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◆自己紹介〜Footballと自分〜


初めまして服部と申します。
リクルート入った経緯や入るためにやった事など参考になればと思います。
そのほかではサッカーを通じて学んだ事、引退して社会に出て学んだ事、これからのスポーツへの関わり方、自分自身のWILLについて綴っていきたいと思います。
初めは、自己紹介、引退理由を書きたいと思います。

◆自己紹介

服部 大樹(はっとり だいき)
神奈川県出身。愛知生まれの32歳です。
サッカーを5歳から28歳までの23年間やってました。
2サッカーを引退後は、(株)リクルートキャリアに入社。
リクルートキャリアへの入社目的は、アスリートのセカンドキャリアをするために自分自身が社会に出て学ばないといけないと思ったからです。
2019年9月(株)リクルートキャリアを退職。
現在は、(株)スピードリンクジャパンという会社でスポーツ実況アプリの営業と(株)アーシャルデザインで体育会・アスリートの就業の手伝いとポジウィル(株)にて転職の相談にのっています。
今何してるのって聞かれますが簡単に言うと、
“スポーツ業界で営業しながら人材の複業をしている”という感じです。

◆サッカーを始めたきっかけ

自身の中で『一番楽しい』ことだったからです。

他のスポーツをやるよりテレビゲームをやるよりも何よりもサッカーする事が楽しくてしかたなかった。物心がついた時には親父と公園でボールを蹴っていました。
小学校の時も学校が終われば荷物を置いてボールを持って校庭にサッカーをしに行ってました。
暇さえあればサッカー、気づいたらサッカー選手が自分の夢になってました。1993年にJリーグ開幕してからより一層サッカー選手になりたいと思うようになってました。
ボールを蹴るだけで楽しいから、上手くなりたい、チームで勝ちたい、日本一になりたい、日本代表に入りたいと考えてました。

小さい時の 楽しい=好き を言語化すると、
練習すればするだけ自分自身が上手くなる事がわかったからです。
もう少し細かく言うと、リフティングの出来る回数が増えたり、蹴るボールの飛距離が伸びたり、狙ったところにボールがけれたり、試合や練習で相手をドリブルで意図的に抜けるようになったりと小さい成功体験を感じる事ができたからだです。
その成功体験も簡単にできるわけでなく、足を使うという事で難しかったということも関係しています。難しい事ができるようになるという事が自分の中で楽しいと思えるようになったんだと思います。

◆引退した理由

引退を決めた理由は、怪我です。
全力で大好きなサッカーができなくなってしまったから辞める決断をしました。怪我をしなかったらまだ現役を続けていると思います。

怪我をした部位は膝と肘で、同時に痛め最後の1年間は練習もちろん、日常生活に支障が出る状態でした。
歩くだけで膝は痛く、肘は神経が壊れ手に力が入らなくなり腕を動かすことにも支障が出ていて、練習に行ってその後は必ず治療しにいくの繰り返しの1年間でした。

膝の怪我は、膝蓋腱炎でしたが長らく放置していたの骨が変形していて何もしていなくても痛い状態…
我慢しすぎました。まさかこんな変形するまで放ったらかしにしてるなんて改めて痛みに鈍感なんだなと思います。

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◆サッカー界から離れた理由

嫌いになったわけではないです。
むしろ今でも大好きですし、ビーチサッカーを現役でやっています。

一言でいうと”社会に出た方が面白そうだと思ったから“です。

怪我の影響もあり最後のシーズンと決め、限られた時間を限られた能力でチームに貢献するためにいつもとは違う考えでプレーをしました。
そうするといつもとは違う視点でサッカーを見るようになってました。
自分がスタメンで出るためにやることよりも、スタメンではなくても自分の長所を活かしてできる事を探すようになった事でよりチームの事情を把握できました。

そういう気持ちでプレーする中で、引退後を考えたときに指導者になることしか思い浮かんでいなかったところに他の考えが浮かんできました。

それが、 “社会に出てサッカー界を見たい”  でした。
指導者を始めるにせよ、引退してから始めることはわからないことも多いのでそれだったら違う世界でやるほうが面白そうと思いました。

そんな理由でサッカー界から離れる選択をしました。


とりあえず今回はこんな感じで終わります

読んでくださった方はありがとうございます。

次回以降はリクルート入った経緯や入るためにやったこと、社会人一年目のこと、サッカーで学んだことが社会人でどうやって活きたか、なんでビーチサッカーをやっているのか、リクルートキャリアで何やっていたか、今の会社で何してるのかなどを小出しでお伝えできればと思います。


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