心の豊かさについて(2018年12月収録)

心が豊かだ…ということは果たしてどういうことなんだろうかって考えてる。

豊かであるの語義通りに取れば、豊か=人から奪わないでもいられる=少々の略奪にも動じない、みたいな感じかなあとも思えるけど、じゃあそれをどのタイミングで実感するのかって話。まさか試しに略奪かけて、怒らないから豊かだなあというサイコパス判定っちゅわけでもないだろうし、何なのかしらね。

また、心が貧しい、の対義語として語義通りに取ればタヨーセーに満ち溢れてるとも取れるのだけど、流石に拷問の真髄や詭弁術に通暁していることを心が豊かとは言うまいと予想もしている。

知識の奥底に心はあり、人間が何に苦しみ、悶えるのかという知識が豊かなのはじゅうぶん心豊かと呼んでもいいような気もするんだけど、たぶん、一般的には剰余生産物が多いこと、他人に分け与えられることをして「豊か」と呼ぶんだろうと思う。

それにしたって、他人のことを「心豊か」と呼ぶのは屈託がなさすぎる。憎しみ、怒り、悲しみ、そうした感情を「持っていないもの」を豊かというのは語義上ちょっと抵抗がある。

そして、たぶん皆が「心豊か」と呼ぶものは僕の基準では「卑しくない」が近いのだ。
あいつビンボーだけど卑しくはなかったよな。人を対等に見るには、そのへんの表現にとどめておく方がいい気がする。

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