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さよちゃんへ

さよちゃんへ

おかえり!!まずはそれだよねえ。帰国してるの知ってるのに会えてないね。もう歯医者には行けた?かえってきたとき東京梅雨明けてなくてびっくりしたでしょ、笑  最近やっと梅雨が明けて空気が明るくなってきたね。もう8月だ。

この前はお返事ありがとう。
こんな素敵なお返事を、私はひとりじめできないのかあ、と思いながら公開しました。そしてお返事が遅くなってごめんなさい・・・。二週もあいてしまっている・・・。
(パソコンが壊れ、心強い友人たちの手によりデータは救出してもらえたし、しばらく借りられるパソコンもゲットしたというのに最近ポケットWi-Fiも繋がらなくなり、私のアイフォーン5cとiPadはnoteのアプリが非対応で途方にくれている。Safariでログインしようとしたら画面が真っ白になっちゃって、もう、ほんとうにどうしたらいいんだろう。ネットワークから拒絶されている。)


人にみせる秘密。見られてる秘密。ひみつってなんかいいよねえ。
ひみつがあるって、いい。ないより絶対、いい。
この前、私達の文通を読んでいます、という人に「のぞき見しているような気持ちになります」って言われて、私はもちろん公にするつもりで書いていたわけだけど、読む人は私達のひみつを知るような気持ちになってるんだなと思ったよ。

もしかしたらその日誰にも言ってないそんな秘密が、その人を知らないわたしが見つけられるなんて、面白すぎる。ハッピーな秘密だってネガティブな秘密だって、その人と会ったことなくても会ったことあっても、そんなことが今ここで会ってないのにリアルタイムに知ることができるなんて、面白い。

すごいわかる。すごーいわかる!
私達が知らない人のTwitterを延々と遡ってみてしまったり、書籍でも日記本やエッセイが好きなのもそれがある気がする。(私達と言ったけど、さよちゃんももそういうとこ、あるでしょ。)

昔、前略プロフィールを適当に検索してブログとかリアルタイム(知ってる?)を延々とみたり、リンクから更にその人の友達とかに飛んでまた延々とみる、てのよくやってたな…。別に自分が活発に何か発信したりBBS(ってなんの略か未だに知らないな)に書き込んで誰かと交流したりとかはなかったけど。

今までは、実在している知らない人に対しての興味(好奇心?)がそうさせるのかな、ゲスいな、と思ってたんだけど、最近、自分のほかに誰かが確かに生きてる(生きていた)ことに安心というか、こっそりホッとしているんじゃないか?ってことに気づいたよ。
山口くんの「誰かの日記」も、毎日メールで知らない誰かの日記が送られてくるけど、あれもそう。あれは山口くんの創作だけど、自分の知らない誰かが、自分の知らないところで、今日なにかをして、なにかを思っていた。ってことに安心する。なんなんだろうこの感覚。自分でもまだよくわかってないんだけど。
だからTwitterの「今なにしてる?」って私、実はすごい好き。誰のため何のためでもなく、みんなが「お昼ご飯なう。」って言ってた頃のTwitter、良かったよね〜〜。(自分はあんまり言わないくせにね。)

誰かを自分の好きな街に連れて行って、自分が好きなその街の部分で、相手をときめかせられるかの自信がいつもないから、よっぽど相手のことを信用できてないと、その街の自分が本当にときめいてる部分を相手に紹介できない。人に心を開くのが苦手すぎる。

私は、好きな音楽を聞かれた時にくるりやユーミンと答えてしまうとき、すこしそういう気持ちがあるよ。
質問には正直には答えるんだけど、自分の趣味を知られる気恥ずかしさと、それを理解してもらえる自信のなさ(理解されたくなさ)から、相手がそれ以上聞かなくても済むような答えを用意してしまうというか…。
でも、例えば、かちどき橋のデニーズが私は大好きなんだけど、その話をする時、相手がときめかないかもしれない、って思いすらしないかも。
だって、かちどき橋のデニーズは私が勝手に好きで、私が、私自身が、かちどき橋のデニーズが大好きなことにとっても満足してしまっているから、 相手が好きになってくれなくても私はとっても大好きなので大丈夫でーす!という気持ちになっている…。いや、でも心のどっかでかちどき橋のデニーズに関しては、素晴らしいからみんな知って!と思っている。かちどき橋のデニーズに関しては、だけど。

さよちゃんの好きな街は、住んできた街やよくいく場所なんだね。わたしは実家に帰るたびに感じないノスタルジーに毎度さみしくなっています。
住んだことのある街、特別な愛着がぜんぜんない。嫌いなわけでは全くないし、よく知ってる街ではあるのに。懐かしさ、とかもあるにはあるけど、うーん。

東京はなんでもありすぎるから、地方から出てきた人の方が、吸収力があるというか、行きたい土地に自分の足できている人たちには敵わないな、自分が郊外出身だったらよかったのに、とすら思うときある

逆東京コンプレックスはね、まさにそれ。ほんとうに、それ。
私は、東京を東京たらしめているのは「東京」を求めて東京に来た人たちだと思っているよ。それは昔からぼんやり思ってた事だったけど、歳を重ねるごとに周りにそういった人たちが増えていって確信を持った。
私は、東京に憧れることも恐れることも、憎むこともないし、遠く離れた故郷のことを思ったり、同郷というだけで人に親しみの感情を抱くこともない。仲間の言葉(方言)もないし、数ある「東京」を歌う歌詞に本当の意味で共感できる日も来ない。
そういう気持ちが、私の逆東京コンプレックスだよ。

でも、私がさよちゃんと違うのは、厳密に言うと私は実家も首都圏というだけで東京出身でもないってことだね。これがまた私が一生抱えてる「居どころのなさ」を助長するんだけど、笑
小学校までは地元の学校に通っていたけど中学からは学校が東京でなおかつ同級生たちもみんなそれぞれ住んでる場所も違ったから、遊ぶのにも都内で現地集合、現地解散で、いわゆる”地元のダチ”のノリを知らない。(私は部活も特別やらなかったから特に。)かといって、東京で我が物顔できるかって言ったらそうじゃない。
電車で1時間で帰れる実家にも、今住んでいる東京にも、私はホームシックになれないんだよなあ。だけど、ほかにいくところもない。
すごい取り止めのない話になってきたね。この話は今度かちどき橋のデニーズでしようか。笑


花は詳しいかなあ?どうだろう?でもnoocaってお花のアクセサリーのブランドの販売のお手伝いをずっとやってるから花の名前はたくさん知ってるかな。好きな花は〜〜、なんだろう。自分の中のスタメンフラワーあんまりないんだけど、今年はチューリップが野菜っぽくて好きだなと思った。あと、モカラって花、知ってる?去年の冬に始めて知った花なんだけど、南国の花なのに冬も元気で、色がどぎつくていい。初めて見た時ルミネの広告(=蜷川実花の写真)っぽい花だな、と思った。輸入花だから通年咲いてるらしいよ今日花屋さんが言ってた。(今日は人に贈るのにトルコキキョウを買った。トルコキキョウは花びらがドレス的なフリルで良い。)

季節のことはね、街中とか公園とか住宅街の軒先でよく見かける花や木で季節を感じているかなあ。ミモザ、桜、木香薔薇、ツツジ、紫陽花、最近だとサルスベリとか?特別な花じゃなくて生活の中にある季節の花や木だね。あ、レッドロビンも。レッドロビンがレッドロビンって名前なの知ってから、なんか気にするようになった。レッドロビンっていい名前。赤いこまどり。レッドロビンが真っ赤になるのは春だよ。(今回の記事の写真にうつってるのがレッドロビン。よくみるでしょ。)

七夕は今年はなにもしなかったなあ。
でもね、近所の道の電柱にはまだビニールの短冊が揺れてて、昨日みたら「みんなと なかよく おこらないで あそびたい  すずき」ってヘッタクソな字で書いてあって、泣いちゃうかと思ったよ。
クリスマスとかバレンタインデーとかそういう行事は派手だから心配ないけど、七草粥食べたり、短冊書いたり、そういうのが廃れないでほしいなあと思う。今、全ての季節はコンビニが教えてくれるね。コンビニから季節がなくなったら最後という感じがする。



なんか、改めてさよちゃん帰ってきてるのに会ってないの、けっこうウケるな。近々、急に果物でも持って家にあそびにいってやろうかな。(近所ってうれしいね。)
ききたいことも、はなしたいことも、たくさんあるよ。
さよちゃんがいない間にいろんなことがあったよ。

あ、この前「阪本(真由)さん」えるえふるで買ったよ。
あン時の〜展の時だったかな、初めてみたの。すごいいいじゃん、と思ってたし、ずっと思ってるのに、なんで買ってないんだろうと思って、買った。(私は世界を自分の本棚やクローゼットにしがち。)


さてさて、夏だね。夏でしかないね。
さよちゃん、夏にしたいことってある?
私は夏が苦手だよ。
誕生日と、ディズニーランドと、夏、がおんなじ苦手。
あとは毎年とても体調を崩すから、夏はね、怖いんですよね。
今年はうちのベランダでかき氷しようね。あ、さよちゃんちのベランダでもいいよ。


7A


(この記事は #週1note に参加していません。週1noteぜんぜん期限通りいかなくてやんなっちゃうね。すみません。)

毎日セブンイレブンの金の食パンが食べれる生活がしたいよ!