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『よそ者』ですが、何か。

私は地域活性に携わる仕事をしていますが、よく『若者、よそ者、バカ者』というフレーズが聞かれます。

今、私は『よそ者』として地域活性に関わっています。
過去の経験から、『よそ者』の必要性と『よそ者』がいかに頓珍漢かということは身をもって感じていますが、今私がまさに!その立場なのであります。

『若者、よそ者、バカ者』に続く最近のキーワードである『女性目線』まで兼ね備えてしまっているわけですから・・・ さらにハードルは高いです。
おまけに地域活性は総じて尊敬すべき職人肌の叔父様方との協働、が世の常です。
良い悪いではなく、”その土地らしさ” ”その地の歴史” をある意味では大きく無視して進めなければいけないことも沢山あります。
一方では合理的で効率的、でも無感情で冷酷な決断をいくつもしていく必要があります。
それを超えて結果を出して初めて信用してもらえる・・・いや、結果を出しても信用してもらえないと思った方が良いかもしれません。

期待と、信用とは、また別のものです。

そう、期待とは薄っぺらなもので、少しでもほころびを見せれば一瞬にして信用に至る前に足を引っ張られるものです。
特に日本は、そういう国。

薄っぺら・・・というのは少し語弊があるかな。
もう少し掘り下げると
「期待」とは相手の感情に全面的に由来するもので、その際の信頼も合わせて感情に由来しています。信用はもう少し進んで具体的な結果や行動に由するものだと私は思います。ですので、「期待」の段階でその気持ちを裏切った瞬間に真逆の評価が生まれてくるものだと思うのです。

(・・・うまく伝わっているかしら。)

とにかく、人は気持ちの生き物で、そして日本人はノスタルジックを大切にするあまり、感情論に偏ることが多いのです。


翻って私自身のことでいえば、父の死去に伴い実家の9代目を継承しました。8代江戸時代から200年以上続く家です。私が生まれた時は4代9人家族でしたし、築80年260坪という古い家屋ですので当然ノスタルジックが心の奥底に住み着いています。
それは私だけではなく、兄弟や従兄弟、叔父達に至るまで染み付いています。 

お盆、お正月は20人以上の親族が本家である実家(私の家)に集まり、食事をし、お墓まいりに行ったり、大晦日の感謝の儀式(仏壇と神棚に親族一同お参りをし、お寺に行って除夜の鐘をついたあと、実家に戻り新年を祝う)を行う。
誰かが結婚すれば新しい家族が増え、子供が産まれれば全員でお祝いをする。
そうして守っていた家系が私の血の中に流れている。それはノスタルジックという言葉で片付けられないほど、重いもの、であることは事実です。


地域活性の中心となるのは、そうして長く続いた家系を守っている主人であることも多く、彼らの背負っているものはその重いもの、なのです。

そのように脈々と受け継がれる家々の集合体に対して「地域」と呼ぶことが多く、そんな人々のノスタルジックを守りながら新しい世界に導いていく。
それがどんなに大変なことかは想像に難くないでしょう。

自らもその気持ちをある意味では理解しつつ、でも真逆の立場に立って仕事をするというのは毎日、いくつかの葛藤と決断、そしてほんの少しの後悔の繰り返しです。
カッコよく聞こえるかもしれませんが、結構必死です(笑)。


それは結果を出さなくては信用がもらえないからなのか?
上手くやろうという気持ちに偏りすぎてはいないか?
嫌われたくないと思っていないか?
自信を持って言えるだけの理由はあるのか?
私の生き方は恥ずかしくないか? 
わかってもらおうと思いすぎていないか?(それは無理なことなのに)
求め過ぎていないか?
順番を間違えていないか?


大げさに聞こえるかもしれませんが、必死とは、そういうものです。
もちろん、誰にも言えない秘め事はありますよ(笑)
個人的な事だし、わざわざ人に言う事でもないよね、っていう事はいくつもあります。

あれ? ちょっと話がずれたけど・・・


とにかく私はよそ者です。
よそ者ですが、必死です。それが、何か?






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