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ほろ苦い浴衣デートの思い出

気がつけば、あの夏から28年も経ってしまった…。

もう思い出すこともなかったのだけれど、「#あの夏に乾杯」というお題をいただいたので、ちょっとだけ思い出のページを覗き見してみようと思う。

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1991年の地方都市。
中3の夏だった。
いつも何かとちょっかいを出してくる男子がクラスにいた。

いつしか「気になる」を通り越して「好きかもしれない」と自覚をし始めた7月のはじめ。
その頃、クラスでは、「夏祭りに誰と行くのか」という話題で持ちきりだった。「夏祭りで告白」!というのが定番だったようだ。

気がつくと、私はその男子の家に電話を掛けていた。
「夏祭り、一緒に行かない?」

すると、彼からは意外な返事が返ってきた。
「中体連が終わるまで、バスケのことしか考えられない」

意外だった。
彼からは何度も何度もちょっかいを出されていて「好きだー」とか、なんだかんだ言われていたので、2つ返事でOKが来るものと思っていた。

それが、バスケの試合の方が大事?
チャラいと思っていた男の硬派な言葉。
不覚にも心をグイッと鷲掴みにされてしまった(笑)。

最後の試合も、もちろん見に行った。
彼らの夏はあっけなく終わった。

その後、再度電話をかけ、夏祭りに一緒に行く約束をして、待ち合わせの時間と場所も決めた。

この日から、毎日毎日胸がドキドキして、彼とは学校では喋れなくなっていた。

そして、夏祭りの1週間前。
私は生まれて初めて、駅前のビブレで自分で浴衣と帯を買った。
中学生にして、2万円ちょっとはかなりの大金(お年玉を貯金していたのだ)で、清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで挑んだことが思い起こされる。

当日の着付けは、母の友達の美容院のオーナーさんが家まで手伝いに来てくれた。
男子と待ち合わせをしているなどということは、もちろん親には内緒。

綺麗に着付けをしてもらって、約束の時間に約束の場所(やはりビブレ)に向かった。「世界は私の為にある」ような浮かれた気分で(笑)。

ビブレの裏口の雑踏の中に彼はいた。
背の高い彼。白いワイシャツが浅黒い肌に映えた。

何を話したかは何も覚えていない。
おそらく大した会話はできていない。
緊張して手も繋げなかった。

それにしてもすごい人。
普段、街にはこんなに人はいない。
どこから来ているのだろう。

すると、同級生に会った。
あれ?彼が少し離れたような。

それでも、同級生と少し話す。

あれ???
どこ?(笑)

彼を見失ってしまった。。

待ち合わせから、30分。

もう離れ離れになってしまった。。

探したけれど、居ない。

この人ごみの中でそう簡単に見つかるはずもない。

あんなにいろいろ心を砕いて決心して誘ったのに、
あっけなく2人の時間は終わってしまった。。

私は行き合った同級生の女友達と一緒に花火を見た。
女友達はいろいろな同級生男子に、私の相手を見なかったか?と聞いてくれた。

そして、花火が終わる頃、ひょっこり男友達に囲まれて、楽しそうに彼が現れた。

正直、「なんなの?こいつ…」と思ったけれど、
私は、何も言わなかった。

「一体、どういう筋書きになっていたのだろう?」

真相は今でもわからない。

あの日、歩き疲れて、鼻緒が足に食い込んだ傷跡は2学期になっても治らなかった。

私は、あの日以来、彼と口を聞かずに中学を卒業し、横浜の高校へ進学をするために、街を出た。

浴衣は大学生になっても何度か着たけれど、彼のこともあの日のことももう思い出すことはなかった。

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書いていて気づいた。
もう胸が痛くならない。
でも、ふと、「母」ではなかった自分を思い出した。

初めての浴衣デートの思い出。
noteさん、束の間のいい時間をありがとう。

#あの夏に乾杯

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