VTuberは4種類いる

*メタな話をするので苦手な方はブラウザバックしてください。


・「VTuber」は多義語である


「VTuberは~」という話をするとき、ぶち当たってしまう問題がある。

「VTuber」という言葉で始めると必ずと言っていいほど主語がデカくなってしまうという問題だ。


例を挙げよう。

「VTuberは中の人のキャリアに繋がらないからCVを公表すべきだ。」

主語がデカい。
中の人=声優ではない形のVTuberの方が今や多いくらいである。


「VTuberそれ自体の魅力は魂(中の人のパーソナリティ)に依存するため、中の人の交代はVTuberのキャラクターを根幹から変えてしまう。」

これも主語がデカい。
キャラクター性に魂が依存しない形のVTuberも多く存在している。


「VTuberなのに生身の体を映したり、オフコラボと銘打ったりするのはおかしい。」

これも実は主語がデカいだけなのだ。
生身の体を映すことのできる形式のVTuberも存在するし、後述するが彼らにとってはオフコラボと銘打つことは正しい。


例としてよく見る3つの主張を挙げさせてもらったが、彼らの主張は決して間違っているわけではない
CVを公表したほうがいいVTuberもいるし、魂交代が重要な意味を持つVTuberもいるし、生身の体を映せないVTuberもいる。
ただ、主語がデカいだけなのだ。


お気づきかもしれないが「VTuber」という主語で何かを語ることは、ほとんど不可能だ。なぜか。

「VTuber」の定義が定まってないからだ、というのは間違った指摘だ。

「VTuber」という1つの言葉がいくつもの意味を持っているために、各々の主張がかみ合わなくなってしまっているのだ。

「キズナアイ出演」という文字では、どのキズナアイを指しているのかわからないのとほぼ同じことが「VTuber」でも起きていると言えばわかりやすいかもしれない。


・「VTuber」は4種類いる

「VTuber」はその始点となるものによって大きく2つに分かれる。

キャラクターが始点となり、中の人をキャラクターの表現手段の1つとする「キャラクター型VTuber」と、

人間が始点となり、キャラクター(アバター)を自己の表現手段の1つとする「アバター型VTuber」に分けることができる。


さらに、両者を2種類ずつに分類できる。


「キャラクター型VTuber」は、

キャラクターのパーソナリティに中の人が影響を及ぼさない「キャラクターVTuber」

キャラクターのパーソナリティに中の人が影響を与える「着ぐるみ型VTuber」に分かれる。


「アバター型VTuber」は、

配信者・動画投稿者のパーソナリティにキャラクターが影響を及ぼさない「アバターVTuber」

配信者・動画投稿者のパーソナリティにキャラクターが影響を及ぼす「なりきり型VTuber」に分かれる。

一つ一つ細かく見ていこう。

・キャラクターVTuber

『キャラクターを始点とし、中の人をその表現手段の1つとしているもので、中の人のパーソナリティがキャラクターと切り離されているVTuber。』

例としては、鳩羽つぐ、ハローキティ、のらきゃっとなどはここに分類される。

キャラクターと中の人のパーソナリティが切り離されているため、中の人の交代は比較的容易であるし、中の人が別のところで活動しようが転生などとは呼ばれない。
CV表記についても基本的には何ら問題はない。

また、キャラクターを逸脱する表現手段をとることは難しい。例えば、キティちゃんが料理動画で生身の手を出すことはキャラクター性を損ないかねないので不可能だろう。(別人の生身の手を映したものをキャラクターが見るという体なら可能。)
一方で、人間を逸脱した表現方法をとることが可能になる。空を飛ぶ、魔法を使う、爆発するなど人間離れしたことを茶番感なく行えるのはキャラクターVTuberの大きなメリットだろう。

普段VTuberの文化に触れていない人は「VTuber」をこの「キャラクターVTuber」と認識していることが多い。
かつてメディアにおいて「VTuberはスキャンダルがない」と紹介されたことがあるが、これはキャラクターVTuberを指してのことだと思われる。

・着ぐるみ型VTuber

『キャラクターを始点とし、中の人をその表現手段の1つとしているもので、中の人のパーソナリティがキャラクターに影響を及ぼすVTuber。』

例としては、キズナアイ、電脳少女シロ、輝夜月などがこれに分類される。


この分類において鍵となるのは「キャラクターを始点としている」という部分である。

あくまでも表現の主体がキャラクターであり、あたかも着ぐるみのように、キャラクターを表現するため中の人が活動するという点でアバター型VTuberと区別される。
そのため、キャラクターを通じて表現された中の人のパーソナリティはキャラクターに帰属することとなる。

例えば、「カレーを昨日食べた」と「人を昨日殺した」というステータスがあったとすると「カレーを食べたのは中の人で…人を殺したのはRPで…」という風な区別はされず、「キャラクターが昨日カレーを食べて人を殺した」と全てキャラクターに帰属される。

この中の人のパーソナリティがキャラクターに帰属するという点が肝心で、これによってキャラクターVTuberのように人間を逸脱した表現方法を取ることが可能となる。

また、当然キャラクターを逸脱するような表現方法は制限されるというのも着ぐるみ型VTuberの特徴である。
そのため、キャラクターVTuberと同様に中の人の体を映すことはキャラクター性を損ないかねないし、オフコラボ(中の人同士がオフラインの状態でコラボすること)と銘打つことも違和感がぬぐえない。

また、キャラクターに中の人のパーソナリティが影響を及ぼしているため、CV表記やCVの交代には慎重にならなければならない。
なぜCV表記までも制限されるのかというと、中の人の存在をはっきりさせてしまうことで、そのパーソナリティが中の人ものと認識され、キャラクターに帰属しなくなる(しにくくなる)ためである。
CVの交代はいわずもがな、それによってキャラクターまでもが変わってしまうためほぼ不可能といってもよい。

・なりきり型VTuber

『人間を始点とし、キャラクターをその表現手段の1つとしているもので、キャラクターが中の人のパーソナリティに影響を及ぼすVTuber。』

例としては、月ノ美兎、バーチャルのじゃロリ狐娘YouTuberおじさん、天開司などはこれにあたる。

キャラクターとしてガワも設定もあるが、人間が始点となっているのがなりきり型VTuberの特徴である。
「なりきり型」という名前のように、Twitter上で見られるなりきりアカウントを想像してもらうと理解しやすいのではないだろうか。
「◯◯なアライさん」や「◯◯する孫悟空」といったアカウントは「その人」を表現するためにキャラクターを用いるしRPも行う。
なりきりアカウントを用いて表現したいものはキャラクターの奥にいる「人間」だ。
なりきり型VTuberも同様で、あくまでも主体となっているのはキャラクターを通して見える人間なのだ。


なりきり型VTuberは、着ぐるみ型VTuberと間違われやすく「バーチャルなのに◯◯するのはどうなんだ。」という批判を度々受ける。

しかし、なりきり型VTuberは人間が前提となったコンテンツであるため、「バーチャルなのに~」の指摘のほとんどは的外れである。

また、基本的には「RP」という概念が存在するのはなりきり型VTuberだけである。後述するアバターVTuberはRPを行わないし、キャラクター型VTuberはキャラクターなのでRPという概念は存在しない。(ただし、キャラクターが別のキャラクターを演じる場合やキャラクターの声優についての話をする場合はRPという概念は存在しうる。)

よく、なりきり型VTuberがキャラクター型VTuberそれ自体を指して「RPが~」と口にしていることがあるが、おそらくキャラクター型VTuberをなりきり型VTuberであると混同しているのだと思われる。

さて、なりきり型VTuberの最大の特徴といえば、キャラクターを演じながらも、そのキャラクターを逸脱した表現方法を取ることができる点にある。
例えば、未成年のキャラクターを演じながら飲酒や喫煙ができたり、中の人の体の一部を映した配信が行えたりする。

さらに、キャラクター型VTuberと異なり、オフコラボも特に何かの設定をつけることなく自然に行うことができる。

一方で、人間を逸脱した表現方法をとることは茶番感が出てしまうため非常に難しい。例えば、空を飛ぶという表現を用いた場合に「技術を用いてそれっぽくみせているだけ」と、メタな視線でしか見てもらえない。

これらは、なりきり型VTuberがあくまでも人間を始点としたものだからである。

また、CV表記は難しい。なぜなら、なりきり型VTuberの中の人は「声優」と表現するにはとても性質の異なるものだからだ。
中の人が主体であり、それにキャラクターを付随させるなりきり型VTuberにおいては、むしろキャラクター側が声優のような、主体を表現する手段としての役割を果たしているため、キャラクターデザイン主を「ママ」と呼びクレジット以上のつながりを示す文化が根付いているのかもしれない。

当然ではあるが、なりきり型VTuberにおいてCV交代は根幹が変わることとなるため不可能である。

キャラクターの変更(転生)については、キャラクターが中の人のパーソナリティに影響を及ぼすため難しく、慎重にならなければならないが、不可能ではないだろう。

・アバターVTuber

『人間を始点とし、キャラクターをその表現手段の1つとしているもので、キャラクターが中の人のパーソナリティと切り離されているVTuber。』

例としては、転生組とよばれる人たちやREALITYアプリで自作アバターを用いて配信している配信者がこれにあたる。

キャラクターのガワを使用しているが、そのキャラクター性が中の人に影響を及ぼしていない、つまり中の人の素であるというのがアバターVTuberの特徴。

素とはいっても、完全に普段通りの状態ではなく、キャラクターに起因した「RP」のない状態と理解してもらった方がいいかもしれない。なので、身バレ防止のために年齢など嘘を演じていたとしても、ここでは「素の状態」である。

アバターVTuberにはCVという概念は存在しない。しかし、並行して何らかの活動を行っている場合には「別名義」を表記することに問題はない。

アバターVTuberのキャスト変更は不可能に近い。一方でアバターの変更については基本的に自由に行うことができる。

アバターVTuberは人間であるため、人間を逸脱したキャラクター的表現方法を取ることはできない。一方で、当然キャラクターに人間的表現手法が制限されることはない。
例えば、顔出しすることに関して言えば、「顔をインターネット上で晒すことに抵抗がある」や「顔バレ・身バレの防止」という人間的理由で自ら制限をかけることはあるが、キャラクターによる理由で制限がかかることはない。

・みんなちがってみんないい

VTuberは4種類いるが、「あれはVTuberでこれはVTuberではない」なんてことはない。すべてVTuberであり、すべて違った存在なのだ。

ここに書かれていないタイプのVTuberを始めるのもそれは問題ない。分類というのは後付けで行うものだ。

・大切なのは「理解」と「寛容」

VTuberが尊重しあえる界隈にするためには、まずは己を知り、相手を知る必要がある。

自分はどんなタイプのVTuberでどんなスタンスで活動しているのか。

コラボ相手はどんなタイプのVTuberでどんなスタンスで活動しているのか。

視聴者は自分のことをどう認識しているだろうか。

「VTuber」と名乗る存在が、自分の想像する通りの「VTuber」であるとは限らない。むしろそうでないことの方が多い。

VTuberには確かに制限されることも多く、それに嘆くVTuberやその視聴者を見かけることがあるが、「理解」が不足していることが原因のことがよくある。

自己の理解を深めていないため、自分には関係ない制限までかけてしまう者は多いのではないか。制限というのはそれによって得られるものがあるから行っているのだ。
どうして制限されているのか、その制限で得られるメリットは自分には必要なのかというのを理解しなければ、それは枷にしかならない。

VTuberには「なんとなく」や「周りがそうだから」で決めてしまっているものが多いように思う。
自己がわからなければ当然相手についてもわからない。コラボ等によるトラブルはここに起因しているのではないだろうか。


もう一つ必要なのは「寛容」だ。

勘違いしてはいけないが、「寛容」は「妥協する」でもなければ「周りや相手に合わせる」という意味では決してない。

各々が持つ譲れない何かを守るために生じる不自由に対して「寛容」になるべきという意味だ。

具体的にいえば、「棲み分け」することに関して寛容の心をもってほしい。

VTuber界隈に目立つのが、「棲み分け」することを良しとしない人たちである。しかもその大半は無意識的に良かれと思って行動している。

おそらくは、なぜ「棲み分け」という不自由が、特定のVTuber間で行われる理由に理解が及んでないためにこのようなことが起こるのである。

これには仕方のない部分もある。
基本的には棲み分けの理由が明示されることなどなければ、「VTuber」と1つの言葉でくくられることで、あたかも棲み分けの必要のない存在のように見えてしまうからだ。

しかし、仕方ないで終わらせてしまえばこの先何度もトラブルを繰り替えすこととなる。
実際、界隈初期には「D事件」、最近でも「にじさんじ」という1つの箱内ですらここに起因するトラブルが複数起きている。

まずは「理解」、そして「寛容」。
この2つの意識をVTuber、視聴者両方が持つことが必要なのだ。

・おわりに

「VTuberは~」という書き出しで始まる議論は確かに不毛だ。
だからといって、議論をするのはやめようと、ことあるごとに打ち切ろうとするのはVTuber界隈の悪癖だろう。
意味のある議論を進め、VTuber文化をより良いものとしていくためには、まず「VTuber」という言葉が複数の意味を持つことを皆が理解していく必要があるのではないだろうか。
「VTuber」が分類されたその先の界隈にこそ、本当の意味での多様性が生まれるのではないかと私は信じている。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

309

hatosan

Virtual Life

バーチャルとリアルの行方
3つ のマガジンに含まれています
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。