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8月6日の広島平和公園に集結するものの正体

8月6日の広島平和公園に行ったことがあるだろうか。行ったことが無い人はどのような空間を想像するだろう。行ったことがある人は、どのような場だという印象があるだろう。

8月6日朝、午前8時から広島平和記念公園の様子は全国に中継される。荘厳な音楽が流れる中での献花の後、午前8時15分から1分間の黙祷、広島市長による平和宣言、子供代表の平和への誓い、内閣総理大臣らの挨拶へと続いていく。テレビの中継はこの辺りで終わるのだろうか。近年は毎年平和公園で8月6日を過ごしていてあまり覚えていないのだが…。テレビに映る平和祈念公園は厳かな式典の場だ。しかしそれは8月6日の平和公園の、ほんの一部分にすぎない。平和公園はもっとカオスで、美しく、そして醜い。

実際に8月6日の平和記念公園を訪れたことがある人が印象に残っているのはその騒々しさではないだろうか。式典が行われているのは広島原爆死没者慰霊碑とその前の広場なのだが、その外側では8月6日だからこそ見られる喧騒がある。

最も分かりやすいのは原爆ドーム前だろうか。8月6日朝の原爆ドーム周辺はとにかく騒がしい。右翼も左翼も大集合してそれぞれの訴えを叫び、睨み合う。その横では様々な平和団体が思い思いの方法で平和への祈りを行っている。政権批判を掲げる者もいる。県外から集まったのであろう人らも多い。各集会が用意したスピーカーからの大きすぎて割れた声、日本山妙法寺による太鼓の音、地元高校生たちによる署名を呼びかける声…、存在するはずのそれらの境界はもはやどこにあるのか分からない、まさにカオスな状況。ニュースでは見たことのない光景を初めて目の当たりにした時、私は直視することができなかったのを覚えている。足早に、なるだけ何も見ぬよう、何も聞かぬようにその場を去った。

最も騒々しいのは原爆ドーム前(と私は認識しているの)であるが、そもそも8月6日の平和公園はにぎやかだ。というのも単純にそこを訪れる人数があまりにも多いのだ。原爆慰霊碑前の広場に用意されたパイプ椅子は一瞬で埋め尽くされ、溢れた人は公園のあちこちに設置されたモニターを見ながら記念式典に参加する。式典が終われば平和記念資料館と原爆慰霊碑前にはそれぞれ長蛇の列ができる。原爆慰霊碑前の列は夜中まで絶えることが無い。原爆を、それぞれの立場からまなざす人々が多くいることを実感する。

そう、あまりにも多くの人がいるのだ。これまで原爆の記憶が風化されつつある、という声をたくさん聞いてきた。私自身そう思うことは沢山あった。しかし、8月6日の平和公園には大変多くの人が集まってくる。これは風化なのか。こんなにも多くの人が何とか忘れないように踏みとどまっているのに、風化してしまうのか。

こう考えてみよう。原爆の記憶は風化しているのではない。原爆の記憶への向き合い方が変化してきているのだ。その変化の最前線こそ、8月6日の平和公園で観測できるのかもしれない。

わかっているんだ、風化を嘆くその気持ちは。原爆の記憶が軽んじられるようになっていくことを「変化」と処理するのがあまりにも乱暴だということは、痛いほど共感する。だが、その「軽さ」も結局は僕の中の秤によるものでしかないのだ。だからこそ、嘆くだけでは駄目なのだ。かつての僕のように、通り過ぎるだけではもったいないのだ。

多様な人が集まり形成されるカオスな空気に、平和への想いを一つに束ねることは無理であろうと感じさせられ絶望することもある。考え方の違いから起こる多くのすれ違いに怒りさえ覚えてることもある。けれど、皆、祈っているはずだ。僕には掴めなかった多くの祈り、風化の産物であれ変化の結果であれ、たしかにそこにある。


ハトノス8月6日企画と題して8月6日の平和公園のガイドをかってでることにした。ただ東京から広島は多くの人にとってあまりにも遠いし、参加するハードルは高いのであろう。今年の8月6日は平日でもあるので、平日仕事がある方などはまず参加できまい。それでも興味をもってもらえたら嬉しい。僕のことを知らない人でも、ほんのちょっとの間でも一緒にこのカオスな空間を見つめてみないか。宣伝が下手なことに絶望しながらこれを書いている。仕方あるまい。今の僕に書けるのはこんな自分本位な文章だけなのだ。溜息なら飽きるほどついた。僕は今年も8月6日、広島にいる。

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