AI診断の始まりと気というもの

先日 敗血症の方が オフィスにいらっしゃった話しを 少し書きました。
で、昨日 敗血症の症例数が 今どれぐらいなのかを調べようとしていたところ
数日前の記事に ヒットしました。
FDAが 初期の敗血症の診断を AIに任せるという許可を下ろしたというものです。
その名も「Sepsis ImmunoScore」。
敗血症の症例が ほとんどと言っていいほど出てこない現状で なぜ AIによる
診断を始めたのか?
仮に 医療診断を AIにどれだけ依存できるのか?という テストラン的な
ものであれば 高血圧症とか 糖尿病とか もっと 一般的で それほど
リスクのないものを 選べば 良かったのではないか?とも思います。
仮に AIが 敗血症と診断した場合 その後には 何がくるのでしょうか?
そして どのように判断するのかというのは アルゴリズムをベースとしています。
要は これまでの 敗血症に見られる 症状などをデータとして打ち込んでおき
それに見合う症状が多ければ多いほど 敗血症という診断を下されることに
なりますが 私のオフィスにきた方は 最初は 膀胱炎やらなんらと 間違った
診断が長引いたことから 最終的には 細胞の化膿から壊死に至り 身体の一部を切断して 生き残るという選択を強いられたのでした。
みなさんも ご存知の通り チン毒の副作用は多岐に渡っています。
それを アリゴリズムをベースにした診断にすると 誤診が出るような気がする
のは 私だけでしょうか?
そして たくさんの人が チン毒の副作用を感じている中で どのような病名を
つけられても 結局は チン毒の毒が中和されなければ 根本からの治療は
難しいのではとも思います。
ただ 医療システムは どうしても AIを取り入れて 現状の医療体制を
一新させたい気持ちで いっぱいですから どうしても その方向に押して
行くでしょう。医療の現場には 今 正しい判断が必要な人たちもたくさん
くるわけで AIが 生身の医者のような 応対ができるようになるには 
まだ時間がかかりますが その“テストラン“の間には また 犠牲になる人たちが 出るかと思われます。そうした 犠牲を払ってまでも 進化は 必要なのでしょうか?
そもそも 命あるものには 正体エネルギーなるものがあり 身体を作る 全ての細胞の活動は エネルギーからなっており そのエネルギーは お互いに感じあえるものです。ですから 落ち込んでいる人が 元気な人に会うと なんだか
わからないけど 元気になった気がするのです。気ですから “気がする”のです。
見えない人には 気のせい(信じられない)と 思って 忘れらますが まさに
気のせいなのです。気のせいというのは ないことではなく あるのですが
物質レベルの 捉え方では 把握することができないから 気のせいということで流してしまう。
あなたがやったら あなたのせいというでしょ? 
気がやったら 気のせいで そこには 何もおこらなかったわけでは ないんです。
そこには 気(エネルギー)の レベルで 確かに何かが 起こっているのです。

私の オフィスにくる人は ご本人のこれまでの健康の履歴などを 質問表に
記入しなくてはいけません。これは これから 施術する人の状態を知るきっかけのために やっているというよりは アメリカですので 法的に私自身を
訴訟から守るためにする方が 意図が強いです。
何しろ マクドナルドのコーヒーで 火傷した女性が 訴訟を起こして 勝っちゃう国なのですから。
日本だったら 熱いから自分で気をつけるじゃないですか?
で 仮に勢いこんで 入れ立てのコーヒーで 舌が焼けても 焼けちゃったで
治るまでの数日 それは自分の不注意ということで やり過ごすでしょ?
アメリカでは それを売る側のせいにした人がいました。
ですから いろんな商品のあちこちに 小さい文字で あらゆる注意書きを
しなくていけなくなった。まるで 幼稚園児扱いです。
プリウスのフロアーマットに 固定部品がついたのも アメリカで年配の
おばさんが マットがスライドしてブレーキペダルの間に挟まり ブレーキが
効かなかったと トヨタを相手取り 訴訟を起こして トヨタは 敗訴した。
その名残が 全トヨタ車のみならず 多種車のフロアーマットにも そうした
部品をつけなくてはいけなくなった。
そもそも マットがスライドするって どういう座り方なの?って思います。
運転する前に そういうことを確認するのが 車を所有するものの責任だと
思うのですが。
まあ そんな世界で 暮らしておりますので 特に 人様に 触れる仕事を
しておりますから 同意書は大事なのです。
で 私は 医者ではないですから いちいち言わなくてもいいと、面倒くさいのと 恥ずかしい(糖尿病と高血圧の方は その病で薬まで飲んでいることを 恥ずかしく思う人が多い。心理はわかりません。)のとで 正直に記入しない人が いるのです。が その人が ドアを開けて 入ってくる瞬間 あるいは その前から 目の前の椅子に座って 記入している姿を見ていると 問題のある箇所が
灰色にボヤーと見えてくる。
それで 書き終わった用紙に ボヤーのことがないと こちらから聞くのです。
下腹部に 何か問題ありますか?とか 足首 どうされました?とか。
すると 「あ〜 これは 数年前から 調子が悪くて」とか 「何年も前に 骨折して」とか 色々出てくるのです。
で 私は 用紙に書き足していくのです。何しろ そういうことが 原因で
現在の 症状が出ている可能性があるからです。
それだけではなく 予約を入れる際 今は 電話より テキストやメールでやりとりすることが多いです。すると その人が 書いた時のエネルギーが 一緒に 届くのです。
あ〜 イライラして 血圧が上がってる状態とか なんだか 調子悪くなりそうだから すぐに空きがあればいいなという 多少の不安とかね。
そして それ以前に これから テキストをしようと思っている人たちの 顔が
頭に浮かぶんです。
で こちらから 連絡しようと思いつつせずにいると 一〜二日おいて 必ず
連絡がきます。
私たちは自分の体の大きさは 把握していますが エネルギー体については
把握していません。また そのレベルでは いかに通信しあっているか?と
いうことも ほとんど気にしない世界で生きています。
が 自然の中で生きるということは そうした 虫の知らせの部分が 当たり前の世界だと思うのです。

インスタグラムから 情報発信している人に かとうあやさんという方がいます。アカウントは aya_remedy ですが 彼女の投稿や そこにコメントを残す
人たちの中には 食べ物というのが 栄養素というよりも エネルギーであることが先という意識を持った方たちがいます。
私も その一人です。
何かを取り込む行為と言うのは 過剰になりすぎたエネルギーを 排出させるか
不足しているものを補うかと言うところにあります。
美味しいと言う感覚は 全くもって二の次、三の次です。
枯れて大地の一部になったものが 今度は バクテリアなどの力を借りて 植物に有益な環境を作り そこに 私たちの栄養となるものが 育っていきます。
その過程の中で たくさんの 化学変化がおきながら 作物は大地の栄養と 太陽の光と 雨や地中の水分から酸素を補いながら 成長していきます。
それらの過程を私たちは 体内に取り込み排出しているのです。
循環という言葉を いつしか私たちは忘れ それは 使い捨てが多くなったことからくるものだと思いますが その循環が見えるレベルまで 魂の視力を戻さないと 人はますます 自然から 自分を引き離して生きていくことになるのでしょう。

人に行えて AIの診断に行えないことが 今の段階で 一つだけあります。
それは 触診ということです。触診でさえも データのインプットにより
ロボットの手から 生体エネルギーを感じさせ 気功師のようなことができるのかもしれませんが 感覚というのは 一方向からだけではなく 双方が響き合い
感じられるものなので(確実になるまでは 思い過ごしも 多々あるかと思います)
AIに 人間のような神経組織を 張り巡らせれば可能になるかも知れませんが
人体だけ取ってみても とても複雑ですので(そこには 川が流れ、火が燃え、
有機物の分解が行われというように) そこに至るのはまだまだ 時間がかかるでしょう。体の水分だけを取ってみても それは 潤いの理由だけではなく 情報伝達のために 体内の水分はあることまで 見つめていかないと 理解の不足が
判断の誤りをもたらします。

敗血症の新しい診断方法の話しから 食とエネルギーまで 今日も かなり
ランダムな話しになってしまいましたが チューブのわさびや生姜や茗荷を 
食べ物だと思えない、それだけは譲れない私から 本日も皆様に愛を込めて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?