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私の出発点

私は、某県の田舎町に生まれ、母の実家で育てられた。母の実家は、とある小さな商売を営んでいて、店には一日に何度か来客があった。また、祖父母にはきょうだいが多くおり、親戚のおじさんやおばさんが家に来てお茶を飲んでいくことは日常であった。

私は物心のついたときから傍観者及び観察者としての悪癖を持ち合わせていて、店にくるお客さんや親戚の人たちと祖父母の会話を絶えず聞いていた。そして、今の私を含むほとんどの大人がそうであるように、話をしている彼らは、子供には大人の話など何もわからないのだと勘違いをしていた。
近所の噂、学歴の話、結婚の話、政治の話、商売の話、人生の話、数多の愚痴・・・。
好奇心に溢れた私はそれらを自分なりに(つまり甚だ幼稚に)消化していった。この経験は私が小学校を終えるまで続いた。
そのような環境の中で、私は人間同士の関わり合いの不思議さを(難しさを学ぶには幼すぎた)学んだのである。

小学生時代の思い出は、そんな意義深い祖父母の家の寝室と共にある。病弱だった私は、しばしば体調を崩し、寝室で寝込むことが多かった。小学生の私にとってこの特性は、勿論、コンプレックスであった。(病弱を誇りにしようと思考を転換できたのは、人間失格や仮面の告白を読んでからである。)しかし、学ぶこともあった。一日中家にいたことで、普段、私が学校に行っている間、母や祖父母が家で何をしているのかを知り、私の認知し得ない私以外の人生が展開されていることを私は知ったのである。母は家事をしていた。祖父母たちは仕事をしていた。私以外の人生がある!幼い私が感じた感動をここに書き記すことは到底できない。

当然、回復期には、ひたすらに退屈し、天井の模様と窓から見える景色を眺める他なかった。そして、この二つを眺めること、正確には、これらを眺め、そこから連想されるあらゆる想像を膨らませることが、私の感受性の基礎を形作った。それほどに、これらの記憶には愛着と哀愁が存在しているのであった。

思うに、感性とは懐かしむ気持ちの極限なのではないか。私は季節の変わり目になると、感性が爆発するような感覚に襲われるのであるが、それは一年前の同じ季節を身体が思い出し、懐かしみを得るからではないかと考えている。その意味で、幼少期の経験の重要性は、計り知れない。幸福が運によって左右される理不尽を我々は解決しなければならないだろう・・・。

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早川 あすむ

東京に暮らす社会人。 半生や考えたことや本の紹介を書いていきます。 何かございましたらお気軽にどうぞ→ hayakawa.asumu1991@gmail.com

私の半生記

半生を綴った記事です。
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