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2018年8月6日午前8時15分の出来事

2018年8月6日、私は広島平和記念公園にいた。何度ここを訪れたことだろう。毎日のように取材に足を運んだこともある。それでもこの日は違うのだ。公園には普段は無い騒々しさがある。私も少し、緊張していた。

午前8時頃、一通り公園の様子を見て回った私は、例年通り人の多さと騒がしさに辟易しながら原爆の子の像の前に立っていた。私はその年の2月に原爆の子の像をモデルとした演劇『折り鶴』を上演していた。直感的に、黙祷の場はそこしかなかった。

原爆の子の像の周りにも多くの人がいる。順番に鐘を鳴らし、写真撮影をする。そんなお馴染みの光景を私は冷めた目で見つめる。像の前に静かに立ち、その時を待つ。あと1分。あらためて一人大きな折り鶴を掲げる少女に目を向ける。

「写真、お願いしていいですか?」

突然の声に戸惑った。目を向けると小学校低学年ほどの男の子を連れた父親が、カメラをこちらに差し出している。平和公園が観光地であることはもう嫌というほど体感しているし、写真撮影を求められたことに怒りを感じることも無かったが、それでも断る以外の選択肢はありえなかった。”今は違う” 心の叫びだった。

しかし緊張していた体で不意を突かれ、戸惑いも大きく、声が出ない。「今は、ちょっと」。私はやっとの思いでそう言って父親から体を背けた。それだけしかできなかった。

直後、近くにいたおじいさんが「もうすぐお祈りの時間じゃけえ終わってからにしんさい」とその父親に明るく声をかけていた。そうしてすぐ、8時15分を迎えた。

結果的に、私は大変素っ気ない若者であった。対しておじいさんの対応は非の打ちどころが無い、といったところであろう。あの時の私はあれが精一杯だった。これが「若さ」なのだろうか。それだけだと思いたくないのは、私のエゴなのだろうか。

「8月6日に広島を訪れる人」が午前8時15分を意識していない、というのはとてももったいないと思う。でも正直驚くことではなかった。こういうもんなんだろうな、と思えてしまった。平和公園に行くたびに思う。平和公園から見える景色は、もっと広いはずなのに。もっと美しく醜い景色を、見て欲しいんだ。まあ、これもエゴなんだろう。

今年も8月が近づいてきた。あれから1年が経とうとしている中、私の中で8月6日という日の特別感は薄くなってきている。関心が薄くなったからではない。むしろ逆で、日々原爆について考える中で、特定の日に祈る、ということがしっくりこなくなってきている感覚があるのだ。だから、覚えているうちに去年の記憶を書き記しておこう。そして今年も、自分なりの精一杯で、8月6日を迎えよう。

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