大昔のお話 アムウェイ、ニュースキン

こんにちは。
社会人になって大人になると一度は聞いたことあるのではないでしょうか?
今では20年以上、全くこの手のビジネスとは無縁ですが、この手のビジネスで人生が節目で変わったのは事実です。

高校生の頃、よく家にいろんな人が来ていた。台所でいろいろ作ってる。記憶にあるのはオムソバ。余ると夜食として自分にまわってくる。美味しかった。
その時はよく分からなかったが、姉がアムウェイをやっていた。4.5年はやっていただろうか、大学生になり、帰省すると、電磁調理器や空気清浄機が増えていたのを覚えている。
そこそこのランクまでいったみたいですが、やはり、今ではやってなく権利収入など夢のまた夢で終わってます。

大学生の頃、今度は自分がニュースキンを始めます。始めるにあたってなんの抵抗もなかったですね。自分がやる分には。
ですが、いざ紹介を出すということは大変だったと記憶しています。数人かな。利益なんてありません。商品は気に入って使ってるほうでしたが、やはり一般商品と比べれば高いです。大学生4年のころ、次のアムウェイ、ニュースキンだーっていろんな企業が日本上陸をしてきます。プレオープンといって、個人輸入で海外から買います。エンリッチという企業でしたね。その頃はエンリッチ、レクソール、モリンダとかでした。
プレオープンのエンリッチ時代、あっという間に300人くらいのグループができ、上から3番目くらいのランクになりました。それでも月に20万円くらい。幸い商品愛用者が多いグループでした。これからってときに正式に日本オープン。これが完全に裏目でしたね。日本の薬事に則るので成分は削られる。なのに個人輸入時代より高めの設定。
数ヶ月もすると売上はしぼんでいきました。
ちょうどこのプレオープンから正式オープンまでの間に自分はある決断をします。
地元の公務員に受かってましたが、ケリました(笑)超氷河期時代に。
そして大学卒業後、1年間はもがきましたが結果的にだめになりました。
後半の半年は、夜の12時から昼の12時まで佐川急便で仕分けのバイト。
まあきつい。休憩は2回、それぞれ15分。今なら完全にアウトですね。
夕方からは俗に言うABCのAをやってました。
体重は8キロくらい落ちましたね。疲れて食えない。でも仕分けで筋トレしてるようなものだから、唯一細マッチョ時代でした。

結局、親から就職蹴っても、資格は取っとけ、それが条件と言われていて、なんとか在学中にとっていたので、それを使って同級生より1年遅れて就職しました。

続く


こんな苦労はしなくても良いですよ。
小資本からの高配当運用


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