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あたらしい年をむかえて

みなさん、こんにちは!
2022年、新年あけましたですね。
今日は、新月ということもあって、なにか、こちらに書きたくなりましてペンをとりました、、ではなくて、パソコンのキーボードにむかっています。

みなさんはどんな年末年始を送られていますでしょうか。

わっちは、前回書かせていただいたとおり、大晦日になにか大掃除やろうってお昼すぎから思い立ち(遅いってば)、案の定間に合うはずもなく、完全にふつうの掃除にしかなっていないことにすぐに気づき、超絶いいかげんなまま新年を迎えたわけですが、、。

元旦に、めずらしいおきゃくさまがきてくださったときも、家のなかはぐちゃぐちゃ。ようやくこの3日間かけて、なんとか、ひとさまに入っていただける我が家となりました(あくまで自分比ですが。そしてそして元旦にいらした方々に、こころからおわびしたい、、というか今日くらいの家の部屋にいつかまた来ていただきたいわっちなのであります、、、)。

と! なにがいいたかったかというとですね。

気づいたことがあったのです。

それは

それは

それは

「我が家には主婦がいない」

という事実です。うちは二人暮らして、二人とも仕事をしていて、二人とも家事をしています。でもね、この3日間掃除洗濯食事づくりあれこれ集中してみてわかったんですけれど、主婦としての家事をほんとうに取り組んだら、それで1日終わっちゃうわい!ということです。主婦としての家事をしっかりやりながら仕事するとか、いやー、そりゃ、むちゃな話やろ!!ということです。

すごい仕事量です。家のことやるって。

ふだんの我が家は、本当に、家事はやっぱりどうしていいかげんです。いや、家仕事、、ふだんの家事に加えて、、柿酢仕込んだりとか、そういうこともしなくはないです。でも、こう、根本がなってないというか。ある部分の家事を完全にあきらめているんだなとあらためて思いました(掃除だったり、こまごましたことです)。そうして、自分が納得いくくらいまで「ちゃんとやろう」とすると、ほんとうに、かかりきりでやる必要があるということです。この3日間、ほぼ、家のことだけに取り組んで、そのことを実感しました。(ふだんやっていないことに罪悪感もなにもないのですが)

縄文時代とかのことを思うんですよね。主婦っていう役割もなかっただろうし、家事的なことはあったかもしれないですけれど、もう少し意味合いがちがったような……。何がいいたいかというと、ほんとうに、現代人はよくやっている、ということです。

いやね、井戸で水汲んだり、薪からお風呂炊いたり(まわりにはそういう暮らしをしているかたもいらっしゃいますが)、そういう時代からくらべたら、ものすごく便利になったと思います。でも、どうしてこんなにやることが多いんでしょ、、、と感じます。家事をやって育児をして働いている方もいらっしゃると思うのですが、、、そういうかたが、完全に数日間休めるリトリート施設とか、システムとか、本気で必要だと思います。

なにがいいたいかというと、何かが過剰な気がするんです。うまくいえないのですが。


年末は、八丈島のタロちゃんが、美濃にいらしていて、「ローカヒロミロミ」とロミロミの呼吸法を習ったり、元旦は、kaiさんくしまけんじさんのインスタライブにゲストで呼んでいただいたり! 今日も、2022年版の声のメルマガのジングルを録音させていただいたりしました。

でね、2022年になってみて、感じるのは、



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