「推敲」ってなんだっけ?の話(1)

割引あり

チャオ、諸兄。
毎度お馴染み、耳にうるさいことばかり言う白蔵主天狗です。

掲題、しゃらくさい話ではありますが、これは推敲というものを、薄ぼんやりと「見直して」「良くする」くらいの解像度で理解しているうえで、現状なんとなく「やれてる人」向けの記事です。
最近小説を書き始めた、とか、推敲ってよくわかんないんだよな、という人が読むとむしろあんまり良くないのでは?ということを書く予定です。

そんなわけで途中のキリがいいとこから先、有料になります。
でもちなみに、わたしのメンバーシップに加入してくれた人は全部読めます(商売っ気)。ちなみにわたしのメンバーシップ、月額500円ですが脱退自由ですし初月無料なので過去記事全部読んで脱退してくれても構いません。迷う方はお試し、加入してみるとよいですよ。
メンバーシップ入ったら、ぜひこれ、キャンさんの話読んでね。自分でいうのもアホだけど、死ぬほど面白いから。

…とまあ、前置きで「これは良くない話です」とすれば何してもいいわけじゃないよってのはそうなんですが、わたしがなぜ、推敲について書くのにこうも予防線を張るかというと、それは「推敲」というものが「必ずしも作品を面白くするものではない」というのが一番の理由です。基本的にそれは、情熱を削り、鎮静させる方向に働きます。推敲は明確に理性と技術の仕事です。

そこを理解できないうちは、推敲なんてそもそもやんない方がいいです。パッションを削ってしまって、そのうえ技術もない文章なんてない方がいいです。「書きたい」から始まった文章であれば、すくなくともパッションだけは存在するはずです。
わたしは、特に美文でなくても、その人がこれを書きたかったんだろうなあと思わせる文章を愛します。そして推敲という行為はしばしば、元々あったパッションを取り除く方向にはたらきます。

簡単に言うと、効率的な推敲に必要なものはふたつ。「なんとなく良い」「何となくダメ」を判断する審美と、あとは「なぜそう見えるのか」を考える理屈、技術です。

審美眼で、直すべきかどうかを判断し、どこをどう直せばいいかを診断して、直す。

最初とおなじこと言ってるじゃん

審美眼を教えることは大変難しく、せいぜいが「よいものを見ていると、悪いものが悪いと解ってくる」の理屈で、よい本をたくさん読みなよ、と先人が語るやつです。わたしもその通りと思う。よい本をたくさん読むといいです。
一方、後者については、だいぶ理屈が先行するので、ノウハウを教わればある程度まではできるようになります。

では後者、なんとなくダメなものを解消するためのひとつめの方法です。

「文意が掴みにくくなっている障害を、取り除いてやること」

(個人の解釈です)

これはすごくシンプルで、たとえば多重の形容詞なんかを削っていく作業ですね。

禍々しくも鈍色に光る、三十年前のモデルとは思えないほど改造しつくされた拳銃

悪文のモデルですが、別になんかからとってないです

みたいな、ゴテゴテしていて、ちょっとぶかっこうな名詞があるとします。シンプルに読みづらいですね。これを普通に推敲していくと、まずは順序を変えるところから始まります。

三十年前のモデルとは思えないほど改造しつくされた、禍々しくも鈍色に光る拳銃

でも…なんかパッション減った感じしませんか

この語順の移動は、単純に「関係の深い語同士を近くに寄せる」というだけの技術です。「光る」が修飾するのは「拳銃」なのに、そのつながりを読者が解決する前に「三十年前の」で始まる一節が割り込んできているせいで明確に読みにくくなっています。
だから、それを解決しやすくするために順序を変えました。でも、なんかが減ってるんですよ。
だけど、さらに読みやすくするために二文にわけてみましょう。

禍々しくも鈍色に光る拳銃。
それは、三十年前のモデルとは思えないほど改造し尽くされている。

読みやすいけどなんかダメになった!

推敲したことで、文意は取りやすくなっているし読みやすくなっているはずではありますが、読み手に引っかからずに通り過ぎていく文になっている感じ、しませんか(個人差があります)。

つまり、読みやすい文章というのが、必ずしもいい文章ではない、という話ですね。ちなみにわたしが推敲するとしたら、少しメリハリをつけてこんな感じにするかもしれません。

六発撃てればそれでいいとされていた時代に作られたとは思えないほど禍々しく、そして、原型を留めないほど改造し尽くされているというのに己が骨董品であることを手放していない、それ自体が古い怪物のような拳銃

これはやりすぎ

つまりまあ、単純に削る方向の推敲って、技術だけでやれるものではあるけど、それだけではなんとも何ともならんものなんですね(もちろん感覚で上手くできる人はいる)。
つまり、身も蓋もないですが、半端な技術でめくらにやるなら、パッションに任せてエイヤってやる方がいいです。

ちなみに日本語構文の整理をする技術とか、その辺が知りたい方はわたしにメッセージのついたチップを投げてくれれば個人指導しますのでそちらでドゾドゾ。

そして、これをもう少し深く潜った言い方にするとこんな感じ。

「文章を塊として捉えて、プロポーションを整えること」

だんだん難しいこと言い出した

このために必要なのは、そのブロックで何を伝えたいのか、というだいぶビジネス文書寄りの技術です。その文章の要素を極限まで削った場合に何が残るのかを理解して、そこにもう一度肉付けするべきなのか、そのまま削いでおいた方がいいのかを判断することです。
さっきの例文を使うなら、修飾語を取っ払って、

珍しい改造をされた古い拳銃

シンプル!

これだけですね。これに対して「どのくらい古いのか」とか「どんな改造なのか」「どんな印象なのか」を掘り下げていきます。
その過程でエッセンスが喧嘩するなら、「古さ」と「改造の内容」のどちらを強くフォーカスしたいのかを考えます。
そういった綱引きの中で、強調して派手にする部分と、そうでもない部分を決めていくんですね。
古さを表現するとしたら、シンプルに「三十年前の型」って表現でホントに面白いのかとか、強調したいのは「たくさん改造されてる」なのか「それによる禍々しさ」なのか、それとも別のものなのか。

推敲とは、プロポーション、つまり、調和、つり合いです。胸だけを強調したいならほかの部分は控えめにするとか、目の印象を強くしたいならいっそ目元以外は隠してしまうとか、そういったものが「技術」となります。そこにあるものを、目に入った順に全部書き出したとしても決して「描写力が高い」とはならないんですね。

繰り返しになりますが、推敲に最も重要なのは「審美」のフェイズです。なんとなく「よくないな」を見極める目。

さて、そろそろ予告した「キリがいい」の部分になります。このへんから有料になりますよ。いいですか。

逆噴射小説大賞という、特殊な環境下であればこそ可能な、ほかのレギュレーション下で行うのは難しいのではないかという変態的な推敲、そのやりかたが具体的かつ実践的な項目をみっつ、考えてみました。今回、わたしがやってみたことです。

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