女腐女子たちにお届けしていたのだ。
私たちは初めから騙されていた。
「呪術廻戦?うーん、なんかBLEACHとハンタを混ぜた感じのマンガかな。面白いよ。貸そうか?いやそんな心配しなくていいよ笑面白くなかったらやめればいいし笑ハンタ好きでしょじゃあとりあえず1巻貸すよ笑」


……呪術廻戦が今現在ジャンプ誌におけるフロントランナーとしてトップを走り続けている現状を、漫画ファンはどのように受け止めているのだろうか。
恐らく世間ではBLEACHの精神性をハンターハンターの様式で送り出した新たな少年漫画の傑作と称されているだろう。筋金入りのマンガ「フアン」たちはさらに多くの元ネタと様式を探し当てることだろう。
しかし、作者の目線の先にあるのは久保帯人でも冨樫義博でも伊藤潤二でもクライヴ・パーカーでもない。作者にとっての血肉が久保帯人なら冨樫義博とは?
答えは出ない。
なぜなら初めから作者の目線の先にあったのは、
口座残高三桁 五千円札を握って お店に駆け込んだ あの時の「熱」
だったからだ。


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