サッカー濃度の高い飲み会とフットボリスタ派vsデータ派についての所感

昨日は、新宿の個室居酒屋で行われた会合に出席してきました。子持ち昆布の揚げ物が非常に美味しかったです。これ、子持ち昆布さえ買ってきたら家でも作れるんじゃないだろうか。もしかしたら、魚卵のサイズによって味が違うかも知れませんが、串を刺して、衣をつけて揚げるだけだからそれほど難しくはないはずです。後は火の通し方ですが、これはトライアル&エラーが必要になりそうです。

というわけで昨日は株式会社サムライ・ソフトの代表である井上敬介さん(Twitter)の呼び掛けで集まったメンバーで語らってきた。井上さんはセガのプログラマをしていたということで、サッカー界の巨匠五百蔵さん(Twitter)の同僚であり、昼休みにバーチャファイターで戦った仲だったそう。

そして、Qolyの編集長の奥崎さん(Twitter)。一度フットサルをしたことがあるけど、大きくて強くてうまいという非常に厄介な選手でした(相手チームだった)。

そして今をときめくLeo the footballさん(Twitter)。生レオザさんはやっぱり声がいいですね。話している内容以上に声の良さが刺さってきます。歌うようにサッカーを語る人だなぁと動画外で見て改めて思いました。

ぼくは、連日の疲労でグロッキーだったのでいつもの20分の1くらいしか喋らず(喋れず)、ひたすらお話を聞いていましたが、とりあえずジュビロサポからみた名波浩監督への思いだけは心に刻まれました。

次回からは特定の試合の後に(CL決勝とか)集まって語るといいねという話にはなりましたが、もうそれは、そのまま動画で流せばコンテンツになるよね、というような落ちがつきました。

仕事上がりで送れた来たのが佐藤祐一さん(Twitter)。Jリーグ関係のデータを取り扱う会社を起こしている方ですが、佐藤さんのサッカーデータに立脚した語り口が面白くて、ああ、これだなと思った次第です。

ぼくは試合の9割くらいをスタッツで語れるスポーツであるバスケから来た人間なので、サッカーはあまりにもデータが少なすぎてよく理解できずにいます。だから、未だにこのスポーツはよくわかっていません。

五百蔵さんに代表される学派は、フットボリスタ派とでも言うのかなと思いますが、試合の肉付けを剥がしていき、骨格まで明らかにした段階まで分析し、相手チームと対照することで試合で起こっていたことを明らかにしていきます。

この見方は、ハリルホジッチ監督の思考様式に近いものと想定されることや、最近の一流監督の多くがこういった考え方をするとされていることから、現在のサッカー論壇では主の立ち位置になっています。この考え方はサッカーを指揮する、指導するという観点からは極めて有効なことで、今後も研究と、知見の蓄積が進んでいくものと思われます。

一方で、骨格の段階までゲームの要素を落としていくことから、サッカーのサッカーらしい泥々のエンタメ感は希薄になっていく傾向があります。もちろん、500蔵老師は、その泥々のエンタメ感を踏まえた上での分析なのですが、その境地に達するのは並々ならぬことです。

500蔵さんは、ロシアW杯日本戦の大事な局面において……。

ぼく「緊迫した場面ですね……。五百蔵さん、この場合、どういった戦術が有効だと考えられますか?」

500「いや……もうここまできたら戦術なんてどうでもいいんです。後は信じて応援するのみです!!!」

と解説を放棄して、拳を握るタイプなのです。セリフは記憶から再生しています(ディティールは異なります)。これはベルギー戦かポーランド戦の時だったと思います。

さておき、骨格を明らかにしていく観方をすることで、相手の骨格を読み、相手の骨格を叩くという戦い方が出来るようになります。これは日本には足りなかったこととされているので大いにやっていくといいと思います。

ただ、ぼくが興味を持っているのは骨格以外の部分なのだろうと思います。500さんのお話以上に面白いサッカー談義はなかなかないのですが、同時に、何度お話を聞いてもぼくのサッカーの観方はフットボリスタ学派にはなりません。

理解するたびに、後から戦術解析を聞いた時の理解度は増しますが、試合を見ながら戦術が分析出来ないのです。これはぼくの観方、ぼくの脳の問題、あるいは趣味嗜好の問題です。

それでいうならばぼくはデータ学派なのだろうと思っています。フットボリスタ派は、試合から理論を抽出します。少し古い例でいうとカウンターサッカーvsポゼッションサッカーというような、プレーしているサッカーから思想的なものを1つ抽出していきます。

具体的な事実を積み重ねて理論を抽出することを「帰納」といいますが、これは非常に難しいです。選ばれしものしか出来ません。500さんは、長年試合を見ているうちに5レーン理論を思いついたとのことでしたが、こういうことは普通の人には出来ません。従って、サッカー監督も普通の人はなれません。

結果、誰かが「帰納」した理論を使って、「演繹的」にサッカーを見るということが一般化します。

具体的なこと → 抽象的なこと  = 帰納
抽象的なこと → 具体的なこと  = 演繹

帰納は試合を見て自分で答えを見つけること。
演繹は答えを知った状態で試合を見ることです。

「モウリーニョならカウンターに違いない」という考え方です。モウリーニョがカウンターサッカー(と言うべきは知りませんが)の新しい方法を発明したことを看過できる人は極めて少数で、多くの人は500蔵さんや結城さん林さんなどの分析を読んで、理解し、「演繹的」に試合を見ます。

これは、ふかばさんのブログ記事に書いてあった一言「その根拠をあなたはどこに持っているのか、と。だってオーストラリア戦はと言われてもそれは五百蔵さんや結城さんの分析であなたの考えではないだろう。」という言葉から気付いたことでした。


元自然科学者として、演繹的に試合を見るのは絶対にごめんです。いかなる観察にもバイアスはかかるものですが、可能な限り先入観を減らした状態でフラットに見ていきたいと思っています。

だからぼくは、試合前に選手や監督についてあまり調べません。何も知らない状態でJ3とか地域リーグの試合を見に行くのがぼくにとっての最高のエンターテイメントです。

自然科学者的には、自分のフィールドでデータを蓄積させていくのが仕事なのですが、まったく知らない新しいフィールドに何の先入観もなく入った瞬間が一番気持ちがよく、楽しいのです。

だから、試合前に監督の思想を把握して、演繹的に試合を見るということはぼくには合っていません。ぼくはぼくで帰納したいわけなのですが、残念ながら、ぼくは500蔵さんのようなに試合を抽象することにあまり向いていません。これは学識や経験の差でもあると思うし、そもそもの思考枠組みの差かもしれません。

そんなぼくなので、監督の思想や理論についてはそもそもあまり興味がなく、風間教にももちろん入信しません。監督が何を考えているかに関心を持ったことがそもそも多くないし、監督のインタビューもほぼ見ません。

ぼくが興味を持っているのは、試合の中で選手が何を考えて、何をしたかです。もっと監督的思考を持っていたほうが、プレイヤーとしてももっとうまくなっただろうという気はしますが、ないものはしょうがないわけです。この状況では選手は何を感じるかに興味は集中しています。

そして、選手のパフォーマンスは、本来数字に現れるはずだと思っています。バスケであれば、数字を見ればその選手の活躍度は一目瞭然です。一方でサッカー選手の活躍度は、データを見ただけでは全然わかりません。今まで納得するデータに出会ったことはありません。

サッカーの試合では同じ状況が繰り返されないため、データの粗が多く、たとえばパス成功率が10%違っていたとしても、それは選手の能力よりも状況によるものだろうと考えるほうが妥当です。その結果、選手を数字で評価するよりも、監督の思想を読み解いて、どうしてその数字になっているかを考えるほうが合理的です。

一方で、バスケでシュート成功率が5%違ったら、紛れもなく選手の能力の問題です。ぼくは、データを使って選手の価値付けをもっと明瞭にしたいなという気持ちをずっと持っています。

何を隠そう大学院を出たばかりのときは、データ屋さんになることも考えました。しかし、サッカーはデータコレクションが非常に大変で、かつ、繰り返しが多いため、J1でいうとFC東京の試合だけではなく、J1で行われる全試合のデータを分析していないとそもそも何も始まりません。

湘南相手にパス成功率が50%であることと、例えば磐田相手に50%であることは、価値付けが異なるからです。それがどう異なるかについて、フットボリスタ学派では、監督の思想とチームのスタイルから「推測」することになります。

しかし、本来的には、思想的なアプローチをしなくても、データだけでものが言えるはずです。データを取り、データを組み合わせて考察し、その結果として何か果実を作るのが美しい帰納であって、途中で誰かが抽出した理論を援用して、何かわかった気になって文章を書き、読者をわかった気にさせることはぼくにはうまく出来ません。自分で納得がいかないからです。

フットボリスタ派vsデータ派という対立が現実に存在するわけではなく、実際には非常に高いシナジーを見せるはずですが、ぼくの思考枠組みにとっては、データ派が優先であり、フットボリスタ派は事後の勉強であり娯楽です。

前述した通り、500さんの話の展開はまったく別です。500さんがデータという武器も持ったら無敵の超人になるはずです。思考過程はかなりややこしくなりますが、それが出来るから500さんは偉大なわけです。

結論としては、やっぱりもっとデータのことが知りたいなというところで、佐藤さんに速攻でアポイントを申し込んで、明日会いに行ってきます。大学院を飛び出してから5年。サッカーという競技がよくわからないまま、何となく関わってきましたが、ようやくしっくりと来るポイントを見つけられたような気がします。

佐藤さんが出しているYoutube動画はこれから見るつもりなのですが、Jサポ界隈には絶対に面白いはずです。井上まーさんという、どこかで軍人をしているような感じの芸人さんも出演しています。

FC東京のものを貼っておきますが、他のクラブもありますし、J3まで可能な限り全部やるのだそうです。八戸までやるのだとか。

エンサイクロペディア学派的なアプローチ(すべてのものを辞書に記述しようとする試み)は、現代サッカーでは不可能だと思っていたのですが、それに向き合っている佐藤さんはすごいなぁと心から感心している次第です。


というわけで、休日だと言うのに、仕事で書くよりも熱量の高い文章を書いてしまいました。軽く昨日の報告だけしようと思ったのですが……。

休みなのに頑張って書いてえらいなぁと思った方、サッカーデータについて気になるぞという方は、是非サポートをお願いします。アイスクリームを買わせていただきます。

500老師の著書『サムライブルーの勝利と敗北 サッカーロシアW杯日本代表・全試合戦術完全解析 (星海社新書)』が発売されていますが、この本の価値付けというのは、ワールドカップにおける試合の分析と理論化ではなく、それ以上に大きな、日本で行われている個別具体の無数の試合をすべて抽象化する境地に達していることです。

「西野ジャパンは」ではなく「育成年代からトッププロ、代表まで含めた日本サッカーは」という主語で語れる境地に達するので、サッカーに興味があるすべての人は読むべき本と言えます。

この本によって、日本サッカーの最大の弱点であり、ぼくが日本のサッカーを見て一番面白くないと思っていたポイントと、その原因が明らかになりました。病根といってもいいかもしれません。あるいは個性にすぎないかもしれません。

これがどういうことかというのを書かなければいけないなと思いながらも書けていなかったので近日読み直して書きます。W杯以降サッカー濃度が下がっていましたが(FC東京も勝てなくなったし!)、ゲンロンカフェのイベントと昨日の会合でエネルギーが戻ってきました。

ちなみに本の作成時にお手伝いをさせて頂いたので、あとがきにぼくの名前も載せて頂いています。チェキしてください!

では、このへんで。久々に休む気がするので、異世界漫画でも読んでダラダラします。

↓ブログに書いた異世界漫画のおすすめ記事 今日は『無職転生』を読み直します。

んがぐぐ。

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