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ラグビーにわか総括。W杯2019は幻と終わるのかについて。


ラグビーW杯2019において、自国開催となる日本は史上初のベスト8進出を達成し、大きな話題となった。

ベスト8での南アフリカ戦は敗れてしまったものの、W杯はいよいよ佳境に突入する。ニュージーランドvsイングランドおよび南アフリカvsウェールズの勝者が決勝を戦うことになる。

日本は敗退したが、W杯は続く。
このタイミングで問いたい。

「ラグビーへの興味がちょっと引いてないだろうか?」

自宅観戦組としてあれだけ熱く観戦したラグビーであるが、日本の敗退と共に一段落した感がある。

W杯とは幻のようなもの。終わってしまえば、あったことすら思い出さなくなるものなのだ。

その意味は、年が明ける頃になればよくわかるはずだ。W杯の話なんて誰もしなくなっているからだ。ラグビーよりも先に市民権を得ているサッカーW杯でもそうなのだ。

だから、ラグビーの運命が問われるのは11月、12月にどんなアクションがあるか。選手達がタレントのようにテレビ番組に出演して、それが一周するだけでは足りない。ラグビーが持つもっと熱い部分が、ある種の中毒のように、お茶の間の視聴者に浸透しなければならない。

そしてそれは可能なところまで来ていると思う。人気を得るために勝つか負けるかは非常に重要で、今回は4回勝って、最後に1つだけ負けた。その結果、ラグビーの魅力は確かに伝わったと思う。ぼくにも確実に伝わった。だからといってこれでラグビーが勝ったわけではない。

誰だったかな。関係者でアイルランドに勝利した時点で「これでラグビーも安泰だ!」というようなツイートをしていた。それは違う。全然違う。まだまだこれからなのだ。

というわけで、日本敗退時点で、ラグビーW杯2019を振り返るような記事を書こうと思う。

もちろん、前述の通りW杯はもう少し続く。そしてぼくは、日本戦以外の試合も観戦してきたし、この大会で合計10試合以上は見ただろうか。そしてこれは、人生で観戦したラグビーの試合数と一致する。要するにこの大会以外では見たことがなかったのだ。

この後の試合もニュージーランドを中心に観戦すると思うし、この先もラグビーの国際戦がやっていたら観戦するだろうと思う。もうラグビーを観戦するために必要な知識は十分に入った。

スクラムの争いとなったときに何が焦点となるのかもわかるし、キックをめぐる駆け引きもわかるようになった。もちろんニワカの範囲は出ないだろうが、一通り理解は出来た。テレビのアングルの都合上、フォーメーション的な駆け引きについてまではわからなかったのだが、これはスタジアム観戦での楽しみに取っておこう。

ラグビーは、プレーが止まって考える時間が取れるため、観戦者としても今のは何であったのかと反芻する時間が取れる。そのため理解がしやすい。

サッカーの場合には、プレーが流動的であるため、因果関係がわからないこともある。それは、観戦者だけではなく、プレイヤーも、審判も、解説者ですらもわからないことすらある類のものだ。

ラグビーの審判が神のように神々しく見えるのに対し、サッカーの審判が非常に頼りなく見え、時に大きなブーイングの対象となるのは偶然ではあるまい。

ところで、ラグビーのルールは複雑だという声はまだあるようだ。しかし、本当に複雑だろうか。アメリカンフットボールのルールを一通り知っていることもあるためか、とても理解がしやすかった。

要するにラグビーのルールはこういう枠組みになっている。

・選手達はボールを持って、自分の足で、前に進まなければならない。

・前に進むためには力をぶつけて打ち破らなければならない。横にパスを繋ぐことは出来るが、前進は必ず身を犠牲にして勇敢に突撃しなければならない。

・従って、前にボールを投げたり(スローフォーワード)、転がしたり(ノックオン)、敵陣で待ち伏せしたり(オフサイド)するような行為はズルであり反則である。

・また、力と力のぶつかり合いの際に、危険な行為をしたり(ハイタックルなど)、故意に力と力のぶつかり合いから逃げたり(スクラム時のコラプシングなど)するのも反則である。

・さらに、ボールを持って前に進むという競技であるため、ボールを自由に扱える状態が失われると、前に進む権利を失う。これがちまたで話題のジャッカルさん、ノットリリースザボール。

・後は自分の足で立っていないといけず、這った状態でボールにプレーするとオフザボールを取られたりする。

「選手達はボールを持って、自分の足で、前に進まなければならない。」という原則があり、そこから逃げる行為は反則となる。というのが今大会を通じて得たぼくの理解である。

ただ、これだけだとキックの意味が説明できない。実際の所どうしてキックで前に進むというルールがあるのだろうか。

もしかしたらキックは浪漫なのかもしれない。基本的にはラグビーは力と力のぶつかり合いである以上、力のないほうが必ず負けるようになっている。実際に、ラグビーでは実力差がある相手に勝つことは難しい競技なのだそうだ。

だから、単に押し合いだけを協調すると、力が強いチームは一試合を通して押し続けるだけでよくなる。そこに対して、キックという浪漫が存在する。

キックは神への挑戦なのだろう。飛んでいった後、どこへ転がっていくのかわからない。運良く味方が持てば前線の膠着をすっ飛ばして一気にビッグチャンスになる。逆に、相手に持たれたら一気にカウンターを喰らうかもしれない。

神が微笑めば劣勢をひっくり返せるというプレーなのかなと。このへんはもうちょっとラグビーを見てみないと何とも言えない。何せぼくは立派なニワカだからだ。

日本代表がベスト8で負けたことについては、妥当であったと考えている。というのも明らかに、フィジカルコンディションが落ちていたからだ。

2戦目のアイルランド戦のときのほうが、4戦目のスコットランド戦や5戦目の南アフリカ戦のときよりも、はるかに強く、速かった。痛みに苦しむシーンも少なく、選手達の目の力も強かった。

ピーキングという考え方がある。人間というのは面白いもので、バイオリズムというものがあって、体調のピークが訪れると段々と落ちていってしまうものらしい。ただ、練習メニューなどによってある程度はコントロールすることが出来る。

サッカーのW杯では、弱小チームはグループリーグにピークが来るように調整し、ブラジルやドイツなどの強豪国は決勝にピークが来るように調整していると言われている。日本代表がブラジルW杯で惨敗した理由として、このピーキングの失敗があげられている。

だから、優勝を狙う南アフリカのピーク状態と、プールから抜けることを最大の目標としていたためピークを抜けていた日本ではコンディションに差があったのだ。

日本はアイルランドよりも力強くタフだった。しかし、南アフリカのほうがもっと力強くタフだった。しかし、アイルランドと南アフリカがベスト8で当たっていたら、なかなか良い試合になっていたのかもしれない。

それでは日本はどうしてスコットランドに勝てたのかというと、これはもう意地だろう。スコットランドは、絶対に言ってはいけないことを言ったのだ。堂々と戦う勇敢な戦士達に向かって、あるいはそれを支える日本国民に向かって「勝負から逃げる卑怯者」だと罵ったのだ。

そのことで、スコットランドは次のW杯の出場権すら剥奪されるのではないかというくらい協会から怒られているらしいので、その是非は問わないが、リーチマイケルを初め、日本代表の選手達は怒った。

ピークは少し前に過ぎて、身体はボロボロになっていただろうが、精神が肉体を超越し、神経の伝達速度も高まり、最後の最後で踏ん張りを利かせることが出来た。

その代償が南アフリカ戦で、気持ちは充実しているがどうしても肉体的な踏ん張りが利かなかった。もうこれはしょうがないことだと思う。

それでも勝機はあった。ちまたでは「見せ場のない試合」などと言われているらしいが、それはとんでもない話だ。

前半10分頃に、ムタワリラのタックルが危険だと見なされ、10分間の出場停止になった。そこから20分間はすべて日本の時間だった。何度も惜しいところまで攻め込んだ。ただ、最後の最後で押し切るだけの力が足りなかった。

何度も敵ディフェンスをぶちやぶってきた姫野や堀江のアタックがはじき返される。あれだけ冷静沈着だった田村の判断ミスが目立つ。トンプソンの稲妻みたいな突撃もどこか腰が重い。流も、憎らしいほど俊敏で狡猾な(良い意味で)デクラークに振り回されてしまう。これだけステップワークが違うとどうにもならなかっただろう。

最後の頼みの松島幸太朗が、サイドで一人余るようにパスを配球することも出来なかった。このへんはまだわかっていないポイントなのだが、11番のマピンピがサイドの門番をしていた上、これがまた屈強で俊敏な選手で本当にどうしようもなかった。

デクラークの活躍は、全盛期のスティーブナッシュ(バスケ)を見ているようだった。何となくルックスも似ているし。さておき、デクラークは試合を通して厄介だったのだが、他の選手がぽろぽろミスをしている時間帯がかなりのボリュームであったのだ。そこで1トライとPGで10点をいれて13点にした上で、後半は気合いで守るという勝負にしておけば、少なくとも見所は作れたことだろう。

後半はフィジカルで相手を吹き飛ばせるのが中島くらいになっていたので、どうやっても手詰まりだったのではないだろうか。モールも守れなかったしなぁ。モールなんて言葉は1ヶ月前まで知らなかったのに、止まった回数を声を出して数えるまでになってしまった。

というわけで惜しみながらもラグビーW杯は終わる。

そして、ベスト8で敗退はしたが、大きな爪痕を残すことは出来た。ルーツは日本にはない選手達のことを「ガイジン」と呼ぶ人はまだいるだろう。しかし、ぼくにとっては、紛れもなく同士であり、怒るべきときにともに怒ってくれた侍である。それは勝ったからではない。その精神的姿勢が、日本人が追い求める美徳に近いからだ。

つまり、自分のロールモデルにもなるし、子供にとっても見習わせるべき存在であるということだ。

一方で、監督反して、クーデターを起こすような選手は侍とは呼べないと思う。ロシアW杯もこんな大会だったら良かったのになと少し悔しく思いながら見ていたところもある。まぁいい、ここではそれは語るまい。それは政争に敗れた一人の偏屈な老人の物語だ。

また同時に、今回の日本代表が勇敢であったからといって、不祥事もまだまだ目立つラグビー界すべてが肯定されるわけではないことも強調したい。

サッカーはラグビーよりもメジャーだが、その分風当たりも強いのだ。

さて、最後に重要な問題なのだが、この先ラグビーを見ようとすると、早慶戦や早明戦などの学生ラグビーか、企業スポーツであるトップリーグを見ることになる。

JリーグやBリーグのように地域密着を掲げたリーグとは異なり、企業チームを前提としたリーグの場合には、第三者が応援者として参入しづらいという側面がある。ぼくはクボタにも神戸製鋼にも何の恩もないし愛着もない。

だからといって応援できないわけではないのだが、応援者にとっては地域密着クラブというある種の上位互換がある状態で、企業スポーツ主体でどこまで戦えるだろうか。

これは見てみないとわからないのだが、2015年での盛り上がりの後は、うまく流動層をキャッチ出来なかったと聞いている。

調べてみたら三ツ沢でもやることがあるらしい。澤野編集長、注目ですよ!

さて、どうなることだろうか。人生の楽しみがまた一つ増えた。

あと、小ネタなんだけど日本代表の出身大学を見ると早稲田は山中選手だけで、慶応はなし。明治が田村選手だけ。ということで、思ったより六大学出身選手が多くなかった。プロキャリアを歩む選手と、六大学でプレーする選手のルートは違うのだろうか。

従兄弟が早稲田のラグビー部出身で、某大手銀行の営業をしているので、今度あったら聞いてみよう。フォワードなので冗談みたいに身体が大きいのだが。

というわけでラグビーW杯を振り返るコラムはここでおしまい。OWL magazineは、有料マガジンなので以下に有料部分として「次のワールドカップについて」をちょこっと書く。おまけである。

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