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「程遠い自分の理想」であり、「他人の理想ではない所」へ向かう。

意味わかんない題でしょう笑
私もなんと書いたら良いのか分からず変な日本語になりました。

今日もまた雑記です。
最近は手の形を綺麗に見えるように描く練習してます。

手というのは、目の前にあるのに何度描いても難しいんですよね。なんでこんな複雑なのか。
人間特有の複雑な形をしているこの手、けっこうめんどくさくて蔑ろにしがちなんですが

個人的には「手の動きだけで表情が描ける」
と思ってます。まあ、描けてはないんですが。

こんなふうに毎日何かしら手を動かすと、脳も同時に動くので、良いんですよ。
けど、これがただの作業になると何が起きるかというと、「上手くなるにはどうしたら良いのかな」になります。

絵描きにとっては最大の目標でしょう。
「絵が上手くなりたい」

ただ、絵を描く時には「上手く描こう」と思ってはいけないんです。なのに、毎日クロッキーをしていると、「上手く描こう」って反射で思っちゃうんですよね。

絵にとって、常に考えなければならないのは「何を描こう」であり、「上手く描こう」と思ったらもう負けだと思います。

特に、今後は顕著になると思います。
「上手く描く」というのは、きっとAIが出来ます。
人物を美しく残せるのは、写真より絵画だったし、色んな「加工」ができるのも絵でしたが
いまや、絵は「印刷物」であり、それはさらに「デジタル」へと移り変わりました。
そうなると、物質的な絵の力はおよそ通じません。

そして、より「客が喜ぶ理想の絵」を世間は欲するようになる。
いまはまだ「この人のキャラデザのセンス好き〜❤️」となってますが
Twitterで見られる、AI絵師によるパクリ事案。
あれはモラルの問題というのもありますが、何より「見る側が判別できない」くらいに、指定したイラストレーターの絵柄に近い物を作ることができる。そして、もしかしたらその絵の方が理想かも!なんて事に確実になるんですよね。

Twitterではもう、AIで作られたイラストや漫画を使った広告が出てますよね。見分けられます?
僕は描く側の人間なのである程度は見分けられますが、(塗り方とかしわの入り方とか指の形とか、色々あるので)おそらく殆どの人にとっては、見分けれる必要すら感じないでしょう。
目に入って、「しゅき」「ふぁぼりつ〜」だけ。

この時代に生きる絵描きに必要な思考ってなんでしょうか。漫画をやってると耳がバカになるほど「売れ線のやつ」「流行ってるやつ」と言われます。

それはつまり、「他人が求める理想のもの」と言うわけです。そんなものを求めたら、「何を描きたいか」で作られたものではなく
流行りのキャラデザと、流行りの塗り方と、流行りの世界観で作られたAI絵がたくさん出て、それで商業的にはクリアでしょうね。
まるで、アカデミック絵画全盛期のように。絵のモチーフと、肌の塗り方と、構図が、まるでルールで決められたかのように作られた「お綺麗な絵」をふぁぼりつする、という訳です。

そんなものはいつか終わります。
いつかどこかで「アンデパンダン」が現れるからです。

自分の中にある理想の絵を追いかけて生まれる新しい何かは
いつも世の人が求める「理想の形」からかけ離れているんです。

だから絵描きは「程遠くにある自分の理想」を追いかけて、「人が求める理想」なんか歴史の教科書にも載らない物だと言って、捨てなければならない。
そうやって美術という、歴史の付箋は積み重ねられてきました。今でもそうであるべきだと思います。たとえ報われない時代だとしても。

自分の目標は「上手くなること」だとしても
自分の理想は「上手い事」ではないはずなので
常に「上手く描こう」ではなくて「何を描こう」と思いながら描きたいですね。

カッコつけた話をしました。なぜならニートで暇だからです。人は暇だと厨二病が再発するんです。
皆さんは再発しないように、頑張って社畜をしてくださいね。

ではまた。

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